Novel / 螺旋の先は

 5月20日、晴天。
 ファーレンハイトは、マハール近くに停留している。
 ラッシュはビュウの言いつけどおり、朝からドラゴンの清掃に精を出していた。
 今日も太陽が眩しい。髪をなびかせる程度の優しい風が、肌に心地よい。
 毎日綺麗にしてあげられればいいけど、とはビュウの談だが、確かに近づくとドラゴンはさまざまな匂いがする。獣の匂い、鉄の匂い、血の匂い。
 少なくともいい香り、だとは言いかねない。けれどこれが戦の結果なのだとすれば、当然なのだろう。ラッシュは手短にいたサンダーホークを呼び寄せると、シャワーで身体を濡らしブラシでゴシゴシと洗い始める。サンダーホークも気持ちが良いのか、喉を鳴らしている。
 それを遠くから見ている存在、それがディアナ。
 ラッシュは一心にドラゴンを洗いながら、シャワーの雫を拭うような仕草を時たまとっている。
 いつも仕方のない事で口論しているように見える二人だが、意外とその場で突発的に小競り合いが起こっているだけで、日ごろから係わり合いがあるのかと言えば否なのだ。
 「なのに、なーんで見てるんだろ、私」
 ディアナの呟きは風に乗って消えてしまう。今、その問いに答えられるものはいないだろう。
 そう、今は。


 5月21日、晴れ。
 今日もファーレンハイトはマハール近くに停留している。
 何やら昨日遅くから、攻略作戦を立てているらしく艦長室は立ち入り禁止になっている。
 が、一般戦闘員である自分たちにはあまり関係のないこと。
 与えられた指示に従い、与えられた任務をこなす事。それが今、自分に出来ることだから。
 だからこそ、今はつかの間の平和を楽しむのだ。
 「ねぇねぇルキア、マハールってどんな場所?遊べるところとかあるのかな?」
 「そうねぇ、綺麗な湖あたりなら遊べるんじゃないかしら、水着なんて持って」
 「そうかー、水が綺麗だから泳いだりできるんだよねー、楽しみだなぁ!」
 …戦争が終わったら。
その一言が頭に浮かんで、ディアナの楽しそうな表情が一転して曇る。
 ルキアもディアナの言いたいことが分かったのか、一瞬黙り込む。
 今は戦争中だ。それもグランベロスという帝国を相手にしているのだ。
 「でも、マハールを開放したらすぐにグランベロスが取り返しに来るとは思わないのよ」
 ルキアがにこりと微笑む。ディアナは良く分かってはいなかったようで、首を傾げる。
 「マハールは一度は帝国に制圧されたとはいえ、開放すれば反乱軍を支持する仲間たちがたくさんいるはず。ちょっとやそっとじゃやられたりしないわ。」
 ディアナはマハール開放の希望と、その後の夢を抱いて瞳を輝かせた。
 その希望を阻むかのように、突如として館内にけたたましい音が響き渡る。
 これが鳴るのは非常時、緊急時のみだ。いったい何があったのか、分からないまま二人が狼狽していると、扉が乱暴に開けられ、何者かが息を切らしながら駆け込んできた。
 「みんな、出撃だ!帝国のドラゴン部隊が先手を打ってきやがった!」
 ラッシュだった。すでに鎧を身につけ、帯剣をし、いつでも飛び出して行けそうな様子だった。
 「分かったわ。みんな、出撃よ!」
 ルキアが叫ぶと、周囲は色めき始める。ディアナがラッシュに「ありがとね」と声をかけると、
 「当たり前だろ、非常事態なんだから」と素っ気のない返事が返ってきた。
 そう、これからは命を賭けた戦なのだ。余計な感情や気の迷いは油断を呼ぶ。
 それでも。今のこの感情を表すとすれば、これは途惑いであった。



 「…アナ、ディアナ!しっかりして頂戴!」
 突然、ゾラから頬に軽く叩かれて、ディアナは始めて事の状況を把握した。
 舞台はファーレンハイト甲板。突然、マハール駐留のドラゴン部隊が来襲してきたという話だった。
 敵のドラゴン達はしっかり調教されているのか、乗り手がいなくとも統率された動きを取っていた。
 そう、体力の少ない部隊を積極的に狙ってきているのであった。
 そのためにも、前衛だけでなく後衛もしっかりせねばならないのではあるが、
 ――冒頭の通り、ディアナがこの調子である。思わずゾラはため息をついた。
 「あんた、さっきからずっとボーっとしてるけど、大丈夫かい?これからが肝心だっていうのに」
 若干憤慨しているようである。当たり前と言えば当たり前か。ディアナはこくりと頷いた。
 「ごめんね、これからは気をつけるから」
 そう言ったものの、あまり自信はなかった。見ていられなかったのか、フレデリカからも声がかかる。
 しかしそれも大丈夫だと言い切って、前線を手当てするために動き始めた。
 その前線といえば、上手く甲板中央におびき寄せたボスと戦闘中であった。竜のブレス、それに金属の残響。それらを聞きながら、傷ついた仲間たちを適宜回復する。それらが仕事。であるがゆえに、出来ない事もある。それはつまり、「直接戦う」事であった。
 「みんな、後ろ!」
 誰が叫んだか、ディアナたちが振り向いたときには既に手遅れとしかいいようがなかった。
 ボスの取り巻きが、こちらを狙って回り込んできていたのだ。
 狙うは、無論部隊の要である回復要員である。ギラリと光る目。鋭い鍵爪。それらを確認して、すぐに構えるがディアナに向かって、それは振り下ろされた。あまりにも一瞬の出来事であった。
 「ビュウ、助けて、ディアナが!」
 「分かったすぐ行く!ディアナしっかりしろ!・・・」
 周囲はざわついていたが、よく聞き取れない。誰かの叫ぶ声が聞こえる。誰かの悲鳴が聞こえる。
 生暖かいものが身体から流れ出ているのを感じる。これは血なのだろうか?と薄ぼんやり頭に浮かぶ。
 どくどく、と自分の心音を感じとりながらディアナの意識はふつりと途絶えた。


 5月22日、深夜。
 ディアナは薄ぼんやりと目を開けた。
 しばらくぼんやり考えてから、ここがいつもの部屋であることを思い出した。
 「ディアナ!大丈夫かい?!」
 ディアナが起きたことに気づいたのか、ゾラが開口一番そう言った。
 「傷口が塞がってるのになかなか起きないから、皆心配してたんだよ?」
 そう言ってふるふる首を振るフレデリカ。若干震えているのはいつもの事だろう。
 「私、どれくらいここに寝てたの・・・?」
 ディアナはハッキリした口調で問う。それを聞いて安心したのか、枕近くに立っていたルキアが答える。
 「どれくらいって言えば、5,6時間って所じゃないかな。どこかおかしい所はない?」
 「全然平気みたい。ほら、身体だってぴんぴんしてるし!」
 ディアナは上半身を起こすと思いっきり伸びをしてみた。寝起きのように心地よいものだった。
 周囲を見ると、部屋にいるほぼ全ての人間が自分のことを取り囲むように覗き込んでいた。若干恥ずかしい。
 「そういえば、結局あれからどうなったの?私、全然覚えてないものだから」
 するとアナスタシアが、頭をひょこりと覗かせて明朗にディアナの質問に答える。
 「あれから凄かったんだよー、ビュウたちがあっという間にあいつらをやっつけちゃって。見せてあげたかったー!
 あ、後ね後ね、ここまでディアナを運んだの、誰だと思う?」
 思ってもない質問。ディアナは小首を傾げる。
 「それがね、『気づかなかった俺の責任だ』とか何とか言っちゃって、ラッシュが運んできたんだよー!しかもここは男子禁制だって言ったら、律儀に外で待ってるとか言ってるの。運ぶくらいうすのろヘビーアーマーにやらせればよかったのにね!」
 そう言ってアナスタシアはにこりと微笑む。こちらの反応を楽しんでいるかのようにも見える。
 「だから、ラッシュならまだ外にいるんじゃないかな?」
促すように、ドアの外を指差す。
 「ちょっと、お礼言ってくる!」
 ディアナは促されるまま、ベッドから抜け出すと部屋の外へと小走りで向かった。


 「…ラッシュ。」
 いた。本当にいた。ドアを開けると、その脇に胡坐をかいて座っているラッシュの姿があった。
 「…おう」
 ややあっての反応。どう返答を返していいのか、困っているようだった。その姿のまま話を続ける。
 「無事だったのか。なんでもないみたいだからよかった。ヨヨ様は、ただの過労だって言ってたけど」
 ディアナのほうを初めて見やる。心配そうな表情がありありと浮かんでいた。
 「あの時、ちゃんと俺たちが見てれば起こるはずのない事だった。…ごめんな」
 ディアナは思わずラッシュの額を人差し指で軽くつついた。不意をつかれたラッシュは間抜けな顔をしている。
 「なーに言ってるのよ!ただの過労だって言われればそれに決まってるでしょ!それに、」
 そこまで言って、ディアナは言い淀む。ラッシュは話の先を促すように、彼女に視線を送る。
 ディアナはといえば、まだ何か言いたげだが、どこかもじもじしている。我慢できなくなったラッシュが、思わず口を出した。
 「俺がそんなに悪くないって言いたいんだろうけどな、俺はナイトだ。守るのが仕事だ。それが出来ないんじゃ、ナイト失格なんだ。だから、今回の件に関しては責任があると思ってるし、謝りたいとも思ってる。…分かってもらえるか?」
 こくこくと頷くディアナ。ふと、自分が言いたい事を言う前に上手くラッシュに話を纏められていることに気づく。
 「言いたいことは分かったわ。思ってることも分かった。でも、でも…わざわざ運んで来なくてもよかったじゃない!」
 ラッシュは思ってもいない話にぽかんとする。ディアナの話は止まらない。
 「軍の中ではね、噂はすぐに広がるんだからね!今回の事だってきっと…!」
 「ご丁寧に抱っこされて運ばれてました、ってのがディアナみたいなのに噂にされると嫌だ、ってのか?」
 「だ・・・抱っこ・・・?!」
 ラッシュの思わぬ話にディアナはさっと赤面する。ラッシュは完全にディアナをからかう気でいるようだった。
 「そうだぜ、抱っこして運んだんだよ。そしたら男子禁制だなんていうからベッドにお前を置いて戻ってきたんだ。要するにそこにいた女全員に見られてた、ってことで…」
 「ばっ、バカバカ、見られてたくらいで何だって言うのよ!それくらいで噂になるくらいだったら、自分で適当に噂を作って広めちゃうわよ!」
 両手を目の前でバタバタとさせて焦るディアナに、さらに追撃をかけるラッシュ。
 「だったら、その噂大好きなディアナの噂を、俺が広めてやってもいいんだぜー?」
 思わずディアナはその言葉にむっとして、ラッシュに手を上げてはみるものの。
 ものの見事に、その手はラッシュの頭上で受け止められた。ラッシュは飄々とした表情で続ける。
 「ごめんごめん、怒らせるつもりはなかったんだ。噂を広げるってのはしないから安心してくれ。何にせよ元気そうでよかった。それじゃ、またな」
 ディアナの手を離すと、そのまま彼女の頭をくしゃくしゃ、と撫でて立ち去る。
 その場に取り残されたディアナは一人ごちる。
「少しくらいなら、噂になったって…」


 くるくる、くるくる、螺旋のように。
 彼女の視線のその先は、今日も彼の後ろを追いかけている。

螺旋の先は
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ラシュディアへの3つの恋のお題:から いつまでも交わらない、ねじれの関係のように/でした。螺旋螺旋。ぐるぐるー。
まだ芽生える前の二人って感じでしょうか。追って、それでも届かなくて。そんな関係。若いねー。
よく考えたらねじれる所までいってなくね?ラッシュが視線に気づいてる様子もないしorzでもそんな二人が大好きです。 0630



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