Novel / 愛への旅立ち


 アリガト、ダイスキ。
 ずっとずっと、可愛がってくれた彼に伝えたかった言葉。
 未知の土地に降り立って不安がる仲間たちを奮い立たせつつ、状況の確認が出来ずにどことなく苛立っているように辺りを行き来するビュウ。そんな彼を呼び止めることに少し申し訳ないとは思いつつ、思いのたけを傍にいた竜人に託した。
 「お前たち……!」
 ビュウは言葉を詰まらせ涙をこぼし、その姿を見ていられなくなった僕らは喜びを声に出しつつ彼をもみくちゃにした。言葉を託した竜人がたじろいで人間の仲間の元に駆け込んだくらい、僕らは体のすべてを使って彼にありがとうを伝えたんだ。




 「アレキサンダーを倒したぞ! これでオレルスに帰れるんだ!」
 人間たちは笑い、抱きしめあいながら訪れた平和を喜んでいた。竜人の肉体を得たことで自由に動けるようになったらしい神竜たちが、着々とアルタイルを離れる準備をしている人間を見送りに来ていた。
 一方僕たちドラゴンは、少し離れた場所で互いの頑張りを称えあっていた。ビュウの命令やその仲間の期待に応えるのがドラゴンの仕事であり、その成果を判断して次に生かすのはビュウの仕事だ。普段ならビュウが一頭一頭、褒めて回ってくれるものなのだが今回ばかりは忙しいのかこの場に姿はなかった。
 「ビュウ、こないねえ」
 「忙しいんだろ、姿見えないし」
 「褒めてほしいよね、僕ぎゅーってしてもらうの大好き!」
 「いつも誰が最初にしてもらうか揉めてたもんね」
 ドラゴンたちが口々にビュウの姿が見えないことを気にする一方で、サラマンダーはある事実に気づいた。
 サラマンダーの唐突な発言を耳にしたドラゴンたちは、気を引かれて顔を彼に向ける。
 「ねえ、僕気づいちゃったんだけど」
 「どうしたのサラ?」
 「こうやって僕たちがビュウを取り合うのも今日でおしまいなんだな、って」
 一同の顔を順繰り見てから地面に視線を落としたサラマンダー。一瞬その場に静けさが落ちたが、すぐドラゴンたちの明るい声に満たされた。
 「なーんだ、そんな暗い顔して何を言うのかと思った」
 「ね、ビュウとお別れするのは寂しいけど、ありがとうが言えたし僕は満足かなー」
 「みんなとお別れするわけじゃないし、行ったことない場所ばかりでわくわくしてるよ」
 「ふるさと、ってどういうところなんだろうね」
 「竜人さんともお話したいなあ」
 「……え?」
 ドラゴンたちが嬉しそうにこれから起こるであろう出来事を次々と話す一方で、ただ一人サラマンダーだけがその状況について行けずぽかんと口を開けていた。
 そんな彼の意識を戻してくれたのは、彼の子供でもあるパピーだった。パピーは純粋な疑問からなのか親を心配してなのか、サラマンダーの長い体毛をくいくいと引っ張り不思議そうに彼を見上げていた。
 「ぱぱー?」
 「パピー……。パピーはこれからどうするの?」
 「ぼく?ぼくはねー、ビュウと一緒がいいな! ホーネットもねー、毎日可愛い可愛いって言ってくれるの!」  そういってパピーはその場でぴょんぴょん跳ねた。身に覚えがあるサラマンダーからすれば、生まれたばかりのパピーが日ごろどれだけ可愛がられているのか想像するのはとても簡単だった。
 「そうだよね、あの二人ならずっと可愛がってくれると思うよ」
 そう頷いて、サラマンダーは相変わらずはしゃぐドラゴンたちを見ていられず目を逸らした。
 それを待っていたかのように、彼の視界の端に思い人の姿が映った。
 「……ビュウ! 行こうパピー!」
 「うんー!」
 いても立ってもいられず滑空姿勢をとると、サラマンダーはパピーを伴い一目散に彼の元へ向かった。

 「ビュウー!」
 「ぱぱー!」
 「サラにパピーか、どうしたんだ?」
 二匹そろってビュウに顔をぐいぐい擦り付ける。その勢いに押されながらも、ビュウは笑顔でそれに応えた。
 そして二匹の他に寄ってくる気配がないことに気づいて辺りを見回した。
 「ドラゴンたちもアレキサンダーを倒せたことを喜んでいるのかな、それとも故郷に帰ってきたことが嬉しいのかな。どう思う、竜人」
 ひと塊になっていたドラゴンたちを見つけて誰にともなく呟いたビュウは、その視線を彼の少し後ろにいる竜人に移した。
 「どう、と言いますと」
 「ドラゴンたちの言っていることが分かるんだろう?あれだけ騒いでいれば何を言っているか分かるんじゃないかと思って」
 ビュウと竜人の視線がドラゴンたちに向く。怒号とどろく戦場ですら聞こえるドラゴンの鳴き声は、ここアルタイルで耳に障る程度に届いている。
 「……ううむ」
 そう呟いて、竜人は白く立派な顎鬚を撫でた。好き勝手に喋るドラゴンたちの声の聞き分けが難しいのは、どの生き物でも共通なのだろうか。彼の感情を読み取るのは簡単ではなさそうだったが、黙ったところを見ると彼も聞き取りに難儀しているように見えた。
 「ウレシイ、ともタノシミ、とも言ってるようですな。申し訳ない、聞き分けとは難しいものですな」
 「いや、いいんだありがとう。そうかドラゴンたちもここでの暮らしが楽しみなんだな」
 ビュウは薄い笑いを浮かべた。人間たちが帰郷を喜ぶように、ドラゴンたちもまた帰郷を喜びこの地に留まる事を決めたのだろう。ドラゴンたちの帰るべき場所に共に来られた事はビュウにとって大きな喜びだった。しかし同時にドラゴンとの別れを突きつけられたビュウは、無意識に傍らで頬を寄せるサラマンダーの鼻面を撫でていた。
 「ビュウ、僕はビュウと一緒に帰るよ!」
 「ぼくもー! ビュウだいすきー!」
 「ビュウト、カエル、と」
 「……え? 今、なんて」
 ビュウを挟んで訴えるように鳴くサラマンダーとパピーの声を、竜人が翻訳してビュウに伝える。普段ならドラゴンの行動を見て感情を推測するしかなかったビュウは、第三者の登場で初めてドラゴンの思いを確実に理解出来たことに改めて驚いた。
 「ビュウトカエル、と。聞き間違えていなければだが」
 「俺と、帰るって? オレルスに?」
 「そうだよ!」
 「ボクもー!」
 そう答えてビュウにますます擦り寄る二匹に押しつぶされそうになりながらも、ビュウは竜人の顔を見た。彼は大きく頷いて見せたがその表情はどこか戸惑っているように見えた。
 「そうだよな、サラとはずっと一緒だったもんな。パピーはホーネットにも可愛がられているし、戻ったら揃ってあいつの世話になるか!いや、でも……ううん」
 ビュウは二匹を両脇に抱えるように撫で回しながら仲間たちの元へ戻った。その途中で考えを口から垂れ流してはいたものの、その声はサラマンダーとパピーにも伝わっているのか時々鳴き声で答えられて、ビュウの表情は弛緩したままだった。




 「準備はいいかー!」
 「完了でアリマス!」
 ファーレンハイトのエンジンが点火し、辺りの空気を巻き込んで小さな嵐が巻き起こる。
 遠くでアルタイルに残るドラゴンたちがしきりに鳴きながら行く末を見守っているようだった。
 ビュウは、といえばファーレンハイトに乗り込んでからというもの離れようとしないサラマンダーを傍らに、艦首から二度と訪れる事はないだろうアルタイルの景色を目に焼き付けていた。
 「サラ、本当に良かったのか?」
 「きゅう?」
 「俺と一緒に来てくれるのは本当に嬉しいよ。でもあいつらとの思い出も沢山あるだろう?もう会えなくなるかもしれないんだぞ」
 「きゅうう!」
 「……俺もドラゴンの言葉が分かればな」
 「――ビュウ、ダイジ……」
 「誰だ!」
 呟きに思わぬ答えが返ってきて、ビュウは周囲を素早く見回した。するとその気に圧されたのか、艦首の女神像の陰から見覚えのある竜人がおずおずと姿を現した。
 「竜人、いつからそこに」
 「申し訳ない、気付いたらここに。降りる時期を窺っていたら何やらごうごうと……」
 「俺たちを追ってそのまま乗り込んだのか。タラップは既に外されているし俺が送るよ」
 顎を掻く竜人に笑いかけてサラマンダーに乗り込もうとしたビュウは、ふと思い立って声を掛けた。
 「何なら君もオレルスに来るか? ドラゴンの言葉が分かるだけで俺は大歓迎だよ」
 「興味がないわけでもないが済まない、残された子供を育てる役目が私にはあるのでな」
 「なら仕方ないか。サラ、ひとっ飛び頼むよ」
 「きゃうう」
 軽快な声を残して、ビュウと竜人を乗せたサラマンダーは甲板から飛び立った。
 「……これが、我が故郷……」
 「そういえば空から見下ろしたことはないのか。サラ、もう少し飛べるか」
 身を乗り出し景色に夢中になっている様子の竜人は昔の自分を思い出させるようで、ビュウは微笑ましく思った。

 「とても貴重な体験をした。感謝する」
 「いやいや、喜んでくれたようで嬉しいよ。竜人の子も乗せてあげれば良かったかな」
 「見ていたのならねだられるかもしれませんな」
 「何、それならアルタイルに残るドラゴンたちに頼めばいい。人を乗せるのは好きだから話せば分かってくれるさ」
 竜人の言葉はドラゴンには理解出来ない。それは竜人との会話にサラマンダーが割り込んでこない事から察していた。しかし同じく言葉の伝わらない人間であるビュウがドラゴンと交流できるのだから、時間と愛情をかければ人間以上の交流が出来るはずだ。元は同じ生き物だと言うのなら尚更だろう。
 だからビュウは軽い気持ちでそう言った。しかし竜人は小さく頭を振ると肩を落としてぼそりと呟いた。
 「私たち竜人は、感情というものを言い表す事が出来ないのです。本能から来る喜びや怒りには反応しますが」
 「だからドラゴンたちの言葉も片言なのか……。それもきっと、神竜の肉体になるという立場の上なんだろうな」
 「そうなのだろうと思います。ですから私は、そのドラゴンがあなたに対して多くの感情を持っている事に驚いているのです。遠く住む地を離れている間に、こんなに感情豊かな生き物になって帰ってくるとは……」
 そう言ってサラマンダーの顔を見上げる竜人の頬をぐるる、と喉を鳴らしたサラマンダーの柔らかな舌が触れた。
 「きっと感情は、ドラゴンたちと触れ合ううちに芽生えてくるさ。ずっと神竜たちの帰りを待ち続けていたんだ、楽しみの一つくらいあってもいいと思う。神竜に反対されたら、それこそオレルスに遊びにくればいいさ」
 そこで言葉を切ると、ビュウはサラマンダーの体を優しく撫でた。
 「俺はサラとはたくさん遊んだし喧嘩もしたよ。これからもずっとそんな調子なんだと思う」
 「きゃるる」
 「仲間からは『お前の嫁はドラゴンか』って呆れられたけど、俺はそれでもいいと思ってるよ」
 「嫁、とは」
 「生涯の伴侶のことだよ。多分その感じだと恋愛もないんだろうな」
 「大よそ愛などとは程遠いものでな。……あなた方のようになれるのでしょうか」
 「なれるさ、きっと。ドラゴンたちも協力してくれるだろう、あいつらいつも遊び相手を探してるからな」
 言い終わるかどうかのところで、二人の間にサラマンダーが割って入った。長い話が苦手なのは誰に似たものか。ビュウはくすりと笑うとサラマンダーの体を軽く叩いてひらりとその背に乗った。
 「済まない、サラがもう我慢できないみたいだ。船も大分待たせているし俺はもう行くよ。ドラゴンたちをどうかよろしくな」
 言い切ってサラマンダーの腹を蹴る。するとそれに応えてサラマンダーは一気に空に舞い上がった。見上げる竜人の視界から、どんどん赤い姿が遠ざかっていく。
 せめて何か言葉を残さねば、と竜人は一瞬考えて空に向かって声を上げた。
 「どうぞお幸せに!」
 幸せの意義を知ってか知らずか贈られたその言葉に答えるように、サラマンダーの高く柔らかな声がアルタイルの空にゆっくりと広がっていった。

愛への旅立ち
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1月31日が「愛妻の日」という事でどうしても書きたかったビュウサラ?サラビュウ?相思相愛。
同名の楽曲とは全く関係ありません。偶然です偶然。
あまり触れられてはいませんが、竜人ってかなり不憫だと思います。設定はいくらか書いていて勝手に作った所があるんですが、わずかでも竜人がドラゴンの言葉を理解出来るのなら、ビュウは間違いなくオレルスに連れて帰っていたんじゃないかと思います。悲しみ。
もしかしたらこの話を下敷きにまた何か書くかもしれません。(構想はある) 20160404



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