あなたの好きな、粒入りマスタードをぬったハムのサンドイッチ。
もちろんストロベリージャムのサンドイッチも忘れずに。
こんなに美味しいのに、どうしてフルーツサンドを嫌がるのだろう。
さりげなく聞いたら「忘れたのか」って渋い顔で返された。
どうやら前に、痛んだ果物でおなかを壊してから遠慮しているらしい。
だから大丈夫よ、といいたくて、一緒に買い物にまでいったのに。
強情で、それでも気遣いを忘れない、そんなあなたが大好きだ。
そんなことを横顔を見ながら思っていると、ふわりと蜂蜜の香りが鼻をつく。
「ほら、できたぞ」
春の陽のような笑顔がこちらを向く。オーブンから漂っている香りの正体は、彼の唯一の得意料理といってもいい蜂蜜パンだ。
「もう、こんなに焼いて。ドラゴンのおやつじゃないんですからね」
「悪い悪い、いつもの癖で。 ……よし。行こうか」
「はい」
パンを籠にいくつか移してカバー代わりの布を被せ、残りはそのままという適当ぶりだったが仕方ないだろう。
彼はサンドイッチの入った籠と他の荷物が入った籠を片手にごっそり掴むと、空いた片手をこちらに差し伸べた。
お気に入りの麦藁帽子を片手に、私はその手を遠慮がちに握る。
留守がちの彼とこうして出かける回数は、実は片手で数えるくらいしかない。
それでも時間を作ってこうしてくれることを、まだ悪いことだと思うのは自分の悪い癖だ。
そんな気持ちを断ち切るかのような手のひらのぬくもりが嬉しくて、私は知らないうちに笑っていたらしい。物珍しそうに首をかしげて、彼はにこりと微笑んだ。
「そんなに楽しみだったのか。そりゃそうだよな、すまないフレデリカ。待たせたぶん楽しもうな」
「ありがとう、ビュウ」
扉を開けた先に広がる初夏の陽気にむっとしながらも、変わらずビュウの手は力強くフレデリカを引っ張っている。
「感謝はいくらでも聞くから。ほら急げ、もう馬車がきてるぞ」
「あっ、待って――」
今日はその馬車に乗って、町外れの丘までピクニックに行く予定なのだ。
これを逃したら、前々から練ってきた計画が全て水の泡になってしまう。
私は馬車の存在を確かめようとビュウの体越しに馬車を確かめようと首を伸ばし、眩しすぎる太陽の光に一瞬視界を奪われて――――
「……フレデリカ?」
優しい声が耳朶を打つ。だがそれがどこか遠い出来事のように思えて、フレデリカはベッドの中から目だけをゆっくり動かした。
だが探す暇もないほどに、声をかけた本人であるビュウは目の前で微笑んでいた。
「あの、」
「起きたのか。どうした、怖い夢でも見たか?」
「夢…………」
おうむ返しに呟くフレデリカの顔に、あたたかいものが触れる。ビュウの手だ。
彼の手は頭を撫でるわけでも掛け布団を取り上げるわけでもなく、目じりに溜まっていたものをそっと拭いた。そして近くにあった椅子を寄せるとそこに腰掛ける。
ほとんど出歩けない自分のために、わざわざこうして話をしてくれる。これがどれだけありがたいかにたくさん時間を使ったはずだが、それでも言い足りないのが現実だった。
「涙、出てたから、つい。つらいか?」
「いいえ、その……とっても楽しかったんです」
「そんなに楽しい夢だったのか。よければ教えてくれないか」
「ええ、あの……いいんですか?」
体を横に直して、フレデリカはベッドからそっと両手を出す。
しばらく太陽を浴びていないその手は白く筋張り、爪にも縦皺が深く刻まれている。
しかし手元を彩るオレンジのネイルが、暖色のランプに照らされていっそう鮮やかに存在を主張していた。
「フレデリカがよければ、話して欲しい。こうしている時間が俺の一番の幸せなんだから」
疲れを隠そうと口を弓のようにしならせてビュウは笑う。だがランプの光は、彼の目元に溜まった疲労の跡をしっかりと照らしていたのだった。
それでも痩せこけた両手をしっかり受け止め包み込むと、促すようにゆっくり頷いてみせた。
「じゃあ、話しますね。私とビュウさんが、ピクニックに行く夢を見たんです」
「俺はちゃんと準備を手伝ってたか?」
ビュウの声を落とした質問に、フレデリカは大きく頷き笑顔を見せた。
「もちろん。でも蜂蜜パンばかりたくさん焼いていました。そういえば最近食べてないですよね?」
「……そうだな、せっかくだし久々に焼こうか」
「はい、お願いします」
弾むフレデリカの声に反して、ビュウの声はどこか沈んでいた。
確かにかつて、ビュウは隊長としての任務の多忙さから食事の用意を免除されていた。そのぶんドラゴンの育成を一任されていたせいで、彼の作るものはドラゴンが好むおやつ代わりの蜂蜜パンばかりだった。
それはどうやら仲間たちにも人気だったらしいが、それも過去の話。
フレデリカと二人暮らしを決めたときから、必要に駆られたせいか彼の料理の腕はめきめき上がっていた。といっても一人暮らしが維持できる程度ではあるが。
それに反して栄養を取るためだけに食事を取っているフレデリカは、かつて美味しいと口にしていた蜂蜜パンからずっと遠ざかっていたのだった。
ほの暗い家屋に温かい香りが満ちる様子に少し頬が緩むのを自覚しながら、ビュウは話を促すことにした。
それが二人にとって、必ずしもいいことではないと理解しながら。
「それで、どこへ行こうとしてたんだ?」
「町外れに丘がありましたよね? そこに行こうとしてたんです。サンドイッチを作って、6月の太陽がまぶしくて、お気に入りの麦藁帽子を被って、そこの乗り場から馬車に乗って…………」
思い返せば眩しすぎる夢の光景に、フレデリカの瞳からは再び涙が溢れ、影を帯びたまつげを濡らす。ビュウはその涙を片手で拭いながら、もう片方の手で彼女の乱れた髪をそっと纏めつつ熱っぽい額を優しく撫でた。
そしてそのまま顔を近づけると、小さな額にそっと口付けを落として囁く。
「悲しまなくていいよ、フレデリカ。君が回復するのを、俺は信じてる。だからこうして一緒にいるんだから、きっとその夢は未来の予言なんだ」
「よ、げん……?」
フレデリカは僅かに枕から頭を持ち上げビュウを見た。そんな彼女に言い聞かせるように頷くと、ビュウは頭に優しく手を添えた。
「だけどほら、こんなに熱っぽくなったら叶う未来も遠ざかってしまうよ。今はゆっくりおやすみ」
「……はい。おやすみなさい、ビュウさん」
「おやすみ」
頭に添えた手をゆっくり下ろすと、それに従ってフレデリカの頭はゆっくり枕に沈む。その頬におやすみのキスをしてもらったことに嬉しそうに微笑むと、フレデリカの涙で濡れた睫は閉じた瞳を輝かせたのだった。
「ふう」
フレデリカの胸が静かに上下するのを見届けて、ビュウは椅子から立ち上がった。
明かりを落とした部屋は薄暗い。本当はぐっすりフレデリカが眠れるように寝室を分けたかったのだが、彼女自身がそれを嫌がったので今に至っている。
「あの頃が忘れられないのか……」
重いため息と共に、ビュウは窓の傍へ行くと厚いカーテンをめくる。
そこにあるのは季節どおりの初冬の寒々しい風景。彼女の語った小高い丘へ続く景色も、すっかり枯れた芝の色に覆われていた。
「確かに、あれきりだもんな」
カーテンを閉めると、ビュウは反対側を振り向いた。
フレデリカが寝ている向こう側、彼女の服の詰まったクローゼットの手前にある小物かけ。そこにはあの頃からずっと、お気に入りだと語る麦藁帽子がかかっている。
この家に住み始めてすぐ、二人にとって最初で最後のピクニック。
確かに楽しかったはずのあの記憶。それがビュウの中ですっかり褪せて思い出せなくなっていることを寂しく思いながら、それでもいい思い出として整理が終わっている白状さに思わず自嘲がこぼれた。
「次に二人で馬車に乗るのはいつなんだろうな」
当たり前のように春がくることを願いながら、ビュウの足はパンを焼くべくキッチンへと向かったのだった。
夢落ち。暗め。そんなビュウフレ。しかもあんまり救いがない系。
最近のビュウフレ観はまずここを乗り越えてなんぼだと思っているので明るい話が読みたいです。
暗いのも大歓迎!ですよ!!
171016