Novel / 「なあ、このキャットフード不味い」


 「なあ、このキャットフード不味い」
 「そうか? まあ美味い飯に慣れた舌じゃマズくて当たり前……ってお前!」
 「なんだ」
 思わずお前呼ばわりされたことも、したことすら両者ともに忘れる衝撃がキッチンに流れた。
 不思議そうな顔をして皿に盛ったであろうそれを差し出したのは、例のブツを口に入れたらしいビュウ。話を冗談として流そうとして固まったラッシュは、差し出されたものを見て口をわなわなさせた。
 「確かにペット用とは書いてある。でもな、俺が味をみないでこれを食べさせるのはどうかと思うんだ」
 「ビュウ、ついにおかしくなっちまったのか……」
 「おいおい何言って」
 ついに青ざめはじめるラッシュに対して、ビュウは笑い飛ばして話を流そうとした。だがラッシュにとっては笑えない事態らしい。しばらくビュウと差し出されたそれを交互に見たあとで、耐え切れなくなったのか何も告げずに外へ続くドアを出ていった。
 「上手く伝わらないもんだな……。それにしても不味い」
 ラッシュの背中を視線で追った後で、ビュウは改めてキャットフードを指先でつまみあげる。そして恐るおそる咀嚼すると、変わらぬ感想を漏らして小さなため息をついたのだった。
 

 
 

 「……はあ」
 後ろ手でドアを閉めて、ラッシュは肺の中の空気を出し切る勢いでため息をついた。そして青空を仰いで思わずにはいられなかった。「この人についてきたのは失敗だったのでは」と。
 

 

 ラッシュは孤児で、長いこと路上生活をしていた。それに終わりを告げたのは、他でもないビュウとの出会いだったのだ。一介の孤児が、こうして国民憧れの戦竜隊、しかもその隊長の部下になるなんてことはラッシュ本人が一番思っていなかったことだった。
 だから人生は面白い。そう思っていたのだが、長らくビュウの下で兵士として過ごしてきて彼は強く思った。
 

 

 ビュウは変なやつだ。
 だからこそラッシュたちを拾ったのかもしれないが、彼は時折とんでもないことを思いつき実行する。そのせいで彼らの教育係であるパレスアーマーのマテライトにまとめて説教を食らうのだ。
 まだまだ幼いラッシュはどうしてそんな目に合うのか、わからず一人マテライトを毛嫌いしている。それでもビュウはそんな状況すら楽しんでいるように見えた。大して年も離れていないはずの彼の考えがわからず、ラッシュは時おり混乱するのだった。
 

 

 そんなラッシュの足がふらふらとたどり着いたのは、先ほどの場所からそれほど離れていない小屋だった。そこには細々とした用具がしまわれている。主にドラゴンの周囲をきれいにするためのものしかしまわれていないので、結果としてここにいるのは戦竜隊の人間だけということになる。
 そんな小屋のドアをおもむろに開けたラッシュは、こういうときにいつも頼りにしている人の顔を捜すと同時に声をかけた。
 「トゥルース、ビッケバッケ、いるか?」
 「ラッシュ? 少し待っていてくださいね」
 「どうしたの、何かおつかい?」
 ラッシュの声にこたえるように、小屋の奥の方からトゥルースのくぐもった声がする。その代わりにとばかりに、近くの木箱の山の中からビッケバッケが荷物を抱えてひょっこりと現れた。
 「ちげーよ。……ちょっと気分転換にな」
 「ふうん。じゃあこれ、よろしくね!」
 「えっ、なんだよこれ重っ」
 「アニキの探し物だよ。ムギとかキビとか」
 「パンでも焼こうってのか……?」
 暗い顔をしていたラッシュに何があったのかを理解しているかのように、ビッケバッケは持っていた荷物を半分ほど渡すとまだ顔を出していないトゥルースの元へ向かった。
 常に餓えていた暮らしが長かったせいか、今でも食べ物の話が出るとどうも考えがそちらに向くのは今はいいことなのだろう。ラッシュが焼きたてパンの想像に取りつかれている間にトゥルースも荷物を持って彼の前に姿を現していた。
 「お待たせしました。戻りましょうか」
 

 

 否応なしにキッチンへ戻る道すがら、ラッシュはトゥルースの抱える袋が気になった。
 「なあ、なんだよそのデカい袋」
 「これですか? 隊長に頼まれていた香辛料です」
 「なんで食いもんが倉庫に入ってんだ? あそこにあるのはボロを片付けるやつばっかだと思ってたぜ」
 「ドラゴンの食事も管理する上で必要だからこそ、自分たちにしか手の届かない場所に置こうとしたんでしょうね」
 「でもびっくりだよね、あそこに食べられるものがあったなんて。えへへ」
 「ダメですよビッケバッケ、つまみ食いしては」
 「わかってるよー、すぐバレちゃうもんね」
 ことの大切さを理解しているのか、ビッケバッケはいつもの柔和な顔つきでにこにこと笑う。引かれるように二人の表情にも笑みが生まれたが、視界にキッチンへのドアが見えると同時にビュウのことが思い出されてラッシュの顔に影が落ちた。
 「……ラッシュ、やはり何かありましたね?」
 「ああ、うん。実は」
 すぐに誤魔化せないと察したラッシュは立ち止まり、周囲を警戒するように目配せすると二人の耳に向かって囁いた。
 

 

 「――隊長が、ですか」
 「ボクたちにとってはご馳走だったけどなあ」
 「それはそれ、これはこれだろ。あいつが好んで猫の餌なんて食うかよ。それにこの荷物だろ? おれ、ビュウが何考えてんのかわかんなくなって」
 ラッシュが肩を落とすと、トゥルースとビッケバッケは互いの顔を見合わせた後で自分の荷物を見下ろした。そういえば、仕事を言い渡された地点でビュウはキッチンにありとあらゆる食べ物を広げていたことを二人は思い出していた。後からきたラッシュもそれは見ているはずだ。始めは新たな料理の創造か何かだろうとは思っていたが、彼の計画は三人の考えの及ばないところにあるらしい。
 「……わかりませんね」
 「あっ、今日は降参が早いんだね」
 「考えすぎて良かったことのほうが少ないですから」
 早々に思考を切り上げ半ば諦めているかのような声で、トゥルースはビッケバッケに力なく笑いかけるとラッシュの肩に手を置いた。
 「ラッシュ、何があっても受け入れましょう。その代わり、隊長には後で注文をつければいいんです」
 「それで聞いてくれたらこんな悩んでねえんだけどなあ」
 「そのとおりですね。さあ、行きましょう」
 これが運命共同体というものだろう。再び歩きはじめた三人の足取りは、ぬかるみを進むかのように重く遅々としていた。
 

 
   

 「おっ、言わなくても手伝うなんて偉いぞラッシュ」
 「……おう」
 「ん……? どうした三人揃って暗い顔して。お前たちにも美味いもんを食わせてやれそうなのに」
 今だけはぎいぎいと耳障りな音をたてるドアの向こうに立っていたビュウは、嫌なくらいの笑顔を浮かべていた。そんな彼の言葉に思わずビッケバッケは顔をあげ目を輝かせる。慌ててラッシュは彼の服の袖をつかんで意識を食べ物から逸らせようとした。一瞬の希望を持たせて谷底に突き落とされたら堪ったものではない。
 「まあいいか。持ってきたものをここに置いてくれ。これで満足できるものが作れるはずだからな、お前たちも手伝ってくれ」
 ビュウの言葉に従いながら、三人はビュウを疑っていることに若干の罪悪感を持ち始めていた。これがただの料理で済んだなら、ことが終わった後にまずは三人揃って謝ったほうがいいのでは、とも。
 

 

 しかしその意思はビュウ本人の言葉によってあっさりへし折られることになる。
 「お、やる気を出してくれたか。やっぱりな、ペットじゃないんだから出来合いの餌で満足するはずがないんだ。ドラゴンおやじも言ってたよ、「ドラゴンにもしっかり味覚の良し悪しがわかる」んだって。だから俺が食べてマズいものをドラゴンたちに出せるはずがないってな。だからこうしてありったけの食材を広げてみたんだが人にも味覚の良し悪しがあるだろ? だから俺一人の判断で作るのもどうかと思ってお前たちを呼んだんだ。さすがに四人がかりで作ればある程度対応できたものができると思ってな。さあやるぞ」
 

 

 「…………はは」
 「まあ、いつもの隊長ですよね」
 「まあまあ。美味しいものができるようにがんばろうよ、ね?」
 一人盛り上がるビュウをよそに、三人は結果訪れるであろう説教を思い浮かべないように耐えながら顔をつき合わせて笑うのだった。

「なあ、このキャットフード不味い」
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平和だった時期のビュウとそんな彼に振り回されるナイトトリオ。
長くなーい?
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