Novel / そばにいる幸せ


 カランカラン、カランカラン
 凛とした冬の空気に、心地よく響き渡る鐘の音。耳から尻尾の先まで染み渡るそれはサラマンダーの目覚めを誘い、挨拶代わりの遠吠えが細く長く彼らの庭に響いたのだった。

 カーナ。王都のその隅に、青年は一匹のドラゴンと住んでいた。それだけでは普通のことだったが、この二人は世界を救った一員であり、過酷な戦場を共に駆けた仲は友情で表すには深すぎた。
 そんな二人がかつて住んでいた家に戻るのは当然だったのかもしれない。

 鐘が鳴り終わると同時に、赤い屋根のこぢんまりした家から青年が出てきた。手には抱えきれないほどの金タライ、ジーンズからはみ出るワイシャツ姿。そんな彼が救世軍の隊長なのだと言われて合致する人間はごくわずかだろう。だが彼の表情は朝日を受けて輝き、口笛を刻む口は大きく息を吸うと相棒の名を呼んだのだった。
「サラマンダー!」
「きゃうう!」
 呼応しあう声は喜びに満ち、間を置かずにドラゴンが厩舎から飛び出した。わき目も振らずに青年の元へやってきたかと思うと、その姿を人の何倍もある体ですっぽりと隠してしまった。
「こら、誰も連れて行ったりしないよ、サラ」
「きゃう~……」
「信用ない、か。困ったな。よしよし……」
「ぐふふふ……」
 中にいる青年自体も、蛇に巻き取られた獲物のようだと思っていた。ただこの行動自体がサラマンダーの不安と嫉妬からくるものだという理解があるからこそ、その手はサラマンダーの喉を優しく撫でるのだ。
「ぐるるる……ぐふふ」
「分かってくれたか。大丈夫、ここには俺とサラしかいないんだからな」
「きゃふ! くふふ!」
 周囲をきょろきょろと見回すサラマンダーの目つき目がやっと穏やかになっていく。するすると束縛をほどく隣で、青年は敢えてその体にもたれかかり言い聞かせるように声をかける。落ち着きを取り戻したサラマンダーが朝の挨拶を青年の頬にしたところで、彼もまた彼女の頬に口づけを落としたのだった。
「――よし、それじゃあ朝ごはんにしようか。今日は久々に街を散歩しよう。ああ、城には寄らないから安心してくれ」
 付け足した言葉にサラマンダーは大きく目を見開いた。その反応のおかしさに、青年はくすりと笑うと地面にタライを置いた。
 
「きゃう! かふふ……」
「どうした、今になって視線が気になるって?」
「くふ~……」
 訴えるように視線をあげたサラマンダーの緑の目は、人の作った風景の中でその巨体に似合わず不安に震えていたのだった。
 カーナ城下町。彼らのふるさとにして、新しい生活の場だ。どれだけ時間が経っても彼らの暮らしは変わらない。ただそこに住む人々の目は、特に揺らめく炎のような被毛を持つサラマンダーを平和の象徴として見ているようだった。
「サラは目立つからなあ。……おいおい、そんな目で見ないでくれよ。ほら、美味しそうなリンゴが売ってるよ」
「きゃう?!」
 青年が指をさしたその先に、真っ赤に熟れたリンゴが積まれていた。その文字の持つ甘さと匂いにつられたのか、サラマンダーは訴えるように噛んでいた青年の象徴ともいえるマフラーをぱっと離して鼻先を向けた。
「――すみません、これを六つください」
 執着が逸れた隙に、青年はさっと買い物を済ませる。紙袋から覗くつやつやとした赤い果実に、サラマンダーはじゅるりと舌なめずりをしたのだった。

「うん、美味しいよサラ」
「くふ~」
 ぐるぐると喉を鳴らしつつ、それでも青年が口をつけるまでサラマンダーはリンゴを食べようとしなかった。一口齧ったそれを差し出されて、我慢できないと言いたげに彼の手ごとそれを口にしたのだった。
「食べたいなら食べていいんだよ、前みたいに我慢なんてしなくていいんだからね」
 優しく言い聞かせながら、青年はサラマンダーの鼻先を撫でながら空いた手でリンゴを取り出す。貧乏癖がドラゴンにまで沁みついていることが平和になってからこんなに恥ずかしいと思ったことはない。申し訳なさを噛みしめながら、青年はサラマンダーがリンゴを美味しそうにほお張る横顔を眺めていた。
「――あれ、サラマンダー? ひとりなの?」
「きゅ? くふふ!」
 むしゃむしゃ、ごくん。
 死角からかかった聞きなれた声に、サラマンダーは咀嚼を終えて顔を向けた。挨拶代わりに一声鳴いてから、お腹でゆったりとリンゴを齧る青年の額に鼻先をつけた。
「ん、どうした? ――アナスタシアじゃないか。二人そろって買い物か?」
「うわぁ、びっくりした。そこにいるならいるって言ってよ、ビュウったら」
 立ち上がっても向こう側からは自分の頭しか見えない。そこでサラマンダーの胸元からひょこりと笑顔を見せた青年、ビュウに買い物袋を抱えたアナスタシアは驚き目を丸くしたのだった。

「お久しぶりですビュウさん。お元気そうで何よりです」
「バルクレイもだな、何か悩んでることはないか?」
 ビュウの言葉があまりにも自然すぎて思わず愚痴をこぼしそうになったバルクレイは、寸でのところでぐっと口を噤んで困ったように笑った。
「やだなあビュウさん、今はもうただの友人なんですから。困りごとくらい自分たちで解決してみせますよ。ねえアナスタシア?」
「……そうね、バルクレイが今なんて言おうとしたのかは気になるけど見なかったことにしてあげる!」
「相変わらずみたいだな」
 二人の変わらぬやりとりに、ビュウは微笑みをこぼす。こんなに安らかな表情を見たのはいつぶりだろうかと記憶の糸をたぐった彼女は、はっとしてサラマンダーの顔を見上げた。
「ビュウはあれから、ずっとサラマンダーといっしょに住んでるの? 家はこれから探すって言ってた気がするんだけど……」
 首をかしげるアナスタシアの隣で、バルクレイは不安に顔を曇らせていた。そしてちらりと彼女を見ると小さく肘で腕を小突く。彼の表情を見て固まる彼女の思いを汲んでか、ビュウはああ、と穏やかに言った。
「言ってなかったな、小さいころに住んでた家はあるんだよ。ずっと残っていれば良かったんだけど、カーナ侵攻の時に建物が壊されててな……」
「ぐふふ……」
 不満そうに鼻を鳴らしつつ、サラマンダーが会話に入ってくる。だがビュウはあくまでもその鼻面を撫でて鎮めると、苦労を偲ばせるように息を吐いた。
「まあ、それからいろいろあったけど結局同じところに住んでるよ。良かったら遊びにきてくれ」
「いいの? 楽しみだなー! 新しい家に二人なんて、私たちみたいよね!」
「二人?」
 今度はビュウが首をかしげる番だった。気の利いたことを言ったつもりのアナスタシアは、言い訳を探すように視線を泳がせた。
「でもビュウさん言ってましたよね、いつでも声がかけられる距離で暮らしてみたい、って」
「あはは、よく覚えてるな。でも実際にそうしようと思ったら、俺が厩舎で暮らさないと」
「だから夢を叶えたのかなーと思ってたんだけど……なんかごめんね」
「いいんだよ、バハムートを恨むのは筋違いだからな」
「ぐふー……」
 小さく頭を下げるアナスタシアにほほ笑むビュウ。だがサラマンダーだけは、ぷうと鼻を膨らませると纏わりつくものを払うように頭を振ったのだった。

「でも一緒に寝起きができるのって幸せよねー……あっ、今のはそういうノロケじゃないからね!」
 わたわたと慌てながら手を振ると、アナスタシアはバルクレイの手をとりゆっくり立ち上がった。
「ああ、本当だ。これが新婚の良さってやつだよな」
「きゃふふう」
 なあ、と問うように振り向くビュウの顔に、サラマンダーはすりすりと口を擦り付ける。多少よだれで汚れようがお構いなしなところは以前と変わらないようだ。
「新婚、新婚……?」
 その程度では全くうろたえない二人も、発言には首をひねった。いくらドラゴン好きとはいえ、一人格を見出すのは難しいと思っていたからだ。
「あっ!」
「び……っくりしたあ。なによバルクレイ?」
「思い出してよ、ビュウの最後の挨拶をさ。冗談だと思ってたんだけどなあ」
「失礼な。俺はあの時からずっと本気だぞ」
 困惑するバルクレイと思い出そうと唸るアナスタシア。そんな二人を前に、ビュウは一瞬むっとしたかと思うとこらえきれずに笑い出した。
「なんだっけ、忘れちゃった。二人の幸せそうなところしか印象にないのよね」
「まあ、間違いではないけど……。これからは夫婦で協力して生きていきます、って言われても最後まで変わらないなあ、で笑って終わりだったじゃないか」
「やっぱりそう思われてたんだな。でもみんなに祝福されたんだから良いんだよ、なあ?」
「きゃう~」
 ぐるぐると喉を鳴らしながら、サラマンダーは振り返るビュウの頬をぺろりと舐める。仲睦まじい様子をそれ以上茶化すことはできないと二人は見守っていたが、それでも気になることはある。一向に離れない関係に遠慮がちに声をかける。
「ねえねえ、聞くのは野暮かもしれないけど、サラマンダーに性別ってあるの?」
「もちろん女の子さ。できることならドレスを着せてあげたいよ」
 アナスタシアの質問の終わりに被せてビュウは答える。少し荒くなる語気に、彼の執着を垣間見た気がした。
「なるほど……そういうことなのね」
「一人で納得しないでくれよ」
 腑に落ちない顔のバルクレイは小さく身をかがめて彼女の耳にささやく。だがちらりと視線を返しただけで、アナスタシアは何事もなかったようにビュウの言葉を拾った。
 
「素敵じゃない! でもそれなら結婚式を挙げたらいいのに。サラマンダーにとっても一生に一度のことだもん、きれいになりたいよね?」
「なあ?」
 「くう?」
 身を乗り出すように語りかけるアナスタシアに、ビュウも便乗して笑う。だがサラマンダーは首をかしげるとふるふると頭を振るばかりだ。
「やっぱりドラゴンには……んんっ?!」
「どうした?」
「ううん、似合うドレスを縫える人なんてそうそう見つからなさそうよねって。ね?」
「ああ、でも……カーナは広いんだ、きっと見つかるさ、ははは……」
 脇腹をさすりつつバルクレイは表情を繕ってみせる。けれど一度彼女を愛で始めたビュウの盲目ぶりに、どうやら彼の失言は見過ごされたらしい。うーん、と小さく呻ってから、ビュウは困ったように笑った。
「さすがに規格外すぎるか。そもそも服を着る習慣がなかったからなあ。その前に式を挙げる地点で大騒ぎになりそうだな」
「あれ? てっきり思い出の教会で挙げるものかと思ってたわ。ヨヨ女王が一番理解してくれてるんだし、会場選びは悩まないと思ってたんだけどなあ」
 自分たちの挙げた式を思い出しながら、アナスタシアはうっとりとバルクレイに微笑んだ。抉るように脇腹をつついておいて何を、という気持ちすら吹き飛ばすような彼女の笑顔に、彼の目尻は緩んだのだった。
「ドラゴンの真実が知れ渡ったところで、認識はそう簡単に変わりませんもんね。考えが古いならよっぽどですし。話の通りそうなセンダック老師もいまいちあてになりませんし……」
「センダックにこれ以上負担をかけるつもりはないよ。そうでなくても隠居の身なんだ」
 ふふっと笑いをこぼして、ビュウは小さく頭を振った。そしてサラマンダーの首筋にもたれかかるように振り返るとついと目を細めた。
「時間はあるんだ。問題は俺たち自身で解決してみせるよ。何も形に残さなければ証明できないほど、俺たちの仲は不確かなものじゃないさ。なあ、サラ?」
「きゃうふう!」
「……お熱いことで」
 つぶやいたのはどちらが先だろうか。日の光を見上げるようなビュウに口づけを落とすサラマンダーの様子を、二人は参列者のように見守ったのだった。
そばにいる幸せ
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というわけで良い夫婦の日だからビュウサラです。ビュウサラビュウなのか……?
どちらの愛情が重いのかと聞かれると未だに私も即答できません。永遠の問いだ……!
らぶらぶ甘い二人の話がもっと増えてくれたらいいな~という思いを込めて。幸せになーれ!
20201122付



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