「おやおや? そこに立つ一輪の百合のような美しい女性はルキア、ルキアじゃないか!」
「……ちょっと、やめてちょうだい」
柔らかな陽の光が降り注ぐ緑の庭園で、両手を開き朗々と思いを伝える一人の男。白亜の廊下に立つすらりとした長身の女性はその声に聞き覚えがあるのだろう。優雅に振り向き目に入った景色にはにかんだ。
吟遊詩人の語る古いロマンスのような一ページがここでは繰り広げられている。
――ただそれが、多数の奇異の目で見られているとならば話は別だった。
「もう、来るなら教えてくれたら良かったのに」
「そんなに怒らないでくれよルキア。君の美しさは自然な姿が一番映えると離れて初めて気づいたんだ。それは昇る太陽と同じ、つまりユーアーサンシャイン――」
「ストップ! ……本当に何も変わってないのね、ドンファンは」
顔の前に手のひらを突き出されて、やれやれとドンファンは頭を振った。それでも変わらぬ優雅さで前髪を掻くと、苦笑を浮かべるルキアにウインクしてみせる。
「それはそうさ。この愛の旅人ドンファン、涙を流す女の子の数だけの出会いと別れを繰り返しているんだからね!」
「それなら少しでも成長していないと……。まあいいわ、座ってちょうだい」
途中で言い淀んだルキアにあくまでも客人として振る舞われたドンファンだったが、指さされたテーブルセットをちらりと見てから笑顔でそれを否定したのだった。
「ゆっくり話せる時間があればよかったんだけど、こう見えて忙しくてね」
もったいぶる訳でもなくただ格好をつけたいだけ。そんなドンファンの性格をよく知るルキアだからこそ、昔と変わらない仕草で彼の前に水を入れたグラスを滑らせた。
「いただくよ。再び出会えたことに乾杯」
「乾杯」
小さな咳払いとともにグラスを掲げるドンファン。交わるグラスの澄んだ音が小さな部屋に響くと、彼は彼女の知る昔の姿に戻ったかのようにひとつため息をついたのだった。
「……はあ、やっぱりかつての仲間とはいえ国王ともなれば緊張するね」
「わざわざ顔を出しに……って感じじゃないわよね。どうしたの?」
「おっ、聞いてくれるかい?」
相当緊張したのだろう、グラスを一気に煽ると空いた手でピッチャーを取ろうと手を伸ばす。ルキアが手渡したそれでついでに二杯目も飲み干して、ドンファンは彼女の出した助け船に乗り込んだ。
「嫌な予感しかしないんだけど。また女の子関係……ってあれ?」
わずかに眉をしかめてルキアは記憶をたぐる。どんな場所でも女の子に声を出しては返り討ちに遭っていたドンファンだが、結局二人の女の子から告白されるというまさかの結末を迎えていたはずだった。
「そういえば、あの頃からずいぶん痩せたのね。心変わりでもした?」
「そう、しないといけない気がするんだ。ルキアは覚えてるかい、ネルボとジョイという名の二人を。実は、あれから色々あって……」
痩せた姿を褒められても、ドンファンはどこか焦っているように見える。目線を泳がせ顔がだらしなくなるのも昔のままだ。これさえなければ二枚目なのに、と何度思ったことだろう。
「はっきりするの。国王様まで巻き込んで、今度は何をしたの?」
「――わかった、言うよ。僕は二股をしていた。初めは調子に乗って二人の間を行き来して、彼女たちと甘い時間を過ごしていた。でも彼女の望むものは叶えていたつもりだし、正直言えば僕も満たされて幸せだった」
「……それで?」
「でもだんだん要求はエスカレートして……。ただの恋人ではいけないみたいなんだ。いくら僕がモテるといっても、ここまで完璧な男は……。ごめん痛い、痛いよルキア」
思い切り耳を引っ張られて、ドンファンの懺悔はそこで中断した。ひとしきり両手を合わせ頭を下げて謝ったところで、二人は水を飲み嘆息した。
「……ある日のデート終わりに、告白されたんだ。結婚しませんか、って」
「それで二人から逃げてきたの? 最低じゃない」
「どうかルキア、幻滅はしないで欲しいんだ。僕はこうなった以上、二人には真面目に向き合うつもりだ。 ……でも見てしまったんだ、いけないものを」
女性の立場に立てば黙ってられないと彼女たちの肩を持ち目尻を吊り上げるルキア。だがそんな彼女に振りかぶると、ドンファンは恐る恐るジャケットの内ポケットから手紙を取り出しルキアの前で広げた。
「読んでいいのね?」
ドンファンは無言で頷く。そのただならぬ雰囲気に押し黙って手紙を読んでいたルキアは、改めてネルボとジョイがドンファンにしてきたことを思い出したのだった。
「とんでもない、って言いたかったけど、あなたの望む生活じゃないの? 一夫多妻って」
「冗談! これでも僕の生活は平穏無事であって欲しい……つもりだ」
大慌てで否定するドンファンのおかしさに疑惑の目を向けて、ルキアは大きくため息をつく。
「意外。でももう袋の中のねずみじゃない。観念したら?」
「だからこそ匿ってもらいに来たってわけだ。それで二人が一緒に訪ねてきた時、これと一緒に断りを入れる。だから……」
たたみ直した手紙を、ルキアから受け取ったかと思うとドンファンは彼女の手を優しく握る。
「それまでこのドンファンを匿ってはくれないだろうか。 ようはアレアレ……なんでもするから……」
「はあ、結局私なのね。でも覚悟してね、宮廷付の仕事は大変なんだから」
縋るように感謝を述べつつドンファンは腰を深く折る。そんな彼を励ましながら、昔と変わらぬ関係に戻ったことにルキアは不思議と安堵を覚えていたのだった。
引き際を心得よ
午前中ドンファンのはなしをしたので。エンディングのその後? 個人的には昔作った本の続きのつもり。
ルキアの包容力はすごいぞー!ってお話。ドンルキいいと思うんですけどね~。
2021/05/04