けだるい身体。回らない頭。
こんな状態はいつものことだが、こんなに体調の悪いのも久々だ。
せっかく、故郷に帰って来たというのに。
「ああ、身体が重い…自分の身体なのに、思うとおりに動かせないなんて」
フレデリカは、自らの身体の脆さをこの日ほど呪ったことはなかった。
反乱軍の旗艦であるファーレンハイトは、現在キャンベルの王都に停泊していた。キャンベルを開放し、メンバーはキャンベルの平和の訪れた町を多少の反対の目に晒されながらも満喫していたのだが―
キャンベルの森に潜む魔物たちや帝国軍と、強行軍を続けていた反乱軍の一部メンバーは、ファーレンハイト内で羽を伸ばしていた。
フレデリカもその一人、と言うより耐えられなかったのかベッドで寝込んでいた。
微熱と熱と
「…デリカ…フレデリカ?大丈夫か?」
ベッドの中でうとうとしていたフレデリカは、暫く声を掛けた主が誰だか分からないでいた。
ぼんやりした思考の中、そちらを見るといたのは見慣れた姿。
「ディアナ達から、かなり消耗して寝込んでるって聞いたんだ。鎮痛剤を持ってきたんだけど必要か?」
「ビュウ…さん…」
片手に薬の入った袋を、片手に水の入ったコップを持って現れたのはビュウであった。今まで、何度か声を掛けて貰ったことはある。しかし、このような形で直接見舞われたのは初めての事だった。
「あの、町の様子は大丈夫なんですか?」
「ああ、みんな伸び伸びしてるみたいなんでね、一度戻ってきたらフレデリカがこの状態だ。どうにも放っておけなくて」
胸が少しどきり、とした。が、これは仲間としての愛情なのだろう。
「すみません、私一人がこんな状態で…少し気分が優れなくて」
そう言ってベッドから上体を起こす。渡された薬とグラスを、ベッドの脇にそっと置いた。
「少し気分が悪いだけなので、休憩が出来れば大丈夫なんです」
「それなら、少し外に出て風でも浴びないか?」
「…え?」
思いもかけぬ、ビュウからの誘い。確かにずっとベッドで寝ているよりも、少しは外に出て故郷の空気を吸ったほうが元気になれるかもしれない。フレデリカはこくり、と首を縦に振った。
「それなら、少し行きたい場所があるんです」
「それで、サラに乗りたいって?」
「はい、すみませんがお願いします」
そう言ってフレデリカはぺこりと頭を下げた。
ファーレンハイトの甲板に出た二人は、サラマンダーの前にいた。
ビュウはサラマンダーの首筋を優しく撫でながら、フレデリカの『お願い』に小首を傾げた。
「フレデリカの言う、行きたい場所っていうのはどこなんだ?」
「せっかく故郷に帰って来たから、故郷の空気を吸いたいなって」
そう言ったフレデリカの声は、風にかき消されそうになっていた。
未だによろつくフレデリカを心配そうに見下ろしながら、ビュウはサラマンダーにひらりと跨り、彼女に手を伸ばした。
「道案内は頼んだ。それじゃ、行くぞ」
フレデリカを引き上げると、ビュウはひとつ指笛を吹いた。それに答えるように、サラマンダーは翼を広げ声高く鳴いた。
彼女の言う「故郷」は、王都から少し離れた森の中にあるらしい。
サラマンダーから落ちないように必死に手綱に捕まりながら、ぽつりぽつりと故郷の話を聞いた。
自然豊かな田舎であること。時間がゆっくり流れているかのようにのどかな―要するに、特筆することのない田舎であるらしかった。
彼女が指差す方向を見やると、眼下には視界を多い尽くすような森林があり、その中でぽつりと楕円に切り取ったかのような村があった。
「今はあまり時間がないでしょうから、あそこなんかはどうでしょう?」
フレデリカはさらに指先を先へと伸ばす。そこには、周囲の木とは明らかに異彩を放つ、古ぼけた巨大な樹が立っていた。
その巨大な樹は、その森の中心的存在なのだとフレデリカが教えてくれた。
その樹の側になんとか翼を下ろし、二人はそのたもとへ辿り着いた。
さわさわと葉が重なり合う音、遠くからは小川のせせらぎが聞こえる以外、何も聞こえない神秘的でさえある場所であった。
「この樹はね、村の守り神様なの。ほらあそこに祠があるでしょ?」
相変わらずよろよろと、それでも一歩一歩しっかりと。フレデリカは
その祠の前まで来ると、ビュウを手招いた。
「竜の神像にお神酒に、花も手向けてあるな。ここ最近誰か来たのかな」
「ここはね、村の人たちが交代交代でお供え物を変えに来るのよ。毎日森の恵みをありがとうって意味なんだって。」
フレデリカはビュウを見て微笑んだ。長い三つ編みが揺れる。
「森の恵みだなんて、ここの人たちは純朴なのかな」
「純朴だなんて…、ただ純粋に、この森に助けられて生きてきたんです、私たちは」
フレデリカがはにかんだ。ビュウは祠の側に腰をかけると、彼女を呼んだ。フレデリカもビュウの側に腰をかけ、ぽつりぽつりと語りだした。
「私たちの村はね、ほぼ自給自足で暮らしてきたの。ビュウさんは?」
「俺はずっと、カーナ王都中心の町で暮らしてきた。特に不平も不満もない生活をしてきた。竜を探している最中は、ほぼ自給自足だったけどな」
そう言ってビュウは笑った。フレデリカもつられるように微笑む。
「この村は変わることはない、って父が言ってました。今も同じようで安心しました」
「そういえばフレデリカ、ここに来てから体調いいみたいだな。やっぱり環境がそうさせるのか?」
ふと気づけば、ファーレンハイトを離れる前には気分が悪いと言っていたはずの彼女が、今は微笑みながら会話を楽しんでいる。
「そうですか?やっぱりここは、子供の頃から私の一番大事な場所でしたから」
フレデリカはその場から立ち上がると、大きく深呼吸をした。
「私、小さな頃から見ての通り身体が弱くて、寝て起きてばかりの生活だったんです。父も母も、そんな私を心配して御神木さまにお祈りしてた みたいです」
苔むした樹に触れる。昔から何も変わらない、私の聖域。
「そんな私も、母に連れられて何度もここに来たんです。ここに来ると、自然と苦しみからも解放されるんです」
「それはどんな薬よりも効きそうだな」
そう言ってビュウも立ち上がると、深く深呼吸した。森の空気を、ここまで美味しいと感じたのは久しぶりのことだろう。
「薬と言えば」
フレデリカはビュウを振り返る。
「私の母はプリーストで、父は薬剤師なんです。小さい頃から、二人の背中を見ながら育ってきたんです。」
「だから道理で、薬の名前には詳しいのか」
ビュウはなるほど、と思う。けれど毎度買い物に付いてこようとするのは、彼女の体調面から心配なので常々断ってしまうのだけれど。
「人々を助けて回る母親を見て、私もプリーストになりたいな、って自然と思うようになったんです。それからは教会にも、御神木の元にも通ってその道を歩むようになったんです」
「けれど、村と実際の戦場とでは全く勝手が違っただろう?戸惑わなかったのか?」
「出てきたときはとても驚きました。斬られれば血は出るし、火を浴びせられれば火傷だってする。だけれど」
そこで言葉を切って、フレデリカはビュウをしっかり見つめる。
「だからこそ、そんな人を癒したいって。特にビュウさんみたいな無理ばかりしてしまう人を助けたいって。」
そこまで一気に言い切って、フレデリカは少し視線を逸らす。
一方ビュウは無理ばかりか、と彼女の言葉を反芻した。自分ではそのようなつもりは全くなかったのだけれど。周囲から見れば危なっかしく見える場面があったのかもしれない、と少々反省した。
「フレデリカ」
「は、はいっ」
名前を呼んだだけなのに、どことなく返事のぎこちないフレデリカ。
そんな彼女の様子を不思議そうに眺めてから、ビュウは言葉を発した。
「いつもありがとう」
その言葉にフレデリカは思わず硬直した。がその表情は木の葉の影に隠れて、ビュウにはよく読み取れなかった。
「いつも助けてくれて感謝してる。でも体調のこともある。あまり無理はしないでくれよ。後こんな場所があるなら、たまには癒すばかりでなくて癒されに来るのもいいかもしれないね」
そうですね、と消え入りそうな声で答えるフレデリカ。
するとその声を掻き消すかのように、置いてきていたサラマンダーが呼んでいるのが聞こえた。そろそろ時間らしい。
「もうそんな時間か」
ビュウは呟いた。まるでここにいることを惜しんでいるかのように。
「フレデリカ、そろそろファーレンハイトに戻ろう」
そう言ってビュウは振り返った。長いマントがひらりと翻る。
「あっ」
フレデリカは短くそう叫ぶと、そのマントを片手で掴んだ。
それはあまりに瞬間のことで、自分でも何をしているのか理解できなかった。
歩き出そうとして後ろ髪を引かれているかのような感触を覚え、こちらを振り向くビュウに、見られる前に手を離してしまった。
「…ごめんなさい、つい…」
もっとここにいたいより、もっと「ビュウと」ここにいたいと思ったのは自分の我侭だろうと、フレデリカは理解していた。
それに、ビュウにはヨヨという守るべき人がいる。今は身を引かねばならない。自分は軍隊の中の一人で、今日はたまたま起こったこと。
「どうしたフレデリカ?気持ちが惜しいのはわかるけど、戻らなきゃ」
そう言ってビュウは手を伸ばした。思わぬことに、フレデリカはきょとんとした。その顔を見て微笑みながら、ビュウは言った。
「帰ろう、フレデリカ。また故郷に笑顔で帰って来られるように」
その手を取り返して、フレデリカは微笑み頷き返した。
サラマンダーが待っている場所まで戻ると、西の空は茜色に染まり始め、光は木々を彩りながら煌いていた。
「もうこんな時間か、少し長居しすぎたかな」
ビュウは空いた片手で頭を?いた。
「ごめんなさい、私のせいで…」
思わず謝るフレデリカに、ビュウは彼女を振り向きかぶりを振った。
「何もそんなに謝る必要なんてないさ。時間の配分を間違ったのは自分のせいだ。隊長がこれじゃまた皆に心配をかける。それに」
「もっと自分に自信を持っていいんだよ、フレデリカ」
ビュウはそう言って微笑みかけた。フレデリカは思わず赤面する。
握られたその手を、ぎゅっと握り返しながら。
――もっと自信があったなら、この気持ちを受け入れてもらえるの?
その答えを知っているのは、今は誰もいないだろう。
二人のその影を、太陽の暖かな光が優しく包んでいた。
二人の初デートってどんなのよ?と思って書き出したのが最初でした。なんだか短編の順序がばらばらなのが
今更気になりますが気にしたら負け。フレデリカ→ビュウ→ヨヨって感じだと思います。最初のうちは。
ここから一人で空回りするフレデリカ。てかこんなんでひっつくんでしょうかビュウフレ…。自分で不安です 0714