Novel / 別れは翼に託して


 眠れない。

 だからといって、眠ろうと意識すればするほど目が冴える。ついに彼は諦めてベッドを抜け出した。
 「――日付が変わったばっかりかあ」
 枕元に置かれた目覚まし時計を手に取り、彼は再びため息をついた。自然と早寝早起きになってずいぶん経つが、ここまで早いとさすがの太陽も困るだろう。
 「この時間なら、まだ誰か起きてるかも」
 かつてのように、規則と共にこの孤島で共同生活を始めて早数年。だがそれは生活を送る上でのルールへと変わり、達成すべき目標だけが遠くでぼんやり揺らめいていた。だがそれも、あと少しで終わる。
 老人はその事実に目を輝かせると、そっと部屋を出たのだった。

 体重を掛けるたびにきしきしと階段がしなる。自分ですらこれなのだから、彼が戻ってくるまでに持ちこたえてくれるのかしら。
 そんなことを考えながら注意深く歩を進める彼の耳に、聞き慣れた女性の声が届いた。
 「あら、センダックじゃない。どうしたの?」
 「ゾラ……。そっちこそ、明日は早いんでしょう?」
 しっかり階段を下りてから、センダックは声の主へと顔を向けた。何とか顔が確認できる明るさの部屋。いつもならたくさんの声で賑わうダイニングテーブルには、すっかり生活の中心となったゾラと、その向かいで突っ伏して寝ている親友、それに見慣れた二人の顔があった。
 「そうなんだけどね。気にかけると余計に眠れなくなるから、久々に手紙なんて書いてるのさ。この人を置いていくわけにもいかないしね」
 「マテライト、お酒くさいね。弱いのに飲むから」
 ゾラの言葉を確認するように、センダックはテーブルの奥まで足を運び寝息を立てる彼の顔を覗きこみ――同時にグラスに残ったウイスキーの香りに顔をしかめた。寝起きの体に、芳醇な香りはまだきついようだ。
 「なんだジイさん、トイレか?」
 「失礼ですよラッシュ。きっと老師も私たちと一緒なんです。ご一緒にどうですか?」
 ふざけるラッシュを一喝して、トゥルースは自分の隣の椅子を引いた。目を机に落とせば、二人の前には湯気を立てるマグカップが置かれていた。
 「うん、お邪魔しようかな。どうにも眠れなくて」
 「それならもう一つホットミルクを作ろうかね」
 「いいの、ゾラ? 手紙が途中なんじゃ」
 おずおずと言い出すセンダックに、ゾラは心配無用とばかりの笑顔を向けた。
 「どうせ出すのはずっと先さ。早く息子には読んでほしいけどね」
 キッチンに引っ込んだゾラと入れ違いに、センダックは椅子に座る。だが気持ちが落ち着かないことに変わりはない。その理由を探そうとしても、ここにはいない一人以外には考えられなかった。

 「……あー、ビュウなら外だぜ」
 「えっ?!」
 センダックの口から驚きの声が漏れた。心が読まれたのだろうか。いやそんな事はあるはずがない。ますます落ち着かないセンダックに向けて、言い当てたラッシュは気まずそうに声を掛けた。
 「しばらく会えなくなるのが不安なんだろ? ビュウならいつものとこだぜ。言ってこいよ」
 言い終わるとふい、と顔を逸らす。これでセンダックがビュウに思いを寄せる少女だったら冷やかしの一つでもできるのだが、相手は初老を当に通り越した老人だ。いつから言動が怪しいのか思い出したくもないが、テードの暮らしが安定し始めてからは少なくともこうだった。
 救いがあるのだとすれば、この老人の行き過ぎた愛情表現が肝心のビュウには届いていないことくらいだろう。
 「ああ、ビュウのところに行くんだろう? 一緒に持っていってもらえるかい?」
 ダイニングと一つになっているキッチンに話は通っていたのだろう。椅子から立ち上がったセンダックに、戻ってきたゾラはトレーをそっと手渡した。上に乗っているのは二つのホットミルク。最初から二つ渡す気だったかは恥ずかしくて聞けなかったが、精一杯の感謝を込めてセンダックは微笑んだのだった。

 ***

 ドアを一歩出ると、周囲は一面の暗闇だ。月と星とが同時に出るこの世界で、彼の頼りない足を補佐してくれるのは月の光だけだ。
 だがそんな老人の足が、ある時を境に速くなる。目前に灯された人工の火。そこに、彼の探している人がいる。はやる気持ちを抑えきれずに、センダックは声をあげた。
 「ビュウ!」
 「あれ、センダック。どうしたんだこの時間に」
 静寂に響いた声に、思い人は顔をあげた。今すぐ走りたい。そして胸に飛び込んで行かないでなどと子供みたいに駄々をこねたい。けれど手元で揺れるミルク以上に厄介な相手が、センダックの目にはっきりと真紅を晒したのだった。
 「頑張ってるビュウに、持っていってくれって」
 「へえ、何かな。楽しみだな」
 その場で思いついた精一杯の嘘にも、ビュウは笑顔で答えてくれる。だがその流れで当たり前だと言いたげに視線を向けられてくるる、と喉を鳴らすサラマンダーへの嫉妬心をセンダックは隠せずにいた。ただそのどちらにも意味が通じていないのはどちらにとっても幸せなのかもしれない。
 「よい、しょ。ビュウも同じ気持ちかな、と思って」
 「ホットミルクか、ありがとう。ほら座って」
 さすがのビュウも、好意を無下にはできないのだろう。トレイを受け取り自分の隣に座るよう勧めた。
 「センダックも眠れないんだな」
 「うん。……しばらく元気な顔が見られなくなるんだなと思ったら寂しくなっちゃって」
 「なんだ、俺の未熟さを心配してたのかと思ったら、ずいぶん余裕がないんだな。そんな調子で大丈夫か?」
 珍しく素直に弱音を吐くセンダックに、ビュウは苦笑を浮かべつつコップを手に取った。彼の調子がおかしいのはテードに来てから分かっていたし周囲に相談などしていたが、その周囲があまり気に留めないせいで、今の今まで彼の気持ちを知れずにいたのだった。
 「ドラゴンを探しに行く、って覚悟が決まっているだけビュウは立派だよ。それに比べたらワシは……」
 「それは今心配するべきことか?」
 「えっ……。ああ、ありがとう」
 ビュウの返しは、センダックにショックを与えるには十分だった。そもそもが一方的に寄せる影からの好意を、汲み取り受け入れろという方が厚かましい。とにかく彼はコップを受け取るとひと口ミルクを啜った。程よい温もりと自然な甘さが、彼の身に取り付いた寒気と一瞬訪れた悲しみを溶かしてくれた。
 「……そう言ったらやっぱり気にするんだな、ごめん」
 「えっ?」
 「みんなの意識がドラゴンを取り戻すことに向いてる。それはいいことだけど、それで満足しきってないかなって。センダックは分かってくれてるだろうけど最初に伝えておきたかったんだ。マテライトは素直に聞き入れてくれないだろうからね」
 「ビュウ。そんなにワシのこと……」
 冷たく感じたのは、どうやらビュウのおふざけだったらしい。彼もまたひと口ミルクを啜ってにこりと笑う。長年を共に過ごしてきたことに対する信頼感がビュウの口を軽くしているようだった。同時に年長者としての負担を軽くしようという彼なりの心遣いなのかもしれない。

 思い返せば、昔から互いに何かと相談し、ふざけあってきた仲だった。年齢が離れていて親戚筋に同じ立場の人間がいないからこそ、二人は孫と祖父のような関係をここまで続けてこれたのだ。
 それなのに自分は。センダックの口は、自然に感情のまま甘えていた行動を反省していた。
 「ビュウ、ごめん」
 「ん? ああ、またいつものか。いいよ、こうしていられるのも、次がいつになるか分からないな」
 小さく下げた頭に、ビュウは身に自覚があるようにはにかんで手を振った。ミルクが小さな波を作るのを、二人はそっと見守った。
 「ビュウは、きっと成し遂げられるよ。それを笑顔で迎えるのが、今のワシに出来ることで、目標。それでいいのかな」
 「うん、その目だ。やるべきことを決めたときの目。それが見れてよかった。センダック、ずっと視点がボケてたみたいだったから」
 「ビュウ……。うん、ありがとう」
 テードに逃げ延びてずいぶん経つ。今まで通り過ごしていたつもりだったが、ビュウにはずいぶん心配をかけていたらしい。感謝の言葉に顔を綻ばせると、ビュウはコップをトレイに置くと立ち上がった。
 「ここで話せてよかったよ。ずいぶん寒くなったし、そろそろ戻ろうか。また明日な、サラ」
 センダックの返事は、サラマンダーの声にかき消された。とにかくビュウに倣うとセンダックは立ち上がり、トレイを取ろうと振り向いた。
 「サラマンダー……」
 大きなヒスイ色の瞳と目が合う。今までもこれからも、ビュウの支えが彼であることは認めざるを得ない。だからこそ、センダックは思いを込めて呟いた。
 「――ビュウを、どうかよろしくね」
 「きゃふふ!」
 甲高く、それでいて力強いその声は寒々しい夜空を覆うように広がったのだった。

別れは翼に託して
BACK← HOMENEXT

会員制サークル・「Blown Fluffy」が一年活動休止とのことで書いたものです。 が、間に合わなかったのでせめてこっちに……。

この号から一年活動停止とのことで、別れと出会いへの希望といったらこれだろ! ……といいつつ最後までバハラグです。(尚結局締切りには間に合わなかった模様)
ビュウたちが旅立つ前夜の様子をセンダックの視点で書いてみたかった。周囲から見れば気味が悪いのかもしれませんが本人は真剣なので否定はせず見守っているのかな~なんて思っています。
会報への投稿はあまりできませんでしたが、ほんの少しでもバハラグというゲームへの興味の一歩になれたら書き手としてそれ以上の喜びはありません。(私的な考察と設定もりもりに変わりはないですが……)
また紙面上で皆様にお会いできるのを楽しみにしています!!
20190622付



top