Novel / 雨に寄り添う


「……これは今日中に戻れないな」
 燃えるように赤い西の空を仰ぎながら、どちらともなくそう呟いて二人は肩を寄せ合った。

 ファーレンハイトが風に流されている。
 それに操舵手であるホーネットが気づいたときには、艦内に緊急を知らせるブザーと放送が流れ、ビュウたちはドラゴンを駆ってなんとか船を押し止めようとした。
 だが暴力的なまでにすべてを押し流す風に無情にも身を任せた船は、その終着点である名も知らぬ群島にたどり着いたのだった。

「ひとまずの目標は達成したが……。予想以上に時間がかかったな」
「本当に無人なんだろうな。獣に絡まれなくて助かったよ」
 まさか手斧の代わりにされるとは思ってなかったに違いない。たたき切った蔓の樹液がまとわりつく剣の鞘を拭いつつ、ビュウは目先にある崖で旗を立て終えたホーネットにねぎらいの言葉をかけた。
「それでも船長としての大役は果たせたて良かったな」
「……おいおい、縁起の悪いことを言い出すんじゃないぜビュウ」
「聞こえてたか」
 とがめるつもりで眉に皺を寄せるホーネットを前に、あくまでもビュウは悪びれることもなく笑ってみせる。道なき道をひたすら切り開いてきたとは思えないほど余裕のある表情に、改めて彼の胆力を知ったのだった。
「それに俺はあそこに帰るまでくたばれないぜ?」
「見えてるか?」
「ああ、はっきりな」
 こっちに来い、と顎で示すより早くビュウは剣もそのままに駆け寄ってくる。軽く肩が触れあい並んだところで、彼の興味は今は遠い母艦に向いていた。
 煙突からか細い煙を吐きながら、動く様子のないファーレンハイト。そもそも風に押し込まれるまま着岸した状況から抜け出すためには、風の流れが変わるのを待つしかない。
 だからこそホーネットが責任を持って出てきたのだが、それに補佐としてビュウが伴侶として付いてきたのは彼には意外だった。心が弾んだのもつかの間、使命と未知のラグーンを切り開く不安とがホーネットの緊張を煽っていた。
「向こうは任せて大丈夫そうだな」
「ああ、後はここからドラゴンが呼べればいいんだけどな……」
 顔を見合わせ安堵に頬を緩める。だが困ったように笑ったビュウは銀の笛を取り出すと手のひらの上で持て余すように転がしたのだった。
 こちらが風上である以上、ドラゴンの耳にしか届かない音はきっと届くだろう。無事を知ったドラゴンがすかさず二人を迎えにくれば、今日は何の不安もなく自室のベッドで眠れるに違いない。
 それでも船を眺めたまま笛を吹く様子のないビュウに、たまらずホーネットは声をかけた。
「――迷ってるのか?」
「そうじゃなきゃここまで準備して出てこないさ。散々すみかを荒らしてきたんだ、これ以上の面倒は起こしたくないだろ?」
 そう言ってビュウはホーネットを見上げる。頭半分小さな彼の青い目が間近に迫り、夕日を反射してきらりと光った。状況を楽しんでいるのかと追及しようと口を開いたホーネットの前で、口角を上げたビュウは告げたのだった。
「だから今日はこの近くで野営をしようと思う。ホーネットはどうだ?」
「……ああ、賛成だ。すぐ引き返したところで、今日中に戻れそうにもないしな」
 頷きあったことが契約の証とばかりに、ビュウは笛を懐に戻すと素早く踵を返して崖を降りていく。まるで誘われているようだと思いつつも、貴重な場面に巡り会えたことを空に感謝してホーネットはその後に続いたのだった。

***

「――良い案だったな、ホーネット」
「どうも。しかしこうなると困ったもんだな……」
 日はとうに落ち、星もない夜空を二人は見上げていた。ただそれだけで済まないのはどちらの運か、空が白んで見えるほどの雨が見通しを奪い、二人は追い込まれるように洞窟へと身を潜めていた。
「先人に感謝、ってところか。 どう思う、ビュウ?」
「ここか。 ……少なくとも獣のねぐらの大きさじゃないな」
 沈黙を紛らわせるようにかけた声にビュウは反応すると、壁を触りながら奥へと進んでいく。そこは岩山を削って作ったとしか思えない奥行き5メートルほどの洞窟で、ホーネットが立っても余裕があるほど高さもあった。やはり人工的なものなのか、と彼の胸を不安が掠めても、その目はビュウの手元に吸い寄せられていた。
「……選択を後悔してるのか?」
「いいや。ただな――」
 視線を感じていたのか胸元をいじることを止めたビュウだったが、振り返った彼の顔はいたずらに笑っていた。かがり火に揺らぐ青い目に胸が高鳴るホーネットの前で、ビュウはいじっていたものを取り出して火に掲げた。
「その相手に俺がどこまで通用するのかな、と思ってな」
 ちゃらりと鎖が鳴る。その先に繋げた銀の笛を指で挟んで、ビュウは小さく肩をすくめたのだった。

「……ドラゴンのねぐらなのか?」
「そうとしか思えない。だろ? こんな硬い岩を真っ直ぐ穿って、それでいて人間の痕跡がないんだ」
 積んであった薪を手に焚き火で火をつけると、ビュウは見せつけるように岩肌を照らした。てらてらと黒い光を放つそれは、切り落とされたように綺麗だった。
「なら火をつける前に教えてくれ、今さら動けない上にドラゴンが戻ってきたらどうするつもりなんだ?!」
「焦るなよ。何よりこの火はホーネット、あんたが進んで付けたんだ。だろ?」
「ん、ぐ……」
 必死の反論をあっさりかわされて、ホーネットは言葉を詰まらせた。全ては彼の言う通りで、なおかつここは安全だと彼の経験が判断したのだ。
 せめて何か言おうと少し口ごもった後で、ついにホーネットはがくりと肩を落とした。
「……わかった。それでこれからどうするんだ?」
「することはひとつさ。 ――持ってきたんだろ?」
 諦めから表情に元気のないホーネットの前で、ビュウは歯を見せると笛をしまい直した。そして何を思ったか背負ってきたバックパックを引き上げると意味ありげににやりと笑ったのだった。

 じりじりと焼ける脂の香りが鼻をくすぐり、たき火に落ちたそれは煙を一面に舞い上げる。視界を遮る煙を払う姿はその向こうに座る相棒と被り、どちらが先かと小さく吹き出した。
「飲もうぜ」
「ボトルはそっちなのにか?」
 ホーネットが掲げたグラスに対してビュウはちらりとその傍らにあるものを見て苦笑する。そのままゆっくり立ち上がると、当たり前のようにたき火を回ってホーネットの隣に座った。
「今日は何だ?」
「――こうなると思ってな。このために雨は降ったのかもな」
 二人の間に置かれた一つの金バケツ。そこに沈んだ一本のワインボトルを取り上げるとホーネットはウィンクひとつ。空いた片手でグラスをビュウに握らせると、急かす気持ちを表すように?焦るわけじゃないし何だろう腰のベルトに挟んだ栓抜きを手に取りコルクを抜く。ちりちりと火が上がる音しかなかった洞窟の中に、ぽんと軽快な音が響いたのだった。
「それにしてもここまで手際が良かったな」
「……珍しいか?」
 いつか問われるかもしれない自分の過去。思ったより早く訪れたかもしれないそれに、ホーネットはわずかに言葉を詰まらせた。ビュウはといえば変化にまったく気づかない様子で頷くと感心したように笑った。
「たき火の石組みが手慣れるなと思ってさ。それに水を取るための準備もばっちりだ。寝袋もある。毛布もあるから寝ても体が痛まない。用意を任せて正解だったな」
 饒舌にビュウはホーネットを褒める。一方その言葉の裏を読もうとすればするほど、ホーネットの眉間にわずかな皺が寄るのだ。だがそんな自分の思考こそがビュウから寄せられた信頼を疑うことになる。暗い雲を払うように笑って、ホーネットはワイン瓶を傾けた。
「自分の部屋を想像してみろ。そう言ってくれたビュウのおかげだ」
「でもなあ……。まさか航空士をやめるつもりか?」
「一日くらい立場を交代したら楽しいだろうが――。どうだ?」
「すぐ今日みたいなことになるぞ。 ああ、もちろんホーネットを責めてるつもりはないからな」
「どうも」
 流れるように言葉を交わし、二人は顔をつきあわせて自然に笑う。いつか告げなければならないと思いながらも、ホーネットの心に掛かっていたもやは気づけば払われていたのだった。

「色がわかりにくいのが残念だな」
 ワインの注がれたグラスをゆったり流しながら、ビュウはそれをのぞき込んで小さく笑った。その間も絶えず香る芳醇なワインの香りに気を引かれながらホーネットは頷いた。
「元々ホットワインにするつもりだったからな。もちろん寝酒はそのつもりだが」
「どれだけ飲むつもりなんだ?」
「雨が止むまで、かな」
 冗談交じりにそう言ってホーネットは笑う。だがちらりと外を見た彼の目は真剣そのもので、そんな彼の気を紛らわせるように、ビュウは鈍い銀の光を放つ真鍮製のグラスの縁を爪で小突いた。
「明日が雨でも戻るからな、みんな心配してるだろうし」
「うるさいのがいなくなって案外清々してるかもな」
「誰がだ」
 思わぬ反論にビュウの口元から歯がこぼれた。その手の中で揺れるワインに自身のグラスを突き合せると、ホーネットはそれを小さく掲げたのだった。
「二人の時間に、乾杯」
「乾杯」
 いつもの音頭、いつもの調子に二人の表情がほぐれていく。合わさったグラスが鈍い音を立てると、二人はいつもとは少しだけ違う環境を楽しむようにグラスに口をつけた。

「……さすがに腹が減ったな。他には?」
 鉄串に刺さったベーコンの塊を、つまみぐいでもするように取り上げてビュウはホーネットにそれを差し向けた。調子よく先端に刺さった一個を口に入れると、ホーネットは傍らのザックをたぐり寄せた。
「この中に……おい、そんな顔するなよ」
「俺の肉……あむ」
 一瞬恨めしそうな目を向けるビュウ。子供のような奴だと思いつつ、食べ物一つがどれだけの恨みをもたらすかは十二分に分かっている。ベーコンで膨らむビュウの頬を見てそれ以上ものを言うことをやめると、ホーネットはザックの中身をすべて出して広げ始めた。
「……うん、美味い。ホーネットも食べたらいいのに……それは?」
「何も水を湧かすだけがこの鍋の役目じゃないぞ。今からとびきりを味わわせてやるからな」
 こうして火で安らぐ前には野営の準備をしなければならない。慣れない土地の活動で相当腹を空かせたのか、ビュウはすでに二本目を口に入れていた。
 そんな彼に笑いかけながら、ホーネットは今から手品でもするように手のひらに三角に切られたチーズの塊を乗せたのだった。
「とびきり、って……。どうするんだ、それ?」
「ビュウは知らないか。チーズを溶かして、それを肉やら野菜に絡める。するとどうだ?」
「――美味しい、よな」
 ごくり、とビュウの喉が鳴る音をホーネットは確かに聞いた。大きく一つ頷くと、彼の目が動く様子を楽しみながらそろそろと鍋にそれを入れた。
「ああ、とても美味い。けど大人数でするとあっという間になくなるから、俺とクルーたちの秘密にしてたんだ」
「…………」
「帰ってからどうするかはお前次第だ。それでも秘密にしてくれるなら――」
「……くれるなら?」
 むくれる子供のようなビュウの目。激情に突き動かされて行動する人間でないと理解はしていても、彼の一言で情勢が大きく変わるのは互いに分かっているはずだ。ある意味一触即発の状況で、ホーネットは新しく肉を刺した串をビュウに向けて微笑んだ。
「考えてやってもいいぞ」
「なんだよ、それ」
 すっと二人の間に流れていた緊張がほぐれる。そんな彼にざるに入った芋を差し向けると、ホーネットは苦笑にも似たため息をこぼした。
「俺たちにだって特別なんだ。こんないい匂いのものが隠し通せるわけがないしな、だろ?」
「……確かに」
 すんを鼻を鳴らして、ビュウはおとなしくくし切りされたじゃがいもを片手に取る。結局長期間航海する彼らにとって、長持ちする主食と言えば小麦かじゃがいもだ。そんな味気ない食事に一筋の光が差したと思えたが、希望が叶うまではまだまだ時間が掛かりそうだ。
「だからたまに、な」
「何回に一回か数えておかないとな」
 ゆらり、と炎が大きく揺れた。ホーネットが顔を上げたその先で、ビュウは楽しむかのような笑顔を見せる。この表情が見られるなら多少甘やかしても許されはしないだろうか、とこの場にいない大勢に心の中で釈明を入れながら、ホーネットは心からの笑顔をビュウに返した。
 雨はしばらく止みそうになかった。

雨に寄り添う
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アクシデントで洞窟に二人で一晩明かすホネビュウ(の元ネタ許可済みですありがとうございます……!)でした。
理由をこねこねしつつ、たき火周りで二人の時間を楽しむ様子をじっくり書けたのが楽しかったです。もっとちちくり合っても良かったかな~~書けないな……!!
2021/04/11



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