「ビュウ、ねえビュウ、どこなの?」
目を忍んで声を潜めるのも忘れて、ヨヨは生け垣の影から飛び出した。いくら彼女の庭といえ、ここは遊び場という名の舞台でしかない。鮮やかな緑も目を引く花々も、今の彼女にとっては視界を遮る小道具でしかなかった。
小さなヨヨには大きすぎるそれらの間を歩き回ったその先に、探していた男があぐらをかいていた。
「やあ、ヨヨ。こんなところに……。って俺を探しに来たんだよな?」
「あったりまえじゃない!」
たまらずヨヨは土で両足で踏ん張り両手を腰に当てて息を荒くした。たとえその手が汚れていようと今は関係ない。目の前の男のリラックスぶりよりもその腕の中で小さな生き物の黒々とした鼻が気になって仕方なかったのだ。
「そうじゃなきゃみんなに頼んで探してるわ。ビュウはどこだーって!」
「その前におれが見つかってよかったよ」
そうさらっと受け答えして、男――ビュウは安堵の息を吐いた。
大きく口を開け笑う姿は彼に知り合いの姿を連想させる。そんな少女は親の寵愛を受けた可愛らしい雰囲気をまとっているが、彼女こそ国の王女なのだ。
彼女がたとえ冗談だろうと人に頼みごとなどすれば、城は内外問わずに大騒動になるだろう。それに巻き込まれる人たちがいなかったことを考えれば、一息つくのも道理だった。
「ビュウ、また訓練をサボったんでしょ」
「終わらせたはずなんだけどな。聞いて回ったのか?」
姉のような口ぶりで、相変わらずヨヨはビュウの足の軽さを指摘する。当然と言いたげに頷く彼女を前に笑顔がこぼれる。心配されている、と表現すれば可愛らしいものだが、もうすでに自分も「頼まれごと」に巻き込まれているのだという気づきにただ笑うしかできなかった。
「……くぅん」
「あとその……ワンちゃん?」
笑った調子に筋肉が緩んだのか、覆うように抱きしめていた腕の中から小さな三角形の頭が飛び出した。辺りをうかがうようにしばらく見回した後で、目の前のヨヨを見上げて小さく鼻を鳴らした。
「ああ。どうもこの子、足を怪我して上手く歩けないみたいなんだ。もしかしたら折れてるかもしれないと思ってさ」
体全体をヨヨに見えるように腕をどけて、空いた腕で子犬の首を軽く抱く。そしてたたまれたままの後ろ足に触れると、子犬はわずかにもがきながら鼻を鳴らす。その悲鳴にヨヨは思わず駆け寄って、いても経ってもいられず小さな頭に手を添えた。
「困った人を助けるのも、ナイトの立派なせきむ、だもの!」
「そう、なんだけどな」
「くうーん」
たどたどしいヨヨの口ぶりに応えるように笑うビュウの手を、子犬がもの言いたげに舐める。痩せこけた茶色の短毛に、折りたたまれた三角形の耳。ぱたぱたと振られた尻尾は人なつっこさの現れだったが、どうにも外で生きて行くには幼すぎるように見えた。
「……きょうだいとか、お父さんお母さんは?」
「見かけたときからずっと一人だったよ」
心配そうなヨヨに答えるビュウの声は、淡々としながらも投げかけられた目はどこか悲しそうな色をしていた。そんなことも知らず、子犬は相変わらず撫でるビュウの手にじゃれついている。
「どこかで馬車にでもひかれたのかもな。それでついて行けなくなってはぐれたのか――」
続きを言おうと口を開けたものの、ビュウはヨヨの潤んだ目を前に口をつぐまずにはいられなかった。幼い彼女に厳しい現実を教えるにはまだ早い。傷心を抱いた彼女の存在は、何よりその周囲に影響を及ぼすのは目にも明らかだ。
「……かわいそう。ひとりぼっちはさみしいもの」
「ヨヨ……」
「でも、もう大丈夫よね、ビュウがこうして守ってくれたんだもの! ううん、ビュウは優しいって分かってるのよ、きっと!」
子犬を気遣うように優しく抱きしめて、ヨヨは心の内を呟く。そんな彼女にどう接したものかとビュウが思ったのもつかの間、彼女はしゃんと背筋を伸ばすと花のように笑った。
「それはいいのか悪いのか分からないな」
「どうして? とってもいいことよ!」
悪気のないヨヨの言葉に思わず苦笑して、ビュウはひとつ頷いた。彼女の笑顔は、魔法でもかけたように場所や人々の気持ちを明るくする。それがただ立場によるものではないのだと近くにいる自分が言い切れるくらい、ヨヨの存在は魅力的なのだ。
「だからそんなビュウがヨヨは大好きなの!」
「……まいったな」
そんなことを平然と言い出しさえしなければ、だ。
一回り近い年齢差のせいで照れることはなかったが、彼女のストレートすぎる感情表現は自分の思う以上に影響を及ぼすらしい。いつ彼女にそれが理解出来るだろうかと思いながら、ビュウは軽く頬を掻いて笑顔を返した。
「えへへ、よかった!」
とにかくヨヨへの返事としては満足のいくものだったらしい。頬に手を添え照れ笑いを浮かべると子犬にも微笑む。そしてドレスの裾を翻しながら城内へ戻る。
――そんな聞き分けのいいお姫様でないことは初めから分かっていた。
「ねえ、ここで待ってていいでしょ?」
「おいおい」
立ち上がり子犬を抱き上げたビュウに向かって、ヨヨは当たり前のように言ってのける。こうなってしまっては子犬のほうが言うことを聞くかもしれない。
そう言われることを予想しているのか、ヨヨは両手を胸の前で組んで上目遣いになった。特に年長者に対して行われる彼女のおねだりポーズのひとつだ。
「ビュウも見つかりたくないのよね? ヨヨもまだお城には帰りたくないの。だから……」
「……わかった。わかったからそうだな」
少しだけ口を結んで、ビュウは辺りを見回した。彼女の言うとおり、敢えて人の通りの少ない通用口を使って帰ってきたのも子犬の持ち込みが見つからないようにするために他ならない。それもこういった例が過去に何度もあったせいではあるのだが、今回ばかりはやむを得ない事態だからと自分に言い聞かせている姿が情けなくもあった。
「そこの茂みがいいな。戻ってくるまで顔は出すなよ?」
「はーい! 早く戻ってきてね!」
手近にある大きめの植え込みを指さすビュウに対して、はしゃぎながらヨヨは植え込みへと走っていき手を振る。本当に捕まらない気があるのかと内心不安に思いながらも、ビュウは子犬を抱えると彼女に手を振り返したのだった。
***
「……ビュウ君、これで何匹目だい?」
布をかけた薄暗いケージの中でひとまず落ち着いたのか、両手の上に顎を乗せてうとうとし始めた子犬の頭をひと撫でして温和な雰囲気の男性は困ったように顔をあげた。
「犬は三匹目だと思います。 ……たぶん」
曖昧な答えとともにビュウは苦笑する。渡したら声だけかけて出ていこうとしたものの、無言の笑顔を投げかけられてつい椅子に腰かけてしまった。普通の部屋に最低限の設備。普段ならここで食事をとっているのだろうと思われる目の前の机の上には、専門用語の並ぶ書類の小山と柔らかな紅茶の香りを放つマグカップが置いてあった。
「うん、そうだ。でも他にも猫やら小鳥やら――集めたみたいに僕のところに連れてこなくてもいいんだよ?」
「俺だってそんなつもりじゃないんです。でも、その……」
もごもごと口ごもってビュウは男性から目を逸らす。弱った命を前に放置できないのは相手も同じと何となくで引き取ってはきたのだろう。だがそれもどうやら今日までのようだ。
度重なる不自然に、男も気づいてくれればよかったのだけれど。結局ビュウはここで白状をせざるを得なくなったのだった。
「……一人で抜け出たときに限って、何かが俺を頼ってくるんです」
「なるほどなるほど……ふむ」
その意味を考えるように男はうんうんと頷き、ちらりと子犬を見やった。僅かに動く鼻先に小さくほほ笑んで改めてビュウに向き直る。
「そういうことなら、私も獣医として今までと変わらず治療にあたるべきだろうね」
「……! じゃあ!」
懺悔が終わったように、ビュウの目に光が戻る。思わず浮いた彼の腰を落ち着くようにと座らせると、獣医は困ったように笑うとゆっくり席を立った。
「何度も言ってるけど、僕の専門は馬なんだからね? その調子で間違ってもドラゴンなんて拾ってこないように」
「……もしそうなったら、覚悟しておやじに頭を下げるよ」
戦竜隊の一員として、もし街中で迷いドラゴンに出会ったら――。
なんて「もしも」は一度は夢想したことはあるはずだ。ビュウも例に漏れず、年相応の活躍を胸に抱きながらも白衣を着始める獣医の姿と自分の置かれた現実に肩を落とすとそうつぶやいたのだった。
「ドラゴンおやじさんか。あの人のおかげで僕らもずいぶん助かってるからね」
「それじゃあ……その子をお願いします」
これで互いに用は済んだはずだとビュウも立ち上がる。ただ今回は、加えて彼に共犯者になってもらわねばならない。その罪悪感が自然と頭を長く下げていた。
「――うん、また外へ行くんだね」
何も悪い事ではないけれど、と付け加えて獣医は子犬の入ったケージを持ち上げる。木を隠すなら森の中、時間を置くほど事態は悪化するぞと警告したところでそこから学ぶのも今のビュウには大事なことだろうと獣医は口にするのをすっぱり諦めて頷いた。
「はい。 ……なのでもし、居場所を聞かれたら買い物中だって言ってくれませんか」
「あれ、いいのかい?」
不意を突かれて、獣医の口から言葉がぽろりと転がった。意識せずに向けられた顔に、ビュウは臆する様子もなく笑ってみせた。
「今日は連れがいるんです。一緒に行くって聞かなくて」
「お守り、って感じだね。気を付けて行くんだよ」
保護者のように声をかけてくる獣医の優しさに、ビュウは礼を返すと早足で部屋のドアをくぐったのだった。
***
「――ヨヨ、どこにいるんだ、ヨヨ?」
「どこだと思う?」
咲くには早いバラのつるで彩られたアーチを抜けて、ビュウはヨヨがいるはずの茂みに向けて声をかけた。代わりに返ってきた転がる鈴のような声に、彼は両手を腰に当てて小さく笑った。
「早く出てこないと置いていくぞ」
「それは、ダメ!」
がさり。瞬間的に茂みから頭が飛び出たかと思えば、ヨヨは小動物のようにそれを除けつつビュウの元へ走ってくる。肌を傷つけていないかとひやりとしたのもつかの間、小さな両手を広げてヨヨはそれをビュウへと伸ばした。
「早く行きましょう!」
「そんな恰好でか?」
「だって、ビュウが……」
ビュウの苦笑に、途端にヨヨは下ろした手でスカートを握って恥ずかしそうにもじもじし始めた。わがまま放題の女の子に見えても彼女は王女、髪や服のあちこちに引っ掛けた枝葉が気になっていたようだ。彼女なりの懸命さでスカートをはたく様子を横目に、ビュウは髪にかかった小枝を指で挟んだ。
「……花?」
「どうしたの? わあ、かわいい!」
指の腹で小さな花弁の集まりをすりつぶして首をひねるビュウの手から、ヨヨはそれを取り上げた。パラパラと散る花粉と花弁がこぼれ落ちて、残りが彼女の小さな手に収まった。
「妖精さんみたい、ふふふ。ねえ、ビュウもそう思うでしょ?」
「いやー、その……」
黄色く染まった腹の指を見下ろして、ビュウはなおも指を擦る。しかしすぐ飽きてヨヨに苦笑を向けつつそれで頬を掻いた。
「ホコリがついてると思って取ったつもり、だったんだけどな」
「ひどい! あんなにきれいなのに」
自分のことのように頬を膨らませ、ヨヨはある一点を指さす。隠れていろと言ったはずの茂みからはやや離れた、城壁沿いの日当たりの良い場所に光の粒の花束がしなだれていた。
「やっぱり遊んでたのか。人通りがなくてよかったよ」
「もう、ビュウったらそればっかり!」
「……でもいい匂いだな」
落ちた花を踏んでいたのだろう、黄色く彩られた白い靴にビュウは笑いを投げかけた。情緒というものに全く興味を向けない彼に不満を覚えるヨヨに手を取りつつ、ビュウはまだ彼女の編み込みに引っかかった花の香りをひと嗅ぎした。
「よし、いい加減に行こう。早くしないとマテライトが探しにくるぞ」
「それはイヤ! ねえビュウ、どこに連れて行ってくれるの?」
「そうだなあ――」
彼の名を口にしたとたん、ヨヨは大きくかぶりを振ると差し出されたビュウの手を握って走り出す。これだけ嫌われてることを知ったら泣き出しそうだなとマテライトの身の上を案じつつ、ビュウは手を引かれるままに通用口を抜ける。
緩やかな坂道のはるか向こうに立ち並ぶカーナの古い街並みに向けて軽やかに足を運ぶヨヨの身に纏った花の香りは、風に流れて消えていくのだった。
昔の二人。若いけど主従関係ができあがってるのっていいよね。ほのぼの。
二人の年齢差の正解がいまだに掴めていないので作品によってバラバラですが、可能性を探るという点では書いていてとても楽しいです。
一回り近いと書きはしましたが8-10歳くらいのつもり。ビジュアルはようはアレアレファミ通文庫の小説版。あのビュウのいかつさには驚いたね~
2021/04/20