武術演習の朝は早い。
少なくとも寝心地がいいとはいえない樫の木で出来た2段ベッドを叩き出される様に飛び起きて、朝食もままならないうちに整列、基本動作、そしてその日の演習が始まる。
へとへとになるまで動いて、やっと朝食にあり付けるのは日も大分上り始めた頃である。
遠くからわずかに、聖歌が聞こえる。意味はざっとカーナの守護龍であるバハムートを讃え、今日も私たちを見守りください。こんな所だろう。聖書のせの字も読む気にならないラッシュにとってはどうでもいい話ではあるのだけれど。
こんな事を言ったらプリーストに四方八方から叱責されるのだろうか、などと思いラッシュはそんな状況を思い浮かべて心のうちで含み笑いした。
プリーストたちの朝は意外と遅い。
宿舎の上部に取り付けられた鐘を鳴らす係りにでもならない限り、ゆっくり睡眠をとる事ができる。
それが、彼女たちの目覚ましでもあるからだ。ディアナはこれが苦手だった。
こんな作業をしている暇があったら、司祭様の話を聞いているほうがずっとマシだ。
東の空に上がった朝日に目を細めながら、ディアナはゆっくり身を起こす。
質素な樫のベッドに、夜の祈りをささげる為の簡単な祭壇。僅かに開いた窓からは、5月の爽やかな風が薄いガーゼのカーテンを揺らす。寝起きの気分は事の外順調なようだ。
パジャマからローブに着替えると、祭壇に収めてある竜をモチーフにしたペンダントを手に取る。
これは朝の礼拝には欠かせないものだ。ただのモチーフではなく、カーナのこの部隊に所属してから司祭から頂ける、プリーストたる証でもあった。
ディアナはをそれを首から提げると、宿舎から出て教会へと向かう。
彼女の頭の中は、今日の司祭の話の予想と、それからの仲間との他愛無い話のことで一杯だった。
午後。彼らには自由時間、という名のそれぞれの部隊の交流時間があった。
基本前線戦闘員と、後衛戦闘員とでは生活リズムも、活動内容も、全く違ったものであり、この時間がなければ互いが互いを窺い知ることなどないであろう。
といっても、彼らは自由気ままに町を散歩したり、趣味にその時間を割いたりと上層部が予想するものを完全に裏切るようなものばかりであったことを明記しておこう。
陽光輝く城の中庭で、仲良く語り合っているのはディアナ。お供はフレデリカにルキアにミスト。
話題といえば女子同士の他愛無いこと、あの店のお菓子が美味しいよ、だとか寝る前の美容が、だとか。
そんな中に、一人の影。ディアナはそれに気づいてふと立ち上がる。
「えーっと、あたしたちに何か用なの?」
ラッシュはなんと答えたらいいのかわからず後ろ手で頭を掻く。
「ほら、男子にだって可愛い女の子と話したい時くらいあるでしょ!」
ルキアが助け舟を出す。ラッシュは内心ほっとした。自分から普段女子の話に付き合うことなどないのだから。ルキアを見やると、彼女はいいのよ、とばかりにウインクひとつ。
「そうだ、用があるんだよ。そうじゃなきゃオレ、いつもあいつらと一緒にいるし」
「あいつら…?そうかそうか、噂には聞いてるよ、あなたが上司の頭を悩ませてる3バカの中の」
ディアナは急に瞳をきらきらさせて喋りたてる。ラッシュは思わず話しに食いついた。
「ちょっと待てよ、オレはお前を知らないのに何だよその3バカって」
「だから噂だってウワサ。最近入隊してきたカーナの問題児、ラッシュってあなたの事なのね?」
ラッシュは思わず頭を抱えた。どうして接点のない相手にここまで正確に自分のことを当てられているのか。
するとオドオドとフレデリカが言葉を紡ぐ。
「ええとね、ディアナは噂話が大好きでね、いつもどこかしらで情報を集めるのが趣味なんだって」
「趣味だとまで言った覚えはないわよ!」
ディアナは少し頬を膨らませる。しかしそれほど気に留めていない様子で、言葉を続ける。
「それで、その問題児のラッシュ君が私に何か聞きたいことでもあるの?」
「その『問題児』ってのはやめてくれ。それにここじゃ話しづらい事なんだ」
ラッシュはディアナを含む女性4人を見下ろした。ミストがその空気を一番早くに読み取った。
「ほらほら、ここだと話しづらいって言っているなら、テラスにでも行きましょう」
フレデリカが軽く頷き立ち上がり、ルキアは言われるとほぼ同時にテラスへと歩き始めていた。
ディアナもフレデリカを支えて移動しようとしたところ。袖を後ろから掴まれた。
「お前に、用事があるんだよ」
フレデリカは大丈夫だから、とミストと共に歩き出し、残されたのはラッシュとディアナだけ。
ラッシュは何も言わずに顎を城下町の方向へ向けて歩き出した。ディアナも大人しく続く。
暫く歩くと、城下町の見下ろせる丘にたどり着いた。ディアナには、どうやってここまでやってきたか記憶がない。ない、と言うより思い出せないと言ったほうが的確だろう。
ラッシュは細い路地を進み、古民家の間をすり抜け、荒廃した家々の間を器用に登った。
一介の騎士なのだとしたら、こんな下町の事など分からないに違いない。
どうして、と聞こうと思ってラッシュを見やると、ラッシュはすでに口を開いていた。
「ビックリしただろ。カーナにこんな場所があるなんて、お前知ってたか?」
ディアナは素直に知らない、と答えた。こんな場所に暮らしている人々がいた事も知らなかった。
「オレはこの場所が好きなんだ。お前は噂だって言ってたけど、オレが問題児だってのは本当だ」
「俺は孤児だった。あちこちで好き勝手やってたら問題児扱いされてた。ある事件を起こしてビュウに出会った。それで誘われたんだよ、ここにな」
ラッシュの独白。ディアナは驚いた。カーナ騎士団に入るには、それなりの身分が必要だったはず。
それでも戦竜隊隊長であるビュウに見初められた、という事はそれだけでかなりの栄光だ。
「だからオレは頑張ってきた。ビュウみたいになりたくてな。目標はただ一人、ビュウだけだ」
ラッシュは人懐っこい笑顔でこちらを見た。子犬みたいだ。ディアナはとっさにそう思った。
「それで…だ。話が大分逸れちまったんだけど」
一呼吸置いて、ラッシュは話を続ける。
「ここに来るまで、何を見た?どんなことがあった?」
突然何を、と思ったがディアナは素直にそれに答えた。
「古びた民家と、元気よく遊ぶ子供たちと、疲れた老人たち、それに人に棄てられた家々・・・」
「お前、プリーストだよな?聖職者っていうのは、ああいった下々の者まで救済するのが役割じゃないのか?!」
突然、ラッシュは激昂して立ち上がった。二人の間には暗い影が落ちる。
「お前の信じてる神ってのは何やってんだよ!『生きている間は全てが平等だ』なんて嘘ばっかりじゃねーか!」
ラッシュは孤児院にいた頃、「おかあさん」がそう言っていたことを思い出していた。
『生きていることは素晴らしいこと。神は全てを見守っておられるのですよ、今日も神に感謝を』
「ちっとも平等なんかじゃねぇ!だからオレは決めたんだ、自分の力で幸せを掴むんだって」
ラッシュは鞘に収めた剣の柄を握り締めた。
「そんなじゃない!私はただ皆が平和に、笑いあえて幸せだと言える生活を保ちたくてプリーストになったの!だから毎日祈ってるのよ、『今日もこの世の幸せをお守りください』って!」
ラッシュにつられるように、ディアナも立ち上がる。身長差はどんどん縮まり、
ごちん。
鈍い音を立てて、ラッシュとディアナの額がぶつかる。
「……!!」
初めに頭を抱えたのはディアナだった。それはそうだろう、こんな石頭な男とまともにぶつかりあって、無事な女子供などいないだろう。
ラッシュはさっきの怒りはどこへやら、すかさずしゃがみ込んでディアナの顔を覗きこむ。
「大丈夫か?打っただけか?怪我してるようなら手当てを・・・」
案外ラッシュはしどろもどろだった。ディアナがプリーストであること自体を忘れているらしい。
「・・・ちょっと待って、これくらいならすぐに治るから」
ディアナはわんわん共鳴する頭痛を出来るだけ集中させながら、手のひらをかざす。
すると手のひらから暖かな光が溢れてぶつかった場所であろう部分を包む。
しばらくして光が止むと、ほっとした様子のラッシュと対照的に、ディアナはずい、と顔を突き出す。
「ちょっと、さっきは守れだの言ってた割りに私の怪我はそのままなのね!」
「いやちょっと待てよ、俺はナイトだぜ?怪我の治し方なんて赤チン位しか知らないっての」
ふてくされた様子のラッシュに、ディアナは思わず小さく吹き出す。
「ラッシュって、やっぱり子供みたい。見ててすごく面白いわ!」
「面白いってなんだよ道化かよ。オレを馬鹿にしてると痛い目に合うぞ」
「痛い目だなんて、『弱気を助け、強気を挫く』の精神に相反しちゃうんじゃないのー?」
「う、うっせぇ!今のはちょっとした言葉のあやってやつだからなディアナ!」
そんな言葉の応酬が続いた後。
「そうだ、そんなに言うならラッシュに丁度いいものがあるわ」
ディアナはゆっくり腰を上げるとそう言った。
知らぬ間に太陽は西へと落ち込み、優しい橙色が景色ごとを包んでいた。
「なんだよ、いいものって」
ラッシュも砕けた様子でディアナを見やる。ディアナはローブのポケットからネックレスを取り出した。
剣に竜が巻きついたデザインの、安っぽいネックレスだ。剣は武運を、竜は平安のモチーフとされ、ここ最近のカーナの流行なのだそうだ。けれどラッシュには分かるはずもない。
「ネックレス・・・?こんなもんどうしろって」
「最近の流行なんだってさ。これが自分の身を守ってくれるんだって」
ディアナはラッシュにそれを手渡した。ラッシュはそれにあまり興味はなさそうだった。
「自分の身を守るっていうのはな、こんなお守りひとつじゃ助けてくれやしないんだぜ?どうして・・・」
「それが自分の祈りに繋がるんだって、司祭様がおっしゃっていたの」
ディアナは続ける。
「身に着けるものに祈りを込めて、その上で自分自身の力の糧にするんだって」
「だからラッシュにも、つけておいて欲しいなって」
ディアナは視線をネックレスからラッシュに向ける。ラッシュはその視線に気づいてディアナを見やる。
「ラッシュはその『幸せ』を掴むために祈って。私はその『幸せ』のために祈るから。」
ディアナは言って、つと視線を逸らす。ラッシュは初めは何を言っているか分からず、
「おう分かった、それならオレはその幸せを掴むために頑張らなきゃな!」
などと言ってネックレスを付けてみたりするのだけれど。
そのうちやっとディアナの言わんとしている事が分かったのか、突然硬直する。
自分でも、顔に血液が回っていることに気づく。けれどどうにかなるものではない。
そんな二人を、地平線の向こうに沈みそうな太陽が真紅に染め上げていた。
そして規則を破った二人は帰ってゾラのような教育係に怒られるのでしょう。
元は「おでこをくっつけてバーカバーカと言い合う二人、後ニコニコ」だったはずなのですがどうしてこうなった。
後宗教とか神様とかよくわかってないですごめんなさい、でも信念のために努力する姿は素晴らしい!