Novel / 前編(タイトル未定)


 「なあ、誰が一番遅くまで起きてられるか競わねえか?」
 「……またそんなしょうもないことで争うんですか」
 唐突に上がったラッシュの声は、静かな夜にはあまりにも不釣り合いだった。ただでさえ寝る用意を済ませ、あとは疲れた体をベッドが包み込んでくれるのを待つだけの状況にもかかわらず、彼の口調はこれから一日が始まるかのように快活だった。
 それがトゥルースから不満を引き出した。いや、これは彼らにとって何度も繰り返された決まり事でもあった。ただ最近の緊張続きの日々から解放された心の平穏を邪魔されて、彼の口調はいつになく冷ややかだ。
 だがそんなことで押し黙るラッシュではない。逆に不満に口を尖らせると、彼は子供のように反論した。
 「だって、せっかくおれらの自由にできるんだろ。だったら今までできなかったことをやるべきじゃねーのか?!」
 「自由……! ラッシュ、ぼくもやる!」
 「よっしゃ! その意気だぜビッケバッケ!」
 「ビッケバッケ……」
 たまらずガッツポーズをするラッシュ。反対を振り向き、やれやれと肩を落とすトゥルース。そんな二人の視線の先で、ビッケバッケは照れたようにえへへと笑いをこぼしつつ、腰まで掛けていた薄い毛布を取り払ったのだった。

 辺境のラグーン、テード。
 カーナからほど近い、探せばどこにもありそうな無人のラグーンだ。ただこの場所は少し特別な意味を持っていた。それを人々が知るのは印刷された文字の上になるだろうが、彼らがそこを訪れることはないだろう。
 なぜなら、このラグーンは三人にとって新しい暮らしを始めるために与えられた彼らの財産なのだ。

 「別にベッドから降りる必要はないと思いますが……」
 「なんだよトゥルース、やっとやる気になったのか?」
 「違います!」
 思わず勢いよく否定して、トゥルースははっと息を飲みラッシュの表情を伺った。だがそれも戯れだと互いにわかっているからこそ笑えるのだろう。一瞬にかっと笑ったラッシュの興味はすぐに、早くもベッドから降りようと足を下したビッケバッケに戻った。
 「だってー、ベッドに入ったらぼくすぐ寝ちゃうもん」
 「違いねえや」
 「それはラッシュも同じですよね」
 「んだと?!」
 「あはは、じゃあラッシュと競争だね! トゥルースに見ておいてもらおうよ!」
 「むう……」
 ビッケバッケの本音に、彼の滑稽さを笑っていたラッシュはたまらず口を結んだ。そんな二人を和やかに見ていられるのも、トゥルースの立ち位置だからこそだ。いや、巻き込まれているといった方が適切かもしれない。
 だからこそ、自然とラッシュの視線が判断を仰ぐようにこちらを見ていることすらトゥルースには心地のいいことだった。小さくうなずき、自らゆっくりベッドから足を下した。
 「二人がその気なら、私が見届けましょう。ほらラッシュもベッドから降りて。枕と毛布は持ってきてくださいね」
 「どこ行くのトゥルース?」
 二人にそう呼びかけながら、トゥルース自身も毛布をたたみ始める。倣うようでいて両手に抱えるために毛布をくしゃりと丸めながら、ビッケバッケは質問を投げかけた。
 「一階です。ここじゃ狭すぎますし、せっかく私たちの家になったんです。誰にも邪魔されずにしてみたいことなら、私にだってあるんですよ?」
 寝具を抱えて腰をあげるトゥルースの瞳は、いつになく好奇心に輝いていたのだった。


 「――よし。ここでやりましょう」
 カモの親子のように狭い階段を下りて、トゥルースは片手に持ったランプを床に置くとそこから少し離れて毛布を置いた。倣ってランプをまたいで陣地を取った二人の素直さに頷き、早速その場を離れようとする彼の背中を二人の声が留める。
 「どこいくんだよ?」
 「そうだよ、トゥルースは審判なんだから」
 「ホットミルク、いりますよね?」
 「いる!」「ちょうだい!」
 「そういうことです。少しブランデーも入れておきますので、さすがにその時間でうたたねはしないでくださいよ?」
 重なる声にくすりと笑うと、トゥルースはすたすたとキッチンに向かう。意見が合うのも彼ららしさだ。それがおかしいのか、彼の背中に小さく笑う二人の声が投げかけられたのだった。

 三人で暮らすには少し広すぎる部屋に柔らかなミルクの香りが漂ったところで、トゥルースはトレイに三人分のマグカップを載せてそろりそろりと足を運んだ。厳選する時間のない彼らにとって、特に食器はファーレンハイトから引き継ぎの貴重なものだった。
 「おっ、きたきた」
 「トゥルース、チョコはある?」
 「あるにはありますが、今食べたら明日からはチョコなしですよ」
 冷静に、それでいて残酷な事実を告げられて、二人は素直な子供のように悲しんだ。これでせがまず踏みとどまれるのが大人の証拠でもある。だが投げかけられる目は確実にチョコを欲しがっていた。
 「それで甘やかすほど、私は甘くないですよ」
 「ちぇーっ」
 目力からは意外なほどあっさりと二人は引き下がった。引き際が大事なのは、かつての彼らの生活の上でも戦場でも同じだ。懐かしい駆け引きがまたこうして復活することに、トゥルースの表情は自然と緩んでいたのだった。
 「……なんか変だったか?」
 「えっ、私ですか。別に……」
 トレーを下し揃いのカップを配るトゥルースにかけられたラッシュの声。気になって顔をあげると、カップを両手で受け取りながら困った顔のラッシュが目に映った。何をそんなに気にする必要があるのだろう。考えを巡らせるより早く、弾けるようなビッケバッケの声が二人の興味を惹いたのだった。
 「あっ! そうだよね、こんなだったよねえ」
 「どんなだよ?」
 「ラッシュは忘れちゃったかあ。むかーし、よくこうやってご飯を取り合ってたなあって」
 ほのぼのとビッケバッケは答える。そうしてミルクを一口飲むとふう、と一息つく。
 「……いつの話だよ!」
 その間にラッシュは思い出したのか、はっと顔をあげると鋭く声をあげた。彼の中で、それらは辛く苦しいこととして忘れていたのだろう。わずかに寄った眉間の皺からトゥルースがそう読み取った次の瞬間、ラッシュはにかっと笑ってみせたのだった。

 「なっつかしいなあ! 少しでも多く食べたくて、大人に媚び売ってさ! こうして毛布をかぶって、外から見えないようにしながら食ってたんだよな」
 「ラッシュ、やはり気を悪くしたのでは……」
 カーナの路地で生活していた頃の記憶は、トゥルースにとっても苦々しいものの方が多い。少なくとも明るい話題ではないことは明白だ。少しでも場を明るくしようとかけた言葉に対して、返ってきたのは変なものでも見るようなラッシュの顔だった。
 ――薄暗い室内には不釣り合いな爆笑が響き渡る。
 「はっはっは、はーっはっは! なーに言ってんだよトゥルース!」
 「な、なんですか! 私は場の雰囲気を……」
 「はっは、そんな暗くなるような話でもないだろ、なあビッケバッケ?」
 「うんー、懐かしい思い出話だよね。 ……トゥルースは、思い出したくない話だった?」
 笑いすぎて肩で息をしながら、ラッシュはマグカップに口をつけごくごくと喉を鳴らした。一方のビッケバッケは、逆に心配なのかトゥルースを労わるような声をかける。ふるふると小さく頭を振ると、トゥルースは和やかな笑顔を見せたのだった。
 「いいえ、決してそのようなことは。私の考えすぎですね、思い出話に花が咲くのは今が恵まれているいい証拠なのに……」
 「そうそう、考えすぎ! 今ならこの部屋のどこで寝たって叱られないしな!」
 「その前に片づけを終わらせないといけませんよ、ラッシュ」
 「そうそう、その調子!」
 「……あんまり調子に乗ると明日が大変だよ、ラッシュ」
 舌が回り始めたラッシュを前に、トゥルースの表情が僅かにこわばる。違う意味で漂い始めた不穏な空気に、ビッケバッケは毛布を抜け出すとラッシュにそっと耳打ちした。

 「――でも本当に、この家はぼくたちのものなんだよね。まだ実感ないなあ」
 「それも全部、アイツのおかげだもんな。まさかまた返せー、なんて言ってこないよな?」
 「ありえませんよ。隊長はそれこそ忙しいですし、かつて一緒に暮らした仲間も帰る家があるんです。だから……」
 私たちは帰る家がないから、ビュウが同情してテードの家を譲ってくれた。
 事実とはいえ、口にしてしまうと情けなくて立ち直った心がしぼんでしまいそうだ。
 再び言いよどむトゥルースを前に、ラッシュとビッケバッケは顔を見合わせる。そして面白おかしくけらけらと笑い始めたのだった。
 「なーんだ、あんだけ自分たちの家にこだわってたの、トゥルースだろ?」
 「そうだよー、どうしても王都に家が欲しい、って一緒に走り回ってたでしょ?」
 「振り回されたオレらの気持ちも考えろって、なあ?」
 「でも、ボクたちの夢を叶えてくれる家はここだったんだよ。ちょっと広すぎるのはしょうがないけどね」
 「ラッシュ、ビッケバッケ……」
 四つの目が優しくトゥルースを見つめている。脳内を駆けては消えていく終戦直後の記憶に、一息挟んでくすりとほほ笑むとそうですね、と口にした。

 「広い寝室、自分だけの書庫、そして自分たちの台所……。何も特別なことはありませんが、私たちにとってはどれも大事なものですもんね」
 「でも食いもんはちょっと不安だよな。台所だけあっても食べるもんがなきゃ意味ねーぜ」
 「……好きなときにチョコが食べられるおうちがいいなあ」
 「ははは、ビッケバッケらしいですね」
 「でも増やすつもりはない、って顔してるな」
 「お金は有限ですからね。使うにも優先順位というものが……」
 「よし、じゃあどうやってチョコを買わせるか相談しようぜ!」
 「いいねいいね!」
 大人と言い切るには程遠い相談内容だが、どうやら二人はすっかり乗り気のようだった。ただ当初の目的は忘れていないのか、ラッシュは早速枕に頭を沈めるとビッケバッケを手招いている。少しの間を置いて、ランプに顔が向くように枕を置くと彼もまた横になった。相談と勝負、まさに一挙両得の配置を前に、トゥルースは言わないだけましかと思いつつこくりと頷いた。
 「相談がまとまらなくても、明日やることは減りませんからね」
 「はーい」
 了承したのかしていないのか、生あくびのような二人の返事にたまらずくすくすと笑うと、トゥルースはマグカップにそっと口をつけたのだった。

前編(タイトル未定)
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昨年が割とシリアスな雰囲気だったので、今年はどちらもほのぼので過ごしたい。
というわけでナイトの日(前期)でした。後期は9月10日です。
かつて暮らしていた借家で始まる新しい家族としての生活に、戸惑いながらも一緒に進んでいこうとする三人。そんな彼らもまた一人の人なんだと実感できて愛しいです。
20200720



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