Novel / 思い出たちに手を振って



 憧れの、だが決して手の届くことのないあの人。
 まるでショーウィンドウに飾られた人形を眺めるだけで満足していた、そんな毎日。

 初恋にして最後の恋。そう思っていた。
 あの時までは。


「早く逃げろ! 大丈夫か?!」
「ああ、申し訳ないです。腰が抜けてしまって」
「いいから早く肩に掴まれ! 中庭まで出れば大丈夫だから」
「ありがとう、ございます」
 消え入りそうな声を抱えるようにラッシュは女官を支えると、柱が崩れてこないようにと祈りながら熱い風に逆らうように歩を進めた。


 カーナ城陥落。
 思ってもいなかった短期決戦の後、侵略してきたグランベロスの将軍たち。彼らは部下たちに城内に火をつけて回るように命じ、自分たちは誰とも刃を交えることなく切り上げていった。
 命じられた部下たちもさすが帝国将軍の配下といったところか、敗者であるカーナの人間に対して横を素通りしても刃を抜くことはなかった。それを寛容ととるべきか侮辱ととるべきだろうか。軍人である彼らにとっては屈辱以外の何物でなかったにしろ、少なくともラッシュが尊敬するビュウの「今は生き残ることだけを考えろ」という鋭い一言のおかげで、彼はこの場所を死に場所として選ばずに済んだ。
 済んだ、というべきなのかは分からない。この場所にはさまざまな記憶が眠っていた。
 それがまさに今灰に埋もれていこうという中で、ラッシュはただ思い出を共有してきた仲間を助けるためにただ駆け回っていた。


「アザレア! アザレアじゃないか、大丈夫?!」
「少し煙を吸ってるのと捻挫くらいだと思う、後は任せていいか?」
 黒い煙をひたすら吐き出す戸口から転がるように出てきた二人に、太目の女官が駆け寄ってきた。格好が同じところからして上司なのだろう。彼女は胸元で小さく祈ると、何度もありがとうございます、とラッシュに感謝を示した。
 額に溜まっていた熱い汗を息と共に吐き出して、ラッシュは背を伸ばし中庭をぐるりと見た。嘆くもの、再開を喜ぶもの、さまざまな光景が一斉に目に飛び込んでくる。その中にあって同期であるトゥルースやビッケバッケ、そして共に国の終わりを見届けた仲間たちがせわしなく動き回っているのが見えた。
 その中で女性がひとり、彼の元に駆け寄ってくる。慣れないことの連続のせいかすっかり息は上がっていたが、顔色はそれ以上に深刻なのだと彼に訴えかけていた。
「ねえ! ディアナを見なかった?!」
「ディアナ?」
 篭手を両手でぐっと掴むと、訴えてきた女性――アナスタシアは大きな目から涙とも汗とも分からないものを滴らせた。
「あの子、助けに入ったのはいいけど30分以上出てこなくって」
「……そりゃ少し心配だな」
「でしょ? 危ないのは分かってるけど――」
「気にすんなって、カーナの騎士さまだぜ?」
 これ以上心配をさせまいと、ラッシュはわざとらしいくらいの笑顔をアナスタシアに向けた。他に頼れる人間がいなかったのか、糸が切れたように彼女はその場にへたり込む。そして縋るように顔をあげて、両手を彼の太ももに添えると小さく円を描いた。
「少し、怪我、してたみたいだから。ディアナのこと、よろしくね」
 どうやらそれは回復魔法のようだった。怪我の回復と共に疲れも回復したように思えて、ラッシュはぐっと親指を立てると赤いマントを翻し再び炎の中へ飛び込んでいった。



「ディアナ、どこだ! いたら返事をしろ、ディアナ!!」
 できるだけ空気の汚れていない場所から何度か呼びかけつつ、ラッシュは足早に廊下を駆けていた。豪華な調度品の置かれた部屋の数々は改めて確認する必要もなく炎をあげており、ディアナがこの中にいないことを祈るしかない。
「くっそ、どこまで行ったんだ……」
 マントで口元を覆いながら、ラッシュはひたすらディアナの名前を呼び続けた。自分たちの活動のせいか、それとも日ごろの訓練のせいか。城内は人の影を探すほうが難しくなっており、時たま揺れる炎の影に目を見開く程度だった。
「……熱いな」
 汗が滝のように流れてくる。城内に飛び込んでさほど時間は経っていないが、熱が容赦なく彼の体力を奪っていることは確実だった。一度休憩しにいこうにも、その間にディアナは生命の危機に侵されているのだ。


 これで駄目なら戻ろう。そう思ってラッシュはありったけの息を吸った。
「ディアナ! ディアナ、どこだ?! 助けにきたぞ!」
 彼の叫びをあざ笑うかのように炎がごうごうと燃え盛り、燃え尽きたカーテンが彼の横を舐めていく。
 これ以上ここにはいられない。じり、と熱い石の廊下を踵が削った、その瞬間。
「たす……ッ! たすけて……!!」
 気のせいではない。確かに若い女性の声だった。それきり聞こえなくなった声の主を探そうと、ラッシュは確認する時間さえ取らずに近くの部屋へ飛び込んだ。その部屋は本が詰め込まれていたのだろう、燃え尽きた本のページが炎の中で踊っていた。
 火の勢いはほぼなくなっているのか、棚という棚がうずたかく灰として積もっている。その中で、ひとりの少女が何かを抱えるようにして横たわっていた。
「おい!」
 声を掛けるが、変わらず返事はない。はっきりいって女性の見た目を判別するのは苦手で、彼女がディアナであるという保障はない。だがこれでひとりの命が救われたのだと思うと、ラッシュの口元は自然と綻ぶのだった。
「無事でいてくれよ……」
 そう小さく呟いて、ラッシュは女性を胸に抱えあげる。予想以上の軽さにつんのめりそうになりつつ、そこで彼は彼女の手元から零れ落ちたものに視線が移った。
「こんなものを守るために、か……」
 ラッシュは読書というものを慣習付けられなかった。だがディアナの大切に抱えていた汚れひとつない本たちを拾い上げ彼女の手の中に戻すと、呆れとも感嘆ともいえる息を小さく吐きだした。
「後でその本の楽しみ方とやらをおれにも教えてくれたり、しないよな……」
 本をたしなむ自分の姿に思わず笑いをこぼしながら、ラッシュは物言わぬディアナを抱き寄せると焼けていく思い出たちに背を向けたのだった。

思い出たちに手を振って
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ディアナ喋ってなくない?恋愛要素どこ?みたいな。続き書きたいな……
いつも足りなくなるのは私の仕様ですかねどうしたらいいのかな。
とりあえずお題を全て使いたかったのですが「フランス人形」と 「唐紅に燃ゆる」 くらいですかね技量が足りぬ……ッ
貼り付け元 https://twitter.com/freedom_1write/status/909039258689724416
170917



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