Novel / 記憶違い


 ドアを開けると同時に鼻先をドラゴンの匂いがかすめる。その元を探そうとして無意識に息を深く吸ったトゥルースの横を、するりとビッケバッケが通り過ぎた。
「アニキー! 窓の閉めっぱなしはダメだよ!」
「ん、そうか」
 明るい物言いに顔を上げたビュウは、何の問題もないように立ち上がり窓を下げる。長方形に開けた場所から柔らかな緑の風が吹き、トゥルースの周りで淀んでいた空気を廊下へと押し流してくれた。
「助かりました」
「ん?」
 感謝のつぶやきに気づいたビッケバッケが振り向く。感謝の代わりにトゥルースがにこりと微笑むその向こうで、がたりともう一カ所の窓が開いた。
「三人揃って……じゃないんだな」
 さすがは隊長といったところか、席に戻るべく踵を返したビュウはすぐこの場の変化に気づく。改めて肩を並べた二人は昨日起こったことを隠すことなく彼に報告したのだった。

「……それで休みが欲しい、と」
 なるほどと頷いて、ビュウは作業中だろう書類を横の山へと戻す。代わりに両肘を置くと、組んだ手の上に顎を乗せて小さく唸った。
「やはりまずいのでしょうか?」
「ボクたちが一緒がダメなら、ラッシュだけでも……」
 ダメかなあ、と消え入りそうな声でビッケバッケが付け加える。風はさらさらと流れていき降り注ぐ太陽の光はこんなにも穏やかなのに、この部屋だけ影が支配しているかのような静けさに包まれていた。
「――あのなあ」
 やや時間を置いて、ビュウの口からため息が漏れる。
 隊長の腰巾着。幸運なおもちゃの兵隊。そんな陰口が彼らを拾った当人の耳に届いていないよう願うばかりだが、そう言わるだけの力量が不足しているのは自分たちが一番理解している。
 だからこそ、この場で叱られても蔑まされても受け入れるつもりで二人は肩を竦めて拳を握る。そんな彼らにかけられた言葉は、日だまりのように暖かかった。
「心がけは立派だ。……でもお前たちが我慢する姿をラッシュが見たいと思うか?」
「隊長……」「アニキ……!」
 重なり合う声が部屋に響き、二人の視線はビュウへと移る。そんな彼の目は相変わらず不出来な舎弟を見守る兄貴分の優しさに満ち、それ以上の言葉はいらないように思えた。

「で、でもぼくたちに何ができるのかな……」
「私にはとりあえず考えがあります。それでも不安は残りますが」
 一歩前進と思えても、二人の表情は不安に染まっていた。すべては昨日、壁にでも話しているようなラッシュの対応を思い出したからだ。
「そのために俺がいるんだろ? とりあえず、だ」
 ぶつかり合う二人の視線を遮ったのはビュウの一言だった。再び立ち上がり、壁に掛かったキーボックスから鍵束を手に取る。すでに事態を楽しんでいるかのようにビュウは笑うと、二人を促すように歩き出した。
「まずはラッシュのところに連れていってくれ。その先、俺の言うことは外に漏らすなよ。いいな?」
 ビュウの言うことに、二人はすでに頷くしかなかった。悪い予感がしなくもないが、すべては闇の中にいる兄弟に笑顔を取り戻すためなのだ。
 我先にと走り出すビッケバッケを追おうとトゥルースも歩き出す。そこでふと投げかけられたビュウの視線に気づくと、トゥルースは一つ大きく頷き返したのだった。
記憶違い
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昨日から続くよ。まだちょっと続くかも。
なんやかんやで舎弟思いのビュウも好き。
2021/05/03



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