Novel / いそがなくていいよ

 いつもあなたは後姿ばかり。
 どうして?私を置いて行ってばかり。
 お願いだから、置いていかないで。
 お願いだから、こちらを振り向いて――

いそがなくていいよ

 「…ここは…?」
 辺りを見回す。といっても自分はベッドの上で、見える光景はほんの一部であったが。
 朦朧とする意識の中、ベッドから起きようとして誰かに肩を掴まれ、戻される。
 自分はそれ程体調が酷いのか?と思い先ほどの相手の顔を見やる。
 「もう、突然あんな倒れ方されたからどうなったかと思ったんだから!」
 腰に手を当てて体勢だけは憤慨しているが、言葉からは心配している様がありありと伝わってくる。
 ディアナは手元の水桶からタオルを取り出すと、それを絞りながら喋りだす。
 「フレデリカ、どんな状況で倒れたか覚えてる?」
 小さく首を横に振る。本当に、全く倒れた時の状況を覚えていないのは事実だった。
 「…戦いっていたことと、雨が降っていたことくらいなら覚えてるけど…」
 覚えていたことと言えばせいぜいその二つが限界だった。それ以上を思い出そうとすると、熱のせいなのか酷い頭痛がする。これでも大分症状は軽くなったのだろうが。
 「そうそう、そこまで覚えてたら大丈夫みたいね。でもフレデリカ、それって昨日の事なのよ?」
 絞ったタオルを額に置いて、ディアナはこちらの表情を覗き込む。
 「…昨日?それってつまり、わたしは一日寝込んでいたことになるの?」
 タオルのひんやりした感触は気持ちよかったが、今はそれよりその事実が衝撃的であった。
 今までは、どれほど疲れていても合間合間に休んでいれば倒れるようなことはなかったし、しっかり薬も服用している。皆の足手まといにならないように頑張ってきたつもりではあった。
 ただし、それも昨日までの事だったらしい。
 「フレデリカが寝込むことも珍しかったけど、後ひとつ珍しいことがあったんだから」
 ふと、ディアナがいたずらじみた声を出す。どこか楽しそうだ。彼女の事だから、何か楽しい話題を持っているのだろう。話に乗ってみることにした。
 「珍しいこと?」
 「お、食いついたわね。実はフレデリカが目覚めるまで、看病してたのは―」


 事が起こったのは、マハールでの補給部隊を潰し終わった直後だった。
 その日はいつも通りに天気が悪く、酷い雨の中での白兵戦だった。
 奇襲をかけたとはいえ足元は泥濘で進軍は遅れ、その中でも足の速い前線と後衛との差が開いた。
 結果、一時的にせよ戦力は分断され、後に控える部隊にそれなりの負担が掛かった事は事実だった。
 最終的に勝利は収めたものの、その中でフレデリカが倒れたとの一報が入ったことに、さほど時間は必要なかった。
 そこから物資の調達、ファーレンハイトへの撤収、フレデリカの搬送、全てが彼の一声で済んだ。
 無論、リーダーであるビュウの采配であった。
 そこからが、ディアナのいう「楽しい話題」であった。
 女部屋に運んだフレデリカを、ビュウが自ら看病すると言うのであった。

 「…で、今まで看病してもらってたって訳。今は交代であたしが見てるけど。残念だった?」
 おちょくるようにこちらを見て笑うディアナ。不思議と悪い気分はしなかった。
 「倒れてから、ずっと見てくれてたって言うの?ビュウが?」
 ディアナの言うとおりなら、まるまる一日、ビュウは自分を看病していたことになる。
 そうでなくても忙しい彼が、何故自分の看病を優先したのか。そればかりが気に掛かる。
 「そうなのよー。かなり疲れてるみたいだったから、無理やり交代してもらっちゃったんだけどね」
 彼女はすまないと言わんばかりに、後ろ手で頭を?いた。そうして水桶を持つと、にこりと微笑んで立ち上がった。
 「ビュウにはフレデリカが起きたら呼ぶように言われてるから。あたし、呼んでくるね」
 ディアナはウインクをひとつして、部屋を出て行った。


 「目、覚めたのか」
 それが彼の一言目。
 代わりの水桶を持って部屋に現れたビュウを、視線で追いながらベッドの中から頷いた。
 身を起こそうとは思うものの、体力が足りないのかいまいち身体に力が入らない。
 そうやって一人でもがいている間に、ビュウは傍らの椅子にゆっくり座った。
 暫くの沈黙。初めに静寂を破ったのはビュウだった。
 「あの時フレデリカが倒れて、急いで部隊に戻ったんだ。でもその時には酷い高熱を出していて、 君を無理させたことを後悔した。だからせめて目が覚めるまでは一緒にいようと思ったんだけど」
 ビュウは残念そうな表情を浮かべる。と言っても寝起きだからなのか、看病疲れなのか、目の下に軽く隈ができているのが見て取れる。
 「ディアナから大体の話は聞きました。ほぼ一日、付きっ切りで看病してくれたって」
 彼のほうを向いて喋るのが精一杯ではあったが、それをもって彼と話がしたいと思った。
  「そんな、そこまでしてもらう必要なんて、私にあるんでしょうか」
 「『してもらう』んじゃない、俺が『したい』と思ったから看病してたんだ。それがそんなに悪いことか?」
 ふとした呟きにも、ビュウは真摯に答えてくれる。そんな彼が、愛おしいと思い始めたのはいつ頃からだろうか。
 「ううん。その気持ちはとっても嬉しいの。嬉しいけど、そんな隈を作るまで無理しなくていいよ、って思っちゃって」
 するとビュウはきょとんとした。自覚がないのか。相当疲れているはずなのに自覚がないとは本当におかしな人だ。
 「ごめん、ずっとフレデリカを見てたかったから眠いとか疲れたとか、全然意識になかったんだ。ディアナに止められてなければ、きっと目が覚めるまでここにいたんだと思う」
 ビュウは極めて真面目に返答したつもりなのだろうけれど、普通の女の子でこんな事を言われて照れない人はいないだろう。フレデリカも例外ではなく―。
   おもわず頬がさっと赤くなるのを自分でも感じていた。ビュウに見られたくなくて、上掛を顔まで引っ張りあげる。
 「フレデリカ、また熱でも上がったのか?」
 それを見て勘違いしたのか、ビュウの手が額に伸びる。縮まる距離。ますます熱っぽくなる顔。
   ビュウは暫く額に手をやった後、額のタオルを取ると水桶に浸し直した。
 「やっぱりまだ熱は下がってないみたいだな。もう少し休養したほうがいいみたいだ」
 「…鈍感」
 思わず呟かずにはいられなかった。その言葉は本人に届いているのかいないのか。
 ビュウはこちらを見た後、小首を傾げた。言葉の意味を理解するのはいつの話だろうか。

 気づかなくてもいい。気づいて貰っても構わない。
 今はゆっくり、その距離を縮めて行きたいから。

 「ビュウさん」
 「ん?何か欲しいものがあったら今のうちにな。もうすぐ物資補給のリスト締め切りだから」
 いつもの調子で話を続けるビュウに、ゆっくり語り掛ける。
 「頑張ってもらえるのはとても嬉しいです。けど、あまり無理はしないでくださいね。ビュウさんが私を心配するように、私たちもあなたが心配なんです」
 ビュウは分かっているのかいないのか、ああ、と言葉を返してゆっくり微笑んだ。
 少しでも、ゆっくりと、共にこの時間を過ごせれば。
 それで十分なのだ、と一人ごちる。
 いそがなくていいよ。と彼の笑顔が語っているようだった。

いそがなくていいよ
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なぜかフレデリカ→ビュウの視線になっていました。どっちでも美味しいですが途中で自分が混乱しましたまる
結局ほのぼのに始終するのはどうにかならないんでしょうか。無理ですねそうですねorz 0706



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