「アナスタシア、ちょっといいかな」
 「何々? どうしたの?」
 本から目を外して声の主を見る。遠慮がちなその声はエカテリーナのものだった。
 彼女との付き合いは長い。カーナの王城抱えのウィザードとして勤め始めてすぐ出来た友人が彼女なのだ。
 さすがにビュウとヨヨには遠く及ばないが、自分たちと同じようにジョブが揃っているランサーのレーヴェと フルンゼよりは仲が良いと思っている。
 「この間はありがとう。お陰であの方の好きな物が知れて嬉しいの」
 「いいのよあれくらい。一番頑張ったのはビュウだけどね」
 「ビュウに悪い事したかな……」
 「気にしないの。本人はもう忘れてるんじゃないかなあ」
 「ええと、ビュウが?」
 「ホーネットだっけ、名前。おかしな事聞くなって思ったかもしれないけど」
 ホーネット、と名前が出た瞬間エカテリーナの身体がぴくりと反応した。彼女の反応は昔から分かりやすくて飽きない。
 アナスタシアは一瞬閉口したが、すぐに言葉を口にする。彼女の中の好奇心と悪戯心に火がついたのか、その目は輝きに満ちていた。
 「ねえエカテリーナ。ホーネットの事を教えてよ。私よく知らないから」
 「あ、あの方の事は私もよく知らなくて……」
 「ええっ?」
 エカテリーナの思わぬ返答に、アナスタシアは目を丸くした。
 対してエカテリーナは手元をもじもじさせ視線を手元に落とす。彼女の特徴的な尖った耳の先が赤く染まっているのがよく見えた。
 「よく知らないのに好きなんだ」
 「すっ」
 「そんなに驚かないでよ、そうなんでしょ?」
 エカテリーナは跳ねるようにアナスタシアの顔を見た。彼女の顔はこれ以上にないほど真っ赤だった。
 アナスタシアの顔は笑っていたが、さすがにこれ以上エカテリーナを弄ると失神しかねないと思いにこやかな顔はそのままに彼女の発言を促すことにした。
 「それで、その人の好きなもの。何だっけ」
 「……うにうじ。あの方の好きなものはうにうじ。ああ……」
 「うにうじ……」
 エカテリーナが内容を予想出来ない夢想を始める一方で、アナスタシアは余り馴染みのない『うにうじ』について調べようと、手近にあった本棚の中から百科事典を探した。
 それは本棚の下の方に数冊並んでいた。余り人が手を付けていないのか、どれもこれも背表紙が綺麗だ。
 「あったあった。えーっと」
 アナスタシアはうにうじの名を口にしながら辞典をめくる。そして該当するページに辿り着いた時、彼女は連呼をしていた事を少しばかり後悔した。

 うにうじ*1
 腐敗した有機物に大量に発生する卵生の生き物。特に汚物を好む事から、周辺地域の疾病の原因になりがちである。しかし自然では死肉を分解させる為死者を操るウィザードとは密接な関係である。一部では食用として繁殖され、愛好家が存在する。珍味とされている。

 「……うえ」
 図解で載っているせいもあるが、嫌悪を催す表現の連続にアナスタシアは思わずそう言葉に出さずにいられなかった。もう少し細かく書かれてはいるものの、それに目を通すことなく彼女はやや乱暴に辞典を閉じて本棚に押し込んだ。
 「で、さあ。エカテリーナ」
 「ん?」
 「これ。……うにうじを、さ。取りに行くのよね?」
 「もちろんよ。リサーチはもう済ませてあるんだから」
 「ええ……」
 咳払いをしつつ、言葉を濁しつつ、出来る限り名前を出したくない程度に嫌悪を抱きつつあるアナスタシアとは正反対で、エカテリーナはもう手に入れる気満々なようだった。
 恋の力とは恐ろしい、と思いつつ面倒ごとを引き受けてしまったと内心アナスタシアは思わずにはいられなかった。
 そんな事を思っているとはつゆ知らず、エカテリーナはポケットからメモ帳を取り出してぱらぱらとめくり、とあるページを開くとアナスタシアに手渡した。
 掌ほどの大きさのメモ帳には、彼女らしいきっちりとした文字で一面にメモが取ってあった。ちらりと目を走らせると、案の定うにうじの文字が飛び込んできてアナスタシアは慌ててメモから視線を外してエカテリーナを見上げた。
 「ねえ、エカテリーナ。このメモって」
 「もちろん、リサーチの結果だよ。一緒に行くんだから目を通して貰おうと思って」
 「わ、私物覚え悪いから、出来れば直に教えて貰った方がいいかなー、なんて」
 「あれ、アナスタシアって……。ううん、それなら教えるからちゃんと聞いててね!」
 「うん、お願い」
 エカテリーナは計画が順調に進んでいる現状が嬉しいらしい。目を輝かせて胸の高さでと小さく手を握ると、体を左右に揺らしてていた。
 一方でアナスタシアは既にげっそりしつつあった。
 助かった、心中で呟きながら椅子の背を引き寄せてエカテリーナに向き合う形で座り直した。
 渡されたメモ帳は閉じるとそっと腿の上に置くと両手を重ねて蓋をする。
 後はエカテリーナの口からおぞましい言葉が出てこないことを祈るだけだ。

 アナスタシアは無意識ののうちに唾を飲んでいた。それはある意味彼女の覚悟の表れだったのかもしれない。
 「あのね、調べたところによると、どうやらキャンベルに取り扱ってるお店があるんだって」
 「キャンベル? 確かマテライトが張り切ってたよね、キャンベルにヨヨ様がいるんだー、って」
 「うん。キャンベルを解放出来たら少しは町に降りる時間くらいあるよね?」
 「もう、買い物の前に頑張らなきゃいけないでしょ! 確かキャンベルには魔物が沢山いるんだって。火に弱いらしいから私たちが大活躍ね!」
 「確か、ってアナスタシア、その話はどこで知ったの?」
 「えっ、ほらヘビーアーマーにバルクレイって男がいるじゃない? 物知りみたいでね、聞いたら色々教えてくれるの。エカテリーナも聞いてみるといいかもね」
 「で、でも話したこともない男の人に物を聞くのってちょっと……」
 これ以上突っ込まれると関係を掘り起こされそうな気がして、アナスタシアはどう返答するか少し迷った。
 しかし今の雰囲気なら上手くごまかせると踏んで、勢いのまま口を開いた。
 「そっか、そうだよね。それなら私に聞いてくれたら、代わりに聞いておいてあげるから!」
 「でもそれだと、またアナスタシアに手伝って貰うことになっちゃうよ」
 「あはは、言われてみればそうだね。でも良いんだ、キャンベルに行ったら可愛い洋服選んでもらうから!それでおあいこって事で」
 「ふふ、アナスタシアも結局買い物が楽しみなんだね」
 「もうそりゃあ、ずーっと船の中だもん。たまには羽を伸ばしたいわよ。エカテリーナもそう思うでしょ?」
 「うん。じゃあ、自由に動けるようになったら私の所に来てくれるかな」
 「分かったわ。今から楽しみが出来ちゃった」
 そう言ってエカテリーナと別れたアナスタシアの頭の中からは、解放される楽しみにうにうじの事が上書きされてしまっていた。




 「すー、はー」
 アナスタシアは胸一杯にキャンベルの空気を吸い込んだ。各地の砦を落とし、深い森の中に連れ去られた王女を取り戻す。という激しい戦いが続き鼻につく臭いばかり嗅がされていた身としては、平穏を取り戻した何気ない町の匂いですらひどく懐かしいもののように感じられた。
 「すー、はー」
 深く吸って、吐いて。
 生まれも育ちもカーナのアナスタシアにとって、初めて訪れたキャンベルの印象が血なまぐさい物になってしまった事だけは残念だった。せめて次に自らの足で訪れるその日までは、この心を洗い流すような森の香りを忘れないでおこう。
 そう思えば思うほど、深呼吸をやめることは出来ないし自然と手足が大きく伸びる。
 普段なら風が強くて来る事を止められているファーレンハイトの舳先も、今なら何ら問題なく使える。その上に皆町に出払ってしまった後なので、これだけ広々とした場所にいるのはアナスタシア一人。
 それなら誰にも見られまい、と座り込んでいたアナスタシアは思いきり地面に寝そべった。
 「ぎゃうう」
 「……あれ?」
 こつん、と指先に何かが当たる感触と、青い影がアナスタシアの視界を覆うのはほぼ同時だった。そして聞き慣れた獣の声。出会って余り日も経っていないが、激しい戦場を共に越えてきたせいか声の聞き分けは自然と出来るようになっていた。

 「アイスドラゴン、そこにいたんだ。ごめんね?」
 「きゃうー」
 アナスタシアの視界には、変わらずアイスドラゴンと思わしき影しか見えていなかった。しかし彼女が声をかけるとさっと光が目に入り、青い空の代わりに青い羽毛が視界を埋めつくした。
アイスドラゴンは特に気にしていないらしく、アナスタシアの隣に頭を置きなおすとくるる、と小気味良い音を立てた。きっと喉を鳴らした音なのだろう。
 「やだ、こんなに暖かいんだ。もうちょっとこっちにおいで!」
 「きゅう!」
 それよりアナスタシアの今の関心は、アイスドラゴンの体の暖かさにあった。
 声から固体が分かるようになったとはいえ、普段からドラゴンとの関わりのない彼女にとって名前に反した 温もりには驚かずにいられなかった。
 と同時に、求めずにはいられない心地よさを感じ、アナスタシアはアイスドラゴンに声をかけた。
 それに嬉々とした声でアイスドラゴンが答えたのを最後に、アナスタシアはたちまち青い温もりに包まれてしまった。




 「アナスタシアー!」
 「ん?」
 静かな甲板にエカテリーナの声が響いて、アナスタシアはアイスドラゴンの柔らかな毛をかき分け声の方向に顔を出した。ただし距離があるのか彼女の姿は親指の爪ほどしかない。
 無論向こうからもこちらの姿は見当たらず、エカテリーナは甲板をうろうろしながら何度かアナスタシアの名前を呼んだ。そんな彼女に協力したいのか、それともただ遊び相手に適当と思ったのか、ドラゴンたちが彼女に興味を示して集まりだした。
 このままでは彼女の身が危ないと直感で思ったアナスタシアは、何とかドラゴンたちの気を引こうと大きく息を吸い込んだ。
 「エカテリーナー! こっちよ!」
 「エカテリーナ!」
 「……」
 「どうしよう」
 アナスタシアは身を起こし、ただドラゴンたちの集いを見ていた。距離もあるだろうが、何よりドラゴンの声は戦場でもよく響く。間近に寄られては人一人の声などないのも同然だろう。
 育成を一手に引き受けているビュウは口うるさく「俺の許可なくドラゴンと触れ合わないように」と注意しているが、ドラゴンの強さをその目で見ておいそれと近づく人もそういまい。人の身ひとつで乗り込んで無事でいられるとはとても思わない。
 「エカテリーナ……!」
 アナスタシアはぐっと唇をつぐむと立ち上がり、服についた土や芝草もそのままに駆け出した。
 甲板はドラゴンたちが自由に過ごしているせいかあちこちが抉れぬかるみ、アナスタシアの気持ちをあざけるように足元にまとわりつく。
 「ああもうっ」
 足元を取られ膝をついたアナスタシアは、思いを吐き捨てるとまた走り出そうとブーツを泥から引き抜いた。
 視線を前に戻しても二人の距離は変わらず遠く、事態は刻々と悪化していくばかり。
 「早くいかな……キャッ」
 焦りから数度足を滑らせつつ何とか歩き出したアナスタシアは、今度は突風に煽られてころりとその場に転がった。あまりに突然の出来事に踏みとどまることも出来ず、彼女は一転して雲ひとつない空と向き合う。
 変わらず強風を全身に浴びて、アナスタシアは硬く閉じた瞼をゆっくりと開いた。
 「きゃうう」
 「あ、アイスドラゴン?」
 アナスタシアの視線を遮ったそれは、青く滑らかな体毛を風になびかせながらもう一声あげた。
 「きゃあうー」
 「もしかして行ってくれるの?」
 ぐるる、と喉を鳴らすと同時に、アイスドラゴンはひらりと空に舞い上がるとエカテリーナの元へ飛んでいった。その勢いで甲板につむじ風が巻き起こり、アナスタシアは思わず目を硬く瞑った。
 入り混じるドラゴンの鳴き声を聞き届けた彼女が再び目を開けたとき、視界にはこちらに駆けてくる小さな人型が見えた。大きく揺れるポニーテールは間違いない、エカテリーナだ。
 「エカテリーナ!」
 アナスタシアは起き上がり、胸いっぱいに息を吸い込むとその場で飛び上がりエカテリーナの名を呼んだ。


 「本当に、どうなるのかと思っちゃった」
 ふう、と胸を撫で下ろしながらエカテリーナは笑いかけた。しかしその笑みもすぐに消える。間違いなく自分より悲惨な姿のアナスタシアが心配なのだろう。
 「ねえアナスタシア、そんな泥だらけで大丈夫なの?」
 「うん。焦って滑っちゃっただけだから平気平気!」
 怪我のひとつもしてないのよ、と付け足しながらアナスタシアは早くも乾燥し始めた泥を足からこそぎ落としながら満面の笑みをエカテリーナに向けた。
 心配性のエカテリーナに対しては、これくらい大仰に報告しないと問答が終わらないのだ。
 実際エカテリーナは目の前でブーツを脱ぎだしひっくり返すアナスタシアを見て笑顔を取り戻した。
 「ほら、もうすごい泥水」
 「あーあ、びしゃびしゃじゃないの。一度船内に戻ろう?」
 「そうよねー、このままじゃ町に出られないし。シャワーも使っちゃおう!」
 「ばれたりしないかな?」
 そう言ってエカテリーナは首をすくめた。ファーレンハイトの水事情は食料と同じくらいに切迫している。沐浴するにもしっかりした規則があり、破るとしっかり罰則が科せられるのだ。それが何かまではさすがに二人とも把握していなかったが、確実に不自由を強いられることが分かっている以上自然と守ろうとしていた。
 その不安を振り切るようにアナスタシアは首を横に振って、エカテリーナに向けて笑いかけた。
 「大丈夫だって、今は誰もいないんだもの。行きましょ!」
 「あっ、ちょっと」
 誰もいないといっても見回りのクルー程度はいるはずだ。それをどうするつもりなのか、エカテリーナの頭にはそれが浮かんでいたが、それを口にするより早く彼女の体はアナスタシアに引かれて艦内へ向かっていた。




 「どう? 準備できた?」
 「あともうちょっと……」
 後ろから声をかけられて、エカテリーナは口に髪ゴムを咥えたまま振り向いた。アナスタシアの格好は形こそいつものワンピースだったが、前面にプリーツの入ったお洒落着だった。
 女の子らしさを引き立てるレースのリボンは、普段ならすぐに引っ掛けてしばらく落ち込みそうなほど繊細で可愛らしかった。
 「何も髪を結ばなくてもいいんじゃない? 今日は町で買い物をする普通の女の子なんだから!」
 「でもほら、ドラゴンに乗ってる間何も見えないと怖いから、いちおうね」
 そこまで言うとエカテリーナは両手の力を緩めた。零れ落ちた糖蜜のような色合いの髪は、広がることなくいくつかの束になって彼女の肩に降り注ぐ。
 その毛先は肩につくことはなく、くるりとカールして首周りを彩った。
 「可愛いじゃない!この時間でそこまできれいに巻けたね」
 「練習の成果かな?」
 照れた様子でそう答えると、エカテリーナは小さく首を傾ける。するとそれに合わせて巻いた毛先が流れ、赤らむ彼女の頬にうまく影を作った。


 「それにしても、ねえ、エカテリーナ」
 二人は身支度を終えて、ファーレンハイトの甲板まで続く廊下を歩いている。いつもこの廊下を歩いているのは、慌てているにせよ落ち着いているにせよ出撃の合図が出たことを意味していた。
 しかし今の二人にとって靴音は、弾むような音すら立てて聞こえる。その変化に気づいているのかいないのか、音を楽しんでいたエカテリーナは笑顔を振りまくように振り向いた。
 「どうしたの?」
 「乗る前に聞いておきたかったんだ。ドラゴンのことなんだけどね」
 「すごかったよね、アナスタシアが無事で良かったけど……」
 甲板での出来事を振り返って、エカテリーナは目を見開くと右手で口元を押さえた。一方のアナスタシアはなぜかアナスタシアに訝しげな視線を送って数回目をしばたかせる。
 その意味ありげな動作にエカテリーナは立ち止まり、次いでアナスタシアも彼女に一歩迫る形で立ち止まった。
 「ど、どうしたの?」
 「……エカテリーナ、私に秘密でビュウから教わってたりしない?」
 「何のことだか分からないよアナスタシア。私がビュウから教えてもらったのはあの方の好きな物だけよ」
 困った様子で一歩足を引くエカテリーナに、アナスタシアは小さく息を吐くと納得したのか頷いた。その表情には彼女の魅力的な笑顔が戻っていて、どうやらアナスタシアの思い込みだと分かってくれたとエカテリーナは安心した。
 「そうだよね。ごめんね勝手に疑ったりして」
 そういってアナスタシアはすたすたと歩き出す。ややあって後を追うエカテリーナは、今度は自分の中に生まれた疑問を解決すべく彼女に話しかけた。
 「アナスタシアこそどうしちゃったの? 教えてくれるよね?」

 廊下に足音が響くこと、数秒。

 また立ち止まったアナスタシアは、今度は振り向かずに口を開いた。それはまるで他の誰かに聞かれることを嫌がっているかのようだった。
 「きっと笑うと思うけど……」
 「そんなことしないよ。昔からアナスタシアの考えには助けられてきたもの」
 つんのめるようにしてエカテリーナは立ち止まった。何事かとアナスタシアの動きを見ていたが、気恥ずかしそうに打ち明ける彼女の不安を吹き飛ばそうと声を張って話の本題を催促した。
 実際何かと考え込んでは実行に移せないエカテリーナにとって、アナスタシアの行動ありきの考え方と発言にはだいぶ背中を押してもらっていた。
 それは今までもこれからも、ずっと変わらないんだろうなあとエカテリーナは思っている。
 そんなことを彼女が考えているとはつゆ知らず、アナスタシアはそうかな、と呟いて振り向いた。その顔には先ほどとは違った恥ずかしさが見えるようだった。
 「ちょっと言いすぎだよ……。じゃあ言うね。実はエカテリーナが知らないところでドラゴンを手懐けてたのかな、って」
 「私が?」
 「ないって言い切れないと思ったんだ。私が身動きできないときにね、何も言ってないのにアイスドラゴンが飛んでいったの。それでエカテリーナが、アイスドラゴンを呼んで他のドラゴンを治めたのかなって」
 エカテリーナは純粋に驚いて目を丸くした。
 確かにドラゴンたちに取り囲まれた自分をアイスドラゴンは助けてくれたのは事実だった。しかしその裏にそんな出来事があったとは思ってもいなかったのだ。
 「そんなことできないよ。私は今までその逆だと思ってたもの」
 エカテリーナは首を横に振ると、アナスタシアに笑顔を向けて同意を求めた。
 「じゃあ、アイスドラゴンは自分の判断で飛んでいったのね」
 「私が助けて欲しかったのを分かってくれてたのかな」
 「きっとそうよ。危険に駆けつけてくれるなんて、そこらの男なんて目じゃないよね」
 いつものアナスタシアらしい発言をして、彼女もにこりと笑った。二人のアイスドラゴンに対する評価がぐんと上がった瞬間だった。
 それと同時に、エカテリーナはとある事実に気づいてあっ、と声をあげた。それに反応してアナスタシアは小さく頭を傾ける。
 「どうしたの、突然」
 「私、アイスドラゴンにありがとうの一言もかけてないなって気づいたの。アナスタシアのことしか考えてなかったから、慌てて向かったのは覚えてるんだ」
 「えへへ、ありがとう」
 どこまでも友達思いのエカテリーナの気遣いに、アナスタシアは心からの感謝を口にするとわずかに頬を紅潮させた。
 「でもそれならちょうどいいよね、お礼を言って、ついでに目的地まで乗せてもらおうよ!」
 「そういえば、どのドラゴンを借りるかは決めてなかったね。そうしよう!」
 二人はタイミングを合わせたかのように頷くと、手を取りあって出口へと駆けだした。


 事件があってから少したって、甲板のぬかるみは多少落ち着いたかのように見えた。ドラゴンたちも落ち着いたのか、散り散りになって好きなことをしている。しかし二人には時間も次のお洒落着もないのだ。
 二人は、地面を踏まないように注意を払って外に足を下ろした。
 降り注ぐ太陽の光に目を細めると、アナスタシアは左手を口元に添えると大きく息を吸った。
 「アイスドラゴン、おいで!」
 「わっ」
 アナスタシアの突然の行動に、エカテリーナは繋いでいた手を離すと両手で耳をふさいだ。
 「ごめんね、ビュウみたいに上手く呼べないだろうし直接声をかけたほうが早いかなあって」
 「それでも最初に私に声をかけて欲しかったな」
 「でもほら、来てくれたみたい!」
 「きゃうう!」
 アナスタシアの呼びかけに答えるように、一頭のドラゴンがかん高く鳴いた。この声は間違いなくアイスドラゴンのものだろう。彼女*2は存在を知らせるように数回鳴いて飛び上がると、長身を空に翻して円を描くように華麗に舞ってみせた。
 「きれいね、踊ってるみたい」
 「でも体に泥がついてまだらになってるのがもったいないな」
 「ビュウが戻ってきたら、ちょっと声かけてみる?」
 「私たちに手伝えることってあるのかな」
 二人が小首をかしげている間に、アイスドラゴンはゆっくりと二人の前に降り立った。そして肩の間に鼻先を軽く差し込んだ。冷やりとした空気が首筋を流れると、二人は少しだけ身震いして改めて彼女の顔を見た。
 「きゅるるる」
 小さく鳴いて、アイスドラゴンは頭を振った。どうやら今のは挨拶というより彼女なりのいたずららしかった。
 「もう、びっくりした! ……エカテリーナ、ほら」
 アイスドラゴンに笑いかけながら鼻先を撫でるアナスタシアは、小声でエカテリーナに話を振った。
 エカテリーナはそれに小さく頷いて答えると、アイスドラゴンの目を見上げてあの、と声をあげた。
 黒真珠のような、艶のある大きな目がエカテリーナを見下ろす。ドラゴンというものは総じて恐ろしいものだと無意識に思っていたが、アイスドラゴンからは小さい生き物を愛でようとする優しさが感じられて、エカテリーナは自然と笑顔になっていた。
 「あの、遅くなってしまってごめんなさい。私を助けてくれてありがとう」
 くるるるる、とアイスドラゴンの喉が鳴り、同時に目を細めてエカテリーナを見ていた。
 「嬉しそうだね」
 「喜んでくれてるのかな」
 アイスドラゴンの鼻っ面越しに会話をする二人に答えるように、彼女はもう一度くう、と喉を鳴らした。
 「良かった!それでね、あなたにお願いがあるの。私たちを町まで乗せて欲しいんだけど」
 「きゅー?」
 アイスドラゴンは小さく鳴いて数回瞬くと、少し時間を置いて頭をゆっくりもたげた。
 「きゃううう!」
 「やったねエカテリーナ、ドラゴン使いに一歩近づいたわよ!」
 「そ、そんなことないよ……」
 元気よくいななくアイスドラゴンの元で、二人は思いが通じたことを喜び手を取り合った。それを見下ろして、アイスドラゴンも嬉しそうに翼を広げた。
 「それじゃ、出発しましょ!」
 「アイスドラゴン、よろしくね」
 「きゃるるる」
 乗る間際にエカテリーナがアイスドラゴンの体を優しく撫でる。すると彼女は期待に応えるように、空に向かって声を響かせた。
 それは彼女たちのこれからを、祝福しているかのように二人を包み込んだ。




*1:例のごとく嫌いな物を教えましたルート。設定はそれらしく考えました。
*2:PoppinShower!の設定を引き継いでます。私の頭の中の公式。




友人であるシオン君の誕生日祝い……のつもりで大幅にずらして投げつけるダメな人。
好きなキャラとドラゴンを聞いた上で書かせていただきました。本当はモルテンも入れたかったんだ……
二人と一匹の可愛さを自分なりに詰め込みました。