「……やっぱり乗らなきゃ良かった」
何度目かのため息と共に、ビュウは独りごちた。
今日も平和なファーレンハイト、現在キャンベルからマハールに移動中。
最初の目標であったヨヨの奪還を終わらせ、直後は達成感からか艦内が沸き立ち煩いほどだった。
しかし時間と共に興奮も冷めたのか、暫く敵襲もないのが重なって間延びした空気が流れている。
間延びしているのは仲間たち戦闘員だけではない。彼らのまとめ役であるビュウも同様だった。
そんな事を言えば、彼の目付役になっているマテライトにどやされる事は必須。
しかしビュウは上手く彼の目をかいくぐり、一時の平和を享受していた。
マテライトから逃げおおせた先に向かうはお腹を空かせたドラゴンたちのいる甲板、仲間たちの他愛もない話に耳を傾ける大部屋、そしてファーレンハイトの操縦を一手に引き受けているホーネットがいるブリッジだった。
ホーネットに関して、ビュウは自己紹介を済ませた直後から興味を持っていた。
しかしほぼ初対面の相手の事を何も知らずに特攻するのは、ビュウでも気後れするようだった。
そこでビュウは彼の事を聞いて回る事にした。ホーネットと付き合いの長い人物といえばーー
「え?ボスのことですか?」
「そうだ。ホーネットの過去のことが分かればすごくいいんだけど」
買い物ついでに、と軽い調子で言い出したビュウの質問に、クルーはうーんと唸ってみせた。
「お前たちにも分からない事があるのか?」
「むしろ分からない事の方が多いっすよビュウさん。ボスが自分の事を話してるの、聞いた覚えがないですもん」
「そうか、済まない突然変な事を聞いて。それじゃ」
思った成果が無かったことに素直に肩を落としつつ、その場を去ろうとするビュウは踵を返した。
「あ!ビュウさん、それなら良い方法がありますよ!」
「一応聞くけど、本人に直接聞けって言うんじゃないだろな」
肩越しに制止を呼び掛けるクルーのひとこと。振り返ることなくビュウは質問した。
クルーはぐっと言葉を詰まらせた。それでも努めて調子を変えることなく言葉を返す。
「それはその通りなんすけど……。ボスもビュウさんの事が気になるって言ってたのを思い出したんす!」
「俺の?」
名前に反応してビュウは思わず振り向いた。 そのチャンスを逃がさんとクルーは食い入るように口を開いた。
「そうっす!オレも聞かれたんすよ。でもほらオイラたち、面識まるでないじゃないすか」
「そうだな」
ビュウの素っ気ない返答に、クルーは気を落としたのか声のトーンを少し落とした。
「だからその時は全然答えられなかったんすけど、かなり知りたがってたっすね、あれは」
「仮にも命を預かる一団のまとめ役だもんな。気にしないわけがないな」
「だからビュウさん、ボスと直接話せば一石二鳥って奴っすよ!」
「意味が違う気が……まあいいや、ホーネットの所に行ってみる。ありがとな」
そう言って今度こそビュウは部屋を出ようと、クルーに背を向けて歩き出す。
「土産話待ってますからねー!」
投げかけられた、弾むようなクルーの声と期待に、ビュウは右手を軽く振って応えてみせた。
そして時は冒頭に戻る。
互いに興味を持っていること、ビュウが艦内をうろつけるほど時間に余裕がある状況から、ホーネットはビュウの訪問を喜んでくれた。
そして互いの理解を深めた、かと思いきや。
「何か言ったか?」
「何度でも言ってやるよ、乗らなきゃよかった」
ファーレンハイトの廊下の一角で、大の大人二人が何やら言い合っている。
といっても一人の口から出てくるのはため息ばかりだが。
「後悔してるのか」
「当たり前だろ。まんまと釣られた俺が悪いのは百も承知だけどな」
互いのことを知るために、とホーネットが提案してきた内容について、ビュウは初めのうちは必要性をぶつけてみたり自身の情報を小出しにする理由があるのかと訴えてはみた。
が、ホーネットが言うにはこれも互いを知る足掛かりになり、暇を潰すには丁度いいだろうとの事だった。
ちょっとした時間を埋めるには確かに丁度いいかもしれない、とビュウは話に乗ることにした。
だが今こうして彼が後悔しているように、美味しい結果だけがもたらされる訳でもないらしい。
「それなら恨みっこなしだぜ、ビュウ」
「恨んじゃいないさ。けどなーー」
ビュウは言いにくそうに口を閉ざし、隣にいる男の顔を見上げた。
その男こそホーネットその人だ。タイミングを見計らっていたかのように視線があう。
身長差のせいもあるだろうが、余裕を感じさせる彼の微笑みがビュウにさらなる敗北感を味わわせた。
「これは賭けだ。だから負けたあんたは俺の出した条件を飲むんだ。まさか条件を忘れたか?」
「忘れたいくらいだ」
ぶすっとした表情でビュウは言い切る。
一方ホーネットは楽しくてたまらないのか、笑顔を浮かべたままビュウから視線を外すことなく彼の正面に立った。
つまり、ビュウは物理的に退路を塞がれたことになる。後退する事は出来るだろうが、それは即ち敗北を認める事と同じだ。
周囲に話せば一笑される事だろうが、今のビュウにとっては一大事なのだ。
口の中にたまった唾を飲み込んで、ビュウは小さく頷いた。
「……で、期限はいつまでだ」
「何だ、次の出撃時まででもいいのか?」
「無理矢理にでも実績を作って終わらせる」
そう言い放つビュウの目は本気だ。有言実行の彼のこと、何が起きるか予想がつかない。
仕方ない、と言いたげにホーネットは小さく息を吐いた。
「日付が変わるまででいい。条件を忘れた場合の罰は特になし。緩いもんだろ?」
「罰……?」
掠れるような声を出したビュウの表情が、若干青ざめて見えるのは気のせいだろうか。
「それじゃ今からよろしくな。なあビュウ」
「…………」
ビュウは口をぱくぱくさせている。二人の他に誰もいないお陰で、かろうじて彼が発声している事は分かった。
ホーネットはわざとらしく首をかしげてみせ、ビュウを煽る事にした。
「なんだ、何を言ってるのか分からんぞ?」
「な、な、――なんだ、だーりん」
ビュウは極力表情がホーネットに見えないように顔を逸らし、俯いては見せるが行為自体が恥ずかしいのか、彼の体は小刻みに震えていた。
その様子があまり面白くないのか、ホーネットは眉根を寄せて語気を荒げる。
「おい、さすがに取り決めに反して抵抗して見せるのはどうかと思うぞ。そもそも何を恥ずかしがる必要があるんだ。やるからにはやり通せ、男だろ?」
「性別が関係あるのなら、そもそもお前はどうして男相手にこんなことを言わせようと思った」
ビュウは視線をホーネットに投げかけた。角度のせいか感情がこもっているせいか、睨んでいるようにしか見えない。
一方ホーネットは小さく首を横に振ってみせると、大仰に息を吐いて呆れたようにこう言った。
「堅物に見えるお前が言わなさそうなセリフを吐いたら面白いだろうなと思っただけだ。今の所面白くないからもっと感情を込めろ感情を。何なら俺を相手に演技するつもりでもいい」
「その演技を日が変わるまでやれって言うのか、お前は」
そう言いつつビュウはホーネットに向き直った。半ば破れかぶれといったところだろう。
「さっきからなあ、お前お前って……まあいい、行くぞ」
そう言ってホーネットはゆっくりと踵を返した。ビュウの横を過ぎるついでに、彼の肩を軽く叩いて催促した。
「行くってどこへ」
「無論俺の部屋だ。何なら一日お前を連れ回して、俺との熱い仲を広めてやっても」
「分かった。おま、案内してくれ、だーりん」
ホーネットの言葉に割り込んだビュウの言葉にまるで感情はなかったが、今は彼に従うのが吉と判断したのか大人しく後に続いて歩き出した。
「そういえば俺の部屋の場所は知らないんだったか、ハニー」
「は……?!」
思わぬ言葉がホーネットの口から出てきて、ビュウの足は廊下に張り付いたかのようにぴたりと止まった。それでも歩調の変わらないホーネットに対して、足を引きはがすようにしてビュウは何とか追いつく事しか出来なかった。
「……?どうしたハニー、妙に息が上がっているみたいだが」
「どうしたもこうしたも、何だその呼び方は」
「ビュウが呼びやすいようにしたくてな。ダーリンと言ったらハニーだろ?」
息の荒いビュウに対してホーネットは明るく歯を見せて笑ってみせた。
「そもそもだ、お前がこんなにころころ表情を変えるなんて知らなかったぞ」
「まさか軽いつもりで乗った賭けでこんな目に遭うとは思ってなかったさ、俺は」
笑顔を絶やさないホーネットに対して、ビュウが今度は眉間に皺を寄せてみせる。
「この愛しのダーリン様は相手を弄んで楽しむような趣味がおありなのかな?」
「そんな事をするはずないじゃないかハニー。俺はただ君のことをもっと知りたいだけだ」
二人で芝居がかった会話と大仰な仕草で話す二人は、状況を知らない人からすればさぞ仲睦まじく見えるだろう。
「俺の事を知りたいならどうして仲間の行動を賭けにしようなんて思った」
「ほら、そこは遊びの範疇でしかないさ。大切なのはその後だよハニー」
責めるようなビュウの問いかけにも、ホーネットは調子を崩すことなくウインクをしてみせる。
ビュウは降参だと言いたげに両手を軽く挙げて応えた。
「分かった。分かったから君のことをもっと教えてくれないか、ダーリン」
「そう、それでいいんだよハニー。それではこちらへどうぞ」
「……ここは?」
気付けば二人はある部屋の前へ来ていた。ホーネットは自ら進んでドアを開け、執事のように腰を折り手を添えビュウを中に招こうとしている。
「俺の部屋さ。連れ回されるのが嫌なら、ここでじっくり話そうじゃないか。異論は?」
「ないさ。ありませんとも」
ビュウの返答に、ホーネットは満足そうに頷いた。
「それならじっくり語り合えそうだ。俺の好きなワインの味でも覚えてもらおうかな」
「昼間から酒盛りか?」
「どうせ二人きりなんだ、酒が入れば進む話もあるだろうさ」
「そりゃそうだな、風紀に厳しい誰かさんの耳に入らないなら歓迎するさ」
「だろうさ。さあ中へ、マイハニー」
「今日は一日この調子なのか……」
小さくビュウが息を吐いた後で、二人は顔を見合わせてくつくつと笑った。
「そういえば」
「……何だ?」
部屋に入ったビュウに向かって、不意にホーネットが問いかける。
「もしハニーが賭けに勝ったら、俺に何を言うつもりだったんだ?」
「聞いたらきっと笑う」
「笑わないさ」
少しの問答の後、振り向いたビュウは視線を逸らして小さく呟いた。
「俺は……あれだ、ファーレンハイトを動かしてみたかったんだ」
「ほう」
「興味はあったんだ。でも専門知識もない人間が勝手にいじる訳にもいかないだろ」
所在なく指先を触りつつ困ったように目線をあげるビュウの声を、ホーネットの笑い声が一蹴した。
「はははは、なんだそんなことか」
「……俺は真面目だ」
「その程度、暇なら触らせてやるのに慎重だなこのお方は」
「な、それならそれを早く言えよ!いつも気難しい顔して立ってるせいで」
「ははは、分かった、分かったから電気を付けてくれないか」
ビュウが捲し立てる一方で、ホーネットは笑いを絶やさないまま彼を部屋の中へ押し込んだ。
その一方で自分も部屋に踏み込むと、後ろ手で扉を閉めて二人の世界を作り上げる。
今日一日、退屈をしないで済みそうだ、と胸を弾ませながら。
お題から、結果通り「賭けに負けて」です。
賭けの内容より負けた内容の方が大事だよね!
……と思いつつ書いたのですがこれで良かったんでしょうか。ビュウを転がすホーネットイケメン。(20150923)