「あーだりー……」
ふわあ、と生み出したあくびとともに、けだるげな声は爽やか過ぎる青空に溶けていった。
カーナ城、戦竜隊宿舎前。
踏みしめられた芝は徐々に熱気を失いつつあったが、それは残滓として彼らのやる気を後押ししているように見えた。
打ち合う木刀の音、鼓舞しあうかけ声。
朝の挨拶を終えて、彼らは思い思いに訓練をしていた。
「メシもまだなのによくやるよな、なあ?」
「だよねえ。 あーあ、お腹すいたなあ」
「おまえはいつもそれじゃねえか、ビッケバッケ」
たまらず突っ込んで、ラッシュは隣に座るビッケバッケに肘でつついた。
えへへ、とビッケバッケは照れ笑いを浮かべたが、二人は笑顔をつきあわせたがどちらとも言えない腹の虫の訴えに彼らは顔を伏せてお腹を押さえたのだった。
「……ボクたちも将来ああなるのかなあ?」
「わかんねえぞ。あんなに厳しいならおれは野良犬に戻ってもいいんだからな。ここにいれるのはトゥルースくらいなもんだろ」
場の空気を誤魔化すように前に目を向ける。朝食まで時間があるからと、何も自主練をしろとは指示されていないのに彼らは活動的だ。国のため平和のためとはいい、朝日に照らされた眩しすぎる彼らと木陰に腰を下ろした二人の姿はあまりにも対照的すぎた。
「……あれ、そういえばトゥルースは?」
「図書館だろ。あいつ暇さえあればあそこにいるからな」
やれやれ、と言いたげに地面に付いた手をあげてラッシュは答えた。三人の中で唯一文字の読み書きができるトゥルースが、戦竜隊への入隊に当たって一番喜んでいたのが図書館の利用権だった。
「うげー。あんなところにいてもトイレが近くなるだけだよね」
「静かだしよく寝れるけど、すーぐ追い出されるもんな、あそこ」
再び顔をつきあわせて二人は力なく笑った。二人にとって知の宝庫はまだまだ退屈な場所でしかないようだ。一人没頭する仲間の元にわざわざ向かおうという気すら起きないらしい。
「まあなんだ、やることさえやりゃ旨い飯が食えるんだ、何も無理しなくていいだろ!」
「そうだよねえ、ボクたちはただのナイトだしね!」
「それも見習いだもんな、キツいことはさせねーって!」
「……だよな?」「……だよね?」
浮かれていた二人を取り巻く空気が急激に冷める。冷え冷えと血の気の引くような感覚とともに二人の目線は交わった。
何も身に覚えがあるわけではなくただの直感だったが、軍入りの理由が理由だけに浮かれてばかりもいられない状況は理解していた。
チリンチリン、チリンチリン
「おっ!」
「行こうラッシュ!」
その場の空気を吹き飛ばすように、明るく高らかに鐘が鳴った。それと同時に鼻先を暖かな食べ物の匂いがかすめる。我先にと手を取り合って、彼らは笑顔で宿舎へと掛けだしたのだった。
§
「なあラッシュ!」
「……おれだけ?」
「ラッシュ、いつ友達になったの?」
「知るか」
二人並んで歩いているはずなのに、呼び止める相手はひとり。人の声が響く賑やか昼過ぎの廊下を、ばたばたと足音が追いかけてきた。
「止まってくれて助かった。今日からお前たちの訓練が始まることは聞いてるよな?」
「――ああ、午後用意ができたら呼びに行くって」
思い出すのが時間がかかったのか、ビッケバッケが口を開こうとしていたのをラッシュは片手で制した。
「それがビュウだってのか?」
「俺だって戦竜隊副隊長だぞ?」
言いながらビュウは右の腰に手をやり格好をつける。年も背丈もさほど変わらない子供だ。
貧困を知らなそうな清潔な洋服、さらさらの金髪。それに子供らしい純真な笑顔はラッシュに悪態をつかせるには十分すぎた。彼はそれを隠すことすらせず口にする。
「けっ。さすが「おやのななひかり」ってやつだな」
「ラッシュ……!」
たどたどしい物言いの中に込められたあふれだすほどの悪意。ビッケバッケはたまらずラッシュの手首を掴んで引き戻す。雰囲気さえ違えば笑顔をもたらしそうなラッシュの足のもつれは、ビュウの顔に苦笑いを引き出していた。
「そう言われたら言い返せないな」
「ビュウ! ……えっと、ラッシュは幸せな人には特に口が悪くなるんだ。だからあんまり気にしないでほしいというか」
「あぁ?! どういうつもりだよビッケバッケ!」
ラッシュの表情は笑ったり怒ったり忙しかった。たまらず開いた手でビッケバッケの襟首をつかんで怒鳴りだす。喋れば喋るだけ墓穴を掘っていることに気づかないのは本人だけ。ごめんごめんと謝りながらも、ビッケバッケの視線は助けを求めるようにビュウに向いていた。
「わかった、わかったから今は俺についてきてくれないか? 今日からドラゴンに慣れる訓練を始めることになったんだ。早くドラゴンに乗りたいんだろ?」
穏やかなビュウの声色にラッシュの眉は下がっていく。彼がしゃべりきるころには、ラッシュはすっかり期待に目を輝かせていた。
「……おれが最初なのか?」
「ああ。もうドラゴンは待機してるから、後はラッシュが来るかどうかだ。どうする?」
「行くに決まってんだろ!」
きっと彼に尻尾が生えていたら、ちぎれんばかりに振っているに違いない。そんな幻すら見られそうなラッシュの喜びように、二人はそれ以上言葉を挟むのをやめたのだった。
青葉の形にふちを切り取られた青空と青い匂い。どちらもラッシュには長らく縁のないものだったが、許可が出るならば今すぐここを逃げ出したいとさえ思っていた。
隣をのしのしと足音を立てて歩く四足の獣。その足の遅さといい息遣いといい、とても迎えられている気がしなくてたまらずため息がこぼれ出る。
「……なんでよりによってお前なんだよ」
「……ぐふふ」
ぎろりと睨む青色の目と、白く霧散する重いため息。
サンダーホークもまた、浮かない気分で傍らの少年から視線を外したのだった。
***
「サンダーホーク、こい!」
「わあい!」
青空に響く、ぼくだけを呼ぶ声。ぼくは首から伸びた鎖のことも忘れて芝を元気よく蹴った。
人とドラゴンが一緒に過ごす、広い広いぼくたちの庭。
でももっと広い場所がこの壁の向こうにあることをぼくたちは知っている。でも今は人と一緒のときだけしか外に出られないのがちょっとした不満だった。
特にぼくたち小さなドラゴンはまだまだ人の目が離せないらしい。だからぼくらは訓練を頑張って、一日でも早く外に出られる日を夢見ているんだ。
――その日がこんなに早くやってくるなんて!
仲間たちがじっとぼくを見つめる中、いつも通りにフィンレイを後ろに引きずってきたぼくを笑顔で隊長は言った。
「サンダーホーク、今日は初めての外での訓練だ。結果次第で外訓練を増やしていくから頑張れよ」
「やったー! ねえねえはやく、はやく!」
「……こんなで大丈夫だと思うのか?」
息を切らしながら、フィンレイは疑いの目を隊長に向ける。
なんだかんだ言って、この人はぼくに付き合ってくれている。だからきっと、今日はこのまま外へ出るに違いない。
外をよく知らないまま過ごしていたぼくにとって、塀の外へ出られるならどこへ行ったってかまわなかった。何よりその事実だけで心が躍る。いや、さっきからぼくの足は隊長の周りを跳ねていた。
「問題ないさ。 ……なんて自信満々に言ったら親バカだと言われそうだな」
「ビュウをつけるのか。それなら安心だろうな」
「買いかぶりすぎだ」
頭をかきながら笑みを浮かべる隊長の言葉の意味を察したのか、フィンレイは納得したように頷いた。ついに照れを隠せずに顔を背ける隊長の視線の先に、二人の子供の影が日差しに踊ったのだった。
***
「ビュウといっしょならよかったのにな〜」
「……なにふがふがいってんだよ、食いもんでも見っけたか?」
ぶつぶつ物を言いながらも顔はへらへら笑っているツンツン頭をひと睨みして、ぼくは空に浮かぶ影を見上げた。
今ぼくたちは塀の外にいた。木々の生い茂る森の中の一本道。ぼくら以外には誰もいないのか、耳に届くのはざわざわという風のささやきくらいだ。生き物の声が聞こえないのはきっとぼくがいるからだろう。そんなことしなくても今のぼくはお腹が空いていないのだから、息をひそめなくてもいいのにと思う。
ただ隣を歩くツンツン頭の存在だけが、今のぼくには気に食わない。
「――ああ、ビュウのやつ。あんな所から見張りやがって。しかもドラゴンに乗ってるなんてずりーよな。おれらはずっと歩いてるだけだっつーの」
つま先で土を蹴り上げて、ツンツン頭は道端に唾を吐き捨てた。人に見られたら怒られるなんてものじゃないけれど、さすがに空からならわからないだろう。ぼくは同意の意味で小さく息を吐いた。
さっきから何を言っているのかわからないかもしれないが、ぼくとツンツン頭の訓練には空からの見張りがいた。それがビュウとサラマンダーだ。
ビュウは隊長の子供で、サラマンダーは特にビュウによく慣れている。子供が庭にいること自体がおかしいはずなのだけれど、隣のツンツン頭たちが最近庭を行き来しているところを見るに彼らも認められたのかもしれない。
――だからといって、つつけば簡単に転がる子供と一緒に訓練させるなんてぼくも舐められたものだなと思ってしまうのだけれど。
最近久しく雨が降っていない。そのせいか乾燥した空気に土ぼこりが交じって口の中がざらざらしていた。
いい加減水が飲みたいなと思っていたぼくの耳に、ツンツン頭の甲高い声が突き刺さる。
「あ! あれじゃないか?」
道は広く、緩やかにカーブを描いていた。気づけば距離を取って歩いていたぼくたちは、互いに違う景色を見ていたのだろう。ぼくが道端を飛ぶ黄色いちょうちょを目で追う隣で、そう短く叫ぶと同時にツンツン頭は我先にと走り出していた。
「あ、ちょっと!」
少しの間を置いてぼくはその背中を追う。訓練中は人のそばを大きく離れてはいけないことを、ツンツン頭はすっかり忘れているに違いない。何よりぼくは突然走ったり止まったりするのが苦手だ。その分力に任せて物を壊すのは得意だけれど、庭にはぼくより力のある仲間がいることも知っている。
ともかく以外に素早いツンツン頭を追ってカーブを曲がったぼくは、そこでやっと彼の言う意味が分かった。緑と茶色だけの代わり映えのしない景色の中に、鮮やかな赤い三角屋根がどっしりと構えていたからだ。自然と地面を蹴る足に力が入る。
きっとあそこがぼくたちの訓練の終着点だ。ここまで立派にやり遂げたことは空の二人もよく見ているだろう。ぼくは全く後ろを振り向かないツンツン頭に頭突きをしたい気持ちを押さえながら、無事建物の前までたどり着いたのだった。
遠くから見れば大きく見えた建物も、近づいてみれば小屋と言い表すのがちょうどいい大きさだった。その上ぼろぼろでいつから建っているのか見当もつかない。
人が中にいるのかすら怪しいけれど、ともかくたどり着いたことが嬉しいのか前を走っていたツンツン頭は突然振り向き話しかけてきた。
「よっしゃ、ついたぜ! ……な?」
「ふん!」
「んだよつれねーなー」
今までまともな会話もしてこなかったくせに、仲がいいように振る舞われても困る。ぷいと顔を逸らしたぼくの反応に、ツンツン頭は口を尖らせたがそれ以上は特に気にすることもなく小屋に向かって歩き出した。
それはどっしりした木の土台の上に建っていて、中に入るには階段を上がらなければならないようだった。なるほどこれなら簡単にドラゴンは入れないだろう。仕方なくぼくは下で待つことにした。
「……ノックすりゃいいのか?」
戸惑う声から少し間をおいて、こんこんという硬い音が木々の間を跳ねた。そしてこれで用は済んだとばかりにツンツン頭は階段を下りてくる。やはり小屋に人はいないのだろう。
「よっしゃ、じゃあ帰るぞドラゴン! おまえは先に――」
ツンツン頭は上機嫌でぼくに話しかける。何をと思うより早く、突き出した指先から読みとれる先に帰れという意志に今だけは従うことにした。
その場でゆっくり方向転換し、前足で地面を掻く。きっと帰りを待っているフィンレイも、ぼくの足の速さには驚くに違いない。その表情を想像していたぼくらの背中に、ぎいぎいと重く耳障りな音が響く。
「待て子供。俺に用があって来たんだろう?」
「え? ってわああ、クマだ逃げろ!」
「え、え?」
どこに潜んでいたのか、鳥が慌てて茂みをかき分け飛び立つ。同時にぼくの前を喚きながらツンツン頭は走り抜けていった。ぐんぐん離され小さくなる背中を追おうか悩んで、ぼくはその原因を確かめるべく音のする方を振り向いた。
「待て、このまま失敗扱いでもいいのか!」
よく通る低く太い声、木の幹のような頑丈でがっしりした体躯は枯れた苔のような茶色の体毛に覆われている。
のしのし歩く姿は確かにクマにそっくりだった。けれどそれはぼくの視線に気づくとにやりと笑ってこちらに近づいてきた。
「おーおー、お前があれの相棒か。ずいぶん可愛いウリ坊だな」
「うーっ、かみついてやろうか!」
鼻息も荒く、ぼくは牙をむいて男の真正面に立った。初めてツンツン頭に会った時のように、人はドラゴンを怖がって当たり前なのだ。けれど男は放っておいたらぼくを触りかねない。
「そこからうごくな!」
「威勢のいいやつだな、嫌いじゃないぞ。と言っても通じないだろうな」
頭を低くし前足で地面をかく。さっきの言葉のとおり、いつでも頭突きができるように男をじっと睨みつける。男の動きは止まったけれど、無理に腕を伸ばせばぼくの鼻先に指が届きそうでひやひやする。
しばらくのにらみ合い。風の音だけがやけにはっきり聞こえる中、ゆっくり口を開いた男は意外な言葉を口にしたのだった。
「よしよし、待て。ちょっと触らせてもらうからな」
「んっ?!」
思わず鼻が鳴って、目の前の男のひげがくしゃりとゆがんだ。何も持っていないと言いたげに両手をあげてひらひらさせる。けれど驚いたのは何も男がぼくを怖がらなかったことではなく、それ以上にドラゴンとの付き合い方を知っているといいう一点のみだった。
「こんなもじゃもじゃが指示を出せてびっくりか? まあそうだろうな」
がしがし、わしわし。
男の手が乱暴にぼくの体を撫でる。頭から首、そして体を確かめるように遠慮がないが、それもまた正しいぼくとの関わり方なのは確かだった。途中途中でがははと楽しそうに笑いながらひとしきり撫でると、男の手は改めてぼくの顎下に戻ってきた。
「俺はこの森の管理人だが、戦竜隊とは付き合いが長くてな。こうやって訓練を手伝ってるわけだ。それでだな――」
ぽんぽんと頭を叩いて、男はそっとぼくのそばを離れた。木の葉のような緑の目を細めるとうーん、と小さく唸る。何がそんなに心配なのだろうと手のひらを鼻先でつついてやると、男は目を見開いて小さく笑ったのだった。
「ははは、お前が気にすることじゃない。でもそうだな、あの小さいのが戦竜隊に入りたいのだとすれば、戻ってこないと失格になるんだが……どうする?」
「どうする?」
男の言っている意味がわからず、ぼくは首をかしげた。訓練は終わっているし、たとえ訓練がうまくいかなくても戦竜隊になれずに困るのは人間のほうだ。ツンツン頭は子供だし、すぐ戦竜隊になれるほうが稀だと思えた。それくらい子供は珍しい。そういう意味でもビュウに見張らせるのは正しいのかもしれない。
何より――
あんなのがぼくの新しい相棒になるなんて冗談じゃない。
「……お互い嫌いあってるようだな、こりゃあ大変だ」
いつの間に気分が態度に出ていたのだろう、ふごふご鳴る鼻先を撫でて男は笑った。いかつく見えてもぼくの気持ちをよくわかってくれている。やっぱりそばにいてくれるならこういう人じゃなきゃ、という思いがぼくの尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「俺になついてくれるのはいいんだがなあ、あの小さいのにもう一回チャンスをやってもいいと思うんだ。どうだ?」
「うーん……?」
だけどこの人の言いたいことは違うらしい。優しい目でぼくに語りかけながら、首筋をぽんぽんと叩く。その指先を元来た道に向けるところからして、迎えに行けと訴えていた。
「えー…………?」
「そうぶーぶー鳴くな。それに、戻るチャンスを探ってるのはお前も同じだろう?」
「ん?」
男は誰もいない場所に向かってにやりと笑った――ように見えた。
けれどすぐに指さした先の茂みががさがさと動き、中から照れ笑いを浮かべながらツンツン頭が現れたのだった。
「なんだよ……最初からわかってたみたいじゃねーか」
「その通りだ、まだまだ若いな。いいからこっち来い」
「ちぇっ」
見つかることすら想定済みだったらしく、二人の表情は対照的だった。しかしそれ以上抵抗するつもりもないらしく、手招きする男に従ってツンツン頭は口をとがらせながらもこちらへ歩み寄った。
「え、え――」
そうなると今度はぼくがそわそわする番だ。ずるずると数歩下がってはツンツン頭が触れてこないように頭を振る。だがそれも訓練用につけられた縄を男が握ると息苦しくなり、結局戻らなければならないのだった。
呼吸を戻すべく口を開けてはあはあするぼくの頭を、男は余裕のある笑顔で撫でつつ話を続ける。
「もう少し落ち着け。それでだな小僧」
「……ラッシュだ」
「ラッシュか。お前、俺の話は全部聞いてたか?」
「まあ……」
ぽりぽり頭をかきながらラッシュは頷く。
「なら話は早い。ラッシュは大人になってから、また入隊試験を受けるつもりか?」
「えっと……」
「そもそもラッシュは成人してないだろう? その様子なら、きっとビュウに引っ張られてでも来たんだろうさ」
「わかるのか?!」
驚きにラッシュの目は丸くなる。ころころ変わる表情を男は笑顔で楽しんでいた。だが大きく頷いた彼の息はどこか重かった。
「そんな経験は何度となくあるんでね。いつの日もビュウはああして空から見守ってるんだ」
「それで? そいつらはどうなったんだ?」
離れていたはずの二人の距離が近くなる。のぞき込むように数歩踏み込んだラッシュの顔をじっと見た男の目が不意に曇った。
「一人で来るか、途中で逃げ出すか――。中にはドラゴンに引きずられてきた子供もいたな。一応合格にはしたが、戻ってから入隊を断ったらしいな」
「――だよな! いきなりドラゴンと仲良くお散歩なんてできるわけねーっつーの! おっさんもそうだったんだろ?!」
さらに一歩踏み込んでラッシュは目を輝かせた。男は少し迷って頷いたが、それだけでは終わらず右手でラッシュの肩を掴んだ。
「確かにそうだ。俺も初めは上手くいかなかったよ。でもこんなチャンスはめったにないと思いなおして頑張ったさ。ラッシュ、俺は何を頑張ったと思う?」
「えっ、何、って言われても……」
突然の質問にラッシュは戸惑った。彼もまた、過去の子供たちと同じように同意してもらって断る理由を得ようとしていたのだろう。ぼくだって言葉が通じるなら、同じことをしているに違いない。
気づけばぼくも訴えるように男を見ていたのだろう。不意に向けられた視線にどきりとする。けれど彼の緑の瞳はただ優しい光を宿しているだけだった。ゆっくり差し出された右手でぼくの頭を撫でながら、男は再び口を開いた。
「簡単なことさ。ドラゴンの気持ちに寄り添えるようにしたんだ」
「そんなこと――」
「できるわけない、って思うだろ? それができるから戦竜隊は成り立ってるんだ」
男はにやりと笑う。自分が証明だと言いたげだが、今のラッシュには否定のしようがないのだから話を聞くしかできない。
「分からなければ年も近いしビュウに聞けばいい。それが嫌ならドラゴン好きで有名な爺さんもいるからそっちでもいいかもな。とりあえず俺から言えることは、ドラゴンを命令で言うことを聞かせようと思わないことだ。日頃のふれあいが繋がりを生む。それを忘れなければ――」
「命令! そうだよ犬みたいに言うこと聞くんだろ。おい、行ってこい!」
思い出したようにラッシュは声を張り上げた。振り返り指を元来た道にさす。表情は見えないがそれがぼくに対する命令なのだと即座に理解した。
それと同時に、ラッシュに対するどうしようにもない怒りがこみあげてくる。どうしてこの小さいのはぼくにすぐ命令が通ると思ったのだろう? ここはひとつ力関係をはっきり示してやるべきだ。
「がふふ……ぐるぐる……」
自然と前足に力がこもる。怒りは声となり喉を鳴らし、獲物を追い立てるための二本のキバを振りまわす。もちろん目標はラッシュの小さな背中だ。
「ああ…………」
「あ? どうしたイノシシヤロー、とっとと言うことを聞けってんだ!」
「ぼくのなまえはサンダーホークだ!!」
男が大きなため息をはいて顔を覆う横を、ぼくは矢のように飛び出した。足が短かろうと考えなしだろうと関係ない。今はラッシュとの一騎打ちが何よりの優先事項だった。
「なんだ? ああ、やっと聞く気になって――」
「いいから逃げろ! ケツに穴を開けられたくないならな!」
「何言ってんだって……マジかよふざけっ」
もともとそういう暮らしをしてきたのか、ラッシュは喋るのもほどほどに驚くほど素早く駆けだした。すぐ頭突きをかますつもりで頭を下げたぼくは少しつんのめってからその後を追いかける。
「まてっ!」
「誰が待つかよ! 追いつけるもんなら来てみろ!」
ぼくの言葉が通じたかのように、ラッシュは大胆にも挑発しながら元来た道を戻っていく。確かにぼくがどれだけ走っても、不思議と距離は縮まなかった。
だからこそなのか、ぼくの闘争心にはっきりとした火がついた。今までアイツはぼくのおもちゃだったけれど、結果次第では考え直してやってもいいかもしれない。
「まてーっ!」
存在を知らせるように、ぼくは口を思いきり開いた。打ち鳴らされる大地が刻むリズムと風の音が耳にとても心地いい。庭での暮らしで忘れていたものがここにある。そう思うと、自然と怒りは喜びに変わりつつあるのだった。
二つの気持ち、一つの道