Novel / 頭を冷やせば


 「ふわあ……」
 いつもどおりの、穏やか過ぎる朝。
 これが普通だと思えるようになるとは、自分もすっかりこの暮らしに慣れたものだ。
 目覚めてまず思い浮かんだ思いに、男の唇は自然と釣りあがっていた。
 遠くから聞こえてくるエンジンの音を聞きながら、男は大きく伸びをする。
 「うーん……おっ、今日も爽やかな一日だねえ」
 ふわりと窓から吹いてくる風に、男は寝癖のついた髪をかきあげてつぶやく。だがそれに答える人はいない。それもそのはず、ベッドがいくつも置かれた部屋にも関わらずそこにいるのは彼一人なのだから。

 朝。大所帯の部屋にひとり。
 ここが彼一人のものでないことは彼が一番知っている。
 つまりは寝坊をしているわけだが、不思議と彼に焦りはなかった。
 「こんな素敵な一日の始まりを朝礼で迎えるなんて、んんー、無駄でしかないよね」
 芝居がかった口調で一気にそう言うと、それでも起き上がろうとはせずにごろりと横になった。
 「ぼくが出て行かずとも物事は進むんだ。いやー、らくちんらくちん。ジャンヌかルキアが起こしてくれるまで、二度寝を堪能しようかな」
 「…………」
 言い終わるより早く彼はそっと目を閉じていた。穏やかな風の音、心地よい風に誘われて、意識せずとも睡魔は彼の元へとやってくる。

***

 バーン!
 「……なんだ?」
 全力で開けられたであろうドアの音に、目を覚ました彼は不機嫌を隠そうとしなかった。おかげで二度寝は妨害されて、その上ベッドとしばらくの別れを告げなければならないからだ。
 ジャンヌやルキアなら、呆れつつもあくまでも優しく起こしてくれるはずだ。ところが彼の耳に聞こえてきたのは、重装兵特有の鎧がぶつかる音だ。それも足音は複数あった。
 「ああ……」
 朝からむさ苦しい男たちに起こされて一日憂鬱な気分で過ごすくらいなら、いっそのこと自分から起きてやろう。
 嘆きに近い息をついて、彼がぼやける目元を擦りつつ身を起こそうとしたその瞬間。
 「逃げるぞ、捕まえろ!」
 「おう!」
 「え?」
 号令と共に、複数の足音はあっという間に彼を囲い込んだ。そして間抜けな声をひとつ残して、彼の身に起こったことを確かめるより早く彼の視界は再び暗闇に覆われたのだった。

***

 「何をする誘拐犯ども!このドーンファンに手をだしてどうなるかわかってるのか?!」
 「なんじゃと!」
 「ひっ」
 頭上から響く老兵の怒声に、ドンファンのわずかな勇気はろうそくの火のように吹き飛んだ。

 彼、ドンファンはおそらくどこかへ運ばれていた。その姿はとても間抜けで、周囲が把握できない恐怖よりも自身の姿を見ることができない方がましだろうと思えるほどだった。
 今彼は頭と両手両足、そして胴体を人の手で抱えられた状態で宙に浮いていた。突然手放されるのではという恐怖はあったが、周囲の人間の陽気すぎる声が少しだけ彼の不安を軽くしていた。
 「簡単だったね、アニキ!」
 「突然何を言い出すかと思ったけどな、オレは」
 「すみません、こればかりは私にも思うところがあったので……」
 ドンファンの周りで喋くっているのは、どうやらビュウの舎弟である三人のようだった。目をタオルで塞がれ、それが落ちないようにわざわざ包帯でぐるりと頭に巻かれている。おかげで若干声がくぐもって聞こえるが、何とか判別ができるおかげで余計にドンファンはその声にすがるしかなくなっていた。
 「君、君はトゥルースだね? 教えてくれ、ぼくはどこへ連れていかれるんだい?!」
 「そ、それは」
 「トゥルース?」
 「……すみません」
 しかし一抹の望みは、いたずらじみたビュウの声によって阻まれた。きっと彼が事を仕込んだ張本人に違いない。舎弟の三人にとって、ビュウが絶対だということは係わりの薄いドンファンにも分かっていた。
 「なあに、気に病むことはない。事が済めば、こいつも頭を冷やすじゃろ!」
 「にしても、これを復活させるとは思わなかったな」
 「オレなんて何度投げ込まれたか覚えてねーもんな!」
 ははは、と明るい笑いがドンファンの周囲で起こる。そして彼の悪い予感は、確実に芽を出しすくすくと成長していた。
 ――投げ込まれる?!
 ビュウたちはカーナの出身で、元々軍属の人間だ。だからこそ手荒い教育をされていたとしても問題はないだろう。
 だがここは空の上で、気軽に人を投げたらどうなるかくらいは理解しているはずだ。
 「ま、ま、待ってくれ。ようはアレアレ、このドンファンを投げ込もうというんだね? それはどこかな、いやどこでもいいんだ。その前に止めてくれるよう交渉する気はないかい?」
 「よく喋る口じゃなあ」
 「その焦りを忘れるなよ。トゥルース、ドアを開けてくれ」
 「はい」
 自分でも良く回る口だとは思う。だが今は命が掛かっている以上、とにかく喋って相手の思考を止めてしまおうと考えたのだ。
 しかし多勢に無勢、冷たくあしらわれた後で、自分の体はどうやらドアを跨いだらしかった。かすかに匂う水のにおいが、ドンファンにここは外だと知覚させていた。

 「や、やめてくれないか。外に放り出すなら受け入れるから空だけは、空だけは」
 「そこまで人の命を軽く考えたことはないさ。まあいい、いくぞ」
 「これを機会に、きっちり反省するんじゃな!」
 「やめてくれええ」
 大の大人が出すにはあまりにも情けない声をファーレンハイト中に響かせながら、ドンファンの体は水を張ったバスタブの中に落ちていくのだった。

頭を冷やせば
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頭を冷やす(物理)
7/27が「お寝坊さんの日」*リンク先Wikipedia だということを初めて知った衝撃からがーっと書いてみました。ドンファンって何事もルーズな性格のような気がしてならない。でもいいところはきっちり持っていく。憎みきれないいいキャラだなーと思ってます(勝手に)

170727付



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