「よーし、今日もよくやってくれたねモルテン。後は好きにしておいで」
「わあい!」
「でも壁の向こうには行ってはいけないからね……心配はいらないと思うがな」
ぼくの頭を隊長さんが丁寧に撫でる。次に鼻面を、顔の周りを、最後に体をぽんぽんと叩いて彼はほほ笑んだ。何よりその顔が嬉しくてそっと顔を擦り付けると、彼は行っておいでと言いたげに体を押す。ぼくはそれに応えて、ゆっくりその場を後にした。
ぼくはドラゴン。それもカーナ戦竜隊のドラゴンだ。自然で暮らしていた頃とは違って、人間のために働いてご飯をもらう生活を送っている。
それより何より嬉しいのは名前をつけてくれたことと褒めてくれることだ。餌を取り合っていた頃は何の役にも立たなかった魔法で人を助けられる。他のドラゴンに劣っていると思い込んでいたのが嘘のようだ。
「うーん、いいてんき!」
ドアをくぐると、眩しい太陽の光が目を刺した。空気は温かく芝生もふかふかだ。広い広い庭はぼくたちと戦竜隊の人たちしか入れないらしい。ときどき人間の子供や犬猫が迷い込んではちょっとした騒ぎになる。そんな賑やかで、ぼくも大好きな場所だ。
「だれかいないかなー?」
ふんふんと鼻を鳴らしながら、ぼくは庭をてくてく歩いた。基本的にぼくらが庭にいるときは基本的に人がひとり付くことになっている。遊び相手でもあるけれど、訓練の先生でもあるから下手に手を出そうものなら怒られてしまう。
そうやってぼくらは何度も怒られて学んでいく。そうしてたくさん褒めてもらう。そうやって人間といっぱい仲良くなって、困っている人を助けるんだ!
「……ひとりぼっちかあ」
――でも人と関わってしまったからこそ、より一人の寂しさを感じるようになったのだけれど。
ドラゴンも人もいるのに、ぼくの周りに来てくれる人はいない。つまりみんな忙しいのだ。浮かれていた気持ちもすっかり沈んで、ぼくは頭を下げながらとぼとぼ歩きだした。せめて何か楽しいものがあればと思いながら。
***
「ねえねえ、あそぼうよ!」
「ごめんな、今仕事中なんだよ」
ぽんぽん、と男の人はぼくの頭を撫でると木の枝を拾い上げた。この人の気を引くために地面に置いたものなのだけれど、どうにも取り合ってくれなさそうだ。
「また今度、な?」
ダメ押しとばかりに鼻面を撫でる男の人にぐるぐると喉を鳴らして、ぼくはその枝を受け取った。ここまで構ってくれる人はそういない。湿った鼻先でその頬に軽くキスをして、ぼくはその場を大人しく去ることにした。
「うーん、やっぱりみんないそがしいのかなー……」
あれから数十分、ぼくは遊び相手を探して歩き回った。庭の外に出られるドラゴンはそう多くない。といってもある程度人の言うことが聞けるなら出てもいいことになっている。もちろん寄ってはいけない場所は学習しつつ、お城を守る兵士さんに遊んでもらうのがぼくの日常だった。
「ぐるっとまわってかえろうかな!」
思い付きを口にすると、庭木を手入れしていた人がびくりと震えて振り返った。このお城ではたくさんの人が働いていて兵士もたくさんいるけれど、彼らに決まった場所というものはないらしかった。ぼくらには戦竜隊の人とそうでない人の顔と見た目をなんとなく見分けるのが精いっぱいで、だからこそ匂いをつけて判断する方法をとるのだ。
ぼくたちと遊ぶのを嫌がる人たちが一番苦手なことも、どうやら匂いをつけられることらしいのだけれど。
「ふんふふーん、ふんふん」
人の真似をしながら歩いてみる。ぼくが来ないとわかってほっとしたのか、男の人はまた庭木の手入れに戻った。人は口から不思議な音やリズムを自在に流すことができる。ぼくはそれが羨ましくてこうして練習してみるが、どうにも鼻がふがふが言うだけでうまくいった試しがなかった。教えてと聞いてみたくても、互いの言葉が通じることはない。歯がゆいけれど、練習すればいつかはできるはず。そんな気楽な思いを胸に、ぼくは人の気配がない門の前を通り過ぎようとした。
「だからここはぼく一人で十分なんだって!」
「だからボクにサボれって? そうやって後で告げ口するつもりだろ!」
「……ん?」
茂みと木の影に隠れて姿は全く見えないが、男の子が二人言い合いをしているようだった。相当気が立っているのかわあわあ喚きあう二人は、ぼくの存在に全く気付いていないようだ。脅かすつもりはないけれど、自然と足がそろりそろりと動き出す。その間も言い合いは続いていた。
「そんなことしたら、ぼくも怒られるでしょ! 何考えてるのレーヴェは!」
「だからこんな場所に二人もいらないでしょって、だから……」
「こんにちは!」
「わあ?!」
がさがさ、ひょこり。
茂みの中にわざと体を突っ込んで、顔をそこから覗かせて挨拶してみる。男の子はそろって驚きの声をあげながら後ろに倒れこむ。それでも片手に握った槍だけは手放そうとしない、というよりもはやそれが体を支える杖なのだろう。驚きに見開かれた目と口をそのままに、彼らはよろよろと立ち上がって顔を見合せた。
「びっくり、したよね?」
「したした。なんだろ、こいつ」
「羊じゃない? ほら、角生えてるし」
「それにしても大きくない? 顔がぼくたちの胸の高さだよ?」
「ねえねえ、あそぼ、あそぼ?」
ぱきぱき、がさり。
本当は庭木を折ったら怒られるのだけれど、ここは彼ら以外誰もいない。遊んでいたことにすれば大丈夫かななんて思いとともに、ぼくは思いきって前足を出してみる。いっしょに出てきた翼に、再び二人は慌て始めた。
「ド、ド、ドラゴンだ!」
「わ、悪いなレーヴェ! ぼくは扉の向こう側だから大丈夫だ!」
「なに、なにそれは要するに、ボクが餌になるってこと?!」
「運が悪かったんだよ、次もカーナに生まれるように祈って――」
「バカ言わないでよ! やだよ! って待って待って待って……」
「……ぼくがこわいの? あそびたいだけ!」
がさり、と茂みから全身を出して、ぼくは身近な男の子に近づいた。どうやら彼らは一つの扉の前後で見張りをしていたらしく、扉の向こうにいる子は近づけないのをいいことに笑っている。一方の子といえば、身長ほどある槍にしがみついてふるふる震えていた。
近づくごとに彼の顔が引きつる。足に力が入っているのかがくがく震えてさえいた。何もそんなに怖がることなんてないのに、と少し悲しくなりつつも、ぼくはそっと顔を近づけるとその頬をぺろりと舐めたのだった。
「――うーん、うーん」
「大丈夫、レーヴェ? しっかりしてよ……」
「……フルンゼ? あれ、ドラゴンは?」
「ここだよ?」
ぺろり。
「ひゃあ! ダメだって、逃げなきゃフルンゼ!」
「平気だって、起きて周りを見てみなよ」
「どういう…………?」
フルンゼ、と呼ばれた子の呼びかけに、レーヴェという名の子はゆっくり首を動かした。すぐ隣に映るぼくの顔に一瞬びくりと身をすくませたが、息が荒くなったのも一瞬、ぼくが舐めた手を持ちあげるとしげしげと見比べ始めた。
「……なんで座ってるの?」
「レーヴェが倒れてからずっと、ここにいるんだよ。心配なんじゃない?」
「ドラゴンが? ぼくを? ……それよりぼく、倒れたんだ」
「棒みたいにばたーんって。さすがに不安になったけど、もう大丈夫だよね?」
「うん、何とか。それにしてもびっくりしたなあ」
「えへへ。ごめんね?」
レーヴェは体を起こしてぼくを不思議そうに見ていた。一方のフルンゼは、もうそれ以上レーヴェにもぼくにも興味がないのか立ち上がっている。ぼくはレーヴェに、謝るつもりで鼻先をちょんと手のひらにつけて小さく鳴いてみせた。
「ほら見てフルンゼ、ドラゴンの鼻が手の上にあるよ! 犬みたいで可愛いね!」
「……レーヴェ、休憩時間はまだ先だよ」
「冷たいなあフルンゼは。ねえ君、どこから来たの?」
「あっち! ねえねえ、あそぶ?」
レーヴェの興味がこっちに向いただけでもぼくは嬉しかった。立ち上がると数歩元来た方向へ歩いて振り返る。長くてしなやかな尻尾も振ってみせれば、彼への好意がよく伝わるはずだ。
「あっち? ってことはカーナのドラゴンなの? 君は……」
釣られるようにレーヴェはぼくの下へやってくると、遠くを眺めるように手のひらで瞼の上に日傘をつくる。相変わらず平和な午後の庭が彼の目にどう映ったかは分からないが、歩き出しそうなところからしてぼくと遊んでくれそうだった。
「レーヴェ!」
「……ちぇっ」
だがそれはすぐに終わりを告げた。険のあるフルンゼの声に、レーヴェは小さく舌打ちをするとしぶしぶとぼくに背を向けた。ダメ押しにと彼の指先を舐めてみるもののぐいと押し出され、それ以上絡むのは諦めることにした。
「またね。今度は遊ぼうね」
「やったあ!」
代わりにレーヴェの手が優しくぼくの頭を撫でる。いつか果たされるだろう約束に、ぼくはその場で軽やかに跳ねたのだった。
金色のいたずらっ子