Novel / 不思議な薬と兎耳


 事の始まりは、ラッシュが商売のついでに交換で手に入れたのだという小さな小瓶だった。
 「珍しいですね、ラッシュが金銭を要求しないなんて」
 「いやあ、こんだけ珍しい物はそうそう無いと踏んでな」
 ラッシュはそこで言葉を切ると、机の上に置かれた薬瓶を手にとって突き出した。
 「これ、何だと思う?」
 そう言えば中身を聞いていないな、と思いながらトゥルースは左手を顎に当ててしげしげと小瓶を眺めた。
 その小瓶は掌ほどの大きさで、蓋までガラスで出来ていた。元々は香水か何かを入れるために作られているのか、小瓶の表面には花の模様が浮き出ている。
 戦場を駆ける商人であるラッシュが、わざわざ現地で、しかも商品と交換してきたと言うのであれば、この無色透明の液体の正体は――

 「この小瓶の中身は、エリクサー以上の強力な薬品でしょうか」
 視線を小瓶からラッシュに移す。しかし当のラッシュはそれはハズレだと言わんばかりに口元を弓なりに曲げていた。意地の悪い奴め。
 「違うというなら何なのでしょうか、私にはあれ以上に有用な薬を知りません」
 「もし、薬じゃないって言ったら?」
 「薬では……ない?」
 ラッシュの回答は予想外だった。薬ではない。飲み物の類いでもないだろう。着飾る事に頓着しない彼が、まさか見たまま香水を交換してくる事はまずないだろう。
 となると?
 「……すみません、完全にお手上げです。私の専門外のようです」
 「そりゃあ」
 ラッシュは白い歯を出して笑った。純粋にこの状況を楽しんでいるようだ。
 「トゥルースが知ってたらビックリするぜ?いや、多分誰も知らないはずだぜ」
 溜めるような言い方をするラッシュの態度に、知識欲を刺激されたのかトゥルースは瞳を輝かせた。
 「誰も知らない、謎の液体……。その中身は一体」
 「この液体の中身はな、聞いて驚けよ!」
 ラッシュはもったいぶるかのように、大きく息を吸った。

 「この中身はだな、聞いて驚けよ!――その名も『ウッサーになれる薬』だっ!」
 「――……はあ?」
 斜め方向にぶっ飛んだ回答に、トゥルースの思考は停止した。

 ウッサー。世にも珍しい、ウサギの姿に変化してしまう状態異常。
 それを仕掛けてくるのはチャチャパパラン。別種としてカーナのバハムート神殿周辺に棲む神殿ウサギがいる。
 魔物の一種であり、数も少ない事からその生態は謎に満ちている。
 一般的な野ウサギによく似た姿を取っていて、姿の可愛らしさに魅了されうっかり近づいたが最後、彼らと同じ姿になってしまうのだ。
 一般的な万能薬で治療は出来るものの、近くに介抱を行える人間がいない場合そのままチャチャパパランの『仲間』として同じく生活を共にしてしまうという恐ろしい一面もある。
 しかし変化前の人間としての思考と行動力は残るらしく、介抱を求めたり逃げ出したりする事も出来るのだという。
 何のために仲間を増やすのか。ウッサー変化の秘密とは。
 多くの謎を抱えた彼らの謎の結晶、それが――


 「……これだって言うんですか?」
 ラッシュの手元でゆらゆら揺れる小瓶を、トゥルースは疑惑の目で見た。
 その視線に反発するように、ラッシュは顔を顰める。
 「オレだって話半分で交換したけどよ、ここ数年ずっと取引してる相手だぜ?『日頃お世話になってますし』とか『あなただけには特別ですよ』とか言われたら悪い気しないだろ?」
 「ラッシュ……あなたには以前から考えが足りないとは思っていましたが、まさか早々簡単に騙されるとは思っていませんでした」
 「騙されるって何だよ!本当に向こうの好意だったらどうすんだよ」
 「そもそもウッサー化の原因はまだ解明されていないはず。いくら珍品だからとは言え、そのような眉唾物の話に乗るとはラッシュもお人好しですね」
 「た、単に興味があったからじゃいけねえのかよ」
 「いいえ、良くも悪くもラッシュらしいと思います。実際ウッサーは可愛らしいですからね」
 ばつの悪そうな顔をするラッシュに、トゥルースは優しく微笑みかけた。
 「……に、しても、ですよ」
 トゥルースは小さくため息をついた。
 「実際金目の物と交換してしまった以上、そう簡単に捨てられる物でもありませんしどうしましょうか」
 「ばっかお前、そう易々と捨てられるかってんだ」
 ラッシュは小瓶を大切そうに抱きかかえた。
 「ラッシュ、相手を訝しむ事は心苦しいとは思います。が仮に毒物だったらどうするつもりなんですか」
 「わざわざ戦場の前線まで出向いて武器を売り捌くような相手を殺して、その後どうするつもりだ?どうせ困るのは向こうだぜ。疑いたいのは分かるけど、オレはこれをくれた相手を信用したいんだ」
 「ラッシュがそこまで言うのでしたら……私も考えすぎなのかもしれません。ここはあなたの意見を尊重します」
 「そっか、ありがとなトゥルース。じゃあ」
 ラッシュは微笑み返すと、小瓶を体から少し離して右手で瓶の蓋を握った。
 少し掌に力を入れると、ぽん、と小気味のいい音を立てて蓋が抜ける。
 それを見て、トゥルースの手がすっと小瓶に伸びた。
 「まさかラッシュ、それでも飲むつもりなんですか!」
 「まさかって、飲む以外に何があるんだよ」
 ラッシュは白い歯を出して笑いかけると、トゥルースが声を掛ける間もなく小瓶の中身を一気に呷った。

 ――――
 静まり返る部屋の空気を動かしたのは、トゥルースのため息だった。いや、ほっとしたように胸を撫で下ろした彼の表情からして、これは安堵の嘆息なのだろう。
 「何ごともなくてよかったです。ラッシュ、おかしなところはありませんか?」
 「えっ、何もねえだって?! 確かにここに」
 あわてた様子でラッシュは頭に両手を伸ばしたが、そこにあるはずのウサギの耳はなく、彼はそのまま頭を抱えると座り込んで小さくうなった。
 「うー…… くっそー、あいつめよくも俺を騙しやがって」
 しかしそこにあるのはラッシュの商人としての後悔のようだった。
 「……いいんですよラッシュ。あなたが無事であればそれで」
 彼を励まそうと、トゥルースは心から言葉をかける。それに応えて顔を上げるラッシュの表情は、それでも不満が残っていた。
 「でもよー……」
 「確かにあなたにとっても、私にとっても損失であることに変わりはありません。本来なら責任を一貫してラッシュに負ってもらうところなのですが……」
 「うっ」
 トゥルースの真っ直ぐな視線と言葉とが、相次いでラッシュの良心を射抜いた。普段ならここで適当にはぐらかしているところなのだが、金銭が絡んでいる以上そうもいかない。
 思わず心臓を押さえ後ずさる。トゥルースが提示するだろう責任を取るつもりでいても、罪悪感からか視線は宙を泳いでいた。
 「ラッシュ」
 「……早く言ってくれよ、覚悟は決めたんだからな」
 「――お茶にしましょう。せっかく焼いたケーキの味が落ちてしまいます
 「やっぱこの匂いはケーキだったんだな!早く食べようぜ!おれ、ビッケバッケ呼んでくるからよ」
 蕾のように固く閉ざした量の目が開くと同時にラッシュの目に写ったものは、春の日差しのようなトゥルースの微笑みと優しいハチミツの香りだった。そうなればもうここに用はない、とばかりにラッシュは素早い方向転換で駆けだし、家のドアを飛び出した。
 その目もつかぬ身の変わりように、トゥルースは苦笑した。それでも普段通りのラッシュの後ろ姿に向ける目には、いつもの彼の優しさがあった。



 そんなトゥルースの平穏は、どうやらこれで終わりを迎えたらしかった。
 「ラッシュ、おはよ……」
 いつもどおりの挨拶をしようとした彼の眠気はそこで吹き飛んだ。
 カーテンを揺らす、春の暖かい風。それに揺れる、ラッシュのツンツンとした金髪。
 そしてその間からは、間違いなく二本の白く長い耳が伸びていた。
 「ラッシュ!」
 「んーん……」
 焦りをそのまま口に出してもラッシュはまだ夢の中にいるらしい。僅かに呻いただけでまたすぐ寝息を立て始めた。
 「のん気なのもここまでくると才能ですね、というより違和感はないのでしょうか?」
 当の本人が熟睡している以上、起こすことを諦めたトゥルースの次の興味は当然ラッシュの耳に向かっていた。
 「人の耳、はありますね。つまり今、ラッシュの耳は四つあることに……」
 髪を避けながら元の耳を確認する。こういう時に鈍いことに感謝するとは、と内心ラッシュに謝りながら、続いて手を頭頂部のウサギの耳に伸ばした。
 「あっ」
 挟むように耳を触って、トゥルースは驚きから声をあげるとさっとその手を引っ込める。そしてまたおずおずと手を伸ばし、感触を確かめるようにゆっくり手を滑らせた。
 「本物のウサギのような温かさですね……それにこの手触り。ずっと触っていたく、おっと」
 触られるのが嫌なのか、ウサギの耳はトゥルースの手を避けるようにピクピクと動いた。つまりこの耳はただの飾りではなく、今まさにラッシュの一部となっているらしい。
 トゥルースは何度かウサギと触れ合ったことがあり、その知識はしっかり頭に入っている。臆病で、判断力があり、甘えん坊。
 そんなおよそウサギとは正反対のラッシュの性格に、トゥルースはひとり苦笑を漏らした。しかしその笑顔も歪んだものに変わる。彼の脳裏に、ウサギの行動や性格がラッシュを乗っ取り豹変してしまう様子が浮かんだのだ。それはもはや人格の乗っ取りに等しい。
 「ラッシュ……!」
 「うーん……」
 肩を掴む手に思いをこめて、トゥルースはラッシュの肩をゆすった。しかしすぐにはっとして手を離してしまった。
 彼の考えていることは、あくまでも彼の中で考えうるラッシュに起こる最悪の事態であって、すぐにラッシュをたたき起こしたところでどうにかできる問題ではなかった。
 それに、こうして今もラッシュ本人は心地よさそうにすやすや眠っているではないか。
 何事も行きつく先を考えるのが性分とはいえ、先走りすぎたかなとトゥルースは頬をかくと再びラッシュの肩に手をかけた。
 今度は優しく、それでいて揺する手にはしっかり力を入れて。
 「ラッシュ、起きてください。朝ですよ」
 声をかけ、一瞬唾を飲む。これで飛び起きざまに手でも噛まれようなら、ラッシュは間違いなくウサギ化したといっていいだろう。
 見守るトゥルースを意識しているのかいないのか、ラッシュは面倒くさそうに身じろぎすると顔をトゥルースに向けた。今のところ、見た目の変化は耳だけのようだ。
 

 …………
 「……ラッシュ、早くしないとビッケバッケにおかわりの分も食べられてしまいますよ」
 秘密の伝言でもするかのように囁く。
 実際こうしている今も、キッチンでは今週の担当のビッケバッケが朝食を用意している。嗅覚を研ぎ澄ませれば、ベーコンの焼ける香りが漂ってくるのがわかった。
 そして明らかに寝坊をしたものには腹を十分に満たす資格がないことも、三人は自然と経験し理解しているのだった。
 「――?!」
 「あ、おはようございますラッシュ」
 「おい、そんなのんきしてていいのかよ、時間は?!」
 蹴り上げた掛け布団が勢いに負けて床に落ちていく。まさに身ひとつになったラッシュは、素早く起き上がると睨みつけるようにトゥルースの顔を捉えて口を開いた。
 寝起きが特に不機嫌なのはいつものラッシュだった。だが身の変化にすら気づく余裕もないほどに腹の具合を気にするあたりが、あまりにもいつも通りの光景でトゥルースはくすりと笑いをこぼしたのだった。
 「トゥルースお前、俺の反応を見て楽しんでたろ」
 「すみません。でもこうでもしないとラッシュは起きませんよね」
 「んなこたねえよ、俺だって……ん?」
 これもまたいつもの調子で問答をしていたラッシュが、今日だけは他に気になるものがあるのか言葉を切ると顔をトゥルースからそらした。
 「どうかしましたか?」
 「いや、すげえいい匂いがするからさ。気にならねえのか?」
 「ええ、まあ……」
 言葉を濁しながら、トゥルースは改めてラッシュの動きを注視した。彼はしきりに鼻をすんすんと動かし、そしてウサギの耳の片方はこちらを向いている。ドアを何枚も隔てたこの距離で、普段ならまず気づかない食べ物の匂い。それが今日に限ってラッシュにはわかっているという。もしかすると、細かいところで未知の薬はラッシュに変化をもたらしているのかもしれないとトゥルースはまた不安を覚えた。
 しかしラッシュ本人は自身の変化にまだ気づいていないらしい。両手を支えにしてベッドから跳ねるように下りると、気づきに目を輝かせて口を開いた。
 「もう飯作ってんのかビッケバッケ。あいつの作る飯は美味いからなー、腹がなるぜ!  なあ早く行こうぜ、早起きしたぶんいっぱい食わないとな!」
 「どういう理論なんですか……」
 トゥルースが苦笑いを浮かべつつそう口にし、腰を浮かせるよりも早くラッシュはドアに駆け寄り勢いよくノブをひねる。入ってくる空気に嗅ぐ必要もないくらい肉の匂いが含まれていて、彼らの口に自然と唾液が溢れた。
 それで喉を鳴らすころには、ラッシュの姿はすでに視界から消えていた。
 結局生まれた小さな不安がどれほどのものなのか、トゥルースにはさっぱりわからない。彼も倣ってベッドを降りると、現実を確かめるように一歩一歩と歩き出す。
 「おーい、早くしろよ!」
 「トゥルース、ねえ、これって」
 下から彼を呼ぶ二人の声。明らかにビッケバッケはラッシュの姿を見て慌てている様子が見てとれるようだった。
 「今行きますよ、ビッケバッケは少し落ち着いてください」
 それでも三人なら、きっとどうにかなるだろう。
 昔ならまず浮かばない考えに、トゥルースは小さく笑うと後ろ手でドアを閉じたのだった。

不思議な薬と兎耳
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TFっていっていいのかな?という半端極まりない兎化ネタでした。
それにしても内容が尻切れトンボだと思います。思いません? ……すみませんだらだら書き続けるのも何かと思い一応きりのいいところで終わらせることにしました。
むしろ続きのシチュエーションが書きたいという方はリンク記載の上ならぜひぜひという感じなのでどうぞどうぞ。
内容の話をするなら、ばんのうやくで大体治せる何気に医療の発達が物凄い進んだ世界なので、逆にこういう怪しい薬も裏で出回っててもおかしくないんじゃないかなーと思ってます。
ラシュトゥルは書いたの久々だと思いますが、終戦後火の立つところに飛び込んでいく命知らずな二代目戦場をかける商人コンビな二人がいてもいいよなーと思います。(私が見たいだけ)
170507



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