斜め後ろからトゥルースの顔を覗きこんだ。二重で睫は長く、鳶色をした瞳を覆うように飾っている。
頬から顎にかけてのラインは男だと断定するにはあまりにも危うく、なるほどこれが女顔なのかと彼は思った。
顔がこちらに向くと長い睫が表情に影を落とし、思わず彼をドキリとさせた。
「なぁトゥルース」
「…なんですかラッシュ、私は忙しいのですが」
伏せていた睫が上を向く。トゥルースの聡明さを秘めた瞳は、ラッシュを訝しげに見据えていた。
「お前って、母ちゃんに似てるって言われた事ないか?」
ラッシュの何気ない一言が、トゥルースの表情をますます曇らせた。
「どうしてそう思ったんです」
まるで忌諱するものを見るかのような彼の視線に、ラッシュは思わず目を細めた。
それでも己の疑問を解決させたいがために食い下がる事の出来ない彼は、一瞬逸らした視線をトゥルースにひとたび戻すと口を開いた。
「人の横顔なんてロクに見ねぇけどさ、さっきトゥルースの顔見て思ったんだ。お前って案外女みたいな顔してるんだなって」
その時何かのレポートだろうか、トゥルースの手元から数枚の紙がはらはらと二人の足元に舞い落ちた。
ラッシュの顔を見つめるトゥルースの瞳はますます鋭さを増し、表情は険しくなる。
そんなトゥルースをまじろぎもせずにラッシュは見つめ返すと、言葉を続けた。
「そんな顔すんなよ、オレは思ったままを言っただけだぜ。例えるんならほら、母親似?って--」
その瞬間、場が沈黙に支配された。
ラッシュの言葉を遮るように、トゥルースは彼にずいと詰め寄る。身長の大体同じ彼らの事、顔が眼前に迫るので必然とラッシュは口を噤まざるを得なくなった。
「前に言いませんでしたっけ」
やや見詰め合った後、トゥルースは溜息をつくように言葉を紡いだ。
「…?何をだよ」
言葉を遮られた上に訳も分からないまま威圧されて若干不満そうなラッシュは、トゥルースから目を逸らすとぶっきらぼうにそう答えた。
「言ってませんでしたか、それならいいんです。先ほどの事は忘れてください、すみません」
刃物のような鋭さをたたえた瞳はどこへやら、トゥルースは微笑みさえ浮かべながら穏やかに口にするとラッシュから一歩離れ、足元に散らばった紙を拾い直すと彼に背中を向けてその場から立ち去ろうとした。
「おい、トゥルース待てよ!」
すると疑問が解決されないままのラッシュが、そんなトゥルースの左肩をその場の勢いで掴んだ。彼の思わぬ力にトゥルースの体は引き戻され、再びラッシュと向き合う事になった。
「…だから、一体何なんですかラッシュ」
トゥルースは苦笑を浮かべながらラッシュに対して肩を竦めてみせた。だがその態度に対してラッシュの反応はトゥルースには意外なものだった。
「その知らない話、ってやつさ、オレに教えてくれないか?」
「…どうしてですか」
トゥルースの表情がまた曇る。そんな彼に構わず、ラッシュは屈託のない笑みを浮かべて見せた。
「ほら、オレって親の顔知らないしさ、そういえばトゥルースの親の話って聞いた事ねぇなと思って!」
「ラッシュ…あなたには『その場の空気を読む』って事ができないんですか」
トゥルースは思わず肩をがくりと落としたが、ラッシュはどこ吹く風といったようだった。
「空気なんて読んだってその場だけだろー?オレたちダチなんだからそんなのなしなし!ほら、聞かせてくれよ!」
結局諦める事のなかったラッシュの話の勢いに流されるようにしてトゥルースは語り始めた。
しかしその表情は、日ごろの彼の穏やかさそのものであった。
私の家はカーナの軍人家系に生まれました。といっても暮らしは贅沢でもなく、貧しくもない、それこそ俗でいう「中流」の家庭でした。
私の家族はカーナ軍に所属する父、国立図書館の司書である母、私と五つ離れた兄の四人構成でした。
父は毎日遅くまで訓練に勤しみ、少なくとも私の記憶では家にいた事は滅多にありませんでした。
兄は父に推薦されるがまま軍に所属し、同じように訓練に打ち込んではいましたが弟である私を兄なりに気遣い面倒を見てくれました。母と共に勉強を見、世間に対する知識と常識を教えてくれました。
そして母。彼女は私の知識の源でした。空が青い理由も、暖炉の中で火が燃え続ける理由も、ドラゴンが何故空を自由に飛ぶのかも。彼女に聞けば、全て答えてくれました。今思い返すと、その答え自体は子供である自分が納得できるように彼女は苦心していたのだろうなと思うのですが。
彼女はまた、私に知識をつける方法を教えてくれました。それが本です。本を読み、知識をつければ物事の真理は見えてくる。彼女はそう言いました。また、知識をつける事の楽しみも教えてくれました。それは今でも感謝しています。
…話がそれました。私が話したかったことはその母と私の事です。
母はそんな調子でしたから、聡明で皆の頼りにされていました。その上、―私にはいまいち理解できませんでしたが―周囲からよく声を掛けられていました。ナンパというやつですね。同僚達の話では「思わず声を掛けたくなる美人」だったそうです。母はそれに困っていたそうですが、父にしてみればそんな母を娶った事を自慢にしていたそうです。
そして私。よく子供が生まれた時、父母どちらに似ているかが話にあがるそうですが、私の家の場合兄の顔立ちは父親似、私の顔は幸か不幸か母親似でした。私はあまり気にはしていませんでしたが、ある日絵描きに母と並んだ絵を描かれた時はさすがに似ていると認識せざるを得ませんでした。
そんな調子でしたから、私はよく仲間内に小馬鹿にされました。男は男らしくあるべき、女は女らしくあるべき。それが当たり前でしたから、よりによって母に似た私の顔は嘲笑の対象になりました。魔法部隊はこっちじゃないぞと言われたり、女物の服を持って来られて囃し立てられることもしょっちゅうでした。けれどもこれでも私は戦士のはしくれ、「男らしくなるために」日々研究を重ねました。
…とはいえ、自らの顔立ちが「女性に似ている」事くらいは分かっていましたから、研究内容はほぼ本からの学習でした。
「女らしいこと」を悩みにしている自分にはそれ自体が恥部ではありましたが、母にも回答を求めた事があります。その際得られた回答が今の私の答えでした。
「今のありのままの自分を受け入れる事、そしてそれを経年努力する事。」
それからの私は、今まで外野から飛んでくる野次やちょっかいを無視するようになりました。心無い言葉は確かに心を抉りますが、構って彼らの玩具になるよりはずっと結果は良い方向に向かいます。その言葉が、今の私を形作っているのですから。
「そのお陰でほら、城下町で暮らしていた時は随分と助けられたではないですか」
「まあな。『弱きを助け、強きを挫く』だっけ?お陰で飯の調達は楽だったけどな!」
ラッシュは辛い孤児時代と、当時のトゥルースの口癖を思い出しながらにやりと笑った。
潔さと騎士道精神。その二つを培ってきたトゥルースに、少なからず助けられた事は事実だった。
「で、だ。トゥルースが不機嫌だったのは女扱いされたせいだったのか」
「ええ、ですが--」
ラッシュの問いに反論しようとしたトゥルースの回答は、いともあっさり彼の声にかき消された。
「そうだったのか!トゥルースって案外可愛いところもあるんだな!」
「可愛いとは何ですか!大体男子に向かって可愛いとは--」
そこまで言いかけて、トゥルースは思わず口をつぐみ辺りを見回した。二人のいる場所、ファーレンハイトの廊下一面に聞こえそうな声で喋っていた事に今更ながら気付いたからである。
幸いな事に周囲に人はいなかったが、とっさとはいえ感情に身を任せて声を張り上げていた事に恥を感じ、トゥルースの頬は軽く紅潮した。
「何赤くなってるんだよトゥルース、やっぱり思うところがあるのか?」
「ふざけた事を言っている場合ではないですよラッシュ、そもそも私はこの資料の整理にここに立ち寄っただけですから」
おちゃらけた調子のラッシュにトゥルースは内心溜息をつきながら、これからどうやってこの資料を片付けようかと思案していた。
「おーい、ラッシュ、トゥルースー!探したよー!ビュウのアニキが次の作戦の説明をしたいから二人を探してこいってさ!」
するとビッケバッケが二人の声を聞いたのか、バタバタと足音を立てながら通路の角から姿を現した。一人で探していたのか、軽く息が上がっている。この広い艦内を一人で探していたらこうなるだろうとは見て取れた。
「ビッケバッケ、感謝します。ビュウ隊長が呼んでいるなら早急に行かねばなりません。行きましょう、ラッシュ」
「分かってるよ、ところでさっきの、」
ラッシュはトゥルースに返答しかけ、彼に右手首をきつく握られて閉口せざるを得なかった。なるほどこういう意味でも女じゃないぞって事か、とラッシュは内心で理解した。
「さっきの、ってなんだいラッシュー?」
「後で話してやるよ、じゃあとっとと行こうぜ!」
二人を見て不思議そうに首を傾げたビッケバッケにラッシュは不器用にウインクすると、トゥルースの拘束を軽く振りほどいて走り出した。
無論、「廊下は走るものではありませんよ!」という注意を背に受けながら。
オレルスの眩しいほどの空は、今日も優しく彼らを見守っている事だろう―
あとがき?
という訳で久しぶりの突発SSでしたー。あーもうまさか3回もエラーで消えるとは何事だ。
そんなに完成させたくないのかうおおおお!と内心叫びながら仕上げました。
ここで言っていいのか分かりませんが※この設定は都度変わる事があります※って最初に書いておくべきだっただろうか、そりゃそうだ。でもトゥルースについてはこんな感じだろうと思っています。ちなみにネタ元はTwitterのやり取りで、頭の3行だけ打ち込んで残りはその場で考えました。何という事だ。
2012/3/12