コンコンコン。
訪問を知らせる音が、さほど広くない艦長室に響く。朝のこんな早い時間から、ご丁寧にノックまでしてくれる人は数えられるほどしかいない。
センダックは飲んでいたコーヒーカップをソーサーに下ろして、できる限りの声を出した。
「空いてるよ、どうぞ」
「おはよう、センダック」
声を待っていたかのように開けられた扉から現れたのは、爽やかな笑顔をたたえたビュウの姿だった。片手にトレイを持っているところからして、挨拶ついでにおかわりを持って行こうとする彼なりの優しさなのだろう。
「……特に変わりはないみたいだな。良かったよ」
「ビュウ……」
顔を見るなり爽やかな笑顔を向けるビュウに、センダックの心は暖炉の火にあたったような温さを覚えた。同時に昨日のことを思い出す。記憶とともに蘇る冷たさに、火は儚く掻き消え彼は身を守るように自らの体を抱いたのだった。
「……うう」
「大丈夫か? 無理はしないでくれよ」
「ううん、平気だよ。少し思い出しちゃっただけ」
少しだけ震える唇を気持ちで押さえつけながら、センダックはビュウに笑いかけた。普段ふざけているように見えるビュウだが、少なくとも命に係わる場面では人が変わったように立ち回る。そのどちらもが彼の本当の姿だと、付き合いの長いセンダックには分かっていた。
「カーナとはずいぶん気候が違うもんな。早いうちに戻れて良かったけど、何も街まで出てこなくても良かったのに」
ビュウはなお笑みを浮かべている。だがそれに小さなため息が混ざったことがわかり、センダックは密かに胸を締め付けられた。
「……でもドラゴンたちを呼んでくれたのは助かるよ。どうして肝心なときに巻き込まれるんだろうな、俺は」
しかしその小さなため息は、自分の境遇に向けられているものらしかった。小さくくつくつと笑うと、終わりに長めの息をつく。まるでその運命を諦めてしまっている気がして、センダックはおずおずと声をあげたのだった。
「みんな、自分のことで精一杯なんだよ。ワシ、これでも艦長だから。でも一番忙しいのはビュウだから、ワシ、少しでも力になりたいの……」
「――それで微熱を出してうなされていたとしても?」
バン!
冷ややかな言葉に肝を冷やすより先に、机に置かれたトレイの音でセンダックは少しすくみ上がった。ビュウの手元と顔を交互に見ながら指先を思わずいじってしまう。
「驚かせるつもりはなかったんだ。ごめん」
「よかった…………」
空いた片手を顔の前に立てて、ビュウは小さく俯いた。だが顔を上げた彼の表情は柔らかく、ただ自分の身を案じてくれているのだと分かる。
「らしくないな、こんなの」
「そんなことないよ!」
それでも少しでも感情的になったことは事実らしい。照れ隠しのように零すビュウの言葉に、センダックは思わず声を張り上げていた。
ベッドと机だけの簡素な部屋に、老人の声は意外と響く。言われたビュウ以上にセンダックは驚いていた。慌てて口を押さえて赤面する様子を見ていたビュウは、近づくとそっと肩を叩いたのだった。
「――なんにも変わってないのかもな、俺たち」
「ビュウ……」
「でも昔ほどバカをしなくなった分、成長したと思うんだけど。どうかな?」
「ビュウは、ビュウはワシが見てない間に、とても成長したと思う。それこそ、リーダーとしてふさわしいくらいに……」
「前の俺は未熟だったって? いや、その通りなんだけどな」
センダックから離れて、ビュウは机に置かれたコーヒーポットを手に取ると軽く揺すった。残滓の音を確認してから、確認するように頷くと彼はトレーにそれを置き持ち上げる。
「でもセンダックは本当に変わりがなくて安心してるよ。それどころか事務仕事を一気に押し付けることになってすまないとは思ってる」
「分散させるより集中させたほうがいい、って引き受けたのはワシだもの。大変だけど、ビュウがこうして応援してくれるから頑張れるんだよ」
「こんなことで良ければいつでも呼んでくれ。でも歳なんだから、今回みたいにならないようにな。自分のことを一番わかっているのは自分なんだから」
いたわりと労いの言葉をかけて、ビュウは踵を返す。後もう少し待てば、彼は再び芳しいコーヒーの香りを纏ってやってくるだろう。
けれどその前に伝えておきたいことがある。あの日、ビュウがドラゴン探しに出るそのときに伝えられないままの言葉を。
「じゃあ、また来るよ」
「待って、ビュウ」
後はドアノブをひねるだけのところで声をかける。短い廊下のようになっているその場所から振り向いても、彼の表情ははっきり見えない。
「――ワシの中で少しずつ、何かが変わり始めてるの。でも何かなのかは上手く説明できなくて……。でも大丈夫、神竜のせいじゃないから。倒れたりしない、と思う……」
そこでビュウは振り向いた。以前に比べてウダウダした物言いに呆れているのかと、センダックは心を固めた。だが返ってきたビュウの言葉は、それをほぐすには十分すぎるものだった。
「その正体が分かったら教えてくれ。倒れそうになったら頼ってくれてもいい。でももたれるフリして尻を触るのはもうやめてくれよ、ジジイ」
「ビュウ、それは」
バタン
センダックの届かない言いわけと、ビュウの小さな笑い声だけを残して無情にドアが閉まる。できることなら追いかけているが、言い訳が思いつかないせいでセンダックはただその場に立っていることしかできなかった。
自分の心の変化。堪えきれずに出してしまった手。これらは事実で、関係を維持できるか悪化させるかはセンダック自身にかかっている。
だが、不思議とセンダックは笑顔だった。
「――ビュウ、笑ってた」
ジジイ、と軽口を叩きながらドアを開けたビュウの顔が、明るく笑っていたのをセンダックは確かに見たのだ。それはまるで、ずっと昔のカーナ王宮での二人の関係を思い出させる。
「うん、やっぱりダメだよ。がんばれセンダック……!」
気づきかけたビュウへの思いと、続いてきた関係をセンダックは天秤にかける。そして思いをこめて呟きビュウに触れた左手を右手で覆うと、それを胸に当てて静かに目を閉じたのだった。
書きたくなって書いたビュウとセンダックの関係的なSS。
はじめは「ジジイ!」って軽く呼ばせたかったんですが、ギャグ展開じゃないと言ってくれないことが判明して頭を抱えました。どーしよどーしよ。
本編内ではマハール攻略後ですね。確認したんですがこれ以降のお触りってないんですよね。自ら封印したとしか思えなくて可愛いよジジイ。
20180805