Novel / 甘いのはどっち?


「ぐふふー……」
「サラ、どうした?」
 多くの人が行きかう道の中央で、不意にサラマンダーは立ち止まった。
といっても長くしなやかな胴体に足はなく、それを覆う毛は体型を隠すには十分すぎる。周りの迷惑にならないよう定められている馬車道を極力通っても、靴で踏まれることは数知れず。
 経験からそわそわと周りに視線を送るビュウをよそに、サラマンダーは鼻をひくひくさせると流れるような動きで頬に擦りつけた。
「んっ? ふふ、よしよし」
「ぐふふー」
 ぐりぐり、すりすり。
 構うビュウと満足そうに喉を鳴らしながら擦り付けを続けるサラマンダー。だがさすがのドラゴンの力に、ぐりぐりと鼻先を擦り付けるたびにビュウの体は少しずつ後ろに押し出される。
 ぐりぐり、すりすり、するん。
「きゃふ?」
「わあ?!」
 その鼻先はあっという間にビュウの顔をすり抜けて、サラマンダーが気づいたときには見知らぬ子供の鼻先に触れていたのだった。

「大丈夫か? でも不用意にドラゴンに近づいちゃいけないよ」
「うん……ごめんなさい」
 ビュウの腰ほどの背丈の少年は、屈みつつ優しく言い聞かせるビュウに素直に謝った。それでもドラゴンへの未練はあるのだろう、ちらちらと目を動かす彼の頬をサラマンダーはぺろりと舐めた。
「えへへ。 ねえお兄さん、この子を撫でてもいい?」
「まったく……。こうして優しくな。ええと、君のご両親は」
 先だってサラマンダーの鼻筋を撫でながら、ビュウは背後に控えているはずの少年の親を探した。もしかしたら買い物に夢中になっているのかもしれないという予感がよぎったそのとき、暖かな感触とともに少年はビュウを見上げて口を尖らせた。
「こう見えても十歳だもん、一人で買い物くらいするよ!」
「ああそうか、ごめんごめん。何を買いに来たのかな?」
 抗議をするように掴まれた指ごと手を下に下ろして、ビュウは小さくほほ笑んだ。少年は仕方なしに手を離したかと思うと、目を丸くすると周囲に目をやり二度ビュウの顔を見る。
「何って……お兄さんも買い物にきたんでしょ? 明日はバレンタインだもん!」
「バレンタイン……なるほど」
 そこまで言われて、ビュウは初めて通りを漂う甘い匂いの正体に気づいた。見渡せば一帯に並んでいるのは甘いお菓子やきれいな花々たちだ。歩く人々も幸せそうに微笑み幸せを振りまいている。
「きゃふー」
「ほら、この子もお菓子が欲しいんだよ! 何あげるの?」
「うーん、どうしようかな。ほら、君の買い物は済んだのか?」
「あっ、まだだった。またね!」
「きゃう!」
 ビュウに促されて、少年はあっという間に群集の中に消えていった。小さく手を振り見送る横で、サラマンダーは尻尾を振りながらもごもごと口を動かし続けている。
「そういうことだったか。気づかなくてごめんな」
「くふふふ……」
「でもお菓子は買っていかないからな、少しで満足するとは思えないし」
「ぎゃふ?!」
 撫でているビュウの手を弾き飛ばさんばかりの勢いでサラマンダーは顔をあげた。口に溜まっていた涎が飛び散る中、これも想定済みとばかりにビュウは先を歩き出す。
「くふー……くふふ……」
 どれだけ甘えた声を出して訴えても、決してビュウは振り向かない。その意思の硬さを試すように、サラマンダーは彼のマフラーを口に咥えてゆっくり進み始める。力が逆転したかのように見える二人の奇妙な行軍は、家にたどり着くまで続いたのだった。

***

 この季節には珍しい暖かな風は春を感じさせる。喜びに頬は緩んでも、口から出たため息はビュウの心情を如実に表していた。
「はあ、どうしたものかな」
 そうして再び、ため息一つ。その原因は目の前にいた。
 ビュウの住む家は、どちらかといえば広い庭に掘っ立て小屋が建っているように見える。それもすべてはサラマンダーのためではあった。庭の中心で丸くなって日を浴びているその姿はリラックスしているように見える。だが実際は頭をお腹にしまい込んだまま、ビュウの語り掛けにまったく耳を貸そうとしなかった。
「こんなにはっきり拗ねられても……」
「ぐふー」
 窓から離れると同時にこぼした悩みにあてつけたいのかサラマンダーの喉が低く鳴った。ドラゴンの身体能力は人間をはるかに上回る。体を張った彼女の主張に、ビュウは僅かに苦笑して窓を閉めたのだった。

 行ってくるよ、と声をかけても彼女の返事は鼻息ひとつ。苦笑とともに門戸を抜け、いつも賑やかな大通りを抜け、ビュウは久々にカーナ城の大門を一人でくぐった。
 その足で迷わず調理場へ行きメイドに声をかけ、驚く彼女らの協力を経てビュウもキッチンに立つことを許されたのだった。
「自分で頼んでおいてなんだけど、こんなどさくさに紛れて疑われないかな」
「だーいじょうぶですよビュウさん! すこーし分けてもらえれば!」
「こらベシー! サボるんじゃないよ!」
「はあい! ……じゃあ、頑張ってくださいね」
「ああ」
 香ばしい香りのする調理場は、男女の入り混じる昔から変わらない戦場だった。ここで城で働く者の胃袋を満たす、主食であるパンが焼かれているのだ。
 その隅を借りることに成功したビュウは、お零れを期待する女性のウインクに笑顔で返事すると改めて調理台に向き直ったのだった。
「自分で作るなんていつぶりかな」
 頭を掻こうとして巻かれた三角巾に触れた指先を、苦笑とともにしばらく眺める。子供のころまで遡った記憶を払うように目を閉じ頭を振ると、開けた視界にサラマンダーの輝く瞳を見た気がした。
「――よし、頑張ってみるか」
 その一言は自分で新たな戦いの火ぶたを切ったことになる。ビュウは傍らにある一抱えもある小麦粉の袋に目を落とすと、開封すべくナイフを手に取ったのだった。


「サラ、帰ったよ」
 錆びた門戸を開くと同時に吹き付ける冷たい風が、まだ春は先だと告げているように思えた。
 声はむなしく庭に響き、橙色に染まった太陽の光が彼女がいた場所を照らしていた。そこだけ丸く凹んだ芝を撫で、小さく笑うとビュウはその足で馬房へ向かった。
「サラマンダー?」
 開け放たれた扉から顔を覗かせて声をかけても、サラマンダーの返事はない。といっても仕切りをすべて取り除いて障害になるものがない以上、見つかるのは時間の問題だ。
「――ぐふふ」
「やっぱりここか。 ……あーあ、こんなに藁をかぶって。隠れたつもりか?」
 もそもそ、ごそり。
 小屋の端、不自然に盛り上がった藁が動いたかと思うとのそりとサラマンダーの顔が覗いた。伺うようなじっとりとした目だけがランプに反射して輝いている。
「だいぶ帰りが遅くなってな。長いこと一人にさせてごめんな」
謝りながらサラマンダーに近づくビュウに、彼女の返事はぶふー、と鳴る鼻息だけだった。だがそれも次第に正体を探ろうとする息づかいに変わる。サラマンダーの前では何を隠そうとしても無駄なのだ。
「――だから楽だろ、って言われると違うんだけどな」
「きゃう?」
「ひとりごとだよ、っと」
 首をかしげるサラマンダーに苦笑しながら、ビュウは背負った袋を潰さないように注意を払いつつ彼女の顔の隣に腰を下ろした。
「ぐるるるる……」
「いい匂いだろ。焼きたてだぞ、食べるか?」
「きゃふふ!」
 お腹か喉か、もはや判別できない音が空気を震わせる。食べていいとわかった途端、サラマンダーの首が大量の藁を割って飛び出した。
「わっ! ははは、そんなに焦らなくてもたくさんあるからな。ほら」
「きゃあふう!」
 にょきりと出た顔はまず真っ先に匂いの元である小麦袋に向かったが、そこにビュウの手が入るとそれに操られるように動いた。手に軽く握られた、シンプルな丸形のクッキーを補足するとすかさず舌を伸ばしてぺろりと拾い上げてしまった。
「うー……ぐふふ……きゃふふ!」
「はいはい、次だな。美味しいか?」
「ぐふー、うふー」
 もはや声なのかよだれなのか分からないくらい、サラマンダーは興奮した様子でおかわりを要求する。ちぎれんばかりに振られた尻尾に体をくすぐられながら、ビュウはほっと安堵の息をついた。
「そうか、良かった。これでもいろんな人に毒味してもらったんだからな」
「きゃう?!」
「大丈夫、なにも入ってないから。強いて言うなら――」
 今度は少し多めに握ってサラマンダーに差し出す。その欠片のひとつも取りこぼしたくないのか、手を開いた瞬間から彼女の舌が撫でるようにビュウの手指を滑っていく。
 二度三度とクッキーをあげて、ビュウはふにゃりと表情を崩した。サラマンダーの澄んだ緑色の目をしばらく見つめた後、誤魔化すように笑ったのだった。
「いいや、なんでもない。 ほら今日はこれで終わりだ」
「ぎゃふ! ぎゃうー!」
「終わりだ、終わり。甘やかしすぎるのはやめるって決めたんだからな」
 袋の口を握り、ビュウは立ち上がる。抗議の声を上げながら、サラマンダーはクッキーでざらざらした舌で彼の顔を舐めた。その甘い匂いと執拗なまでのねっとりとした感触に、ビュウはしばらくその場を離れられずにいたのだった。
甘いのはどっち?
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ビュウサラバレンタイン2021。
のろのろ書いてたらずれてしまった……。愛だけは詰めた。つもり。
思いっきり私用でカーナ城のキッチンを使えるのは特権乱用でしかない。
けどその場にいたひとたちにとっては少し早いバレンタインだったんだろうな~いいな~!!
2021/02/17



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