ぐう、とまた鳴るお腹を早く満足させるべく、ぼくは巣穴を飛び出した。
ぼくに名乗るべき名前はない。同じ姿の仲間に出会ったこともない。だからずっとひとりぼっちだけれど、特に不自由を感じたこともない。
なぜならぼくには、自由な翼があるのだから。
「おなかすいたなあ……」
頭の中まで空腹でいっぱいだ。目をきょろきょろさせながら食べ物を探す。
ここは広い森の上。ここまで飛べる生き物は、どうやらぼくだけらしい。
大きな目玉はご飯を探すのにとても向いている。ぼくはきっと、美味しいご飯を食べるために生きているに違いない。
「きょうはなににしようかなー!」
ウキウキしながら食べ物を探す。ぼくの好きなご飯は動く生き物だ。何より飛び回らなくても、自分から動いてくれるおかげで探すのが楽だ。けれど跳ねまわる小さな生き物は、森の木々に遮られて上手くとることができない。
そういう時は草原まで追いかけるか、大人しく森に下りて木の実なんかを一緒につまみつつ手足の代わりの触手に引っかかるのを待つ。その時、ぼくの気分は森の木と一体化している。木漏れ日を浴びながら木の葉のさえずりを聞き続けて、気づけば日が落ちていることも何度かあった。
そんな気まぐれな日々の中で、ただ一つだけ例外が存在する。
「……あれ? もしかして……」
嫌な予感に、ぼくはそれを凝視した。木々を駆け抜ける影は生き物のそれだが、手に長い道具を持っている。それに伴走する四足の獣の姿があった。きっと犬に違いない、それも野犬ではなく人間の狩りの手伝いをするためにここに来ている。
「やだなあ……」
思わず嫌悪の言葉が口をついて出た。それに反応するように影は立ち止まる。きっとぼくを見ているのだ。わんわん、と甲高く聞こえる鳴き声こそがその証拠だった。
「こっちにくるな!!」
警告のつもりで鳴いてみる。ぼくの鳴き声は犬に似ている、というよりぼくが犬に似せたのだ。これはぼくがママから教わった生きるための知恵だった。犬、もしくは狼――はこの森で一番強い生き物だ、ぼくを除いては。けれど昔は犬は恐怖の対象で、ママも、そのママも恐れていたに違いない。だからこそこの鳴き声を真似ることで生き物を追うのも散らすのも思いのままだった。
――その例外こそが、人間なのだ。
ぐるぐると旋回しながらぼくはひとしきり鳴いてみせた。お腹は相変わらず空いているしこれだけ鳴いては、今日の収穫はゼロに等しいだろう。
「どいてくれないなあ……よーし!」
けれど人間は恐れることなく場所を移ろうとはしていなかった。もしかしたら怯えて動けないのかもしれない。けれどそれならそれで、ぼくには得しかない。意を決して翼をたたむと、ぼくは人の潜む木陰に向かって岩のように突っ込んだ。
がさがさがさ!ばきばきばき!
木々は折れ吹き飛び、土は埃をまき散らして視界を奪う。岩が砕けて辺りに飛び散り、ぼくの体を転がり落ちていった。
「………………どうかな?」
辺りが静まり返ったのを確認して、ぼくはゆっくり目を開けた。木よりずっと大きなものが飛び込んできて逃げないものはいないと見込んでの戦法だったが、目がいいぶん舞い散る埃は敵でもあった。
だからこそ普段は森の中で待ち伏せする狩りを得意としているのだけれど、それならこの翼は何のためにあるのだろうと時々思うのだ。
がさ、がさがさ。
僅かに下草が揺れる。なんて不用心なのだろう。たとえ人間が慎重にしていたつもりでも、ぼくの目を誤魔化せるものなんていやしないのに。
「そこだ!」
声をあげると同時に、触手を素早くそちらに這わせる。地を這い小石を除け進んでいくさまは見るだけなら植物のようだ。
「うわあ!」
「やった! ごはんだ!」
触手が確かに熱のあるものに触った瞬間、的確にそれに巻き付き引っ張り始める。同時に上がる声は確実に人間のものだ。ぼくは動くものなら何でも食べる。だけど森から出ない理由はいろいろあるのだけれど――、それでも獲物が向こうからきてくれたのならありがたくその命を頂くとしよう。
ずるずる、ずるずる。
「待って、待ってよ! ねえロック、助けてったら! ええとそう、手を、引いて!」
「わん! わんわん! うー……」
人間を引きずる間、木立に人間の悲鳴が響いて消えていく。連れていたであろう犬も鳴いたり唸ってりしてはいるものの、どうやらなすすべはないようだ。
「そうそう、頼むよ。ああ、なんでこんなものを持って――」
後5m、4m、着実に近づいてくるご飯を前に、人間はまだ喚いている。久々のごちそうに他の触手が人間を迎え入れようとうぞうぞ動き始めていた。
視界に人間のものが映る。どうやら掴んだのは足のようだ。そうだとわかっていれば、最初から持ち上げてしまえばよかったと一瞬思ったが、口に入ってしまえば一緒のはずだ。
「そうだ、これだ、ってなんだこれ?! いやいや、落ち着いて僕――」
革の靴、青いズボン。次々人間の情報が目に入ってくるが、きっと明日には忘れているだろう。人間だって、昨日食べたご飯の細かい情報なんて覚えていないはずだ。
「狙って――」
「ごはん!」
「構えて――」
「いただきま――」
「当たれえッ!」
ちくり。
瞬間、視界が赤く染まった。と同時に言いようのない痛みに全身が暴れだす。
「ぎゃあ! なに?! なんだこれ!!」
「当たっ、いや、待って、離して!」
目を押さえようにもぼくに手はない。一方人間もぎゃあぎゃあ叫んでいる。若い男だろうとは思ったが、今は確認するどころではなかった。たまらず男を放りだすと、ぼくはよろよろと空へと飛び立った。
「うわっ!」
またがさがさばきばきと木にぶつかりながら、何とか空に逃げ延びる。瞬きしようにも目が痛く、その視界はかすんで物がはっきり見えなかった。空と森が何とか見分けがつくことは幸運なのかもしれない。それでもまた、男が何かを飛ばしてくるかもしれない。その前に高度を稼がねばと空を目指すぼくの耳に、勝ち誇る男の声が飛び込んできた。
「や、やっぱり目が弱点なんだな、球根ドラゴン! また来てみろ、このキャンベル戦竜隊隊長が相手だ!」
「せんりゅうたい……! おぼえておくからな!」
やっぱりこの男から攻撃されたらしい。ここまで喋る人間は初めてで、だからこそ叫ぶ内容はなかなか忘れられさそうだ。まだ地上で勝利の雄たけびを上げている男をよそに、ぼくはより人間への嫌悪感を胸にしながら家路へとついたのだった。
ひとつめの食いしん坊