朝の光が、ぼくに元気をくれる。誰よりも早く部屋を飛び出したくて、ぼくは扉に何度も頭突きをした。
 どーん! どーん!
「わあ!」
「うるさい!」
 音に交じって聞こえてくるのは他のドラゴンの愚痴ばかり。みんな早く外に出たいに決まっているのに、どうして人間がくるまで大人しくしているんだろう?
「はあ、またあいつか」
「他のをとっとと開けちまうか」
 こつこつ、と一方で聞こえるのは人間の靴音だ。ぼくたちの部屋は大きな箱の中に仕切る形で作られていて、お互い声は聞こえても姿を見ることはできなかった。
 日の光が部屋に差し込むとぼくたちは部屋を出て、日が沈むと部屋に戻される。何度か脱走を試みても、分厚い壁に阻まれて自由の身になることは叶うことはなかった。
 こつこつ、こつ。
「あけてー!」
「よしよし、もうちょっと待ってくれ」
 扉の隙間から人間の顔が覗いた。ぐいと首を伸ばして呼びかけても、返ってくるのは冷めた言葉だけ。またすぐ顔が見えなくなったと思ったら、なぜか隣の扉が開く音がする。
「よーし、いっておいで」
「わあい!」
 軽やかなで甘みを持った声とともに、青い被毛が水のようにぼくの部屋を通り過ぎていく。そうして残されるのは沈黙だけ。なぜかいつも、部屋から出されるのはぼくが一番最後なのだ。
 いつかそのまま置いて行かれるんじゃないかという不安がぼくの喉を震わせた。
「あけて! あけてよ!」
「……わかったわかった、飛び出してこないでくれよ」
 じゃらじゃらと何かを引きずる音と一緒に、ぼくに掛けられた声は穏やかで温かかった。がらがらと満を持して開いた扉の向こうには、すっかり顔なじみになった人間が立っていたのだった。
「わあい!」
「――待て!」
 一人じゃない。ただそれが嬉しくて、ぼくは目の前の人間に甘えようとする。前足で思いきり地を蹴ろうとしたその瞬間、言葉とともにぼくは鼻面を押さえられた。
「ん……!」
「よーしいい子だ、サンダーホーク。ずっとこの調子でいてくれよ、今日から見習いが来るんだ。そいつはな――」
 外の暮らしと人間との暮らしを分けるもの、それは「命令」というものらしかった。何度も繰り返された行動の果てに、ぼくは鼻先を押さえられると座り込んで身動きが取れなくなっていた。決して進んで受け入れられるものではなかったけれど、これができると人間は誉めてくれる。ただそれが嬉しくて、ぼくは人間が顔の周りに何かを巻いている間中、短い尻尾を振って応えていたのだった。

「おいで、サンダーホーク!」
「わあい!」
 声に向かってぼくは部屋から飛び出した。そのまま一直線に四角く切り取られた光へ向かう。その向こう側こそが、仲間たちの待っている外だ。
「そとだあ!」
「やっと本命のご登場だな。ゆっくりおいで。フィンレイもお疲れ!」
「わあい、わあい!」
「こら、落ち着けったら」
 眩しいほどの光、青々とした芝生の香り。これがぼくたちの庭だ。その庭の中心で、リーダーがぼくを呼んでいる。低く落ち着いた声の、ぼくらのリーダーだ。
 何より彼が呼んでいるあらば向かわなくてはならない。ぼくの後ろで迎えにきた人――フィンがわあわあ声をあげていても、そんなのお構いなしだ。
 ――ぴん、ぐぐっ。
「ん? うーん」
「こら、力いっぱい引っ張るんじゃない!」
「ひっぱってるのはフィンのせいだろー! うんしょ、うんしょ」
 どれだけ踏ん張っても、途中からうまく歩けない。振り向くとどうやらフィンが紐を引っ張ってぼくの動きを止めているようだった。それはきっとぼくに巻き付いているのだろう、引っ張るごとに息苦しさを感じるのだから間違いない。
 けれど、そんなことで止まってなどいられない。ぼくはフィンを引きずりながら、何とかリーダーのもとまでたどり着いたのだった。

「……とまあ、こんなやつだが上手くやれそうか?」
「なんだよこいつ……言うこと聞かねーし、すげー力だし……でけーキバだな」
「見た目は怖いが可愛いもんだぞ。なあ、サンダーホーク?」
「えへへ、たいちょー! もっとなでて!」
 仲間がみんなそうするように、ぼくも隊長に頭を摺り寄せる。「隊長」というのは人間たちの呼ぶリーダーの名前だ。仲間が言うには他の名前もあるらしいがぼくにはよくわからない。ともかくわしわしと撫でてもらっている隊長のその向こうで、違う人の影がちらちら動いている。
「……………………」
「……わあ!」
「ひえッ!」
 黙っておいて一声鳴くだけで、その人影はすぐ芝生にへたりこんだ。手をつくこともできず転がって、それでいて金色の目だけが恐れに光っている。
 なんて弱い人間なんだろう。大きさからしてまだ子供なのかもしれない。よく焼けた健康的な肌は隊長たちと変わらないが、つんつんと逆立つぼさぼさの髪といい、隊長たちとは違うぼろぼろの服といい、とてもこの場所にいていい人間のようには思えなかった。
 ――もしかして、新しいおもちゃなのかな?
「ぜんっぜん可愛くなんて、ないじゃねーか!」
「見慣れないからそう思うだけだ。 ……フィン、しっかり握っておけよ」
 子供がわめき、隊長がなぐさめる。ぼくの目を見る目が少しだけ鋭くなり、紐を引く力がきりきりと上がっていく。何もそんなに悪いことはしないのに、と思っていても、とびかかる準備のできているから仕方ないのかもしれない。
「あそぶ? あそぶ?」
 あんまり痛くしないから。そう言い聞かすつもりでじりじりと子供に近づく。だがそんなぼくの楽しみは、すぐ隊長に止めさせられてしまった。
「サンダーホーク、待て」
「……えー?」
 しゃがみこんだまま、ぼくは隊長を見上げた。力強い青い目、真一文字の唇。どうやらこの「命令」は遊びのつもりではないらしい。一方すっかり怯え切っていたはずの子供はそろそろと立ち上がると、こわばっていた顔を輝かせて隊長を見上げていた。
「すげー! すげーなアンタ! こんなデカいのでも言うこと聞くなんて、戦竜隊の隊長ってのは嘘じゃなかったんだな!」
「そりゃそうさ。それにしてもこいつにビビるなんてな。ビュウが言うにはもっと勇気のある子のはずなんだが……」
「無理言うなよ! ドラゴンをこんなに近くで見るのなんて初めてなんだからな! それに――」
「戦竜隊に入るなら、毎日この子以上のドラゴンと触れ合うことになるぞ。かなり怯えていたみたいだが、これでもサンダーホークは子供なんだ」
「なっ?!」
「だからまだまだ遊びたい盛りなのさ。なあサンダーホーク、この子と一緒に遊びたくないか?」
「いいの?!」
「わっ!!」
 やっぱりこの子供は隊長が遊ぶために連れてきたようだ。でも声をあげるとまた子供はその場に尻もちをつく。今度は手を付けられてはいるけれど、この調子だと追いかけっこもできそうにない。
「……大丈夫か? 今日は俺たちがついてる。何ならビュウも呼ぶから、慣れるところから始めようか、ラッシュ君」
「ビ、ビュウは呼ばなくていいから、とっとと、始めようぜ!」
 驚きに目を見開いて、子供は息を荒げた。ビュウの名前が聞こえたが、どうやら彼が来ることはなさそうだ。子供は立ち上がり尻を払う。今日は一日、この子と遊んでいいらしい。
「ほら、サンダーホークはもうやる気みたいだぞ。早く遠くへ行かないと、すぐに押し倒されるだろうな、ほら!」
「え、え、え?」
 隊長が指をさす方向へ、子供は戸惑いながら駆けていく。広い広い庭だけれど、有利は断然ぼくにある。その背中にターゲットを捉えながら、ぼくはじっと隊長の声がかかるのを待つ。
 遠くで時間を知らせるからんからんという鐘の音に、ぼくはしばらく気を引かれる。日はまだ長い。楽しい予感に、ぼくは胸いっぱいに息を吸ったのだった。



短角のやんちゃさん


間が開いちゃいました。三匹目はサンダーホークとラッシュでした。
猪突猛進・ツンツン同士で見た目はかなりいいと思うんですが相性は悪そうだなあなんて思うわけです。
ラッシュはラッシュでかつて散々犬に追いかけられた経験がありそうなので本能的なもので嫌っていたり寄り添ったり和解するまでの二人が見たいです……。(ただの願望で締める)
20200902