Novel / 彼と彼女と彼女の話


 空をさく音が聞こえて、ヨヨはペンを動かす手を止めた。
 それは段々近づき、やがて羽ばたきの挙動が分かるほどはっきりとしたものになる。
 ヨヨは書類が飛ばないようにとその上に文鎮を乗せると、椅子を引いて立ち上がった。
 そして音の主を確かめるべく明け放たれた窓に歩み寄る。
 すると待っていたかのように強い風が吹き込み、彼女の髪を乱暴に撫でた。
 カチューシャまで飛ばされそうになり慌ててそれを片手で抑えつつ、ヨヨは風の吹く方向に視線を送った。
「もう一月経つのね」
 そう呟く彼女の視線の先には、カーナの、いや今や世界の守護神たるバハムートが戦竜の訓練場にひどく窮屈そうな態勢で鎮座していた。

 廊下に響くこつこつという足音。
 その用件がこちらにあると確信したヨヨは、窓に背を向け足音の主が姿を見せるのを待った。
 やがて足音は部屋の前で止まり、閉じたドアはノックされる事もなく開く。
「やあ」
 ドアの向こうにいた人物、ビュウはヨヨの姿を確認すると軽く右手を挙げた。
「久しぶりね、ビュウ」
「お久しぶりにお目に掛かります、ヨヨ女王……なんて、堅苦しいのはこのくらいでいいか?」
「もちろん。寧ろ私が丁重にもてなした方がいい気がするもの、オレルスの守護者様」
「やめてくれ、今は二人きりなんだから」
 苦笑するビュウに連なるように、ヨヨは悪戯めいた笑みを見せた。
「そうよね、マテに見つかったら三日くらい謹慎しろと説教するでしょうね」
「立場は大して変わってないってのにな」
 そう言ってビュウは肩を竦めて見せると、手に持っていた伝書をヨヨに差し出した。
 その巻物の封蝋を一目見たヨヨは、それがカーナ王家の物であると見抜いた。視線をビュウに戻すとありがとう、と礼を口にする。
「見ての通り、キャンベルからの報告だよ。何やら北の方で鹿が大量に繁殖して農作物への食害が発生してるんだと」
「分かったわ。早急に対策が必要ね」
 伝書の終わりまで目を通すと、ヨヨは小さく頷いてそれを丸めた。
「それで、他には?」
 口調こそ冷静そのものだが、そう言ったヨヨの表情は柔らかかった。
 それもそうだろう。日ごろ女王として責務を果たす彼女が、平等な関係で会話を楽しめる相手などそうそういない。会話をせっつく様子はないが、その笑顔こそが今を楽しむ何よりの証拠だった。
「うん、マハールの連中が会いたがってたよ」
「タイチョーさんが?」
「いや、主にそれ以外。ドンファンがな、興行のひとつとして美女コンテストを行うべきだと熱く語ってきてな。多分あいつは水着が見たいだけだと思う」
 苦笑するビュウにつられてヨヨもくすくす笑う。その笑顔を見て、ビュウは安心した様子で続けた。
「後はライトアーマーの三人が、悩みや愚痴なら付き合うからいつでも呼んでね、と」
「優しいのね、一筆送ってみようかしら」
「書いたら俺が直接届けるよ、扱うことになる人がかわいそうだ」
「そうさせてもらうわ」
 ふふ、と声を漏らすヨヨに、ビュウはひとつ頷いてみせた。
「他は特に変わりないよ、こんなところだ」
「それじゃあ、次はあなたの話を聞かせてもらおうかしら」
「俺の」
 ヨヨはまだ満足できていないらしい。ビュウは頭を掻いた。
 どうしたものかと困っている様子の彼に、ヨヨは助け舟を出した。
「バハムートとは上手くいっているのかしら?」
「ああ」
 よかった、とビュウは胸を撫で下ろした。本人の変化を問われても何もない、としか返答のしようが無かったからだ。
 バハムートの話なら暫くは間が持てそうだ。それに聞きたいことがあるのを思い出して、ビュウは口を開いた。
「あいつ、ヨヨの体を借りていた時もあんな感じだったのか?」
「あんな感じ?」
 質問の意図が分からず、ヨヨは小首をかしげた。
「特に何もなかったのか?」
「ええ、私の中ではとても静かだったわ。他の神竜たちの怒りが全て自分に向かっていることを理解していたのかしら、自分の意見を口にすることを自体、めったになかったと思うわ」
「だからなのか……」
 ビュウは肩を落としてため息をついた。その言動があまりに重々しかったので、ヨヨはビュウの手を取り目を見つめた。彼の目は疲れは感じられなくとも困惑しているのが見て取れた。
「もしかしたら、実はとてもお喋りだった、とか」
「そのもしかして、なんだよ。いちいち俺の言うことに口を挟まないと気が済まないのか知らないが、本当によく喋る。初めは人間のことをよく知りたいだけなのかと思ってたたんだ。でも口を挟む範囲が朝の身支度にまで及んで俺は悟ったな、こいつは新しい母親みたいな存在だって」
 今まで誰にも打ち明けられる相手がいなかったせいか、ビュウの口から言葉が溢れた。
 本人は大変なのだろうが、想像すると微笑ましい気持ちになってヨヨは笑いを零した。
「あら、新しいお嫁さんじゃないの?」
「あんな図体はでかいのに小言をばかりの嫁なんて勘弁してくれ。まあ長い付き合いになるんだ。仲良くやっていくつもりさ」
 ビュウはやれやれといった様子で首を横に振ると、苦々しい笑顔をヨヨに向けた。
「きっと大丈夫よ。アレキサンダーだって、オレルスに来てからずっと丸くなったのよ?」
「アレキサンダーが」
 ビュウは目を丸くした。確かに戻る肉体のないアレキサンダーをヨヨが引き取ってからというもの、これといった話を聞いたことはなかった。心配こそしていたが、本人がそう言う以上その通りなのだろう。
「アレキサンダー、少しお話する?」
 友人に声を掛けるような気軽さで、ヨヨは内なるアレキサンダーに語りかけた。見守るしかないビュウに頷いて見せると、ヨヨはゆっくり両の瞼を閉じた。
 そして再び開いたヨヨの翡翠色をした瞳からは、黒の靄のようなものが見える気がした。これがアレキサンダーが人の体を借りた状態なのだろう。しかしどうして、その姿からは以前対峙した姿は感じられなかった。
「……ビュウか」
「アレキサンダーか」
「いかにも」
 重苦しい返答だった。すっかり人間社会に馴染んでしまったバハムートとは大違いだ。
「オレルスに来て一年ほど経つが、調子はどうだ?」
「今が一番平穏で穏やかな気分だ。ドラグナーとも良好だ。しかしドラグナー曰く勉強不足だと」
「勉強……?」
 ビュウは首をひねった。神竜の王であり竜人を纏めてきたアレキサンダーに何を学ぶ必要があるのだろう。
 その答えは本人からすぐ出た。しかし彼は手を揉みながら、どこか気恥ずかしそうに答えた。
「……人間のことを、もっと多く学べと言われた。そうでなければ人前では出せぬと」
「人前に出るつもりなのか」
「そちらにはバハムートがいるではないか」
「まあ、確かに」
「私はもっとオレルスの空や緑を見たいのだ。そのためにも人間との関わりは欠かせないのだと」
「ヨヨと同体だから、自然にやり取り出来ないと周囲が困惑するもんな」
 それがバハムートとの大きな違いでもあるけどな、とビュウは内心で頷いた。そうでなくても神竜として崇められてきたバハムートが人を相手にごく自然に話す行為自体、幾度となく驚かれたのだが。
「だからこそ、私はビュウ、お前とバハムートが羨ましいのだ」
「俺とバハムートが」
「怒りや嫉妬に囚われていたころが自身でも信じられないくらい、今は喜びと憧れが胸を渦巻いているのだ。それに気付いた時とても驚いたものだ。ドラグナーも喜んでいた」
「ヨヨと少しは近づけてるみたいだな」
「近づく……?」
 首を傾げるアレキサンダーに対して、ビュウは笑って頷いて見せた。
「俺の話聞いてたんだろ?いちいち意見や言い合いをして互いのことを知るんだ。そうすればきっと目指すものには近づけると思うぜ」
「分かった。……感謝する」
「頑張れよ。悩みならまた聞くからさ」
 ビュウは歯を出して笑った。対してアレキサンダーは笑うことになれていないのか、ぎこちない笑みを浮かべて小さく頷いてみせた。
 そして再び彼が顔を上げたとき、その瞳に霞は掛かっていなかった。戻ってきたヨヨは困ったように笑った。
「こんな感じなの。本当にね、外に出ると楽しそうにしてるのが分かるのよ。私がこの立場でなければ自由にオレルスを旅しているんだろうな、って思うと申し訳なくなるの。だから少しでも早く慣れて欲しいなって思うの。ビュウをあまり困らせないようにはするつもりよ」
「俺は構わないんだ、慣れてるからさ。でも」
 そこで言葉を切ってヨヨの顔を見る。しかし彼女は笑顔を浮かべているだけだった。小さく息をついて、ビュウは口を開いた。
「マテライト。あいつを困らせるのはそろそろやめてやれよ。本来なら職を退いてもいいんだし」
「それならまだ大丈夫よ、愚痴愚痴言うけどね、その時凄く幸せそうな顔をしているんだもの」
 ヨヨの返事を聞いて、ビュウはほっと胸を撫で下ろした。彼女がそう言うなら問題ないだろう。
「ならいいんだ。でも俺は勘弁してもらいたいな、あれに付き合うのはだいぶ骨が折れる。新しい戦竜隊の目付になったんだろ?自分で選んでおいて俺に愚痴を言うのはどうかと思うんだが」
「きっとマテは若い子に振り回されて大変なのよ。指導する人も実際不足しているし、もし時間があったら手伝って貰えるかしら?」
 ヨヨの思わぬ願い出にビュウは顎を掻いた。
「カーナを正式に離れてどこのラグーンにも所属してない俺が指導したら問題がありそうだけどいいのか?」
「特別指導、なら問題ないんじゃないかしら。お願いね?」
 小さくウインクなどしてみせるヨヨの表情からは、本気ともふざけているとも取れた。
「全く、そうやって君は……。それは一国の主としての命か?」
「いいえ、一人の友人としてよ。よろしくね。――あ、後」
 そこで言葉を切ると、ヨヨは数度小さく頷いてからビュウに笑いかけた。
「アレキサンダーがね、またあの剣さばきが見られるのか楽しみなんだって」
「はは、だいぶ腕は落ちてるからがっかりされそうだな」
 ビュウの発言に嘘はなかった。人の仲裁に入ることはあっても、その方法はほぼ言葉だからだ。
「じゃあほら、ね? 練習として使ってもらって構わないしちょうどいいでしょう?」
「はいはい」
 昔を思い出させる悪戯じみた笑みを浮かべるヨヨに、ビュウはまた昔のように返事を返した。

「じゃあ、俺はこれで」
「ありがとうビュウ、楽しかったわ」
「……楽しませるために来たつもりはなかったんだが」
 二人はドアの前ではなく、部屋についているベランダに出ていた。そこからはよく手入れされた緑が見える。しかし今は鮮やかな緑より、バハムートの艶のある黒い鱗が陽の光を反射していっそう目を惹いた。
「体に気をつけてくれよ」
「大丈夫、気をかけてくれる人がたくさんいるから。ビュウにも心強いお嫁さんがいるしね」
「ははは……」
 ビュウは空笑いしながら、ベランダの手すりを慣れた動作でよじ登った。ファーレンハイトで培った、ドラゴンにいち早く会うための技だ。
「また、良い話を出来るように努めるよ」
「私も」
 そう言うとヨヨはビュウに向けて手を伸ばした。彼はその手をそっと握り返すと、ひらりと手すりから飛び降りた。本来その風景は、一般人なら息が詰まる場面だ。それでもヨヨは手すりから身を乗り出すようにして、ビュウが自由落下していく様を見ていた。
 すると突如、辺り一体に突風が吹き荒れた。庭に待機していたバハムートが飛び立ったのだ。そして綺麗にビュウを受け止めると、そのままカーナ城をぐるりと一周回ってから悠然と飛び去った。
 ヨヨはその一人と一匹が視界から消えるまで、ただただ静かに見守っていたのだった。

彼と彼女と彼女の話
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2016年4月4日のヨヨの日。という事で書きたかった終戦後のビュウ+ヨヨ+バハムート(+アレキサンダー)
でした。バハムートはオカンだよオカン。
平和になるとかつて体験したような波乱万丈はそうそう起きないので、そのことに感謝しながら小さな変化を喜べる主従で友人。
ビュウとヨヨの関係性はそうであって欲しいと思います。 20160404



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