Novel / 「あなたが私のマスターですか?」


 「あなたが私のマスターですか?」
 「……はい?」
 声などするはずのない方を見つめて、オレルスはなんとも間抜けな声をあげたのだった。

 それは何の変哲もない、ただ一本の箒だった。
 特筆するとすれば、それはオレルスが自らの手で選び、彼以外の使用を一切許さなかったことくらいだろうか。
 箒との出会いは意外に古く、ムニムニと過ごした時間よりずっと長い。
 キャンベル戦竜隊として旗揚げはしたものの、成果も上がらず今日も世話になっている酒場で一介の掃除夫として働くオレルス。
 そんな彼が、せめて今与えられた仕事くらいは褒められたものにしよう、と与えられた給金で買ったのがこうして手にしている箒だった。
 店主の話によれば、キャンベルに生えている木で作られ、キャンベルの職人が手がけたこだわりの一本なんだそうだ。
 とはいえ格別に高価なわけでもなく、同じ商品が何本も並ぶ姿をオレルスはしっかり見ていた。
 だからこそ、毎日の掃除に使える耐久力はある。そう踏んで彼は購入を決意したのだが――。

 「どうされたのですか、マスター」
 「いやそのマスターって……。そもそも君は誰なんだい?」
 「私は、箒の精霊です」
 あまりにも現実味のない返事にぶっ、とオレルスは吹き出した。その姿はまるで漫画のキャラクターのようでとてもコミカルだった。
 そんな咄嗟に口を押さえようとした彼の手から、ぽろりと箒の柄が離れた。精霊の力というものが特に現れるわけでもなく、それは乾いた音を立てて石畳の廊下に転がった。
 「あっ」
 先ほどまで笑っていたのが嘘のように、彼は冷や汗をかいていた。相手が物とはいえ人格のあるものを乱暴に扱うのはさすがに気が引ける。
 「だ、大丈夫?」
 「ああ、マスター。いらっしゃったのですね、安心しました」
 「うん?」
 ちぐはぐな箒の精霊の返事にオレルスは首をひねった。そういえば箒が廊下に転がったときにも箒の精霊は何も言わなかったことを彼は思い出していた。
 「ねえ、痛くなかった?」
 「……マスター、申し訳ありません。私は箒としての触覚や痛覚を持ち合わせていないのです。ですが先ほど一瞬、マスターが私から離れたことは理解しています」
 「うーん、そっか。それならいいんだ」
 箒の精霊の淡々とした説明に、とりあえずオレルスは頷いてみせた。どうにも言っていることに矛盾を感じたが、つまり箒の精霊として振舞えるのはこうして箒に触れているときだけ、ということらしい。
 それでも先ほど安心した、と発言したところを見るに、箒の精霊自身には感情が存在するらしかった。物に宿っている以上は仕方がないとはいえ、触れていないと認識すらされないという事実をオレルスは少し悲しく思った。
 まあ、夜中のファーレンハイトを話し相手を求めて一人彷徨われて怪談扱いされるよりはずっとマシなのだが。

 「それにしても僕、箒と喋るなんて初めてだし精霊がいるなんてことも初めて知ったよ」
 「私も人間と話すのは初めてです。でもよかった、きっとマスターに気づかれなければ、私はずっとひとりだったでしょうから」
 相変わらず淡々した箒の精霊の声に、僅かながら抑揚がついていることに気づいたオレルスは自分のことのように嬉しくなってうんうんと頷いた。
 「そうだよね、ずっとひとりは寂しいよね…………?!」
 そう口にして、オレルスははっとして顔を上げた。そして今の状況をやっと思い出したかのように、周囲に目を光らせ耳を澄ます。それが杞憂に終わったことを、彼は安堵の息を大きく吐いて表したのだった。
 ここはファーレンハイト艦内。オレルスは今、当番制である水仕事を終えた手隙にひとり廊下を掃除している。何かと暇があれば箒を手にする彼を、皆はよくきれい好きだとか気が利くと評した。だがオレルス自身には全くその気はなく、ただこうして箒を持って掃除をするという行為に落ち着きを感じていた。
 そのことを誰かに話したことはないが、確実に変な人間だという噂が艦内に流れるだろう。その上今度は箒を相手に喋っていることが知られれば、前問題をすっ飛ばして変人認定されるに決まっている。
 「――はあ。良かった」
 「何かあったのでしょうか、マスター。突然黙ってしまわれたようですが」
 目の前の現実が、オレルスを心配していることだけは確かなようだ。
 だが彼はそれから逃げ出そうとは不思議と思わなかった。長らく愛用してきた箒が、ひとりで掃除を続ける自分を応援しようとしてくれているのだろう。そう思うと、起伏の乏しいこの喋り方もどこか愛おしく思えてくるから不思議なものだ。
 オレルスはにこりと笑うと、見た目は何も変わらない箒の精霊に向かって優しく語りかけた。
 「何もないよ。君になんて言おうか考えていたんだ。これからよろしくね、精霊さん。僕のことは――」
 顔の見えない精霊にまで名前を伏せようか、一瞬でも悩んだことを疎ましく思いつつオレルスはそれを唾と一緒に飲み込んだ。
 「僕のことは、オレルス、って呼んでくれるかな?」
 「オレルスさん、ですね。改めてよろしくお願いします」
 彼の名前を呼んだ箒の精霊の言葉は、どこか喜んでいるように感じ取れた。
 会話を続けたら、もっと彼女の思いが分かるようになるのだろうか。
 そんな新たな楽しみを胸に、オレルスは箒を握りなおしたのだった。

「あなたが私のマスターですか?」
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箒のウィキペディア見てたら箒には神が宿っていて昔から祭祀に使われる神聖な道具だって書いてあるから長年大切にしてきたオレルスの箒に精霊の類が宿ってもいいんじゃないかなーなんて。

それで書いてみた。結構楽しかった。魔法がある世界なんだから精霊や妖精の類がいてもいいのに見かけないよねオレルスって。魔法も実は物理現象の一つなのか……?
なおこの話はどこにも繋がりません。繋げてくれる方がいたらどうぞどうぞ。
170709



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