Novel / この鍵は渡しておくから

 「ビュウ、私と噂になってみない?」
 事の始めはなんと言うことはなかった。ただの気まぐれだった。ほんのした悪戯心からでもあった。
 「ん」
 「え、いいえ何でもな」
 「良いよ、部屋で待ってる」遮るように言って、くるりと背中を向けると部屋を去っていくビュウ。
 どういうことだ。どういうことなのだ。理解できないまま、ルキアは暫くテーブルの向かいにいるディアナと見つめあった。

この鍵は渡しておくから

 「…どういうことなの?」
 ルキアは混乱した。混乱せざるを得ない。この状況は何なのだ。
 「どういうことなのってー。そのままじゃない。ビュウが呼んでるならいってらっしゃいよ!」
 「だからってその…ディアナも聞いたでしょ?噂にならない?って」
 ルキアはどきまぎしていた。心なしか体がぽかぽかする、いや、顔が熱いのか。
 「誰にも言わないでおいてあげるからー、早く行ってきなさいよ、ね?」
 ディアナは一人、この状況を楽しんでいるようだった。急かすように顔を覗きこんできた。
 「私はその、別に、そんな関係を望んで」
 「いいからいいからー。愛する彼がお待ちだよっ!」
 ついには、さあさあと急かされるままに部屋を追い出されてしまった。

 「愛する…なんて、そんな」
 ルキアは廊下で独りごちる。反論しようにも、すでにディアナは聞く耳を持たないだろう。
 ビュウ。反乱軍の…もといオレルス救世軍のリーダーにしてファーレンハイト副艦長。
 実態は救世軍内のありとあらゆる雑用をこなす苦労人。
 彼の言う事に間違いはないし、彼の行動・発言共にルキアは尊敬している。
 …しかし、それと自分の発言に何の関係が?頭の中で思いを巡らせる。
 頼りになるビュウ。頑張りすぎるビュウ。少し心配なビュウ。気になる…ビュウ?
 確かに気になる部分はある。しかしそれは仲間として、彼の心配をしているのであって決して「噂になる」なんて思いで言い出したのではない。ルキアは自分に言い聞かす。
 言えば納得してくれるはず。それがビュウなら尚更だろう。無意識に拳を握ると、ルキアはビュウの部屋の扉を叩いた。ひとつ、ふたつ。
 ややあって、部屋の中から主の声がした。
 「鍵はあいてるよ。どうぞ。」
 ルキアの鼓動は不意に高まった。


 「…ビュウ、」
 おずおずと、ルキアは話をきり出した。
 天井から吊り下げられた明かりは電球が切れ掛かっているのか心もとなく部屋を照らし、テーブルの上に置かれたランプがビュウの影を壁に落としていた。
 「どうしちゃったのよ、部屋なんかに呼び出すなんて」
 「呼び出すも何も、言いだしっぺはルキアじゃないか。一体どうしたんだ」
 がたがた、と椅子を鳴らしながらビュウはこちらを振り向いた。
 自分の中では精一杯の茶目っ気をもって挑んだつもりだったが、こうも本人が近いといつもの調子が出ない。部屋に入る前の気張りが粉砕された気がした。

 やや沈黙の後。
 話を切り出したのはルキアだった。
 「いつもお疲れ様、ビュウ。いきなりあんな事言い出してごめんね。気疲れしてそうだったから…」
 「気疲れ?俺が?」
 ビュウは意外だ、とでも言いそうに眉を顰めた。ルキアは話を続ける。
 「そう、最近いろんなことがあったでしょ?だからちょっと気休めに言ってみただけなのよ」
 「そうか、気休めか」
 ビュウはそういうとふう、と息を吐きながら椅子から立ち上がる。光が遮られ、ルキアからビュウの表情はよく読み取れない。
 「確かに最近は戦闘が多いからな、気疲れしているメンバーもいるかもしれない。けど」
 「俺は大丈夫、いつも通りだよ」
 言って、微笑む様子が見て取れた。ルキアもつられて微笑むが、ビュウがにじり寄って来ているのが気に掛かる。気のせいか、いや気のせいではないだろう。そうでなければ、徐々に壁際に追い詰められているこの状態はなんだ。
 ついには、ドアまで追い詰められてしまった。ビュウの顔が近い。下手をすると吐息が掛かりそうだ。
 「ビュウ、やっぱり今日おかしいでしょう」
 ルキアはそういってから、ビュウの吐息から僅かなアルコールの匂いを感じ取る。これはワインか。
 思わず、ビュウの腕を掴んで強く叫ぶ。
 「ビュウ、お酒飲んだでしょ!弱いから無理して飲まなくていいってこの間ホーネットに言われて…」
 「飲んだよ、でもこれは食前酒だ。」
 ビュウは珍しく子供のように反論する。確かにもうじき夕飯の時刻ではあるが、この時間から食前酒だなどというのはありえない。
 「ビュウ、答えて。どうしてこんなことをしたの」
 ルキアは今度はビュウを諭すように質問した。こんなこと、とは無論今の状況についてである。
 が、ビュウから返ってきた答えは思ってもいないものだった。

 「…ただの、嫉妬なのかもしれない」
 「…二人への?」
 細かいことは聞かずとも分かる、ヨヨとパルパレオスの事だ。だがそれに対して、ビュウがこのような行動を取るとは彼を知っている人物なら「ありえない」と即答するだろう。それが、どうして。
 ルキアはビュウの掴んでいた腕を力なく離す。
 「ずっと、ヨヨのために頑張ってきた。ヨヨの笑顔のために頑張ってきた。ヨヨのためなら、何でも出来ると思って頑張ってきた。でも今は、ヨヨの側にパルパレオスがいる。俺の役割は終ったんだ」
 吐き出すようなビュウの独白。俯くビュウに、ルキアは心配げに彼の顔を覗きこむ。
 「だからかな、ルキアに話かけられたとき、「ああ、もう執着しなくてもいいんだ」って吹っ切れちゃってさ」
 言ってビュウは突然顔を上げる。あまりの顔の距離の近さに、ルキアは不意に顔が紅潮するのを感じる。
 「で、でもビュウはずっとヨヨ様のナイトでしょ?それは変わらないことでしょう?」
 「そりゃそうさ。俺はカーナのクロスナイトだ。これからも国と、ヨヨ様のために戦う。皆のために戦う。」
 ビュウの瞳はルキアをまっすぐ見つめている。揺ぎ無い、青い炎のような瞳。
 不意に、ビュウはルキアから視線をはずす。何事か、とその視線を追うルキア。

 「…でも、少し、ルキアの言葉で救われた。」
 ビュウは瞳を逸らしたまま呟いた。ルキアは何事か、とビュウの顔を見つめ続ける。
 「誰のためでもない。自分のためってものを、今まで考えた事なんてなかったから。」
 言ってルキアの顔を見やる。ルキアはビュウにかける言葉がなかなか見つからなかった。どうしてこうも狼狽するものなのか。
 「だから」
 ビュウはそこで言葉を切ると、突然ルキアを抱きしめた。思わぬことだったのでルキアには何もできない。
 どくどくと、互いの心音が聞こえる。しばしの静寂。ファーレンハイトのわずかなエンジン音だけが、部屋に響いている。
 ルキアの頭を自分の肩に寄せて、その耳にそっと囁いた。

「ありがとう」

 ちゃらり、と何か金属音がした。だがルキアの頭の中は真っ白で、今何が起こったのかすらも把握できていない。
 ビュウがルキアの額に軽く口付けをすると、そのままするりと風のように部屋を出て行く。
 遠くで、食器や金属の擦れた音が聞こえた。そろそろ夕食だろうか。
 しばらく顔を紅潮させたまま突っ立っていると、ルキアをわざわざ探しに来たのか、ディアナがひょこりと顔を覗かせた。
 扉は開け放したまま。つまり、ルキアが固まっているその姿はさぞ滑稽に映ったであろう。
 「ルーキアー、早く席につかないとゾラに怒られちゃうわよー!」
 ルキアはその言葉でやっと他人の存在を認識する。一方ディアナは今の状況が楽しくて仕様がない、とでも言いたげに満面の笑みを浮かべていた。
 「そーれーとーもー、ビュウと何かいいこと、あった?」
 「何よそれ!特になにも…ないわよ…」
 感情だけは嘘をつけないのか、耳まで赤くなるルキア。それを見てケラケラと笑うディアナ。
 「それじゃ、とっとと食事にいきましょ!愛しのあの人も待ってるわよー!」
 ルキアをからかいながら彼女の背中を押して歩くディアナと、からかわれながらもまんざらではないルキア。

 後々道すがら言うちゃりちゃりという音の正体に、押し問答があったとかなかったとか。
 当の物を入れた人物だけが、その意図を知っている。

この鍵は渡しておくから
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お題ったーで見た瞬間にビビっと来ました。これしかない!と思って書き始めたのはいいものの、二人の関係をどこまで進めていいのか分からなくなった結果こうなりました
すみませんごめんなさいやっぱり本命の壁は越えちゃいけないと思うんですよおおおおおお('A`)



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