Novel / ナイトトリオの日2020



「よっしゃ、ついたぜ!」
「久々のカーナですね……」
「ねえねえ、お菓子以外も買っていこうよ!」
 陸に足がついたかと思うと、ビッケバッケは早速二人の手を引いて先導しようとしていた。だが無理もない。日が落ちるまでに帰らなければならないのだから、三人が別々に行動できる時間などないに等しい。だからこそ、行動の指針を最初に定めたものが正義なのだ。
「おいおい、そうはいかねーからな!」
「全くです。そのための定期便ですよ。それに……」
 だがその力は強くない。ひらりと手を払うとラッシュは抵抗する姿勢を見せたが、トゥルースは振り向き小さく頭を下げる。上げた視線の先には、かつての隊長と仰いだ男が困ったような笑顔を浮かべて立っていた。

「……おいおい、遠足気分で俺たちは呼ばれたのか?」
「きゃふふ」
 同意だよ、と言いたげに男の隣に腰を下ろした生き物はぷうと鼻を膨らませる。彼こそ男の相棒であり、今彼らの唯一の移動の足であるドラゴンのサラマンダーだ。
「そ、そんなつもりは……! ビッケバッケ!」
「えーっ、ボクのせいなのー?」
 トゥルースの指摘にビッケバッケは明らかな不満を顔に出す。だが性格上そのまま言い返すことはしない。代わりに手を揉み始める彼を見かねて、ラッシュは口を出した。
「そうだぜ! ビュウには「新生活を祝うためのごちそうを買い出しに行きたい」としか言ってないんだからな!」
「間違ってはいないとはいえ、菓子を買うのが主目的と知られては隊長に申し訳が立ちません……」
 あっけらかんと笑うラッシュとは対照的に、トゥルースは沈痛な面持ちで顔を伏せる。理由がやっとわかったとあって、ビッケバッケは途端に慌てだした。
「そうだったの?! ……ボクたち、テードに帰らなきゃダメかなアニキ?」
 手をもじもじと揉みながら、ビッケバッケは男――ビュウの機嫌を伺った。長い付き合いで彼の性格はよく分かったつもりではいるが、命が掛かっていないなら唐突に何を言い出すか分からないだけに保険を掛ける必要があったのだ。
「何もそこまで言ってないさ。なあサラ?」
「きゃふう!」
 だが彼らの不安は杞憂で終わったようだ。安心を覚える笑みとともに、傍らのサラマンダーに声をかける。何もドラゴンの機嫌を取らなくても、と思うかもしれないが、彼らの経験が嬉しそうに鳴くサラマンダーの姿に落ち着きを取り戻していた。
 中でもラッシュの喜怒哀楽は分かりやすい。右手でガッツポーズなど作りつつ、白い歯を見せて笑っている。
「さすがだぜビュウ!」
「……お前だけ戻してもいいんだぞ、ラッシュ?」
 僅かな沈黙の後にもたらされる意味ありげな笑み。状況を楽しんでいるだけに見えるが、読めない彼の本心にラッシュはたまらず顔をひきつらせた。
「やめてくれよ!」
「隊長! どうかそれだけは!」
「アニキ、それならボクを……」
 ラッシュの心からの訴えに後の二人も続く。ビッケバッケに至っては責任を感じているのか、二人をかばうように前へ出てきて両手など広げている。
「――なんてな、冗談だ。さすがにお前たちの楽しみを奪うような心の狭い男の自覚はないからな」
「よかったあ……」
 誰が最初か、安堵の息とともに場の緊張がほぐれていくのがわかる。感動を分かち合うように三人は手を取り、やがてわいわいとはしゃぎ始める。そんな子供のような姿を、ビュウはサラマンダーに寄り添って眺めていた。
 今はもう懐かしい、幾度となく見てきたはずの景色を目に焼き付けるように。

「……ほら、さっさと行ってこい。サラが待ちくたびれる前にな」
「あれ、アニキも一緒に行かないの?」
 ビュウの言葉にぴたりと動きを止めて、ビッケバッケは振り返り首を傾げた。その視線を送られたサラマンダーもまた、首をかしげて数度瞬いたのだった。
 そんな彼の首筋をとんとんと叩いてビュウは笑う。その片足はすでに鐙を履いていた。
「お前たちの予定の中に俺たちは入ってないだろ? その間こっちも楽しませてもらうとするよ」
「きゃふふう!」
「……隊長、久々のオフらしいです」
 輪の中に顔を入れて、トゥルースはぼそりとつぶやく。はあ、と納得の息が合わさって、三人は申し合わせたようにビュウとサラマンダーに手を振った。
「おう、行って来いよ。デートでもなんでも楽しんでこいよ!」
「帰りもよろしくお願いします」
「いってらっしゃーい!」
「きゃあう!」
 ラッシュの冷やかしにも笑顔で答えて、ビュウはひらりとサラマンダーの背中に乗った。代わりにサラマンダーの甲高い声が辺りに響く。軽く手を振って風のように去るビュウを見届けて、三人は競い合うように市場への道を走り始めた。

***

「……そんでもって、どこで買い物するんだよ?」
 一人先を走っていたラッシュが、立ち止まったかと思うとくるりと振り返って口を開いた。
 何も当てもなく走っていたわけではない。王都に三つある市場のうちの一つに彼らは足を運んでいた。道の両側にずらりと並ぶ露店と隙間を埋めるほどの商品、それらのも足らす色彩と香りに、彼らは言いようのない興奮を覚えていた。
「そりゃあ、甘いもの――っていってもラッシュは何でもいいんだもんね?」
「おう!」
「……胸を張ることではないですよ、ラッシュ」
 トゥルースの言葉通り、往来の中央でなぜか自慢げな顔をしているラッシュを道行く人々は一瞥して通り過ぎていく。お上りさんだろうと思われているのか、その表情はどこか微笑ましい。
「トゥルースは? もちろん、チョコ以外で!」
「お菓子というより砂糖そのものが欲しいですね。後はココアとか……」
「ったく、夢がないよなートゥルースは」
 やれやれと言いたげに肩をすくめてラッシュはいたずらじみた笑みを浮かべる。そんな話に割って入ろうとするビッケバッケをトゥルースは片手で制した。
「確かに私は現実的な物の見方をしますが、それも今後の生活を思ってのことです。それにいいですか二人とも」
「な、なんだよ……」
 変わる声のトーン。ラッシュは警戒から身を引き、ビッケバッケはごくりと生唾を飲み込む。始まるのは説教か雑学の披露かと思いきや、トゥルースの顔から笑みがこぼれた。
「構えないでくださいよ。私思ったんですが、せっかくの祝い事なんですからケーキなんてどうでしょう?」
「えっ?!」
 二人の口から驚きに満ちた声が突いて出た。どちらが先かを確認するように顔を見合わせて数秒、彼らの感情がその場であふれ出る。
「ケーキ?! た、確かに食べたいけど……!」
「そんな金ねーんだろ? 家で作るとしたらええと……」
「いいんですよ、二人とも」
 誘惑と遠慮に揺れる声を、トゥルースはしっかり受け止める。そして小さく首を横に振ると指先が腰に下げた小銭入れに触れた。
「ただし、二人には多少我慢していただく必要があるのと、隊長には何が何でも明かさないようにしなければなりません。よろしいですか?」
「アニキに!」
「ビュウに!」
 重なる声とともに二人は前のめりになり、そのままトゥルースの手を取り歩き出す。答えはそれで十分だった。こう決まったなら今いるべき場所はここではない。かつてショーウインドウ越しに憧れた、王都で一番だというケーキ屋へ彼らの足は真っすぐ向かったのだった。

 カランカラン
「いらっしゃいませー!」
 心地よいドアベルの向こうから、甘い香りが漂ってくる。惹かれるように店内に入ると、一瞬目が眩むような光の向こうに彼らの夢が一堂に会して待っていた。
「わあ…………!」
 誰の口からともなく零れる感嘆に満ちた声。せわしなくきょろきょろと店内を見回したところで、ケースの向こうに立っている店員の笑顔が彼らを現実に引き戻したのだった。
「ねえねえ、何にする?!」
「これ全部から選んでいいのか?!」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……」
「何でご入用ですか?」
 辛抱たまらず店内に飛び出したラッシュとビッケバッケは、先に選んでいる客から奇異の視線を浴びていた。にも構わず三面に広がるガラスケースの向こうを食い入るように見つめては拙い品評を繰り広げる。止めようと足を運ぶトゥルースより早く、手近な店員が彼らに制止をかけたのだった。
「あっ、ええと……。二人ともこちらに」
 一大決心もどこへやら、身を縮みこませながらトゥルースは二人を手招く。さすがに周囲の視線が気になるのか、二人は叱られた犬のようにとぼとぼと近寄ってきる。先ほどとの落差に、思わずトゥルースは小さく噴き出した。


「……なあ、これ絶対バレるって!」
「こんなに大きくなるとは思ってませんでした……」
 わざとかというくらい声を張り上げてラッシュは訴えた。トゥルースはそれを咎めることすらしない。どちらかといえば反省を込めたように声を絞り出す。その隣で、ビッケバッケも心配そうに顔を突き出した。
「まだ買い物あるんでしょ? それはボクが持つからいいけど急がなきゃ!」
「そうですね。でもこれが新生活を切るには相応しいと思います」
「その分奮発したもんな! ビュウも喜んでくれるといいけど」
 手元を見下ろして、たまらずトゥルースの頬は緩んだ。その顔につられるように笑って、ラッシュは声を張り上げる。その拍子に手元ががたつき、わずかに中身が重力に引かれるのが分かった。
「……いけない! しっかりしてくださいよラッシュ。帰るまでが勝負なんですからね!」
「あぶねーあぶねー。 なあビッケバッケ、交代してくれねーか?」
「そのぶんラッシュが身長をくれたらねー!」
 慌てて支える手を戻して、ラッシュは反省の色を見せることなくけらけら笑った。ビッケバッケもわざとらしく両手を二人に揃えて負けじと笑う。その笑い声が混ざり合い、トゥルースの渋い顔も気づけば崩れていた。

「……にしてもさ、よくビュウは付き合ってくれたよな」
「そうでなくては、私たちに自由に空を移動できる足がありませんからね」
 そろそろと足を動かしながら、トゥルースは同意するように頷いた。とりあえず目的の買い物は済ませて、三人は元来た道をたどっていた。大してラッシュは口にされたことはもう頭から抜けているのか、箱をかたかた揺らして歩いていた。
 今はすっかり両手をふさがったビッケバッケは、それでも有り余る元気を力強い歩調に変えて上機嫌だ。
「そのために手紙を出して、きてくれるまでふた月かかるんだもん。アニキも忙しいんだろうけど、ボクたちのドラゴンも欲しいよね!」
「言うなビッケバッケ! それでこそ男だぜ!」
「…………」
「な、なんだよその目」
 刺さるようなトゥルースの視線。ついつい身を引いてラッシュはうろたえる。それを見越してか、ビッケバッケは声を立てて笑いながら親指など立ててみせた。
「だからさ、次アニキを呼ぶときはボクらのドラゴンをお披露目するときにしようよ!」
「……まったく調子のいい。いつの日になるか分かりませんよ?」
「そもそも金積んで買えるのか? あっ! それなら捕まえにいけばよくねーか?!」
「それだよラッシュ!」
 名案だとばかりに二人は手を合わせられない代わりに膝を折って合わせてなどいる。そのせいで揺れる箱をはらはらしながら見るトゥルースの目は、二人と交互に行き来していてせわしなかった。
「……突っ込まないのな、トゥルース」
「誰のせいだと思ってるんですか、まったく!」
「ごめんって。なあ、本気で考えてみないか? ドラゴン捕獲計画をさ」
「野生のドラゴンと戦竜じゃ、何もかも違うことが分かっていての発言ですよね? ビッケバッケもビッケバッケです」
 ドラゴンに長年触れてきただけのことあって、その危険さは身をもって実感している。だからこそつい語気が強くなってしまうのだが、何も考えなしに言い出したわけではない。それでもしゅんと肩を落とすビッケバッケにトゥルースが何かを言おうとした瞬間、ラッシュの活気のいい声が険悪な空気を吹き飛ばした。
「だからさ! これからしばらく、ドラゴンについて勉強しようぜ! いいだろ?」
「ラッシュ……」
「あなたがそんなことを言うなんて思ってませんでしたよ。帰りの天気が心配です」
「なにー?!」
 大げさすぎる反応でラッシュはトゥルースに食ってかかる。その様子を見て笑うビッケバッケにはもはや不安は残されていないようだった。

 太陽はまだ高いが、家路はまだ遥か遠くにある。きっとビュウには今日一晩、泊まっていってもらうことになるだろう。手慣れた男料理ととびきりのケーキ。その美味しさに一緒に舌鼓を打てる喜びに浮足立つ姿が、石畳の影を軽やかに跳ねさせたのだった。

ナイトトリオの日2020
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というわけで三人で甘いものを買いに行くナイトトリオの日後期でした。
私の中での当たり前の設定になってしまっているのですが、テードで新生活を送るナイトトリオには外海に出ていく足がないんです。生活物資は定期的に船が寄ってくれることになっていて、それも結局元戦竜隊とビュウのツテなんですよね。
なのでそういう意味でもビュウの手が掛からないようにすることこそが彼らの一人前の証左でもあるので、その目標を掲げたのが今回の話――なんだと思います(曖昧)。
来年もするなら続けるかもしれません。三人がドラゴンを仲間にするまでの流れは本にしようか考えたくらいの題材なので……。語りが長いね!
20200910



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