吹きすさぶ風を窓の外に眺めながら、フルンゼは一つため息をついた。
彼は今になって後悔していた。
……レーヴェの事である。
思えば、いつから二人の関係はこんなに絡まってしまったのだろう。
自分がホームシックに陥ったからだろうか?
その結果、レーヴェが自分の代わりを探し出したせいだろうか?
そんな彼の要求に、自分が些細な仕返しを始めたせいだろうか?
今ではすっかり「友情」の表面を装うためだけの関係になってしまったが、記憶を辿れば既にそれは遠い昔から始まっていたのかもしれない。
レーヴェとの付き合いは長い。
同じ年に入隊し、年も同じという偶然が重なった結果何かと一緒に行動するようになり、気付けば周囲に「二人で一組のランサーコンビ」として認識されるようになっていた。
フルンゼはその扱いに疑問を感じた事もないし、特に異議を唱えるつもりもなかった。性格の違いから多少の言い合いになることはあったが、気の置けない友人だと思って接してきた。
しかし、レーヴェからしてみれば自分はどう思われていたのだろうか。
「ランランランサー」が出来なくなった自分を差し置いて、ビュウに直談判したレーヴェ。
ゾラのむすこが反乱軍に加入してすぐ、決して自分以外とはしなかった「ランランランサー」を直接教えようとしていたレーヴェ。
そんな彼に嫉妬心を抱いた自分もバカだと思う。そもそも始めは悪戯だったはずなのだ。少し、困らせてやりたかっただけ。
「それがどうして」
ため息と共に思わず声が漏れる。眼前に広がる重く、厚い灰色の雲が一層彼の気分を沈ませた。
陰鬱な気持ちのまま窓に頬が着かんばかりの勢いでもたれ掛かると、ごうごうと荒ぶる風の音が耳をかすめた。
「あら?フルンゼじゃない」
突然声を掛けられて、フルンゼは顔をそちらへ向けた。
廊下の薄暗さとフルンゼの表情の暗さの相乗効果か、彼の顔を見たルキアは目をぱちくりさせた。
「……ルキアさん」
「どうしたの?そんな顔して。みんな浮かれてにこにこしてるのに」
「そうですよね……」
どれだけ明るく声を掛けても、フルンゼの纏う空気は変わらず重い。
というのも、ファーレンハイトの現在位置はおおよそ聞いたことのないアルタイルという神竜の故郷であり、どうやら前人未踏の地でもあり、その上ここに来て戦争が終わるのではないかという噂がさざめいているせいで、強大な敵を目の前にして妙に弾けた空気が広がっていたのだった。
その中で一人輪に入らず、こうやって廊下の隅で物思いに沈むフルンゼの姿はとても目立って見える。
再び窓の外に視線を戻して、フルンゼは小さく息を吐く。
いざ隣に立ってみたもののまるで自分の存在などなかったかのような彼の振る舞いに、ルキアはそっとその場を立ち去ろうとした。
が。
「ぼく、どうしたらいいんでしょうか」
ぽつりとフルンゼは呟いた。
ルキアはそれに反応しようとしたが、彼は構わず言葉を続ける。
「長い時間をかけて仲がこじれてしまった友人がいるんです。彼はぼくを今でも嫌っているかもしれません。でもぼくは仲を元通りにしたいと思ってるんです。いいきっかけがあるといいんですが」
「きっかけを探しているの?」
ルキアの問いかけに、フルンゼは振り向き頷きかける。そして彼女の目を見上げた彼の瞳は、どこか決意を秘めているかのような輝きがあった。
「それなら丁度いいきっかけがあると思うわ」
そう言ってルキアがウインクをしてみせると、フルンゼの瞳はますます輝いた。
「あっ、で、でもぼく」
「どうしたの?何かあったの?」
急に声のトーンを落として不安げな表情をするフルンゼに、ルキアは小首を傾げてみせた。
「ぼくが悪いんです。ぼくと友人の仲がこじれたのは、きっとぼくが嫉妬したせいなんです。きっと仲が戻ってレーヴェが元気になっても、ぼくはずっとこの気持ちを持ち続けると思うんです。レーヴェの顔を見る度に……あっ!」
「ふふ、やっぱりレーヴェのことなのね」
「はい……」
思わず口をつぐんで耳を赤くしたフルンゼだったが、対してルキアはおちょくることもせず静かに微笑んでいた。
「ねえ、フルンゼは神様って信じてる?」
「えっ、あっ、はい」
ルキアの問いかけに、フルンゼはしどろもどろに答えた。答えが曖昧なのは神の存在を疑問に思っているわけではない。そう問いかけるルキアの笑顔に見とれていたからだ。
「それなら一緒にお祈りしましょう?」
「お祈り?」
「フルンゼはレーヴェに悪いことをしたと思ってる。謝りたいけど謝れない。それならその勇気を、神様に貰うのもありじゃないかしら?」
「勇気を……」
フルンゼはごくりと唾を飲み込んだ。
「今さら謝るのも難しいな、と思ったら仲良くなれるきっかけをください、でもいいのよ。どうかしら?」
「分かりました。ぼく、やります。レーヴェと仲良くなって前みたいに笑いたいです!」
「ふふふ、良かったわ。私もお祈りするわ。みんなが笑い合える平和な世界になりますうに、って」
小さく祈りの仕草をするルキアと目線が合って、願いが叶った未来をイメージできたフルンゼは久しぶりに明るい笑顔を彼女に向けた。
*
*
*
時は流れて、二人はカーナに戻った。
正式に国民の前で女王となることを宣言したヨヨに嘆願されるより早く、二人は揃って国を守ることを志願したのだ。
「そのお陰で随分仕事が増えた気がするけど」
レーヴェは報告書に目を通しながら独りごちた。
「仕方ないだろー、救世軍の一員ってだけで持ち上げられた挙句面倒ごとまで体良く押し付けられたのは本当なんだしさ」
レーヴェの後ろで書類の束を整理しながら、フルンゼは彼の言葉を拾い上げた。
「そもそも上手く避ければしなくていい仕事なのにさ」
愚痴りたりないのかぶつぶつと零すレーヴェをフルンゼは窘めた。
「仕方ないだろ、これでもみんな手一杯なんだよ」
そう言ってフルンゼは自分の手元に視線を落とした。
彼が持っている書類のタイトルはこうだ。
『カーナ城警備兵候補リスト』
オレルス解放軍がカーナに戻り、カーナの英雄たちが城に戻ったのと同時に、どうにか生き延びたかつての仲間たちが城を、そしてカーナをかつてのように守るためにヨヨのもとに集まった。
ヨヨは大変喜び、できうる限り元いた持ち場に彼らは配属された。
それでも兵の数は圧倒的に足りない。その為にカーナの民から募った物がここにあるのだ。
「でもほら、この中からランサーに志願する人がいるかもしれないんだよ?」
フルンゼは手元のそれを掲げてみせた。レーヴェが振り返り、表紙を目でなぞるがすぐ元の作業に戻ってしまった。
「……そしたらまたぼくらの仕事が増えるじゃないか」
「レーヴェ、そんなに働くの嫌?」
ぼそりと呟いた言葉も、二人しか居なければ嫌でも耳に入る。
フルンゼは持っていた束の上に戻すと、立ち上がりレーヴェに向き直った。
「そんな事ないよ、何よりヨヨ様に褒められるしさ。この間だってぼくらにしか出来ない事だって言われたもん」
フルンゼはそう反論したが、でも、と言いかけて息をついた。その背中に疲労が積み重なっているように見えて、レーヴェは何の気なしに声を掛けた。
「ねえ、明日、って訳にもいかないだろうけど今度さ、一日休み貰ってどこか遊びに行かない?」
「ええ? 分かってるよねレーヴェ、これ片付け終わるまで休みなんて取れないことなんて」
「気張りすぎて倒れたら大変だよ、今フルンゼの背中押したら倒れそうだもん」
「そんな疲れてない……けど一日くらいならいいよ」
口先で言うには平気を装いつつ、表情はどこか疲れているフルンゼは力なく笑った。
「じゃあさ、帰ったらどこ行くか決めようよ!前はどこ行ったっけ?」
「前?」
レーヴェの問いが分からず、フルンゼは頭捻った。そもそも前とはいつの話だろう。
二人きりで最後に出かけたのが反乱軍結成前であることは確かなので、フルンゼは早々に思い出すことを諦めた。
「分かんないや。そういうレーヴェも覚えてないでしょ?」
「うん。フルンゼも覚えてないなら、きっとどこに行っても楽しいよね!」
「……その前に休みの手続きするの忘れないようにね?」
楽しそうにすっかり手を止めて脳内で予定を立てているらしいレーヴェに、フルンゼは思わず突っ込みを入れる。そんな二人の間を取り持つように、お昼を知らせる鐘が鳴り響いた。
「あっ」
「もう昼なんだ早いなあ、片付けて戻ろうよレーヴェ」
フルンゼが声を掛けるより早く、レーヴェの手は片づけを始めていた。よほど嬉しいのだろうか、と思ったが振り返ってみれば以前のわだかまりのない状態で話し合えるのも久々の事なのだ。これも祈りが届いたひとつの成果なのだろうか。レーヴェとは違った意味で嬉しさを噛み締めたフルンゼは、明るい気持ちで書類を整理し始めた。
「お昼の当番、どっちだったっけ」
「ぼくだったと思うけど。フルンゼ代わってくれるの? やったあ」
「代わるとは言ってないでしょ。手伝いぐらいはしてあげるけど」
「よろしくー。あーお腹空いたなあ」
二人は城門に続く石畳の上を歩いていた。城壁のあちこちに通用口はあるのだが、結局城門から続く橋を渡らなければ大通りに出られないため多くの人間は遠回りを余儀なくされていた。
とはいえ、お昼に家を往復する時間が取られていて、それが彼らに心の余裕を持たせていた。
ともかく昼食のことで頭がいっぱいの二人を、突然懐かしい声が引きとめた。
「レーヴェ、フルンゼ、久しぶりね!」
「あっ」
「……ルキアさん!」
二人の少し先に、笑顔のルキアが立っていた。彼女は手を振りながら近づいてくる。それにあわせて彼女の纏う香りが鼻腔をくすぐった。
「二人とも、今日はもう帰るのかしら?」
「ううん、お昼だよー」
「お昼食べに戻るところです。ルキアさんはどうしてここに?」
「私はね、久々にみんなの元気な顔が見たくてお邪魔してるの。ヨヨ女王にも少し謁見できたらな、と思ってここまで来たけど、ねえ、良ければ二人について行っていいかしら」
にこり、と笑ったルキアの表情にあからさまに表情を緩ませるレーヴェ。傍から見ていてだらしないとは思うが、実際声を掛けられて悪い気になる男はそういないだろう。
返事も忘れてルキアの顔を見ているレーヴェを横目に、フルンゼは大きく頷いてみせた。
「はい、大丈夫です。ほらレーヴェ」
「えっ、何?」
肘で突かれてはっと我に返ったレーヴェの口から抜けた声が漏れた。
「……ルキアさん家に呼んでも大丈夫でしょ?」
「ああうん、へーきへーき!ルキアさん、今日のお昼はぼくが作るんで食べていってください!」
「ええ、食材そんなに余裕あった、あ痛っ」
「大丈夫? ――ならそうだわ、ケーキを買って行ってもいいかしら」
「やったあ!」
レーヴェにつま先を踏まれて思わずしゃがみ込むフルンゼ。そんな彼を気遣いつつ寄り道を提案したルキアの言葉に、自分がしたこともすっかり忘れてレーヴェは跳ねるように走りだした。
開け放たれた部屋のドアからオリーブオイルの良い香りが漂ってきた。きっと昼食はスパゲディーだろう。そうフルンゼは推測しつつ食欲に負けそうな思考を引き戻し、解けかけた手を組みなおした。
そんな後姿を、ルキアは微笑みながら見ていた。その理由を知らないレーヴェは、サラダをテーブルに並べながら小首を傾げて口を開いた。
「ああ、フルンゼ、カーナに戻ってきてからずっとああなんです。朝昼夜って欠かさず祈ってるんですよ、戦争で考えが変わったのかなーなんて思ってたんですけど」
「あら、祈ることは悪いことではないと思うけれど」
「それはいいんですけど、理由を聞いてもはぐらかされるのがどうも気持ち悪くて」
突然敬虔に祈るようなきっかけがレーヴェにはさっぱり検討がつかないのだろう。彼は眉を潜めると小さく呟いてルキアに背を向けた。
「フルンゼ、ご飯出来たよ」
「はーい」
気楽な返事をして立ち上がり、振り向いたフルンゼ。
そんな彼の視線の先にはルキアが座ってこちらを見ていた。
「あっ」
「どうしたの?お昼にしましょ」
固まるフルンゼに対して、ルキアはウインクを返して見せる。その余裕が彼の日常を取り戻した。
フルンゼは頷くとリビングに出て、ルキアの向かい側の椅子を引く。そのタイミングを待っていたかのように、レーヴェがパスタ皿を持って現れた。
「……で、そろそろ教えてくれてもいいと思うんだけど?」
「何を」
「とぼけないでよ。祈り始めた理由。平和を祈るような性格してないでしょ。ルキアさんなら分かるけどさ」
「ひどくない? それ」
フルンゼは軽く頬を膨らませて反論する。しかし片手はデザートの冷菓を掬うことをやめようとはしない。
「うん、やっぱりフルンゼに作らせると美味しいな」
「……はぐらかさない」
そう言いつつも、ふたりは同時に氷菓を口に運んでそれが溶けて馴染むさまを楽しんでいた。
「ふふっ」
「ルキアさん?」
そんな二人を見て微笑みをこぼすルキアを不思議に思い、レーヴェはスプーンを咥えたまま小首をかしげた。
「ううん、すっかり元通りになったんだな、って思って安心しちゃった。少し心配してたのよ?」
「そんな、ルキアさんが」
純粋な喜びからか照れからか、彼女から逃げるように目を逸らしたレーヴェは、同じように照れた様子で視線を泳がせるフルンゼと目が合った。
「そ、そんなことないです」
「いい子ぶってんじゃねー」
明らかに演技の入ったフルンゼの台詞に、思わずレーヴェは突っ込みをいれてついでに額をつつく。
弾かれたように顔を上げたフルンゼはレーヴェと、ルキアの顔を交互に見てはにかんだ。
そんな彼に誘われるように、レーヴェの顔がほころんで二人の間の空気が優しいものになる。
「ほら、はやくしないと溶けちゃうわよ?」
「あっ、そういえば時間まだ平気?」
「平気だけどさー、あーあ、戻りたくないなー」
「頑張りましょう、ねっ?」
ぶーたれつつも楽しんでいる様子の二人の表情を眺めながら、ルキアはにこりとして頷いてみせた。
話自体は去年から書いては停滞を繰り返し続けていた「いい双子の日(1125)」合わせの小説でした。
でもレーヴェとフルンゼって双子じゃなくね?とセリフを見返して思い直したので仲違いを取り戻すまでに収まりました。
(双子ネタも美味しいとは思うんですが誰か 頼む)
一度書いた部分はほぼ手をつけ直していないのでクオリティに差があるとは思いますが許してください……!
2017/07/06付