Novel / 「なんでもやってみることが大切だぜ? 」


「あーあ、また飛び降りやがった」
伸ばした右腕は届かず、ホーネットの視界に残されたのは黄色いスカーフの色だけだった。
掴み損ねた長い指を何度か空を掻くと、彼はため息とともに腕を下ろした。

ファーレンハイトでビュウと出会って早数ヶ月。
立場で苦労しているだけあって恐ろしくすんなりと意気投合した二人は、暇を持て余す代わりになにかと意見を交わすようになっていた。

「大概にしろと言ったのに……。ドアじゃあないし、何より怪我でもしたらどうするつもりなんだ?」
もちろん許可した俺の立場が、と胸中で追加して、ホーネットの視線は背後へと向けられた。
「あんたからも言ってくれないか、船長さんよ。ビュウとは長いんだろ?」
「えっ? ええと……、難しいと思う」
シワの中に埋もれそうな紫の目が一瞬驚きに見開かれる。前で合わせた手をもじもじさせると、老人は長く伸びたヒゲをくしゃりとさせて苦笑したのだった。

「昔からああいう子だったから、口をすっぱくして注意を続けるか、逆にきっぱりやめるかするしかないと思うよ。ああ見て人の視線は気にしてるんだから」
数々の思い出があるのだろう、一人でくすりと笑ったかと思うと、納得したように頷くホーネットの視線に途端にもじもじし始めた。
「参考になった……だからそのくねくねするのをやめてくれ」
「あっ、ごめん。ついワシしか知らないとこをウダウダ話しちゃって。押し付けジジイは嫌だよね……」
「はあ……。いいや、ビュウの扱い方に困ってたから助かった。また何かあったら聞いてもいいか?」
元々自信がないのか、センダックは何かと人に謝る癖があった。だが頼りにされることを邪険にする人はそういないだろう。ホーネットの穏やかな物言いに、老人の目は喜びに見開かれたのだった。
「いいの……? なんてワシが言い出すのはおかしいね。大体あそこにいるから、入り用だったら声をかけてね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
そう話を結ぶと、センダックはおぼつかない足取りで艦長室へと帰っていく。彼の言う通りなら、ここで会話を交わすだけでも気分転換にはなったはずだ。なんだか良いことをした気になったホーネットが背中を見送るうちに、その興味はセンダックから風向きの変わった方向から流れてくる臭いへと向けられていた。

「戻ったぞ」
「あのなあ…… 少しは俺に遠慮したらどうだ?」
何食わぬ顔をして、それでも表情は満足そうな笑みを浮かべながらビュウはホーネットの前で立ち止まった。と同時に彼のトレードマークである黄色いスカーフが、なんとも言えない臭いを振りまきながらぺとりと腕に張り付く。
「これか? いい加減に慣れないかな、そんな露骨に嫌な顔をするのはホーネットだけだぞ」
「医者がいなくて良かったな……」
もうビュウを前に遠慮する必要はないと見るや、ホーネットは軽く鼻をつまんで眉間に皺を寄せた。ついでに数歩後ずさりすると、その足はいとも簡単に階段に乗り上げた。
その先はビュウが飛び降りた見張り台だ。そんな使い方をするのは今のところ彼しかおらず、自身もそうするつもりは全くない。
にもかかわらず、ビュウが一歩、また一歩と近寄るたびにホーネットの足は後ずさる。ついに澄んだ風が足下を撫でたところで、ホーネットは降参とばかりに小さく両手を挙げた。

「勘弁してくれ、苦手なものは苦手なんだ。それに俺はここから飛び降りる理由はないからな」
「なんでもやってみることが大事だ、そうだろ? それが近道かもしれないしな」
「……間違いなく俺にとっての地獄への近道だな、それは」
明らかに見張り台の外を指さしてビュウは笑う。だが冗談交じりに言ったホーネットの言葉に僅かに眉を動かすと、やれやれと言いたげに退き始めた。
「……わかった、今回は俺の負けだ。また次の手を考えておかないとな」
「お手柔らかに頼むよ、隊長殿」
ホーネットに倣ってビュウも両手を挙げながら負け惜しみとも次の楽しみとも取れる話を口にする。どちらにしてもしばらく話は尽きそうになさそうだという気持ちで返事をするホーネットの言葉を、ビュウは真っ直ぐ笑顔で受け止めていたのだった。
「なんでもやってみることが大切だぜ? 」
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ビュウとホーネットとセンダック。ワンライ自主練扱いです。
出会って僅かな頃のふたり。「ホーネットがセンダックを尊敬している」という記述を見たのでどういうことだと思いながら書いてみました。
口ではイヤイヤ言っていても、時期がきたら自分から飛び降りるようになるんだから時間の流れって面白いですね~!
2021/07/21



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