人の寝静まった艦内は不気味なくらい静かだ。
ごうごうと響くエンジンの音と足下に伝わる振動が、ここが大地ではないのだと教えてくれる。
最後にラグーンに降り立った日を思い返そうとして、ビュウは大きく頭を振った。そんな余計を考えなければならないくらい、彼の頭は疲れ切っていた。
「――幽霊騒ぎ、なあ」
あまりの下らなさに、初めて話を聞いたときは思わず吹き出してしまったものだ。だがそんな子供だましの話が回り回って深夜の巡回係として訪れているのだからたまったものではない。
「いないものを探しても仕方がないもんな」
誰に愚痴るともなくビュウは疲れた笑顔とともに息を吐くと、夜を明かすにちょうどいい相手の元へと足を向けたのだった。
――こんこん。
所々錆びたノッカーのざらりとした感触を確かめるように握り、何度か叩く。ただドアの向こうから返事がこれではないことはビュウ自身も理解していた。
――こん、こん。
――こつこつこつ。
ややあって、ドアの向こうから小突く音が三回聞こえた。ドアにはのぞき穴もあるのだから確かめて開けてしまえばいいのにと何度と訴えたが、どうも当人はこの回りくどい合言葉を変えるつもりはないらしい。
――こん、ここん。
「……おい、今日で何日目だ?」
変則的なリズムを刻んだ数秒後、小さな音を立てて開いたドアの隙間から覗いた鋭い青の目は少々呆れた様子でビュウを迎え入れたのだった。
「三日だな。……ブランデーか?」
「それは異常事態だな。おかげで酒が減るのが早くて困る」
部屋の端にしつらえられた暖炉には弱々しい火が踊り、それが全体の光源になっているらしい。薄暗い部屋の中央に置かれたランプの側に光るグラスの氷が、男の今宵の友であるらしかった。その匂いを嗅ぎとって、ビュウはゆるりと部屋を見渡した。
「今日も暇をあかしてもいいか、ホーネット」
「構わないが、――あまり懐を探るのはよしてくれよ」
余裕を見せるようにふっ、と笑ってホーネットはビュウに背を向ける。残されたビュウが向かったテーブルの、主の向かいには今まで待っていたかのような空のグラスが橙色の灯火を浮かべていたのだった。
二人だけの合言葉
30日間ライティングチャレンジと兼用ってことで。
20210206