Novel / 明るい未来へ

 ふいに、ジャコウの香りがした。
 フレデリカはつと歩みを止める。
 ここは聖カーナ王国の城下町。長き戦争の後、約束された平和。
 少し前まで、争いに怯えていたとは考えられないほど活気のある城下町。
 その軒を並べる店先に、並べられた大小さまざまな瓶の前で。
 「ビュウ・・・」
 懐かしいその香り。
 常に側にあったはずの、それに思わず反応せずにはいられなかった。

 「そこのお嬢さん、何かお探しかい?」
 突然立ち止まったフレデリカに、女店主が声をかける。
 フレデリカは首を一巡させた後、はたと女店主を見た。
 「あ、あの、すみません、何でもないんです、ごめんなさい。」
 言うとぺこり、と会釈してその場を足早に立ち去る。
 買い物をしていただけのはずなのに、と思わず溜息が零れた。

 街の中心からやや離れた場所に、その店はあった。
 「フレデリカ薬局店」
 簡素な木製の扉を押すと、カランカラン、と来客を知らせる鐘が鳴る。
 「お帰りー!今日は少し帰り遅かったじゃない、大丈夫?」
 店番をしていた女性が心配だ、と言いたげに声をかけた。
 ファーレンハイトに乗っていた頃から薬の手放せないフレデリカにとって、買い物ひとつでもそれなりの重労働ではあるのだ。
 「ただいまアビィ、ごめんね、少し寄り道しちゃって」
 カウンターに荷物を置くと、フレデリカは苦笑いをしてみせた。
 アビィ、と呼ばれた女性はほっと胸を撫で下ろす。
 「それならいいんだ、この間みたいな事になったら大変だからね」
 この間、というのはつい2週間前ほど前に遡る。
 いつもの通りに使いに出たフレデリカが、発作で倒れたのだ。
 何かと事が起こる度に、彼女に世話になっているフレデリカにとって頭の上がらない相手になりつつあった。
 「それにしても寄り道なんて珍しいね、何かあったのかい?」
 「ん…ええ、懐かしい香りがしたものだからつい」
 フレデリカは先ほどの香りを思い出す。また溜息が零れた。
 アビィは溜息の行方を気にしつつ、憶測を口にする。
 「懐かしい香りっていうのは、救世軍にいた頃のかい」
 フレデリカはこくりと頷いた。


 今から遡ること数年。
 オレルスの空を開放したオレルス救世軍は、カーナの民の熱烈な祝福を受けて帰還した。
 それからは、各々の目的のために各ラグーンに散り散りとなり、救世軍は解散した。
 そしてフレデリカといえば、夢であった薬局を開くためカーナに残り、解散した際に配布された軍資金を元に小さな薬局を営むようになった。
 店主自らが薬に頼る生活をしている事を仲間たちには散々心配されたものだが、
 「これが私の夢だったから」と店員を雇って奮闘することにした。
 その結果、何とか軌道に乗るようになって忙しくも平穏な毎日を過ごしていたけれど。
 夢を語った、あの人は来ない。

「この戦争が終わったら、いっしょに薬屋はじめませんか?」

 その時は、ビュウはいつもの通り朗らかな笑顔で「ああ、そうだな」と返答したものだけれど。
 救世軍が解散した後、ビュウの消息を知るものは不思議と誰一人としていないのである。
 サラマンダーも同時に姿を消していたため、多くのものはいつもの通りに愛してやまない空を巡っているのではないかとの意見が多数だった。
 今はどこの空の下にいるのやら。
 想いを巡らせれば巡らせるほど、出てくるのはため息ばかり。
 あまり思いに耽っていても、回答など出てくるはずなどないのだから今出来ることを頑張るしかない。
 でないとまた、皆に心配をかける。
 「アビィ、まだ店番を任せていても大丈夫?わたしは裏で整理してくるから」
 「任せて頂戴、何かあったら言ってね」
 胸を張るアビィに微笑みかけると、フレデリカは買い物袋を持って表に出た。

 空は綺麗な茜色。家路へ帰る人々。小鳥たちが巣とする森へ羽ばたいてゆく。
 その中にあって一際目立つ、空飛ぶものの形がひとつ。ドラゴンしかいない。
 明日の市場に備えての仕入れか何かかしら、と思いながら扉を後ろ手で閉める。
 するとその形はどんどん姿を捉えられる大きさになる。こんな市街の真ん中に着陸しようなど、人の安全を考えると考えられる筈もない。そして、一声。
 市街を行く人々は空を見上げるとわらわらと散ってゆく。そしてその只中に残された自分。
 その一声は、とても聞き覚えのある声。懐かしい声。間違えようがないその一言に、思わず空を見上げる。
 晴れ渡る空の光に不意に目を細めるが、それどころではない。真紅の、見慣れた身体に声を上げずにいられない。

 「サラマンダー!」
 駆け寄りつつ、精一杯叫ぶ。頭の中には、今は何も思い浮かばない。ただ嬉しい、それだけで。
 その竜、サラマンダーは騎乗主の華麗な手綱捌きでフレデリカの前へ舞い降りた。
 そして降りてくる、人影がひとつ。
 ろくに確認もせず、フレデリカはその人物に飛びついた。確認なんていらない、そこには彼の香りがあるのだから。
 飛びつかれた相手は、といえば多少驚きながらも飛びついてきた相手の頭をくしゃり、と撫でた。
 「待たせてごめん。随分時間が掛かってしまって。」
 済まなさそうに声をかける相手の顔を見上げる。精悍な顔立ち。少し疲れたビュウの顔が、そこにはあった。
 「約束を忘れた訳じゃなかったんだ。ただその準備に時間が…」
 ビュウの言葉を遮るように、サラマンダーが一声鳴いた。
 そちらを見やると、鞍の後ろにどっさりと積まれた袋の山があった。
 サラマンダーは早くこれを降ろしてくれ、とばかりにもう一声小さく鳴いた。
 フレデリカは、もう一度ビュウの顔を見上げる。最後に見た日から何も変わっていない、愛する人の顔。
 「一人でずっと、何をしてたのかなって、毎日そればっかり考えてた。ビュウが元気で、よかった・・・」
 ただいまも、おかえりも。言葉をかける前に感情ばかりがあふれ出す。
 「ビュウがいなくて、ずっと寂しかったの。この気持ちをどうしたらいいのか分からなくて、それで」
 ひたすら喋りながら、フレデリカの目からつと流れる涙。本人はそれにすら気づかず続ける。
 「自分に出来ることを頑張ろうと思って、お店も作って、毎日仕入れも頑張って」
 懸命に喋るその姿を見下ろしながら、ビュウはフレデリカの頭をゆっくり撫でる。
 「ずっと待たせて、ごめん。開業に必要だろうと思って、俺もそれなりに頑張ってみた。積荷はラグーンを回って集めてきた薬草類だよ。素人なりに戦闘にあったら便利だろうと思うものを集めてみたんだ。」
 フレデリカの涙を拭う。フレデリカは初めてそこで、泣いていることに気づいた。
 それでも涙が止まらない。ついには三つあみを揺らしながらビュウに疑問をぶつける。
 「ビュウはビュウで考えていてくれたなんて…それなら、どうして何も言わないで旅立ってしまったの?わたしは、ずっと、ずっと…」
 ついにビュウがフレデリカをぐい、と抱きしめた。三つあみが大きく揺れる。
 「言葉より、何より体が動いてた。早く約束を叶えてあげたくて。言葉が足りなかったよ、ごめん」
 「…うん、いいんだ、ビュウはそういう人だもんね」
 フレデリカはビュウを見上げて花のように微笑む。ビュウもその姿にほっとした様だった。


 「ただいま、フレデリカ。」
 「おかえり、ビュウ。」
 交わした約束、叶った約束。そんな二人を、ムスカリの花の匂いが優しく包んでいた。

明るい未来へ
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ネタの元:15分以内に6RTされたらビュウとフレデリカで、久しぶりの再会で嬉し泣きするシーンを描きます。見直し?なにそれ?文章?なにそれ?ビュウフレ?万歳(*´д`*) 文章書いたのが久しぶりすぎたので、思いのままに書けなかったのが残念ですがよしとしようねー。



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