Novel / よし、逃げよう


「……煩わしい? 私が?」
「被害妄想が激しいぞ。 ……色々だよ、色々」
 すかさず突っ込みを入れて、しかしそれ以上調子が乗らないのかビュウはため息をついた。白い息が風に流れていく。今日も寒いなとぼやきながら、暖まらないとは分かっていてもビュウはバハムートの岩のような体に身を寄せた。

 かつては帝国を名乗ったこともあるラグーン、ベロスは長い冬の時代に突入していた。空席の玉座、進まない民主化。改善の兆しが見えていたはずの国民の生活状況は未だに暗闇の中だ。ヨヨが手を焼くのも様々な原因があったが、近頃旧軍閥を中心に不穏な動きを見せていると報告があってから、もっぱらビュウの活動範囲はこのラグーンを中心としていた。
 空を任されたように思えても、実際の任務は地を這う地道なものが多かった。その上厳しい冬の寒さと厚く切れ目のない灰色の雲が、心を押しつぶそうと迫ってきているように彼には思えて仕方なかったのだ。

「読むなよ?」
「――ふう。私には発言権もないのか。構わんぞ、サラマンダーを呼び寄せても」
 苦情を入れるつもりでたまらずビュウは苦笑した。バハムートの行動を止めるには、どうやら自分も超能力を手に入れるしかないらしい。
「サラマンダーまで自分の都合で振り回すのは可哀想だろ?」
「まるで自分が被害者のような口ぶりだな。寒さで気でも滅入っているのか」
 巨石のような体がもぞもぞと動き、バハムートの体に積もっていた雪がビュウを避けて振り落とされる。それもコントロールされているのだろう、ビュウは僅かに表情を緩ませた。
「そういうバハムートはどうなんだ。守護者様も楽じゃないだろ?」
「ふん。私はビュウと共にいられれば何も問題はないが。多少の静寂も退屈も、会話を交わすにはちょうどいい」
 「あ、あ――そういうやつだったな」
白い世界の中でひときわ輝く、バハムートの黄金の目が真摯にビュウを見つめている。その熱すぎる思いに何度ため息をついたか分からないほどに、この会話を繰り返していたのだった。
 「……そろそろ答えてもらってもいいんだぞ?」
 「拒否する。嫌われたくはないのでな」
 「そこは分かってるんだよなあ」
一方的な否定に、ビュウはくすりと笑ってバハムートの肌に触れた。
 「どこから俺を知って、あそこで語りかけてきたのか」を思い浮かべた返事はまどろっこしくはあった。しかし気づけばビュウもこの関係を心地よく思うようになっていた。身震いした際に動いたのだろう、指先は朝焼けの色をしている。言葉以上に寄せられるぬくもりを感じようと、ビュウは晒された腹部に顔をそっと寄せたのだった。

「……私はビュウをしがらみから解き放ってやりたかった。だが肝心のお前が拒否してしまっては仕方がない」
 お人好しなのは生来の性格だ。それを笑うように吹き出たバハムートの鼻息は、雪を一気に巻き上げ視界はしばらく霞んだ。
「そんな男に付き合うバハムートも、案外お人好しだな」
「かつての人間たちにもそうしてきた。だが今は」
 視界が晴れる。太陽が覗くと同時に、バハムートの口内が燃えさかるような熱を持った。
「一人の男に寄り添いたいのだ。それがたとえお節介だと言われてもな」
「……押しかけ女房みたいだな。それじゃ俺が不甲斐なさすぎる気もするが」
 はあ、とついた大きなため息とともにビュウの肩が落ちる。気づけば周りにあったはずの寒気は取り払われ、バハムートの顔がどこか赤らんでいるように見えた。サラマンダーはどうだったかな、と比較のために思い出そうとビュウは小さくうつむいた。
「女房……ふむ、悪い響きではないな。ビュウ、これから私をそう扱うといい。そうすればサラマンダーを出し抜くこともできるからな」
「だから読むな……ってサラマンダーとはそんな関係じゃないからな?」
 大きく頭を振って、ビュウは真顔でバハムートの発言を否定する。肝心の女房発言はさらっと流されたことに、彼女は溜息とともに視線を彼から外した。
「慌てはしない、と。いやすまない、そう言ったのは私の勝手な嫉妬だ」
「……素直すぎてたまに困るよ。サラマンダーは俺の相棒だし、だからってこれから先も何が起きるわけじゃないと思うぞ」
 くすりと笑って、ビュウは彼女の肌を励ますように軽く叩いた。声色こそ柔らかいが不安が濃く滲み、自信のなさは決して謙遜ではないように見て取れた。

「そもそもだ、俺がバハムートに勝ることなんて何がある? 憐憫でも世話焼きでも構わないけど、悪いことに寄られるほど自己嫌悪に陥るんだよ」
 場に不釣り合いな笑顔をビュウは見せ、バハムートは喉を震わせる。その響くような音は地面を揺らし、芯を失ったビュウは再び彼女にもたれかかった。
「その感情すらも煩わしい、と?」
「そうだよ、たまには何も聞かずに満足がいくまで空を飛びたい……けど……」
 手足の力をなげうって嘆くビュウは、そこで初めてバハムートの目が細められていることに気がついた。
 ……面白がっている。そう理解したとき、彼の頭にある計画が閃いた。彼女がその気だというのなら、実行するかどうかは自分次第なのだ。
「――俺がいなくても世界の平和は保たれているんだろ? だったら少しくらい好きにさせてもらっても構わないよな、バハムート?」
「そのための翼だ」
 ひとつ瞬きをして、バハムートの口はますます赤く燃え盛る。頭を上げ首を持ち上げると、腹部を彩る朝焼けがビュウの視界を染めていく。
「待て待て、今すぐじゃないからな。ここの監視が終わるまでは任務はやり遂げる。そうでもしないとバハムート、批判を浴びるのはお前もなんだぞ?」
 ビュウの決意にいきり立っていたのはどうやら彼女の方だったらしい。鼻から炎が噴き出し、重く暗い空を焼いた。遠く離れたベロスからでも見つかりそうではあったが、それに気づいて早くサラマンダーが戻ってきてくれれば従者に事の次第を伝えることができるはずだ。

「……というわけで、終わったら逃げてやるか!」
 立ち上がり両手を空に向かって伸ばすと、ビュウの中に溜まっていたものが発散されていくようだ。吹っ切れて向けられる彼の笑顔を、バハムートは大きく頷いて受け入れた。
「どこまでも行こう。すべてはビュウ次第なのだから。それだけは覚えておいてほしい」
「その気にさせるのが上手だな。でも後々になって後悔しても知らないぞ?」
 見上げた自然とビュウの表情が笑顔に緩む。そんな彼を選んでよかったと彼女の目は細められたのだった。
よし、逃げよう
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バハムートが嫁でもいいんじゃない?(というツイートを見たのでつい)という思いで書きました。
でもでも絶対嫁が権力持つやつじゃん……千里眼利くしパワーも段違いだし。
ソレより何より面倒そうなのが夫が悪乗りするだろうってことです。楽しそうな夫婦だね!

2021/05/07



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