Novel / 目を見張るような


「ちょっと、ラッシュ……」
 戸惑うようなディアナの声に、いつまでも構われてたまるかという抵抗を込めてラッシュは返事をした。
「なんだよ、おれはもう万全だからな」
「本当? それなら見せてよ」
 ドアが閉まる音とともに、ぺたぺたと近づいてくる彼女の足音。それをあえて無視してラッシュは姿鏡に映った襟元をいじった。こんなに窮屈なのは久しぶりで、触るたびにこの細いリボンタイを今すぐほどきたい衝動に駆られるものだ。
「もたもたしてる間にビュウが来ちゃうわよ、いつまでも鏡の前でうぬぼれてるのは終わりにしたら?」
「そんなんじゃねえって!」
 売り言葉に買い言葉。正面きって文句をいってやろうと振り向いたラッシュは、そこで初めてディアナの計画にはめられたのだと気づいてがくりと肩を落とした。

「あら、なかなかいいじゃ……ぷぷっ」
「……今笑っただろ」
 睨みをきかせるラッシュを前に、笑いを裾に隠していたディアナは呼吸を整えながら再び顔を現した。相変わらず笑いをこらえていた彼女は自然に一歩を踏み出し、あっという間に懐に入られ戸惑うラッシュをよそにその細い腕は首に伸ばされていた。
「これじゃせっかくの正装も台無しよ。きっとビュウも正視できなくて笑っちゃうかもね」
「ビュウはそんなやつじゃ……そんなやつかも」
 付き合いが長いからこそ、離れていても分かることがある。困惑の表情を浮かべるビュウの姿がありありと脳裏に再生されて、ラッシュは溜息と一緒に視線を下げた。
「これでー―よし、っと。いいんじゃない、ベストでもきちんとスーツを着こなせるなんて見直しちゃうかも」
「そ、そうか……?」
「冗談よ。改まりすぎてなんか変だもの」
 すっと一歩引いたところで屈託のない笑顔を浮かべるディアナ。そんな彼女も飾り気の少ない白いドレスを身に纏っている。纏めた髪につけたトレードマークである花飾りがなければ、町中ですれ違ってしまいそうに思えた。
「でも、そういう関係になるんだから線引きは必要だもんね。言い出してくれたトゥルースに感謝しなきゃ」
 両手を合わせてにこりと笑うディアナ。そのさらりとした物言いに、ラッシュは自然と奥歯にものが引っかかったような顔で向かい合っていた。
「昔のお前なら、まず言わないセリフだよな。もっと可愛げもあったし時間の流れって残酷だよなあ」
「……ねえラッシュ、一人じゃ怖いから付いてきてくれない?」
「なーんてね。 ちょっとラッシュ、その顔を上げなさいよ!」
 胸の前で組んだ腕を腰に当て直して、ディアナは歯を見せたまま声を張り上げた。一方で肩を震わせ続けるラッシュは抵抗をやめ顔を起こす。その表情は鏡で合わせたように清々しいまでの笑顔に満ちていたのだった。

「でもよ、本当によくこんな辺鄙な場所に来てまで手伝う気になったよな」
「じゃあ今からなかったことにしてもいいけど?」
「冗談きついぜ! これでも十分感謝してるんだからな」
 悪戯じみたディアナの笑顔にすかさず両手を挙げてラッシュは大きく首を横に振った。書類を交わした訳でも証人に誓言を立てた訳でもない以上、彼女は気分一つで王都に帰ることもできるのだった。
 だからこそ、時間を作ってまでビュウが訪れる理由になっているのだが。
「私だって、ね」
 ひとりでに騒ぐラッシュが収まるのを待って、ディアナはぽつりぽつりと喋り始めた。
「やりたいことは色々あったしできたけど、ここの人手が足りないって聞いたら足が勝手に動いてたんだ。仕事にも暮らしにもすっかり慣れたし、もう私なしの仕事は考えられないでしょ?」
「そうだな。ディアナがいなきゃ長々とここを留守にできなかっただろうし……。まあこんな小さなラグーンでデカい金が動いてるなんて思わないよなあ」
 ディアナの言葉に頷いてから、ラッシュは少し考えるように小さく俯いて苦笑を浮かべた。数年前にこの土地から飛び立ってから何一つ変わっていない倉庫兼住宅は、防ぐもののない雨風に晒されて建っている年月に比べるとずいぶん痛んで見えた。人のいない建物の脆さを各地で見てきた三人にとって、ディアナの存在は大きな意味を担っていたのだった。

「感謝してるの? 本当に?」
「そうじゃなきゃこんな格好してないだろ」
 試しているのか不安なのか、伺うようなディアナの視線に大きく頷いてラッシュは未だに馴染まないベストの胸元に手を掛けた。
「でもディアナのおかげで分かったこともあるぜ。いろんなラグーンを行き来したけど、目的もなくふらふらするのって案外楽しいんだよ。おれはさ、暖かい家庭とか細かい将来設計とか、そんなものは向いてないし考えられないんだよな」
「人に留守を任せておいて、ずいぶん人生楽しんでるみたいじゃない?」
「そんなこと言っておれらがいない間、人を呼んだりしてるんだろ? お互い様じゃねーか」
 年甲斐にもなくラッシュは口を尖らせる。他人のものを欲しがる子供のようなありさまに、ディアナはたまらず吹き出した。
「ふふっ、でもそれならラッシュも呼んだらいいのにね。解放軍のみんなとは連絡を取ってないの?」
「取ってないけど不自由はねーな。そもそも今も武器を売り歩いてるような人間とは距離を置きたいって思う方が……」
 普通だと思う。そう言いかけて、ラッシュは指示棒のようにあげた右手をだらりと下げた。金を得る手段としての仕事ではあったが、行為の否定は間接的に携わっているディアナの否定にもつながる。
 発言への責任を考えられるようになって、多少は成長したとラッシュは思っていた。だが今更引っ込められない言葉尻を掬うように小さく唸ると、持て余した手で頭を掻いたのだった。

「……こんなんだからさ、ここがあらかた片付いたら放浪する生活に戻ろうかなって思ってるんだ。ドラゴンを相棒に、その日の気分で町を巡るんだぜ。商売の知識はあるから必要ならそこでしばらく住んだりしてさ。楽しそうだろ」
 そこまで言い切って初めて、ラッシュは泳がせていた視線をディアナに戻した。現在、あるいは未来にも彼女をひとり置いて夢を語ることに身勝手さを感じていたのだ。だが一方のディアナといえば、自分に起こることのように笑顔で話を受け入れているようだった。
「いいじゃない! つらいことよりも楽しいことの方が多そうよね。そりゃあ武器なんて人を殺す道具だからそう思うのが普通かもしれないけど、魔法だってどう使うかは使い手次第だと思うんだけどなー」
「別にお前のことは聞いてな――、ああ、そういやプリーストだったな」
「もう、私の存在がすっかり留守番担当になってる! まだまだ現役なんだからね」
「そう言って最後に杖持ったのいつの話だよ」
 思い出したように目を見開き、それでいて突っ込むことを忘れないラッシュにディアナは気づいた?と言いたげに澄まし顔でウインクなどしてみせる。
「そんなに私の活躍が見たいんだ? ならちょうどいいと思うんだけどなー」
「あぁ? どういうことだよ」
 思考とディアナの言葉がかみ合わず、顔を突き出したラッシュの眉間に皺が寄っていた。
「……そりゃ町のほうが仕事には困らないだろうけどよー」
 何も辞める、などとは一言も口にしていないのに未練があるようなラッシュの口ぶりに、ディアナは意味ありげににこりと笑って右足を引いてみせる。それに食いつくようにラッシュが一歩踏み込んだ。
「なんだ、今さら逃げ隠れる気か? こんな狭い家でどうしようって――」

 コンコン、コツコツ。

 一瞬の緊張をあっという間にほどいて、叩かれたドアの向こうから心配する声が漏れ聞こえた。
「二人して、着替えにいつまで時間を掛けるんですか。じき隊長が見えますよ」
「わかってるってトゥルース。すぐ降りるから安心しろって」
「それならいいんですが……。待ってますからね」
 どちらに対する信頼なのか、トゥルースはドアを開けようとはせず声をかけ終えると元来た廊下を戻って行った。ギシギシとしなる階段の音を、見守るように顔を向けていたディアナもまたついに体をドアへと向けたのだった。
「そういうことだし、私たちも降りよっか。はあ、ビュウに合うのって何年ぶりだろうな。きっとカッコよくなってるんだろうなー」
「数年でそんなに変わらねーって。おれたちを見てたら分かるだろ?」
 弾むように歩いたかと思うと、ディアナはドアノブを握り内側へと引く。換気でもしていたのか階段下から吹く風がスカートを煽り、中に着た淡い黄色のレースがひらりと踊った。
 とにかくこれ以上言い合っても仕方ないと歩き出そうとしたラッシュの目に、突然振り返ったディアナの笑顔が眩しく映った。
「もしそうだったら、私はここにいなかったと思うな」
「……?!」
「なーんてね!」
「おい待てよ!」
 思考と共に動きまで固まったラッシュの前で、ディアナは悪戯じみた笑顔を浮かべて廊下へ躍り出る。その後を追うように掛けだしたラッシュの目は、階段を舞うように降りていく、蝶々のようなスカートの動きに追っていたのだった。

目を見張るような
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ラッシュとディアナ、エンディングの後の二人。
ビュウにカーナの騎士に戻れと言われたらその通りになりそうなラッシュですが、せっかく一時の我が家を得た以上しばらくは自由というものを楽しんでほしいと思います。そのそばに仲間として、異性としてディアナが自分の意志で傍にいてくれたらとりあえずは丸く収まりそうな、そんな気がするんです。その後も見たい……!
2021/06/12



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