Novel / ナイトトリオと祭り


 「あーあっちいなあ」
 「仕方ないですよ、夏なんですから」
 今日だけで何度繰り返したか分からない言葉を交わして、ラッシュは踝まで浸かった水を蹴り上げた。
 真夏の太陽の光を反射してきらめきを放つ水滴に全く目も向けずに、彼は気だるげに景色を見ながらシャツの襟元を煽った。
 「泳いでないかなあ、おさかな」
 「食べられるものはいないと思いますよ、せめて川岸まで行かないと」
 「じゃあみんなで行こうよ! 釣りしようよ、釣り!」
 「……待てよビッケバッケ、おれはこれ以上暑いところなんて行きたくねーぜ」
 立ち上がりラッシュの服の袖を掴んだビッケバッケと呼ばれた少年は、不機嫌そうに彼を一瞥して鼻を鳴らしたラッシュに悲しそうな目を向けた。
 「ビッケバッケ……」
 「えへへ、トゥルース、ボク食べられそうなものを探してくるね!」
 ラッシュの向こうから心配そうな視線を送るトゥルースににこやかな笑顔を向けて、そういい残すとビッケバッケは手近な石造りの階段を駆け上がっていった。
 「言葉がきついですよラッシュ。確かに今の時間の川辺は街中より暑いのは確かですが……」
 「アイツは言ったらすぐやろうとするから、アレくらい言わないと分からねえんだよ」
 「そう、ですか……」
 諌めるトゥルースの言葉も、今はラッシュに届かないらしい。彼なりの理論を口にすると、暑さのイライラを合わせてぶつけるように乱暴に両足の踵を水面に叩きつけた。

 ラッシュ、トゥルース、ビッケバッケはカーナの中心である聖都でともに暮らしていた。
 ただし彼らには両親も、保護してくれる大人もいない。すべては彼らの行動次第だった。
 そんな彼らには帰る家もなかった。なので彼らは路地の片隅で眠り、時折見つける隠れ家を追われながら、居心地の良い場所を探して日夜町を駆け回っていた。

 そして今の季節は夏。整備された石畳の町は、上から下から熱を送ってくる。それから逃れるように、三人は街中を流れる水路へやってきた。
 水路は周辺の家々の一段下を流れている。その周囲は大人が数人並んで歩けるくらいの遊歩道になっていた。深さも大人の膝丈程度しかなく、住民の憩いの場となるべく作られたのだろう。彼らは涼む住人たちに紛れて涼を取っていた。目的が同じせいか余裕があるのか、いつもなら場所を追われる立場の自分たちに対して何も言われないことが、彼らには少し嬉しかった。

 「……アイツ、帰ってこないな」
 さらさらと流れ続ける水面から顔を逸らして、ぽつりとラッシュは呟いた。
 「心配なんですね」
 くすりと笑うトゥルースにラッシュは睨みをきかせたが、すぐに視線を水面に戻して言葉を吐き出した。
 「しちゃ悪いかよ」
 「いいえ。でも本当にどこまで行って……あっ!」
 「おーい、ラッシュ、トゥルース、こっちこっち!」
 「てめえビッケバッケ!」
 階段に目をやったトゥルースとビッケバッケの顔が合わさった。二人の心配をよそに、彼はいつもの調子で声をかける。それと同時に、ラッシュはばねのように水路から足を出すと持ち前の瞬発力で階段に向かった。
 「ラッシュ!」
 思わずトゥルースは声を彼の背中にかけたがもう遅い。数秒後には目を赤くしたビッケバッケがそこに立っていることだろう。
 「おれがどれだけ心配して――」
 「はいっ、ラッシュのぶん!」
 未熟な感情に暴力を乗せて、彼の手がまさにビッケバッケに振り下ろされようとした瞬間。明るい声とともに、ラッシュの手には一本の棒が握られていた。
 「なんだ、これ?」
 「ラッシュもお腹空いてたんだね。よかったあ」
 微笑むビッケバッケを前に、ラッシュは手にしたそれをまじまじと見た。とっさにそれを手にしたのは、果物と砂糖の甘い匂いのせいだった。そしてそれは、彼らにとって中々見ないご馳走であることは一目見て分かった。
 「りんご、だよなこれ」
 「うん。トゥルースもおいでよ!」
 「ビッケバッケ! 無事で何よりです」
 ほっとした様子でトゥルースが階段をゆっくり上がってくる。しかしラッシュの関心は既に二人から離れていた。
 「……釘付けですね。よだれが出てます」
 「早く食べたいんだね。はい、トゥルースの。それじゃあ、いただきます!」
 「いただきます」
 二人が挨拶をしている間に、たまらずラッシュはりんごに食いついた。一口かじると、たちまち果汁が彼の口内と心を満たした。それでも欲求には勝てず、彼はひたすらりんごにむしゃぶりついた。
 「これだけ身のついたものなんて、久々に食べた気がします。三人分もどうやって見つけたんですか?」
 惜しむように咀嚼し飲み込むと、トゥルースは口をべたべたにしたビッケバッケに質問した。彼は路地の向こうを指差すと満面の笑みを浮かべた。
 「三つ向こうの通りにね、いっぱいお店が出てたんだ! 人もいっぱいいたからボクに全然気づかないし、お店のゴミ箱をあさっても何も言われなかったよー」
 「祭りでもあるんでしょうか」
 そう口にして、トゥルースは芯だけになった棒を見つめた。そういう話を聞いた気もするが、人の多い場所を避けて生きてきた彼らにとっては遠い世界の話だと思い込んでいたのだ。
 「つまり食い物がたくさんあるってことだろ!」
 もはや持ち手の木の棒と同化したりんごの芯を振って、ラッシュは興奮気味に二人の間に割って入った。
 「いろんな食べ物のにおいがしたよ。もしかしたら、しばらくご飯に困らないかも」
 「それなら行くしかないだろ! 道案内よろしくな!」
 「うん、こっちこっち!」
 二人ははしゃいでその場に木の棒を投げ捨てると、子供ならではの俊足で路地を駆けていく。
 「あっ、待ってください!」
 その場にごみを捨てることをためらっていたトゥルースは、結局捨て置けずに二人の背中を追いかけた。

 「すげーな! 人がいっぱいだぜ!」
 「確かにこれだけ人がいれば私たちの姿も紛れますね」
 三人が足を止めた、そこは先ほどの水路の行き着く先で橋のかかる広い川だった。それをまたいで数々の露店が軒を並べ、人々の賑やかな声がうだるような暑さを吹き飛ばそうとしていた。
 「よーし腹いっぱい食うぞ!」
 「しゅっぱーつ!」
 「あまり無理はしないでくださいよ」
 さっそく手を繋いで人ごみに紛れようとしたラッシュとビッケバッケの背中に向かって、トゥルースは声をかけた。ラッシュは一瞬振り向いて首を捻ったが、引かれるままに人の波に飲まれていった。
 「小銭でも落ちていれば……」
 呟いて、トゥルースは道の端を歩きながら足元に注意を向けた。彼もまた、路地暮らしは長かったが施しでないものに対して軽い抵抗を感じていた。
 それは彼に施された教育の成果ともいえなくはないが、そのせいで昔に二人に迷惑をかけていたのも事実だった。
 「そんな都合よくはいかないものですね」
 次の橋まで歩ききって、トゥルースはあっさり諦めると欄干によじ登り縁に腰をかけた。川から吹く涼しい風が、彼の額に張り付いた前髪を剥がし汗を乾かした。
 「祭り、ですか」
 嫌でも見える人波の中には、父親の肩に乗る子供や親の手を離すまいと握って歩く子供の姿が多くあった。
 かつては自分も兄とともに父の手を握り、祭りを心から楽しんでいたはずだ。もしあの事故がなければ、今日この時だって――。
 おぼろげになりつつある記憶と感傷に浸るように、彼は弾む子供たちの声に耳を傾けていた。

ナイトトリオと祭り
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捻りも何もなくカーナ時代のナイトトリオと夏祭り、でした。本当は夏コミのペーパーを作るなら、こんなSSを載せてみたいなー、と思っていまして、その流れで書いてみました。ぴったり3ページ分。
規定ページ以内に収めるのは、やはり難しいなーと思いました。いつも好きなだけ書いているせいなのですが。
ちなみにトゥルースの設定は、以前の「彼についての~」と同一です。彼の実直さはこの暮らしには本当に向いてないと思うんだ……。ある意味無邪気な二人が救い。
2016/10/02



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