ガンガンガン。
 乱暴に打ち鳴らされるバケツの音とともに、ぼくらの朝は始まった。
 ――最悪の朝が。

「おら、飯だぞ! ありがたく食えよ」
 がなる声が聞こえてくる。ぼくらは狭い檻の中でご飯が届くのを待つ。お腹はぺこぺこなのに、嬉しいとか待ち遠しいという気持ちは全く起こらなかった。
「……けっ」
 ガン!
「ひっ」
「だいじょうぶだよ、ね?」
 その人はボロボロの猫車を押しながらぼくらの前に現れた。そしてにらみつけると同時に檻を思い切り蹴りつつ檻の小さなドアから乱暴に餌を投げ入れる。それはぼくの頭くらいなら何とか通るのだけれど、そうさせないためにわざと気を逸らせているのかもしれない。
 彼の恨みも篭もっているような気がしてならないのだけれど。
 それはそれとして、ぼくは怯える兄弟を慰めるために鼻先をぺろりと舐めた。元々臆病で慎重ではあったけれど、ここに来てからよりいっそう酷くなった気がする。
「……うん。えへへ」
「ほら、すぐ泣かないで。うん、うん」
 目尻に浮かんだ涙を舐め取って、ぼくは兄弟にすり寄った。照れ笑いをする彼の顔は暖かく、肌をすりあわせると一人ではないという実感がぼくにも勇気を授けてくれる。
「おら、とっとと食えよ! 今日も日が暮れるまで働いてもらうからな!」
 ガン、ガン!
「ひいっ」
「あいつめ……」
 さっきよりいっそう強く檻を蹴って、男は満足そうな顔で帰っていった。毎日のこととはいえ、脅かされる兄弟があまりにも可哀相だ。ぼくの首に巻き付きそうな勢いですり寄って、何をされてもいいように目を堅く閉じている。
 こうして痛めつけるくせして仕事はさせるのだから、人間というのはよくわからない。
「……ねえ、ごはんたべよ? げんきにならなきゃにげられないよ」
「……!! うん!」
 ぼくの言葉にはっとして、兄弟はにこりと笑うとご飯に首を伸ばした。ぼくもそれに倣ってぼそぼそしたそれを口にする。
 ご飯といっても牛や馬のついで、残り物といった風で藁や牧草、ぬかなどの混ぜものだ。代わり映えがないので美味しさなど二の次、とりあえずお腹は膨れるけれど最近特に思うことがあった。
「おにく、たべたいなあ……」
「ぼくも! おもいっきりがぶり! って!」
 ごくりと喉を鳴らして兄弟はたらりと涎を垂らした。その気持ちはよくわかる。外を駆け回る鶏は何度も襲おうとしたし、何なら馬でも牛でも、人間だって十分なごちそうだ。二人でかかれば、逃げ出せるものなんて何もない。思い切り血肉でお腹を満たした、かつての生活に戻りたい。そこで起こる悲鳴は事象でしかなく、ぼくらにとって興味の範囲外だというのに。
「ねずみとかこうもりじゃ、おなかいっぱいにならないもんね」
「うんうん! せめてそらをとべたら、いっぱいたべられるのになあ」
 心底残念そうな兄弟の意見に同意してぼくは頷く。ここでの暮らしは長いが、食べられる肉といえば残飯狙いのネズミか迷い込んできたコウモリくらいだ。初めは近づいてきた鳥も手当たり次第に食べていたけれど、仲間に情報が回ったのかいつからかぱったり訪問が途絶えてしまった。
「……はあ。なおらないかな、ぼくたちのはね」
「なおったら、もうぼくたち、にんげんにいたいことされないんだよね?」
「もちろん!」
 質問に答えると、兄弟は希望に目を輝かせて無理やり折られて治る気配のない翼に目を向ける。一方でぼくは、憎んでも憎みきれない人間たちのすみかに睨みをきかせたのだった。

 ぼくたちはドラゴンだ。
 たち、というのは生まれたときから頭が二つあるからそう名乗ることにしている。
 といってもぼくたちの言葉をわかってくれる人間なんていない。野生で暮らしていたころに珍しがる同類に数回、説明したっきりだ。
 ぼくたちは考えることは別々だ。やりたいことも違うときもある。性格も見てもらったとおりだけれど、隣の兄弟は特に感情がころころ変わる。なかなか面倒だけれど、それがぼくにはちょうど良かった。
 兄弟、とは言うけれど実際どっちが年長かなんてことはどうでもよかった。ただ初めて兄弟に声をかけたからぼくが兄貴分というだけだ。
 一つの体に二つの頭、というのは本当に珍しいらしい。こと人間の反応は異様ともいえた。この村の周囲の広い森には何匹もドラゴンが住んでいる。それは知っているはずなのだけれど見つけ次第追いこんで、引っ立てて、この檻に閉じこめてしまった。翼もその際に折られては少しずつ回復するのだけれど、そのたびに執拗に折られている。いびつな形に変形し始めたそれを見て、空を飛ぶことを少しずつあきらめ初めているのが悲しい。
 じゃあ、どうやってぼくらが働いているのかといえば――。

 どこまでも続く青い空。流れる雲は仲間を求めるようにひと塊に寄り集まり、誰よりも大きくなる。そこから目線を落とすと鮮やかな緑。先のとがった木々が、空を目指すように伸びている。そこにはたくさんの動物や植物が住んでいて、ぼくたちの胃袋を満たしてくれた。
 だけどそれらは昔の話、囲うような森の緑はぼくらの檻でしかないのだ。

 むせるような土の匂いに顔を背けつつ、ぼくらは黙って器具を引っ張る。ぼくらの体に巻かれた幾重ものロープの先には、重く頑丈な歯があった。どうやらそれが土を耕すための道具で、ぼくらの仕事はそれを引っ張ることだった。
 畑、と人間が呼ぶそれはとても広くて、ぼくらでも全部回るのは無理らしい。だからこそ牛や馬の姿があちこちに見えるし鳴き交わす声も聞こえる。
 けれどそれらが決して悲鳴でないことが分かるたびに、ぼくらの気分は落ち込んだ。何よりぼくらに訴える口なんて存在しない。開く余裕すらないほどに、鼻先から口元まできつく革が巻かれているからだ。
「おら、止まるな、止まるな!」
 びしびし、と鞭がぼくらの体をたたく。何も立ち止まるたびに叩かなくていいのに、と思いつつ、ぼくらは目配せで息を合わせながら足に力を込めた。
 ずず、ずず、と重い音を立てるのは最初だけだ。一度進み始めればペースはぼくらのものだった。それを人間たちはただ見守る。両脇に立つ彼らは、鞭を持ちぼくたちを見張るために存在するらしい。ぼくらの丈夫な体は、たかだか鞭程度でどうこうできるものではない。少しむず痒いくらいのそれで、言うことを聞かせているつもりの彼らは微笑ましかった。
「なあ、やっぱり動きが鈍くなってねえか?」
 見張っている人間の一人がぽつりと口にした。黒いひげをぼうぼうに生やした、よく日に焼けた肌の男だ。もう一人の男がそれに答える。肌が焼けているのは同じだが、それ以上焼けたくないのか頭から布を被っていた。
「そうだなあ……折れてるようには見えねえし、やっぱ弱ってるのかなあ」
 ぼくらの足をのぞき込んで、布を被った男は小さくため息をついた。
「えらい助かってるから、もっと飯を食わせてやってもいいと思うんだが」
「……バカ野郎! また怒られたいのかお前は」
 小さく鋭く、黒ひげ男の叱責が飛んだ。何がそんなに恐ろしいのか、周囲には誰もいないのに辺りを伺っている。
「方針が違うんだよ方針が。俺らは上の決定に従ってりゃいいんだよ」
「でもそれで、せっかくのドラゴンを使い潰すなんて……」
「……なあ?」
 ぐうぐう、と喉が鳴る音が聞こえる。どうやらぼくではなく兄弟のものらしい。どうやら布を被った男に甘えたいようだった。けれど男もまた周囲を伺ってから、兄弟の頭に一瞬触れてすぐに離れてしまった。
「……おら、止まるな!」
「…………」
 びしびし、と両側から鞭が飛んでくる。きっとこれにも何かの意味があるのだろう。
「だから余計な気をこれに向けるなって話さ。お前の気持ちもわからんではないが、「災いの象徴」である以上どうこうできんよ」
「見つかったのが運の尽き、だよなあ。せめて生まれたのがここじゃなければなあ」
 憐れむような声を最後に、男たちは黙り込む。再び地面を引きずるずるずるという音に交じって、ため息がこぼれたような気がした。

「…………!」
「……おい、…………待て!」
 日はすでに傾き始め、影が長く地面に伸びている。仕事を順調に終わらせたところで特に何もないのだけれど、ただ少しでも人間に喜んでもらえるとぼくらも嬉しかった。顔は厳しくてもその目元が優しいことを、ぼくらも長い生活の中で理解したからでもある。
 けれど今日はなんだか違うらしい。遠く人間の家のある方向から騒ぎ声が聞こえる。見張りの二人は全く気付いていないようだったが、畑にぽつんと人の姿が見え始めるとさすがの彼らも気を引かれたらしい。
「おい、止まれ、止まれ!」
「……なんだろう、何かあったかな?」
「……俺はなんも聞いてないぞ?」
 ぼくらの動きを止めるためのロープを引きつつ、男たちは何事かと集まり首をかしげる。どうやら彼らにも覚えがないようだ。顔を合わせたり言いあったりしている間に、小さな姿はこちらに確実に近づいていた。あまりにも迷いのない動きに彼らの言葉遣いは汚くなっていったが、後ろを遥かに振り切ってやってきた男の一言に思わず押し黙ったのだった。
「やあやあ、君たちがこの子の今日のお世話係かな?」
「…………?」
 どう見ても農奴でしかない姿をどう見たのか、男はまるでペットシッターに向き合うような口ぶりだ。ややあってこれではいかんと思ったのだろう、一つ咳ばらいをすると握手を求めてきた。
「ああすまんね。私はドラゴンを探して旅をしているものぢゃ。この村に扱いに困っている子がいると聞いてきてみたんだよ」
「あ、ああ……」
「珍しいやつがいるもんだな」
 仕方がなしに流れで握手を交わすと同時に、たまらず男に対する感想が漏れ出た。だが男は全く気にする様子もなくははは、と朗らかに笑う。
「そりゃそうぢゃろな。ドラゴンはカーナ以外じゃ厄介者の扱いぢゃからな。この子もえらく苦労しておるようで……おっと!」
「おい、勝手にドラゴンに近づくな!」
「何されるか分かったもんじゃないんだぞ!」
「ふうむ……」
 だがやっと追いついた男たちに左右から羽交い絞めにされ怒声を浴びせられても、男は顔色を変えることなくぼくらを見ているだけだった。よく見ると男はかなり年を取っているらしく、禿げあがった頭にふっくらとした白髭を蓄えていた。その割にきらきらした目といい伸びた背筋といい、見た目とちぐはぐな印象を受ける。
「君たち、もっと人の役に立ちたくないかな?」
「…………え?」
「何言ってんだこのじーさん……」
 老人の突然の独り言に、周囲がざわめく。だが老人の目はぼくたちから外れない。見抜くような視線に射止められて、ぼくらもまた老人を見返すことしかできなかった。
「君たちに聞いとるんぢゃ。すべては君たち次第だよ?」
「……うん!」
「うんうん!」
「そうかそうか。ありがとう。また来るから待っておるんぢゃよ」
 老人は明らかにぼくらに向かって話かけていた。そして不思議と、彼の話はすんなり理解できるのだ。まるで初めから言葉を理解しているかのような言いぶりに、ぼくらは素直に返事をするほかなかった。
「おいじいさん、何勝手に話を進めてんだ?」
「……ああ、君らもいたね。いいよいいよ、また集会所に戻ろうか」
「何を……」
「いいから戻ろう、これ以上話がややこしくなったら長老様が……」
 老人の興味のなさそうな返事に周囲はうろたえる。けれど彼らにも事情があるのだろう、老人の束縛をほどくと元来た道を戻っていった。

「何だったんだろうな、今の」
 何事もなかったかのように取り残されて、男たちはぽつりとつぶやいた。
「嵐みたいだったけど……本当に何か起こらなきゃいいんだけどな」
「災い、か……」
 疑念に満ちた目で彼らはぼくらを見つめる。彼らにとっては天候が荒れることがどれだけ恐ろしいか身に染みているはずだ。けれどぼくらにそんな力がないことは、彼らにはわかっている。
「まああのじいさんが、これを引き取ってくれるなら問題はなくなるんじゃねえか?」
 黒ひげがそう言って明るく笑う。災いが去るという意味でも、きっと誰もが受け入れるはずだという希望があるのだろう。
「……そうだな。よし、仕事に戻るぞ」
 頷いて布を被った男はぼくらの体を軽く撫でた。普段は鞭を握っているはずのその手が空であることに嬉しさを感じて、ぼくは小さく喉を鳴らしたのだった。



双頭のひと思い


というわけでツインヘッドとドラゴンおやじ……のつもり……でした。
オリジナル要素が強すぎる。かわいい子にはつらい目に合わせたい。の複合ですごいことになりました。
でも一度書きたかった題材なので結構満足です。本当にドラゴンおやじはどうやってツインヘッドを連れてきたんだろうな〜と考えた末の一つの提案です。いかがだったでしょうか……?
20200915