ビュウはただただ悲しかった。
理由は驚くほど簡単だ。ヨヨに悪戯をしたことで、彼女の目前でマテライトに叱られたのだ。
マテライトはヨヨの教育係にして側近だが、どうも彼女のこととなると周囲が見えなくなるらしい。
カーナ王以上に甘やかしているのではないかともっぱらの噂だった。
そんな彼が叱ったのは、反省を促す意味と上下関係を自覚させる意味の両方があったのだろう。
だがビュウには忙しい父に代わり、マテライトのように可愛がってくれる味方はいないのだ。
だからこうして、彼は広い庭の端でひとりぐずっているのだった。
「ぐすっ、ひくっ」
ビュウは泣くまいと懸命に堪えたが、涙が決壊を起こすのは時間の問題に思えた。
空は青く澄み渡り、気持ちのいい風が吹いている。周囲には誰もおらず、泣きはらすにはちょうどいい。
このまま感情に身を任せてしまおうか。そうビュウが必死に抑えていた目頭を離した瞬間。
「ほっほ、こんにちは」
「きゃうー!」
「えっ、あっ」
突然声をかけられて、ビュウは挨拶を返せずただたじろぐばかりだった。
「驚かせてすまんな。一人かい?」
「うん、そうだよ」
何とか言葉を返すと、ビュウは目じりから零れた涙を見られまいと乱暴に袖で拭った。
「……おじさん、戦竜隊の人?」
「そう見えるかい?」
「ドラゴンが一緒だから。一緒にいていいのは戦竜隊の人だけってパパが言ってた」
ビュウは涙の理由を聞かれては困ると、にこにこと彼を見下ろす中年の男性に向かって質問した。
男性の傍らに寄り添うように立っているのは、彼の背丈より少し大きな赤くてふわふわした生き物。
鳥のように見えなくもないが、一国の城でこんな巨大なペットの話をビュウは聞いたことはなかった。
よく考えてみれば間近で見たのはこれが初めてで、ビュウは持っているだけの知識を男性に向けて話した。
そんなビュウに、男性は目を丸くすると立派に整えられたあごひげを撫でた。
「こりゃ驚いたな。すると君が隊長の息子くんか」
「うん、ビュウって言うんだ。おじさんは?」
「私はドラゴンの世話をさせてもらっている者だ。みんなからはドラゴンおやじ、なんて呼ばれているよ。ビュウもおやじと呼んでくれ」
「……おやじ? 名前はないの?」
ビュウは大きな目を瞬かせた。当然の疑問だったが、男性――ドラゴンおやじは朗らかに笑うと大きく頷いてみせた。
「私の名前なんてこの子に比べたら些細なものさ。なあサラマンダー?」
「きゃふー!」
「サラマンダー?」
「きゃるう」
ビュウがそう小さく呟き首を捻ると、ドラゴンも釣られるように首を捻った。
「ははは、そうさ。この子の名前はサラマンダー。この体毛が炎みたいだろう?」
そういってドラゴンおやじはサラマンダーの首を撫でた。撫でた先から毛がふわりと逆立つ。
そのさまを見て、ビュウは暖炉に点いたばかりの種火を思い浮かべた。
「火が燃えてるみたい。おじさん、熱くないの?」
「大丈夫さ。撫でてみるかい?」
「いいの?!」
ビュウは食い気味に声をあげると目を輝かせた。
父からの言いつけを守り、存在を知りながら近づく機会さえなかったビュウ。そんな彼にとってドラゴンおやじからの呼びかけはとても魅力的なものだった。
「そっと、そっとな」
「わあい!」
嬉しそうに目を細めて笑うドラゴンおやじは、そういうとビュウの背丈に合うようにサラマンダーの胸毛を撫でた。
それに続いてビュウも手を伸ばして、伺うように胸毛を撫でる。吸い込まれそうなほど柔らかな体毛にあっという間に手を取られ、彼はただそれに驚くばかりだ。
「ふかふかだろう。私が丹精込めて手入れをしているからね」
「すごく、あったかくてやわらかい!」
「きゃるるる」
夢中になって体を撫でているビュウに、サラマンダーは小さく声をあげると顔を下ろしてビュウの頬を舐めた。
生き物特有の粘り気のある舌触り、それに顔を覆う産毛がビュウの顔をくすぐり、彼はたまらず声をあげた。
「ひゃあ!」
「サラマンダーも嬉しいみたいだね。どれどれ」
驚いたビュウがサラマンダーから離れた隙に、ドラゴンおやじは小さくかがむとビュウの舐められていないほうの頬に手をやった。
――いや、そうではない。彼はビュウの目元をそっと撫でると、にこにこしながらビュウの頭を優しく撫でた。
「よしよし、すっかり涙は引いたようだね」
「なっ、泣いてなんて、ないもん!」
ビュウは思わず声を張り上げた。正直ドラゴンおやじに指摘されるまで、ここに来た理由も涙のわけも忘れてサラマンダーに夢中になっていたのだ。
何よりドラゴンおやじに涙を見られたことが、ビュウにはたまらなく恥ずかしかった。
それでもドラゴンおやじは顎に手をやりにこにこしながら、数回頷くとサラマンダーに寄り添った。
「そうかそうか。やっぱり女の子に涙を見られるのは恥ずかしいか」
「……女の子? どこに?」
「ここぢゃよ」
「くう」
きょとんとするビュウに、ドラゴンおやじとサラマンダーがほぼ同時に答えた。互い顔を見合わせてから、ドラゴンおやじは改めてビュウを見る。
「ドラゴンには本当は性別はないんだよ。でも私はこの子におしとやかなレディーに育って欲しくてね。綺麗なものをたくさん見るようにしてるんだ」
「綺麗なものが好きなの? それなら俺、いい場所知ってる!」
「それなら連れていってもらってもいいかな? 大丈夫、私は見ているだけだから」
「ホント?! じゃあね、こっちこっち!」
目を輝かせながら、ビュウはいち早く駆け出すと一人と一匹に向けて千切れんばかりに手を振った。
「ここ! ね、綺麗でしょ?」
「ほほう、こりゃいい風景だ」
ビュウたちは高い壁の立ち並ぶ日陰の場所から、南に位置するよく手入れされた薔薇園に来ていた。
しかしというか、明らかにレンガを敷き詰めた道幅は人間にあわせてあり、サラマンダーが少しでも寄り道をしたら垣根を壊してしまうのは明白だった。
「サラマンダー、気に入ってくれたかな」
「きゃうー、ふっ、へぐっ!」
「わっ」
強い香りに誘われるようにサラマンダーは近くの薔薇の香りを嗅いだ。しかしそれは彼女にはきつかったのか、くしゃみというには大きすぎる風がビュウを襲った。
同時に薔薇の花びらが風に吹かれて彼らの間を美しく舞った。
「ちと、サラマンダーには早かったかな」
「えへへ、そうかも。ごめんね?」
「きゃうー?」
顔を見合わせくすりと笑うドラゴンおやじとビュウの横で、サラマンダーは小首をかしげて小さく鳴いた。
「もうちっとこの子向きの場所はないかな?」
「それならこっち!」
ドラゴンおやじの提案にすかさず反応したビュウは、ドラゴンおやじとサラマンダーの間を抜けて薔薇園の奥へ駆けていった。
ここから見るにただ芝生が広がっているようにしか見えない。しかしドラゴンおやじは納得したように頷くと、サラマンダーの首筋を撫でた。
「行っておいで」
「くー……きゃうう!」
しばらく首をかしげてドラゴンおやじの言葉を反芻するように固まっていたサラマンダーは、一声はっきり鳴くと小さくなったビュウの姿を追ってひらりと垣根を飛び越えた。
「あれ? おじさんは?」
「くるる」
「わあ、あったかいけどなんて言ってるか分からないよ」
答えの変わりに頬ずりされて、ビュウはそれを両手で受け止めながらも懸命に首を伸ばしてドラゴンおやじを探した。
「いた! じゃあね、サラマンダー」
ドラゴンおやじが相変わらず薔薇園からこちらを伺っているのを見つけたビュウは、サラマンダーから両手を離してその場に座り込んだ。
そこは薔薇園の奥に隠されるようにして建っている物置の前に広がる、特に花壇も何もない芝生だった。
「サラマンダーは女の子なんだよね。なら花冠なんて可愛いと思うんだ」
そういって、ビュウは手元から適当な長さのシロツメクサを地面近くから摘んでサラマンダーに見せた。
「俺、これなら冠作れるんだ。ヨヨと一緒にセンダックから習ったから」
「きゃうう」
「えっとね、ヨヨはカーナのお姫様なんだよ。女の子ならきっと仲良くなれるよ!」
言いながら、ビュウは手早くシロツメクサを集め始めた。
というのも、手持ち無沙汰になったのかサラマンダーがシロツメクサの香りを嗅ぐと同時に口に含み始めたのを見てしまったからだ。
「ダメだよサラマンダー、すぐ食べないでクローバーをよーく探さなきゃ」
「くるる」
思わずのしかかるように体に手を置くと、サラマンダーは若干機嫌を損ねたのか小さく首を振ってビュウを見下ろした。
それでもビュウは恐れることなく手元に生えているクローバーを数本引き抜くと、サラマンダーの目前に突き出した。
「ほら見て、クローバーって葉っぱは三枚でしょ。でもたまに四枚のがあって、見つけると幸せに……あっ!」
「きゃあふー」
やめて、と口にする前に、ビュウの小さな手のひらになったクローバーはサラマンダーの舌が全て絡め取ってしまっていた。
しかし美味しそうに咀嚼する様子を見てビュウは声をあげて笑いだした。
「あはは、はははは、サラマンダーは美味しいもののほうが好きなんだ。一緒だね!」
「くるるる!」
ビュウの笑顔に影響されたのか、サラマンダーもかん高く鳴いて喉を鳴らすと彼の目じりに浮かんだものを舐め取った。
「じゃあ、この冠ができるのと花が無くなるのとどっちが先か勝負だ!」
「きゃうー?」
変わらず笑いながら花冠を作るビュウと、言われたことを理解しきれず彼に頬ずりするサラマンダー。
そんな二人を、ドラゴンおやじはにこやかに見守っているのだった。
泣きべそ
幼少ビュウとサラマンダー。しかもサラマンダーを女の子扱いだ!わあいNLだ!(そうなの?)
設定を色々捏ねたといいますか話の内容に合わせた感がありますが結局ドラゴンおやじって何者なのよ。
この話を書くにあたって女の子発言をして目覚めさせてくれた友人に最大の感謝をしたいです。届けこの思い。
シロツメクサは前も使った気がするんですが好きなんですかね私。しかも季節が大幅にずれてる……
20161011
追記
なんとこれを読んだ方にイラストを描いて頂きました。とても素敵なので文章の補完にぜひどうぞ!
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