Novel / 君と僕の日常


 「ハッピーハロウィン!」
 「トリックオアトリート!」
 そんな明るく弾むような声が、部屋の向こうから聞こえてくる。
 部屋の向こうは廊下だ。いつもなら閉められているドアが開け放たれているせいで、いっそうはっきり聞こえた。
 日ごろから賑やかな船内が余計賑やかなことに、彼はしんどさを顔に出すことなく大きなため息をつく。
 ベッドに横たわる彼の嘆きは、誰の耳にも入りそうになかった。

 *
 *
 *

 レーヴェは心底うんざりしていた。
 この船に乗ってからというもの、彼の身には不幸ばかりが降りかかっていた。
 原因を探ろうとしても彼の記憶には不幸ばかりが強く残っていて、それから逃げ出すようにベッドから這い出ると改めて周囲を見た。
 「……誰もいない」
 いつもなら部屋で各々が動いているはずなのに、この日ばかりはみんな率先して動いているらしい。
 多国籍の人間の寄せ集めのような反乱軍でも、祝い事を楽しもうとする心がけは一緒なのかもしれない。
 (それより何かと不幸に悩むボクを気づかってくれる人はいないのかなあ)
 などと、幼さゆえの人恋しさと身勝手さを心中で吐き出しながらレーヴェも部屋を出ることにした。

 「あら、レーヴェじゃないの」
 「ルキアさん。こんにちは」
 「今日はそれはなしよ、ハッピー・ハロウィン!」
 そういうと、ルキアは手を頬に添えてウインクしてみせた。
 レーヴェの目の前に現れたルキアは、犬の耳を模したカチューシャに肉球のついたグローブを両手にはめていた。茶色の短い毛に覆われたそれは、いつもの凛とした彼女を少女のように見せていた。
 「か、可愛いですね」
 「ありがとう。レーヴェは何か着ないの? もしかしたら寝起きだった?」
 月並みな褒め言葉しか出てこない口を恨めしく思いながら、レーヴェは首をかしげた。
 「その犬の格好、みんなしてるんですか?」
 「やっぱり犬に見えるかしら? 残念でした、これは狼の格好なのよ。私がしたら狼女ね」
 「似合ってますよ」
 「良かったわ、女の子はみんな魔女の格好をしたがるからこれが余っちゃって」
 口元に手を当ててルキアはふふ、と楽しそうに笑った。
 「みんな? 今日はそういう格好をする日なんですか?」
 「今日はハロウィンでしょう? でもできることはあまりないから仮装して、お菓子を焼いて、みんなで楽しく過ごしましょう! ってヨヨさまが言ってくれたらしいの」
 「だからこんな騒ぎなんですね」
 「たぶん今ごろ、女の子たちはキッチンで仲良くお菓子を作ってるんじゃないかしら? ほら」
 そこで言葉を切って、ルキアはすんすんと鼻を鳴らしてみせた。
 レーヴェもそれに倣うと、微かに甘い香りが鼻腔を刺激して彼のお腹をぐう、と鳴かせた。
 お腹を壊して以来そういえばあまり食事を取っていなかったな、と気づくと同時にルキアの前で腹を鳴かせたことが恥ずかしくなり、彼はとっさにお腹を押さえた。
 「いい香りよね。あなた最近、食堂で顔を見ないから心配してたのよ。食欲はあるみたいで良かったわ」
 「ルキアさん、ボクのことをそんなに」
 こうして出会ったのは偶然かもしれないが、ルキアがこうして自分ひとりのことを気にかけていてくれたという事実がレーヴェには何より嬉しかった。
 喜びで胸がいっぱいになり目を輝かせたレーヴェ。だが次にルキアの口から出た言葉にその光はすぐ失われた。
 「これでフルンゼも元気になるかしら。彼もね、あなたが寝込んでからあまり笑わなくなっちゃって」
 「……そうなんですか」
 「あの子なら食堂にいると思うわ。手の空いている人は行くように、ってビュウのことづてなのよ。一緒に行く?」
 「いえ、ちょっと薬をもらってから行きます」
 「まだ本調子じゃないのね、お大事に」
 心配そうに言ってから微笑んで、ルキアは手を振り去っていった。それを見届けてから、レーヴェは商業区へと足を向けた。言ったとおり、胃腸薬を受け取るためだ。

 「フルンゼの元気がない、かあ」
 そう口にしてみたものの、レーヴェには現実味が湧かなかった。
 自分がいくら鈍かろうと、フルンゼに何かをされていることくらいは理解できた。だが決定的な証拠がない限り彼を追い詰めることはできず、血眼になってまで彼が起こした証拠を探そうとは思わなかった。
 なぜなら彼は親友だからだ。すぐ新しく入ってきたランサーに目移りすることはあっても、フルンゼは何かと自分を気にかけてくれていた。
 結果的にこうして自分の身の回りで悪いことがおき、それがフルンゼにも伝染して元気をなくしているのだ。
 だから、今は自分にできることをしよう。そう思うと、自然とレーヴェの表情が明るくなった。
 「よしっ」
 小さく呟き頷くと、レーヴェは商業区に飛び込んだ。

 「やあ、レーヴェ君だね?」
 「こんにちは。いつものください」
 「顔色はいいみたいだね。はい、とりあえず三日分ね」
 「ありがとうございます」
 すっかり顔なじみになった道具屋に声をかけると、彼もレーヴェの快方を喜んでいるようだった。笑顔で棚から整腸剤を取り出すと、小分けにして袋に詰め替えた。そしてペンで袋に三日分と書くと渡そうとしたが、そこで彼の動きは止まったのだった。
 「……ん?」
 薬をもらおうと袋に手を伸ばしたレーヴェと、道具屋の間で宙ぶらりんになる薬の袋。相変わらず道具屋は笑顔のままだ。
 「あれ、特にないのかな? それならいいんだけど、早くしないと……」
 そういってちらっとレーヴェの脇を見るのが早いか様子を観察していたのか、二人の間に割って入るようにプチデビたちがやってきた。
 「まにょー!(トリックオアトリート!)」
 「もにょー!(お菓子をくれなくてもいたずらするんだぜ!)」
 「むにょー!(プチデビにもお菓子をよこせよな!)」
 「ああもう、こいつらは」
 「いやはや、この機会を狙っていたのです。というわけで店主」
 「はいはい。レーヴェ君もどうぞ。ハッピーハロウィン」
 当たり前のように小さな手を差し出すプチデビたちに呆れながらも、道具屋は薬の袋から手を離すとカウンターから小さなカボチャ型のポットを取り出した。そして中からキャラメルを取り出すとまずはレーヴェに、次にプチデビにと手渡した。
 「モニョー!(やったぜおれたちの勝ちだぜ!)」
 「マニョー!(これで終わるプチデビじゃないぜ)」
 「ムニョムニョ……(お楽しみはこれからなんだぜ)」
 「あっ、そういうことか。ハッピーハロウィ……おおっと」
 手のひらのキャラメルから目を離してレーヴェは挨拶を返そうとした。しかし言い終わるより早く、はしゃぐプチデビたちは彼の服を引っ張り始める。苦笑を浮かべて手を振る道具屋に見送られながら、レーヴェは元きた道を戻り始めた。

 「食堂に向かってる、のかな?」
 「その通り。我々もパーティーに参加するのである。君はそのための人質なのだ」
 「人質なんて、怖いこと言うなぁ……」
 階段を下りながら、レーヴェはワガハイの言葉に首をすくめた。
 しかし変わらず服を引っ張られながら周囲でやかましくしゃべり倒すプチデビに囲まれた今のレーヴェの心境は、有無を言わさず交渉の場に差し出される人質のそれと変わりなかった。
 「なあに、目的のものが食べられれば君は解放される。泥舟に乗った気持ちで挑みたまえ」
 「それって後は沈むだけじゃないかな」
 事前にこうなることを予測していたのか、胸を張るワガハイを横目にレーヴェは小声で突っ込みを入れた。
 階段を降りきると一段と強く甘い香りが漂い、賑やかな人の声が耳に届いた。ルキアの言っていたとおり、手の空いた人が集められているのだろう。実際ここにくるまでに誰一人としてすれ違わなかったことからして、フルンゼもこの先にいるに違いない。
 「マニョマニョ!(やったぜ!)」
 「ムニョー!(後はおれたちに任せろ!)」
 「モニョー!(じゃあな! ここまでごくろうだったぜ!)」
 どういう顔でフルンゼの前に出て行けばいいのだろうと躊躇して立ち止まったレーヴェの隙を突くようにして、プチデビたちは一声かけると一斉に走っていった。
 あっという間に姿が食堂に消えて、その場に残されたのはレーヴェとプチデビたちを止めようとしたらしいワガハイだった。伸ばした手をあきらめたように引っ込めて、彼はやれやれといった面持ちで首を横に振った。
 「ふむ、やはり集団行動に弱いなのが今後の課題か……」
 「プチデビってそういうものじゃないの?」
 「失礼な。我々には我々のやり方というものがあるのだ」
 「そっか」
 腕を組んでみせるワガハイに興味なさそうに言葉を返したレーヴェだったが、ふと今までのフルンゼとのやりとりを思い返してはっと顔を上げた。
 「……そうか。そうなんだ。ありがとう、えーと」
 「ワガハイだ」
 「そうそうそれ。じゃあ行こうか」
 ワガハイに一応の感謝をして、レーヴェは歩き出した。
 そうだ。二人は今までどうしてきたのか。反乱軍に入るよりずっと前、二人でひとつと言われていたランサーとして。
 ボクらにはボクらのやり方がある。長らく忘れてきたそれを取り戻せば、フルンゼも笑顔で迎えてくれるだろう。
 気づけば食堂は目の前だった。開け放たれたドアの前でまた立ち止まったレーヴェを不思議そうに見上げて、ワガハイは先に入っていく。
 ひとつ頷き彼の後に続いて入ったレーヴェは、息を吸うと声を張り上げた。
 「ハッピーハロウィン!」
 「ハッピーハロウィン」
 と山彦のように返ってくる明るい声とともに、注目がレーヴェに集まった。
 先行していたプチデビのおかげか、食堂は若干混乱気味のようだった。だがそれが結果的に彼らの意識を集めていたのだろう。一斉に集まる視線の中に、フルンゼの姿もあった。
 「レーヴェ」
 無理やり羽織らされた感のある黒いマントのフルンゼがおずおずと近づいてきた。周囲の空気から明らかに浮いた雰囲気の彼に向かって、レーヴェはなおも笑顔を向けた。
 「こっちこっち」
 そう手招いてから、レーヴェはちらりと周囲を見た。わざわざこの日のために準備していたのだろう、壁のあちこちにはかぼちゃの形を切り抜いた色とりどりの紙が貼り付けられている。
 レーヴェはそれには目も留めず、端に寄せられたモップを二本手に取った。わざわざ細く切った紙が巻きつけられているのを、彼はこの日初めて微笑ましく思った。
 「はい、フルンゼのぶん」
 「……やってくれるの?」
 「もちろん!」
 そしてそのモップをフルンゼに手渡す。明らかに顔色が良くなった彼がモップを手に取るのを確認してから、レーヴェはモップを構えた。流れるようにフルンゼも構えると、初めからこの場面が仕込まれてでもいたかのように彼らの声色が重なった。



 「僕らはランサー。遠くからでもヤリヤリ! ランラン……ランサー!」

君と僕の日常
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レーヴェとフルンゼといえば結局これでしょ。
というわけで今年のハロウィン関係で一番書きたかったものでした。書けて良かった。
ワガハイに対してプチデビとしての個性が失われていると思っていたのですが、こうして解説要員にするにはぴったりな役回りなんだなーと認識しました。ごめんなワガハイ。
本編に刷り合わせすると21章と22章の間くらいなんですが、この辺りの展開はめまぐるし過ぎて正直イベントで盛り上がってる暇もなさそうなんですよね~まあいいか。
20161113



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