Novel / 五月病の兆し


「だりー…………」
 窓際から今にも落ちそうなくらいに身を乗り出して、ラッシュは肺から絞り出すような声を漏らした。
 重い息とは正反対に爽やかな五月の陽気の下で蝶々たちは戯れている。壁一枚隔てた夢のような光景に、彼は再びため息をついたのだった。

「ねえトゥルース、今日のラッシュ変じゃない?」
「ずっとあの調子ですね、体が動かせなくてヤケを起こしてるだけかと思っていたのですが」
 梯子に登り本を探していたトゥルースのもとに、ひょこりと現れたビッケバッケはそう口にした。今この場所にいるのは三人だけ、聞こえているだろうと今一度トゥルースの元を離れたビッケバッケだったが、戻ってきた彼は無言で首を横に振るだけだ。
「普段なら任務を放り出すつもりかと言い出すところですが……」
 足下に注意しながら、トゥルースは小さなため息とともに梯子を下りる。手を差し出したビッケバッケに本の半分を預けると、彼と共にラッシュの元へ足を向けた。

「ラッシュ」
 異口同音にそう呼びかけて、二人はラッシュの顔をのぞき込んだ。それでも石像のように動かないラッシュの視線は、相変わらず外に向いている。
「――なんか用か」
「ラッシュ、やっぱり変だよ。なんか悪いものでも食べた?」
 目線すら動かさないラッシュに突っ込んでもらおうと、ビッケバッケはひょうきんに笑ってみせる。だが感情が動いた様子もない彼の姿に、彼はしゅんと肩を落とした。
「あなたに協力してもらわないと、予定通りに作業が終わりそうにありません。理由があるならいつものように教えて頂けませんか?」
「……できたらやってるけどよ」
 トゥルースの問いかけに、また一つ深く沈むようにラッシュは目を瞑る。そして吐き出した息とともにゆっくり上体を起こした。
「どうにもやる気がでねーんだ。頭がもやもやして集中できねーっつーか……」
 頭を振り、両手で掻きむしる。普段なら活力に満ちた金色の目に光はなく、彼は太陽から逃れるように窓に背中を向けた。
「こんなで動いても邪魔だろ? こんな時に一人だったら、俺だけが叱られりゃ済んでたのにな」
 口が動いたと思えば次は自嘲だ。三人一組で行動することに反対することはあれど、それは冗談か出し抜こうと焦る心の表れであることがほとんどだ。
「そんなことないよ、ラッシュ」
「ビッケバッケの言う通りです。私たちはどんなことも、一緒に解決してきたじゃないですか。邪魔なんてことはありえません」
 本を片手で纏めながら、ビッケバッケはラッシュの手を握る。伏せた顔を無理に覗き込もうとはせず、トゥルースは揺らぐ心を抑えつつ気持ちを言葉にした。
「……そっか」
 ややあって、ラッシュはゆっくり顔を上げる。そこに浮かべた笑顔は、昔の人の優しさを知らない頃の姿を見ているように思えた。
「お前らがそう言うならそうなんだろな。でも」
「分かってます。今日は二人でなんとかしましょう」
「そうだね! ほらほら、ラッシュはそこに座って」
 言葉を濁し相変わらず表情の暗いラッシュの手を引き、ビッケバッケはゆっくり歩き出す。その姿はトゥルースの脳裏にかつての路地裏の出来事を思い出させたのだった。
五月病の兆し
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一日ずれちゃったけどまた初めてみようと思う400字チャレンジ。
お題とかCPとかあったらお題箱からお願いします。
2021/05/02



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