Novel / 満月に笑う悪魔あり


 「うーさぎうさぎっ」
 「なにみてはねるっ」
 「あはは、ラッシュってオンチだねえ」
 「何を…………もごもご」
反論しようと開けた口にとっさに一口大の芋を詰め込まれては、さすがのラッシュも黙るしかないだろう。そうしてにこにこ笑っているビッケバッケと、そんな二人を見守るトゥルースはふう、と一息つくと改めて夜空を見上げたのだった。
 「――本当に、ため息が出るくらい美しい月ですね」


 オレルスで一年に一度、月が異様に大きく見える日がある。
 その日を迎えると、各地で月の形になぞらえた料理を用意し、月を愛でるのだという。
 といわれているが、大人にとっては夜通し酒を飲み明かすための口実になっていた。子供にとっても夜更かしが唯一許された日であり、彼らは月夜の下で踊り明かすのだった。
 そしてファーレンハイトでは、備蓄してあった芋を丸くカットし、甘辛く煮たものが満遍なく提供されていた。大人はこれで酒を飲み、子供は珍しい甘みに舌鼓を打っているのだろう。

「……ん。にしてもやっぱ美味いな、これ」
 ごくり、と喉を鳴らしてラッシュは思わず唇を舐めた。普段から質素すぎる食事内容に飽き飽きしているのだろう、口にせずとも同意の意味を込めて二人は頷くと、倣って芋を口に運んだのだった。
「そういえばこの月って、どのラグーンからも丸く見えるんだよね?」
「そうらしいですね。なので人智の及ばない膨大な魔力の象徴として、ゴドランドではこの日に魔法の鍛錬をするのだとか」
「げー、こんな日に遊べないなんて最悪じゃねーか」
 ラッシュの表情は面白いくらいにげっそりしていた。思い返せば、路地暮らしをしていた時もこの月が出た日は立場に関係なく混ざって遊び、ついでに食べ物にもありつける素敵なイベントだったはずだ。そんな思い出がないなんて可哀想だ、と同情をラッシュは寄せた。と同時にはっと目を見開く。
「じゃあ、今ならメロディアも大人しいってことか?」
「そういえばメロディアってゴドランド出身だったよね!」
「よくラッシュが覚えてましたね。何をしでかすつもりですか?」
 ラッシュの記憶力に驚くトゥルースだったが、言い出す以上は何か裏があるはずと眉根を寄せる。そんな彼に対して、ラッシュはわかりやすく口を突き出すと悪気なく言ってのけるのだった。
「んだよ悪人みたいに言いやがって! 単に飯食うことを知らないなら、余ってんじゃねーかなと思っただけだよ」
「ボクでもそこまでは思い浮かばなかったよ~。さすがラッシュだね!」
「だろ?!」
「……意地汚いですよラッシュ。ビッケバッケも悪乗りしないでください」
 ラッシュの手元に目をやると、とうに皿は空になっていた。もちろん、ビッケバッケの皿も空っぽだ。叱る意味で語調を多少鋭くしたところで、彼らに通じるはずもない。しかしこの目で見届けなければ、彼らがどんな行動を取るか分からない。
「……私はただの付き添いですからね」
「わーってるって! 行こうぜビッケバッケ!」
「うん!」
 開口一番に走り出すラッシュ。そんな彼の行動を目で追っていたトゥルースの視界を、ぽってりとした手が覆った。見上げるとそこには、ビッケバッケがにこにこと笑顔を浮かべて手を差し出していたのだった。
「早くしないとラッシュに全部取られちゃうよ~」
「口の中に隠されるより早く追いつかないと、ですね」
 表情を緩めながら、トゥルースはビッケバッケの手を取り立ち上がる。冗談のようで、冗談ではないたとえ話。頷き走り出すビッケバッケの横顔は、それを証明するように真剣そのものだった。


 静かな月夜に似合わない足音が艦内に響く。だがその音が目的の人物に届くことはなかった。
 甲板への唯一の出入り口。その廊下を通ると次に必ず通り抜ける必要があるのは商業エリアだ。普段はここで雑貨を買ったり薬を注文したり、殆どの人は油を売るなどしていた。三人も例に漏れなかったが、夜間は全て閉まっていて緊急事態でもない限り人が訪れることはない。そして三人もまた、通路でしかないこの場所を足早に通り過ぎるだけだった。

「……あ?」
 しかし先頭を走るラッシュの足が突然止まる。蹴飛ばしてやってもよかったのだが、子の代まで祟られるようなことは避けたかったのだ。
「あれ、どうしたのラッシュ?」
「何かあったんですか?」
「いや、これがな」
 少しの時間を置いて、ビッケバッケとトゥルースも追いつく。大人二人が並んで通れる幅の通路で、ラッシュが棒立ちになる意味はないはずだ。しかしその答えは指を突きだした先にいた。
 スポットライトのように照らされた照明の下で、廊下に堂々と座り込み、物を広げているプチデビたちの姿がそこにあった。
「モニョ!(なんだ、おまえらか)」
「マニョマニョ(さんびきあつまってなにしてんだ?)」
「ムニョ~(どそくでふみこむなんていいどきょうしてるぜ!)」
「……これとはなんだ。お前たちこそ何か用か?」
「ああ、すみません。ワガハイさん、ここを通していただきたいのですが」
 二人を書き分けるように出てきたトゥルースの丁寧な物言いに、ワガハイは立ち上がり彼の顔を見上げる。その小さな口が動くより早く、二人はプチデビたちの手元を指差していた。
「あっ! お前らも芋食ってんのか!」
「しかもほら、一匹に一皿ちゃーんとあるよ!」
「取り合わないようにと釘を刺されたからな。邪魔しないでもらえないだろうか」
 わざとらしくおほん、と咳をしてみせるワガハイに、トゥルースは同情の視線を向けた。今まさに食欲に支配されている二人に、言葉が通じるとはとても思えなかったのだ。
 そんなトゥルースの気持ちも二人には通じていなかったようだ。食い入るように並んだ皿を見ていたラッシュの目は、やっとプチデビたちに移される。その口から出た言葉は、野良犬として路地を駆け回っていた頃の姿を思い出させたのだった。

「そんだけあったら食いきれないだろ? 手伝ってやるよ」
「マニョー!(そうやってぜんぶとってくつもりだろ!)」
「むにょむにょ(いぬのえさにでもしたほうがマシだぜ……)」
「モニョ!(だしたらくいついてくるかもよ、ほら)」
 食事を邪魔されただけでは終わらず残った芋を悪気もなく要求されて、プチデビたちの声のトーンはますます低くなる。
 だがそれで終わらないのが彼らだ。モニョはフォークに芋を突き刺すと立ち上がった。フォークに対して大きすぎるそれから、カラメル色の汁が滴り落ちる。ラッシュとビッケバッケの視線が釘付けになっているのを分かっているのか、モニョは意味ありげにフォークを顔の上まで持ち上げ、そして――。
「いただきっ!」
「モニョ~!」
 カツン!
 静かな空間に似つかわしくない、軽い音が響く。フォークはひょいと引き上げられ、勢いでモニョの隣にいたムニョの元へと運ばれていく。思い切り噛んだせいで痛みをこらえるように顎をさするラッシュをよそに、ムニョは芋をさぞ美味しそうに咀嚼するのだった。
「ああ?! なにしやがんだてめえ!!」
「ラッシュ、どうどう」
 手綱を解かれた猛犬のごとく食って掛かろうとするラッシュの腕を、ビッケバッケはしっかり掴んですぐなだめにかかる。
「ムニョムニョムニョ……」
 その様子を小ばかにするように、ムニョは目を弓なりにしならせて笑う。黙ってみていた二匹も後を追うように笑い始めた。
「モニョモニョ……」
「マニョッ、ぷくくく……」
「う、ぐっ。おいビッケバッケ放せよ!」
 笑いをこらえるように口元を押さえているせいで、余計バカにされているように聞こえる。始めはジタバタしてたラッシュだったが、どうしてプチデビのおもちゃのような声は重なると薄気味悪さを感じさせた。
「…………気味悪りぃな」
 ぽつりと呟くと同時に、ラッシュの腕がだらりと下がる。その場から逃れるように下がろうとして、彼は見事にビッケバッケの足を踏んでその場に倒れこんだのだった。
「わわっ、なにするんだようラッシュ!」
「ぼけっとしてるのが悪いんだろ!」
 ビッケバッケの体がクッションになって、ラッシュはすぐに起き上がることができた。なお続く笑い声を振り払うように振り向くと、文句は言いつつも頭をさする彼に腕を伸ばす。
「大丈夫か?」
「うん。それよりお尻が痛いなあ」
 いつもの彼らしい柔らかな笑みを浮かべながら、ビッケバッケは手を掴んで立ち上がった。どこへ行っても変わらない彼の表情に、気づけばラッシュもつられて笑っていた。
「……用事は済んだか?」
「ああ、いえ、すみません。元はといえばそこの二人がもっと芋煮を食べたいと言い出したのが始まりでして……」
 ひとしきり笑い終わったプチデビたちは、また場を取り直そうと液体の入ったコップで乾杯などしている。そんな彼らからワガハイに視線を戻して、トゥルースはため息と共にそうこぼした。当の二人も一時的に食欲を忘れているのだから、大人しく通してもらって部屋に戻れば全ては丸く収まるのではないだろうか。
 寂しさはあるが、一人で静かに月を眺めるのも悪くない。トゥルースは考えを切り替えて口を開いた。しかしそれより早く飛び出たワガハイの言葉に、計画はもろくも崩れ去ったのだった。
「それなら取りに行けば良いではないか。なんでも数日分は用意してあるらしいぞ」
「ホントか?!」
「ねえねえ、早く行こうよ!」
 何よりプチデビの言うことだ、それが本当かはわからない。だが二人はすでに食べるつもりでいるのだろう、手に手を取って足踏みなどし始める。
「もにょ~!(じたばたすんな!)」
「むにょ~?!(あしをこおらせてやろうか!)」
 清潔に保たれた船内とはいえ、外から来た人間の砂埃までは防ぎようがない。怒りをはらんだ声色で立ち上がるプチデビたちを迎え撃とうと自然に構えるラッシュとビッケバッケ。
 そんな彼らの間に鋭い声をあげて割り込んだのはワガハイだった。
「両者そこまで! こんな夜に争いあうのは我らとしても不本意だ。早々に立ち去るといい」
「わかってんじゃねーか! ありがとよ!」
「そのかわり……」
 さっとプチデビたちに並んで道を示すように腕を伸ばすワガハイに感謝しつつ、ラッシュは我先にと廊下を駆けていく。遅れていられないと後ろを走るビッケバッケに続こうとしたトゥルースの背中に、ワガハイの声が突きささった。
「決して戻ってはくるなよ。月の魔力の恩恵は、人間だけが受けられるものではないのだからな……」
 骨を貫き身を震わせるような冷たい声に、トゥルースの足は床に縫い付けられる。視線は確かに楽しそうに走るラッシュとビッケバッケを捉えているはずなのに、まるで呪文にかけられたように、口はただそれを呟いていた。
「――わかりました」
 ふと軽くなる足。すぐバランスを崩したトゥルースは地面に膝をつく。何かと欲張りがちな二人を収めるために立ち上がろうとした彼の目に、月の光に照らされて怪しく笑うプチデビの姿が焼きついたのだった。

満月に笑う悪魔あり
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ナイトトリオとプチデビでお月見祝ってみよ~!
と思いつつ出来上がったら主役がプチデビに乗っ取られていた。
個人的にエンディングの踊るプチデビがとても印象的だったので、月と絡められたらな~と思いながら書きました。後はオレルスでも祝い事になっていたらいいなという思いとナイトトリオの過去を絡めつつわちゃわちゃしているところを見たかった(味付けは妄想)
20201001



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