Novel / 取引は不成立


「――これを買えばいいんだな?」
「これでも妥協してるってことを忘れるなよ?」
 体の芯まで響くような神の声を前に、男は状況を楽しんですらいるように笑ってみせる。
 そんな不揃いな組み合わせを前に、羊飼いは戦々恐々と身を震わせていたのだった。

 緑の大陸、キャンベル。
 深い森と豊かな緑に覆われた、自然を資源とした穏やかな時の流れるラグーンだ。
 温暖な気候や人間性に惹かれ、移住を決めるものまでいる。そんなキャンベルに世界の平和を見守っている翼ある神が随伴者と共に訪れたのは、つい昨日のことだった。

「じ、事情がいまいち掴めないのですが、この牧草地が欲しいということでしょうか」
 ずっと手を揉みながら、羊飼いはおどおどとした調子で口を震わせながら言った。だがバハムートは小さく頭を横に振る。それだけで飛び上がるほど驚く彼に、ビュウは少しだけ同情を寄せる。
「いいや。どちらかといえば、必要なのは羊毛だ。だがいくら必要になるか検討もつかない。よって敷地ごと購入したいのだ。どうだ?」
「そ、そんな……。私にとってこの牧場と羊たちがすべてで全財産なんです。いくら神竜様の頼みとはいえ……」
 それは羊飼いにとって人生最大の衝撃だったに違いない。がくりと地面に膝をつき、言葉を詰まらせながら訴えかけてくる。どうじにちらちらと投げかけてくる視線に、ビュウはここまでかと白旗を揚げたのだった。

「――やっぱりやめよう、バハムート。一個人から全財産を取り上げるなんてこと、神様がしたら大変な騒ぎになる」
「ありがとうございます……!」
「ビュウ?! これはそもそもお前が――!」
 芝居がかった動きと言葉に、それでも感謝する羊飼いとあからさまにおろおろしだすバハムート。すべてを吐いてしまう前に場をおさめて離れてしまいたかったが、どうも素直な神様は口にせずにはいられなかったようだ。
「そもそもだ、そもそもビュウ、お前が私と睡眠を共にするのは野ざらしに寝転がるのと一緒だ、せめて体を覆う暖かいものがなければ嫌だと言い出さなければこのようなことにはならなかったのだぞ?!」
「そ、そんな…………」
 言葉が進めば進むほど、羊飼いの表情は気の緩みでなんとも情けないものになっていた。寝具を持ち込めばいいとか、その羊毛はどうやって移動させるのかとか、突っ込みは後から後から浮かんで仕方ないだろう。
 だが何よりすべての犯人がビュウだと分かれば、彼をひと睨みくらいしてもバチはあたらなさそうだ。
「はは、すまない。 ……バハムート」
「――なんだ」
 決死の訴えに半笑いとともに小さく頭を下げて謝るビュウの隣で、不満げに鼻を鳴らすバハムート。そんな彼に近寄ると、鋼鉄のように黒光りする鱗をさすりながら困ったように笑った。
「ここは他より暖かいし平地も多い。寝床を探すくらいの時間はあるだろ」
「ビュウ……!」
 不満を上げていたものどこへやら。あきれる羊飼いを横に、バハムートの金色の目はビュウの言葉ひとつで光を取り戻したのだった。
取引は不成立
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バハビュウ。ビュウのお願いには甘いバハムートを使って悪い冗談をかますのがビュウなんだと思います。決して善人ではないよねって……(過去の所業を思い出しつつ)
20210212



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