「ハッピー・ハロウィーン!」
そう言いながら部屋を取びだしていく仲間たちの姿は、あるで親の手を放れた子供のようだった。
今日はハロウィン。冬が訪れる前に火の精霊が喜ぶものを用意し騒ぐことで、悪霊を退けることに起因した祭りである。と理由を挙げても、これはラグーンそれぞれにある風習の中からカーナのものが反乱軍の風習として定められたに過ぎない。
来年の今頃は……などと未来を憂えるものがいたとしても、今を生きることに懸命な者たちの生命力に押し流されてしまうだろう。何より、今は艦内に漂う甘い香りが後ろ向きな気分など吹き飛ばしてしまうに違いない。
それより何より、今の反乱軍には文字通り小悪魔のプチデビルたちが居ついてしまっている。お菓子をあげてもいたずらされるかは、彼らの気分一つと言ったところだろう。
とにかく彼らはこの日のために数少ない資材で簡易の衣装をつくり、趣向を凝らしたクッキーを焼いてはこの日を今か今かと待っていたのだった。
その中にあって、彼らがいの一番に求めるもの、それは。
「トリック・オア・トリート! お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞー!」
「おお、一番乗りはメロディアなんだね。 ……うん?」
「あっ! ちょっと、ダメだって約束したでしょ!」
何かに押されるように、メロディアが数歩よろめく。その隙間を見逃すまいと飛び出てきたそれらは、いつもの調子で口々にわめいたのだった。
「まにょー!(おかしをよこせー!)」
「むにょー!(じゃなきゃイタズラしちゃうぞ!)」
「まにょー!(くれてもイタズラしちゃうぞ!)」
「……ということで! メロディアよりも早く、我々にそのクッキーをよこすのだ!」
「もうー……」
「ほらほら、押し合っちゃダメだよ。順番を守らないと。クッキーはちゃーんと人数分用意したんだからね。だからほら、メロディア」
自分勝手という言葉はまさにプチデビのためにあるのだとメロディアは内心歯噛みした。と同時に、小さな彼らでも仮装できるようにと手を尽くしたことをこの瞬間だけ後悔したが後の祭りだろう。
反乱軍内最年少とはいえ、それに甘えるつもりは全く彼女にはなかった。だからこそ、大人と同じように扱ってくれる仲間たちが好きだ。だがどうしても、この老人の前では少しの強がりも見抜かれてしまう。
そっと伸ばしたしわくちゃの手に優しく頭を撫でられて、メロディアは頬にぽろりと熱いものが流れるのを理解していた。
「おいで」
次いでその手は彼女の細い腕に伸びる。エスコートされるように踏み出した彼女の足は、やがて重厚な机の前で止まった。隅に寄せられた書類の山を押しのけるように、大きなバスケットに几帳面に並べられたクッキーの山が目を引いた。
「せっかくだし、仕切り直そうか。いいかな、メロディア?」
「……うん!」
優しい老爺の声に後押しされて、メロディアは大きく頷いた。改めて目の前に立った彼は、小さな頭をすっぽり覆い隠すほどつばの広いとんがり帽子を被っていた。恐ろしいほど似合うその帽子の影から見える、優しいすみれ色の目がメロディアの心を和ませた。
「トリック・オア・トリート! お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」
生来の明るさを感じさせるメロディアの声が、艦長室の伝声管を通じて艦内にハロウィンの始まりを告げたのだった。
***
「うーんっ、やっぱりセンダックの焼いたクッキーはとびきりよね。悔しいけど……」
さくっ、ぽりぽり、ぽりぽり、ごくん。
口当たりは軽くとも、だからこそ癖になるセンダックのクッキー。それを何度目か口に運んで、ルキアははあ、とため息をついた。同じテーブルには女子が一同に集い、気づけばそれぞれが用意したお菓子の品評会になっていた。だが誰もが口を揃えて、センダックの焼いたクッキーを高く評価した。
「料理は持ち回りだけれど、腕だけはどうにもならないのね」
自身を励ますような誰かの口ぶりに、みんなは同意しつつ苦笑いを浮かべていた。
「でもこれ、よく人数分用意できたよね。私たちのは言っちゃ何だけど適当だけど、アレだけの数を焼いて満足してもらえる数配ったんでしょ? 後で何かしらお返ししたほうがいいかもしれないね」
ルキアの言葉を継いだのはジャンヌだった。彼女はほくほくした顔の仲間を眺めながら、改めて料理の腕は力にも並ぶのだと実感していた。これでセンダックに反乱の意思があったなら、この中で何人が敵に回るだろうかと不穏なことまで考える。だがすぐに頭と共に恐ろしい考えを振り払う。だが仲間の注目はこちらに集まっていないようだった。そうよね、と同意の声が集まる中、楽しそうなディアナの声が弾けた。
「それならとびきり美味しいものにしないとね。特にあのリボンを結んだ籠を貰った人はね! ねえねえ、誰が貰ったの?」
「――リボン?」
「うん、見なかった? 大きいのとは別に、小さい籠があったのよ。赤いリボンが結んであってね、聞くのは野暮かなーと思ったけど絶対アレよね!」
首を捻るアナスタシアに大きく頷くと、ディアナは未だ見えない恋物語に思わず体を乗り出していた。
「誰か持ってる?」
「ううん、隠しようがないし、誰も貰ってないのかも」
「ねえディアナ、それ見たのっていつの話?」
「ええと、私が行ったときはだいぶクッキーが減ってたから目立ってたんだ。本当に誰も貰ってないんだ……」
答えて、ディアナはしょんぼりとした表情で椅子に再び腰掛けた。センダックは年老いているとはいえ人格者であることに変わりはない。彼に恋心を抱かせるような、大人びて淑やかな女性がここにいるのだと思っていたのだが、それは見当違いのようだ。
「私思うんだけど、ヨヨ様に渡す分なんじゃ――」
おずおずと手を挙げ発言したのはエカテリーナだった。その一番現実的かつ避けたかった答えを前に、彼女たちは顔を見合わせると机の上に小さな北風を吹かせたのだった。
「……でも、それはバレンタインのときにもしてたじゃない? だから違うかなって」
「確かに……」
その疑問に反論できるだけの記憶は、彼女たちの共通認識として残っているようだった。僅かに明るさを取り戻した円卓の空気が、不意に吹いた風に流される。そちらを前に座る人の隙間から覗き込んだルキアがパッと手を上げ名を呼んだ。
「ビュウ!」
「ああ、楽しんでいるところを済まない。ティーセットが全部ここにあるって聞いて、せめてポットを貸してもらえれば――」
「ああーっ?!」
重なる甲高い声に、ビュウは思わず立ち竦んだ。ドアを開けたままマネキンのように突っ立っている様子はどこかおかしかったが、今はそれどころではない。彼に集中する視線は確かに不気味以外の何物でもなかった。
「何か……?」
「何かじゃないわよ、そのクッキー!」
人を指でさすなかれ。そんなマナーも今は忘れて、ディアナはビュウ――の両手に抱えられたハロウィンの菓子を詰めた籠――に印を立てていた。自分に対してでないことに気づいたビュウは、伺うように声を出す。同時に籠を見下ろして、そしてその正体をすぐに把握した。飴にマシュマロにパウンドケーキ。子供であれば大喜びするような品々の中で、唯一リボンが掛けられた小さな籠はある意味目立つに違いなかった。
「ああ、みんなも貰っただろ? 名ばかりのリーダーなんだから、こんな丁寧に用意しなくても良かったのにな」
片手でリボンの結び目をつまみ上げ、籠を持ち上げる。まだ食べていないのか、明らかに人より多いクッキーが小さなそれに詰まっているようだった。
「そうなの、かなあ……」
「でも、今日はハロウィンでしょ? やっぱり感謝の気持ちを伝えるのはおかしいんじゃないの?」
「ちょっとディアナ」
呼び止められながら、ディアナも内心言いすぎだとわかってはいた。だがイベントの外で親愛を深め合っていたのだとしたら、それは少しずるいと思ったのも確かだった。だが対してビュウは困ったように笑いを浮かべたかと思うとため息をついた。
「いいんだ。俺もそれは正直思ってるから。でも好意を断るのは悪いし、いつも食べているとはいえクッキーは美味しいから結局甘えているのは俺のほうなのかもな」
「えっ?!」
「そんなしょっちゅう食べてたの?!」
「ずるーい!」
次々に上がった批判は、主にクッキーという名の愛情を一心に受けているビュウに向かっているようだった。
確かにこんなに美味しいものを食べられるのは嬉しいことだ。だが自分で言ったとおり今日はハロウィンで、イタズラされない代わりにお菓子を渡す、という形式でしかないがコミュニケーションをとるには抜群の日だ。センダックが艦長室で一人、ビュウのために用意したものを果たして素直に渡すのだろうか?
「――分かったよ。これはみんなで分けてくれ」
言いながら、ビュウは籠の中から数枚のクッキーを抜き出しお菓子の山の上に置いた。そして喜び飛び出てきたメロディアにそれを預け、元の目的を果たそうとテーブルに近づいてきた。
「ねえビュウ。教えて欲しいんだけど」
「何かな?」
気を利かせてティーセットをトレーに載せて、ディアナはそれをビュウに引き渡した。笑顔で感謝を告げる彼に顔を近づけると、ここぞとばかりに彼女は囁いたのだった。
「やっぱりお菓子を上げる前にイタズラ……したの?」
一瞬ビュウの青の目が見開かれ、ディアナを凝視した。だがそれも気のせいと思えるくらい、次の瞬間には爽やかな笑顔が浮かんでいた。
ビュウの返答はいつになく素直だった。
「いいや、するわけないじゃないか。――俺は、ね」
どういうことなの。呟きかけたディアナの吐息は、振り向き去っていくビュウの起こした風に混ざってあえなく掻き消えたのだった。
というわけで2019年ハロウィンでしたー。一応センダック→ビュウではあるけど肝心要の二人の絡みがないですね……。
ネタ自体は昔のものですが、これ自体に後日談があるので明日以降に上げます。
ビュウからセンダックへの好意もあるといえばあるのですが、程度というより見ている視点が違うので互いを見ていても一つの箇所で感情の糸がもつれ合うことはない。
そんな関係の二人でいて欲しいなあと思うところです。
センダックは未だに後を追うものがない乙女ジジイであることには同意できるのですが。
20191031