Novel / たこ足に乾杯を


 抜けるような青空。眩しすぎる太陽。
 それだけでも十分だというのに、追い打ちをかけるように香ばしい香りが彼らのお腹をくすぐった。

 ぐう~……

「らっしゃい! 今朝の揚げたてだよ!」
「見てくれよ、この立派なタチウオ!」
「焼きたて、貝の串焼きだよー! お兄さんひとつどうだい?」
「あっ」
 汁の滴る串を差し出され、思わず手を伸ばしたのも一瞬。肩をぐっと掴まれると、ビッケバッケの体は再び群集の波に引き戻された。
「ひどいよ二人して!」
「……おれだって腹減ってんだ」
「また隊長にご迷惑をかけるつもりですか?」
「……だって」

 ぐぐう~…………

「それくらいにしてやれ。何より金のない俺が悪い」
 「そうだぜ!」「そんなことは」
 「……………………」
返答すら正反対のラッシュとトゥルース。それ以上言葉を出せず、彼らの周りだけ時間が止まっているように思えた。今だけは、周囲の喧騒がどうにも煩わしい。
「早くここを抜けよう。マハール王宮で手続きさえ終われば、しばらくは空腹を抱えなくてもいいんだからな。あと少しの辛抱だ」
「アニキ……」
 責任を一手に引き受けているせいか、ビュウの声色も表情も戦場での姿を忘れるくらい穏やかだった。だが共に苦しみを乗り越える中で何度も見たその物腰に、ビッケバッケの空腹は一瞬なりを潜めた。
「にしても、全然王宮が近づいてるようには見えないぜ?」
「それくらい市場が盛況なのでしょうね。カーナ以上かもしれません」
「塩焼き、姿焼き、揚げ物……。どのお店も魚料理の店ばっかりだよね!」
 三者三様、見ている視点は異なっていた。だが広々とした沿道の脇に軒を連ねるマハール名物が、そこにいる人々の目もお腹も満足させるのは確かだろう。
「おいやめろよビッケバッケ。せっかく考えないようにしてんのに……」
「いつでも揚げたて! 巨大タコの美味塩揚げだよ! 口寂しいあなたにもぴったり!」

 ぐぐぐう~…………

 ラッシュの言葉に合わせるように飛び込んできた、威勢のいい声と漂う香ばしい油の匂い。三人の目線は一気に奪われ、ビュウの耳には腹の音の三重奏が直談判として飛び込んできたのだった。

***

「本当にここで獲れんのか?」
 ざざん、ざざんと打ち寄せては砕ける波を見下ろしながら、ラッシュは口先をとがらせる。足元は立派な堤防で、いくら蹴ってもびくともしなさそうだ。ただこの高さから落ちたら上がるのは大変そうだと勝手に脳内で見繕う。
 一方ビッケバッケといえば、ここに来てからずっとご機嫌だった。水面で時々跳ねる魚すら、今の彼にはお腹に収める算段なのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫! 前もこうやって釣ったもん。ね、アニキ?」
「まあ、な……」
 同意を求められたはずなのだが、ビュウの歯切れはいまいちだった。相変わらず抜けるような青空と、爽やかすぎる湖を渡る風が逆に不安を増長させていた。
「何かあるのでしょうか隊長。いえ、あるのでしたらおっしゃってください」
「いや、本当になんでもないんだ。ただ懐に余裕さえあればと思ってな」
 小さく笑うと、ビュウの目は湖の遥か沖へと向けられた。小さな町ならすっぽりと入ってしまいそうなほど広いその湖には数々のボートが浮かび、エンジンの音が重なり合って不思議なリズムを刻んでいた。波と交じり合い奏でる音楽は、普段の彼らには聞くことのできない貴重なもののはずだ。
「なーんだ、金、金ってそれより今はできることをするべきだろ!」
 こういうとき、ラッシュの前向きすぎる考え方が幾度となく彼らを救っていたのは事実だった。そもそもマハールを解放し、次のラグーンへの航路につくはずの彼らがなぜ岸壁に立っているのだろう。答えはきっと彼らより、手元の釣竿が素直に語っているに違いない。何よりそれは、マハール大臣に謁見した彼らの乞食のように飢えた顔に対する救いの結果に他ならないのだが。
「……それもそうだな。それじゃあこの湖名産、肉厚タコのごちそうにありつくとしようか」
「はい!」「やったー!」「よっしゃ!」
 三者三様、威勢のいい返事をすると三人はビュウに倣って竿をしならせたのだった。

***

「うんンンンンめえ!!」
 口から汁を垂らしながら、見た目など気にせずラッシュは感動を口にした。左にははふはふと口の中で冷ましながら、タコを堪能しているビッケバッケが座っている。
「ほらもう、汚いですよ。机まで汚して……」
「そんなんだから、トゥルースはいつも食いっぱぐれるんだぜ! おら食え食え」
「みんなで獲ったものだしな。二人とも、そこらは分かってるよな?」
「……おう」「うんー」
 円卓だからか、ビュウの柔らかな注意はまんべんなく行き届く。幾度となく見てきたが、特に三人を前にしたビュウは有無を言わせぬ静かな迫力を放っていた。
ごくりと飲み込んだのは、食べ物なのか唾なのか。とにかく平和な食卓が戻ってきたのだった。

「それにしても、こんなに頂いて良かったんでしょうか」
「いいに決まってんだろ、食べきれないくらい獲れたんだからな!」
円卓の中心には、トロフィーのようにタコの唐揚げが盛られていた。実際これが質・量ともに一番なのだから違いはないだろう。
それに雑にフォークを刺しながら、ラッシュの表情は自慢げだ。フォークを口に運びながら、ぐるりと円卓を見回してにこりと笑う。めっきり見ないごちそうの山に、トゥルースもビッケバッケも舌鼓を打ちながら自然と笑顔になっていた。
「せっかくだから売らないで、持って帰れたら良かったのになあ」
そう零すのも無理はなかった。釣りを切り上げた彼らの元には、タコ以外にも大量の魚介が残された。マハールの豊富な食の恵みに感謝するより早く、それをどう平らげるかに頭を悩ませることになったのだ。結果的にこうしてレストランに丸く収まっていることが問題の解決を告げていた。懐に金、胃袋に満足感を得て、彼らはいつになく上機嫌だった。
「海鮮は足が早いから仕方ないさ。それにおかげで資金ができたんだ、これでみんなが食べられるものを――」
言いかけて、ビュウはフォークに刺さった唐揚げをしばらく見つめた。
「……芋とワインと、どっちにしたい?」
「ワイン!!」
「芋のほうが長持ちするとは思うのですが……」
 ぽつりとつぶやくトゥルースの意見をかき消せんばかりに、ラッシュとビッケバッケの声が重なった。どれだけ楽しみなのか、思わぬ声量に二人は顔を見合わせる。
「……どうせなら美味いのがいいよな!」
「うんうん! みんなでかんぱーい! って!」
「あら、そんなに美味しかった? ありがとう! ボトルにしておこうか?」
「……あ」
 ポーズを掲げたビッケバッケとウェイトレスの目がばちりと合った。というより、彼女は初めから注文を取る気でいたのだろう。ペンを構えた白い歯の、笑顔の眩しい彼女の前でたじろぐビッケバッケの目は、救いを求めるように泳ぎに泳いでやがてビュウの元にたどり着く。
「――あのう、アニキ」
「……はあ」
 びくり、とビッケバッケの肩が跳ねた。いじるつもりはなくとも、今の彼の表情はあまりにも哀れだ。ひとつ頷くと、ビュウはウェイトレスに親指を折って右手をあげた。
「すまないがこれから仕事があるんだ。四つ、頼んでもいいかな?」
「分かったわ、カッコいいお兄さん!」
 ペンをするすると滑らせて、ウェイトレスは器用にウインクなどしてみせる。去っていく背中を見届けるのもそこそこに、ビュウはフォークで唐揚げの皿のふちをこつこつと叩いた。
「それじゃ、改めて乾杯しようか」
「ならボトルで入れろよな!」
「ダメだよラッシュー、そう言ってすぐ酔うんだからー」
 互いにへらへらと笑いつつ、三人はまばらにワインの残ったグラスを掲げた。
「これからの武運を祈って。乾杯」
「乾杯!」
 後のことは頭の片隅に追いやって、彼らは新たに運ばれてくるワインとともにつかの間の贅沢を堪能したのだった。

たこ足に乾杯を
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今日はタコの日らしい。タコといえば…ねえ?
というわけで久々トリオとビュウでした。飢えの苦しみを三人はこれでもかと体験しているので、
ビュウにはその分世界の美味しいものを食べさせてあげてほしいです。
20200702



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