Novel / ワガママな口づけ


 目を覚ますにはぴったりな日差しに爽やかな風が乱れた髪を撫でていく。淡い青の広がる空に薄く雲が流れるさまに思い切り背を伸ばして、青年は足音も軽く石段を降りた。
「うん、今日も良い天気だな」
 確認するように笑顔で頷いて、男は敢えて目の前に広がる緑のまばらな運動場の手前でを折れて木立へと足を運ぶ。
その口からは自然と鼻歌が漏れていた。

「……サラ!」
「うがふ!」
 思い切り息を吸ったのか、何度か鼻をふがふが言わせながらドラゴンは頭を持ち上げ瞬きをした。
城を囲う城壁との間にある人の目を癒やすための緑の空間。その木の間に収まるように丸まった赤いドラゴンは、何度か瞬きをすると青年を緑の両の目で見つめる。
「おはよう、サラ。今日は寝坊かい?」
「ぐふふ……」
 不満そうに喉を鳴らすと、サラと呼ばれたドラゴンは小さく頭を横に振る。その上に被っていた草がパラパラ落ちる様子に、青年は面白いことが起こったようにくすりと笑った。
「ふふ、ほら起きるんだ、ちゃんと厩舎に戻らないとな」
「ぐぷぷぷ……」
 近づきながら手を上下させる青年を前に、拒否するようにドラゴンは喉を鳴らした。
 ――つもりがそれはすぐに鼻風船となってぱちんぱちんと弾けてしまう。
「ぐーふー」
「そこで寝るから体が冷えるんだぞ? いつからそんなに甘えん坊になったんだか」
 頭を上げ、改めて喉を鳴らすドラゴンを前に、青年はそれを優しく撫でながら小さく笑いを浮かべる。ドラゴンの視線の先にあるものを追った彼の意識を、暖かな吐息が呼び戻した。

「……ああそうだな、こっちがまだだったね。んっ」
 一歩を踏み出すと頬がドラゴンの横顔に当たる。口が大きいぶん、柔らかな唇が僅かな湿り気を帯びて青年を迎え入れた。そのまま奥へと顔を滑らせると、青年は顎をあげてドラゴンの目の下に口づけを落としたのだった。
「ぐーふー、ぐふふ……」
 ドラゴンの声が興奮にうわずり喜びに振られた尻尾が周囲の枝葉を散らす中、青年は目を瞑ったまま数歩引いてドラゴンに微笑む。間髪入れずに彼の視界を覆ったのは、口付けに対するドラゴンの返事だった。
「んー、んん、んっ……はあ、口と鼻を両方塞ぐのは無しだぞ」
「ぐう……きゃふ」
 彼の象徴とも言える黄色のスカーフでドラゴンの涎のついた顔を拭いながら、青年は苦笑しドラゴンは不満を申し立てるように小さく首を横に振る。
 昔から変わらない二人の朝の挨拶。変わっていると分かっているからこそ、彼らはこうして少しだけ早い朝の逢瀬を楽しんでいるのだ。

「――わわっ?!」
「くう?」
 ばさばさと下草を蹴る音と慌てふためく声が、二人の時間に終わりを告げた。声はあげども警戒するそぶりを見せないドラゴンに委ねてゆったりと振り向いたビュウの目に映ったのは、誤魔化すように笑いながら早くも逃げだそうとしている舎弟たちの姿だった。
「おはよう。ずいぶんと早い起床だな」
「おはようございます、隊長……」
「おはようアニキ! サラマンダーはいつもここで寝てたんだね――あイタっ」
 ビュウの直接の舎弟である以上、同じ戦竜隊、ずっと疑問に思っていたのだろう、ビッケバッケが納得に微笑んだその表情はすぐ歪み、その丸い目の先には彼の腕をひねり上げたラッシュが唇を一文字に結んで立っていた。
「お前はそうやっていつも真っ先に見つかるんだよな」
「えへへ、ごめんねラッシュ」
 立ち上がり腕を解放されたビッケバッケは、途中で怒る気力も失せたラッシュに子供のような笑顔でぺこりと頭を下げた。
「それで? 誰が言い出したんだ」
 何気ないはずのビュウの一言に、三人の視線が交わった。こういう時のビュウの笑顔と気分が合致していることの方が少ないのだ。逃れようとするラッシュの目が泳ぐ中、二人の視線が制するように刺さる。
「……確かによ! 行こうと言ったのは俺だけど、お前らだって乗り気だったじゃねーか!」
「だって気になるんだもん、ねえトゥルース?」
「はい。隊長が早起きなのは知っていたのですが、実は以前厩舎に向かってサラマンダーと歩いているところを見ていまして……」
 リレーのように移り変わる視線はビュウへと向けられる。だが変わらない笑顔に固まった雰囲気を正そうと、ビッケバッケはふるふると頭を横に振った。
「でもねアニキ、デートの邪魔をしたのは悪いとは思ってるよ。ごめんね」

「デートォ?」
 ビュウの表情が僅かに緩み、ビッケバッケのも対に笑う。だがその空気をラッシュの素っ頓狂な声が割り込んだ。事を面白がるような顔でしゃべることをやめようとはしない。
「城のすみっこで、っつーのは分かるけど相手がドラゴンだろ? しかもキスなんてしょっちゅうやってるじゃねーか」
 話しているうちに自体が退屈だと理解して、ラッシュは口を尖らせてビュウに向けて文句をつけた。だがそこで黙っているビュウではなかった。僅かに俯きため息を吐くと、意味ありげな含み笑いを浮かべた。
「……ラッシュ、好きな子とキスしたことないだろ」

「なんっ……?! んん゛っ」
 驚きに目を見開き息を詰まらせむせるラッシュ。三人の視線が冷たく見守るのも知らず、呼吸を整えた彼はやれやれと首を振ってみせる。
「おれのことはいいだろ、お前に聞いてんだビュウ、誤魔化すなよ、女の子としたことあんのか?」
「ないわけないだろ。不思議と困ったことはないけど……。まあ昔の話だな」
「ぐるる……ぐふー」
 ビュウの話を理解するかのように、サラマンダーが喉を鳴らしてぐいぐいと顔を押しつける。大した力は入っていないらしく、ビュウ優しい手にすぐ大人しくなった。
「……で、ラッシュの話は今か昔か? 今ならどこの隊か教えてもらわないとな」
「そ、そんなの教えるわけないだろ?! もう終わったことだしほっといてくれよ」
 顔のにやつくビュウの攻勢は止まらない。三人の立場上、恋人との甘い経験があったとすれば城下町で暮らしていた頃かカーナ騎士団内で見つけるしかないからだ。

 広いようで狭い城内は、恋の噂が立とうものならあっという間に広まってしまう。それを隊長であるビュウが知らないわけもなく、どういう意味を持つかは彼の表情が如実に物語っていた。
「ラッシュ、ちょくちょく抜け出していると思ったらそんなことを……」
「ち、ちげえって! そういうトゥルースとビッケバッケはどうなんだよ!」
 疑念はトゥルースへと広がっていた。彼にも思い当たる節があるらしい。ビュウの視線から逃れるようにトゥルースに立ちはだかったラッシュは、話題の矛先を変えようと二人に向けたのだ。
「私たちの情報は必要ないかと思いますが……」
「そうだよー、炊事場のお姉さんはここによくしてくれるよー」
「なっ?!」
 トゥルースが思わず目を瞑り耳を塞ぎ、体を右に逸らしたその隙間からラッシュの声と顔とが飛び出した。頬をちょんちょんと触りながらにこやかな笑顔を浮かべるビッケバッケと、その視線の先で嵐は去ったと言いたげにサラマンダーに寄り添うビュウ。そんな彼に小さくウインクをして、ビッケバッケは我先にと歩き出した。

「おいちょっと待てよ! トゥルースも気になるだろ、来いよ!」
「えっ、いや、その」
 展開にすっかり置いて行かれたトゥルースはビュウに救いの視線を送る。だが気恥ずかしさと混乱の中で突っ走るラッシュが彼の腕を掴んだところで運命は決まったようなものだ。僅かなもむなしく、そのまま引きずられるようにして彼らの姿は建物の角に消えたのだった。

「きゃふふ……」
「ん? そうだな、何もなかったよ、何もね」
 朝の安らかなひとときを邪魔されたとはいえ、サラマンダーは彼らが去って行った方向を見て小さく鼻を鳴らした。そんな心配をよそに、ビュウはサラマンダーの鼻先を撫でるとあくまで穏やかに笑ってみせる。
「だからほら、もう一回」
「くふふ」
 かけられた言葉を理解したようにサラマンダーはペロリと鼻先を舐める。その湿った唇にビュウは自分のそれをゆっくりと重ねたのだった。
ワガママな口づけ
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キスの日あわせで書きたかったはずのやつ。どこの時空の二人なんだろう……(ご想像にお任せします)
サラマンダーがどこまで理解しているかは分かりませんが、顔を寄せて笑うビュウの顔を見て=喜んでくれるものだと分かってくれているといいなーと思います。
二人が幸せな世界であれ~!!
2021/05/24



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