「ねえママ、ママ!」
「どうしたのビュウったら」
乗せて、と目前で両手を伸ばしジャンプする幼い我が子の姿に母は微笑むと彼のワガママに答えることにした。
「よいしょ……っと、もう私に抱っこは無理ね」
「えーっ、ダメ?」
「次からはパパにしてもらってね?」
脇に手を通してから持ち上げるまで、ずいぶん間があるなとビュウも思ってはいた。まるで引き上げられた犬のようだと思っていると、笑っていた母の顔がゆっくりと彼女の向かいに座っている父に向けられる。
「それくらいなら、得意でしょ?」
「ああ、ああ……」
含みのある言い方に思うところがあるのだろう、穏やかに笑っていたはずの父は虚を突かれたように焦りだし頬を掻いている。目まで泳がせる様はまるで嘘をつくことに慣れていない人柄を表しているようだ。
「パパはいつも抱っこしてくれてるから……ダメ?」
「そういうことなの、でもあんまりパパを困らせちゃダメよ?」
膝の上で足を揺らしながら、ビュウは母の顔をよく見ようと見上げた。返ってきた答えは温かなハグと、厳しくも優しい父への心遣いだった。
「うん! ちゃんと訓練はしてるよ!!」
「その調子で頑張れよー、ビュウ」
「もう、そうやって甘やかす」
先ほどまでの空気はどこへやら、外した調子でエールを送る父親に苦笑いを浮かべながらも母親の柔らかな手は頬を撫でる。
忙しくも暖かな、ある一家の団らん。
柔らかな母の胸に身を委ねながら、ビュウは夢見心地でつぶやいた。
「ぼくも大人になったら、パパとママみたいになるのかな?」
「――もちろんだ。ビュウがもう少し大きくなったら、二人がどうやって出会ったのかを教えてあげような、なあ?」
「なあ、じゃないわよ。この子はこの子の人生を生きるんだから――」
母親がなんと言ったのか、それは今でも分からない。ただこの二人の人生は自分が思っている以上に幸せだったに違いないという幸福な思いを抱いて、ビュウはそっと目を閉じたのだった。
「……で、大人になった俺が選んだ幸せはこれだったわけだが」
「きゃふ?」
上から吹きかかる暖かな吐息に首筋をくすぐられて、ビュウは小さく身じろぎした。
春が訪れたばかりのカーナはまだ少し肌寒く、上着の一枚は欲しいところだ。
だがそれを、相方であるサラマンダーの体温を借りることでビュウはやり過ごしていた。
いつの頃からか憧れた、二人きりの暮らし。それを手に入れてどれだけ経ったか実感するのは一年ごとに祝う以外で意識したことはなかったが、こうして昔の思い出に浸るとき、自分の取った選択が間違っていなかったと強く実感したものだ。
「サラは今幸せか?」
「きゃふう!」
分かりやすすぎる質問に答えるサラマンダーの表現もまたわかりやすい。ぐるぐると喉を鳴らしながら顔を近づけてきたかと思うと頬をぺろりと舐める。そしてとぐろを巻くようにビュウを巻き取って、誰にも近寄れないようにしてしまうのだ。
「あはは、くすぐったいよサラ」
「ぐふふ」
適度な硬さのある体毛は、人間の皮膚には少々こそばゆく感じられる。だからこそ夏でもできる限り肌を隠すようにはしているものの、全身をくすぐられる感触は何度味わっても慣れるものではない。
そんなビュウの表情を、まるで楽しむかのようにサラマンダーの澄んだ緑の目は一瞬も見過ごすまいと輝いている。
「くそ、今日こそ負けないからな……ふふっ」
「ぐるるる……」
こうなったらビュウが白旗を揚げるまで我慢大会は終わらない。今の一度も勝ったことのない勝負を挑む彼の表情は、喜びにすっかり緩んでいたのだった。
幸せの形はそれぞれだよねって。
ここからラブラブなビュウサラください。
フリーワンライ作品です。
2021/03/06