う、ううっ
今日何度目かの吐き気を抑えて、フレデリカは気分を少しでも紛らわせようと深呼吸した。
空をゆく戦艦ファーレンハイト。
こうしてひとつ同じ空間で生活している彼らは、つい最近まで世界の各地で生活を送る一般人だった。それが反乱軍としてひとところに集まり、帝国に占領された母国を取り戻すべく旅立ったのだ。
キャンベル出身であるフレデリカは、女王であるキャンベル女王の考えを否定してはいなかった。しかし反旗を翻したという名も知らぬ人々が傷つく事実に目を背けることができず、同じキャンベル出身でプリーストであるゾラと連れ立って反乱軍入りを志願したのだ。
しかしその思いも決意も、先日の初陣でぽっきり折れてしまった。
支配からの解放とは、結局死体の山の上に出来上がっている。しかもそれが最初に選ばれたのが皮肉にも祖国であるキャンベルだった。
首都から離れた深い森の中、躊躇なく焼き払われていく森林と敵の壁。
ナイトやヘビーアーマーたちが先陣を切りその後をウィザードやプリーストがついていく都合上、彼女らが見た景色はどこまでも赤と黒に醜く彩られていた。
それをなお強力に記憶に焼き付けるのは、元人間だったものの放つ臭い。ぴくりとも動かない肉の塊からは、どれだけ目を背けようと血と焦げた髪の毛の混ざった不快な臭いが鼻をつく。それは戦場を離れベッドに戻った今でさえ、彼女を苛ませるには十分すぎたのだった。
「どうして……」
呟いて、フレデリカは何とか身を起こしたベッドの上から見える景色を疑わしげに見る。
彼女の目に映るのは、和やかに会話を交わし笑いあい、優雅にお茶などを楽しむ女子たちの姿だった。
彼女らも自分と同じ景色を見てきたはずだ。ウィザードは特に、放った魔法が敵をうつ瞬間を見ていたとしてもおかしくない。
それなのに。
――どうして。
声にならない疑問と再び湧き上がる吐き気を何とか飲み込んで、フレデリカはまさに這い出すようにベッドを出た。
すー、はー。すー、はー。
人のいない場所を求めてファーレンハイトをさ迷ったあげく、フレデリカがたどり着いたのは甲板だった。ここも少し前に乗っ取っていた帝国軍との一戦があったはずだが、今そこにあるのは思い思いの形で過ごすドラゴンたちの姿だけだ。
そんなドラゴンたちも戦闘となれば命令を聞いて敵に飛び掛っていく危険な存在だ。しかし逆に平時は必要以上に人に絡むこともなく、適度な距離を保つことができた。
今はそれに感謝しながら、フレデリカは青い草の香りの混じる空気を胸いっぱいに吸った。深呼吸のしすぎも体に悪いとは分かっていながら、少しでも早く体に溜まった戦場の空気を入れ替えたくて、彼女は無心で流れていく雲を見つめていた。
空、であるはずのものは滲んで青くぼんやりしたものになっていた。
自分がおかしいのかいう気すら回らず、フレデリカは視線を甲板に戻そうとする。
しかし彼女が取れた行動は、その場に身を横たえることだけだった。
ちくちくとした芝の感触が気持ちいい。だが今はそれ以上に、止まらない鼓動を抑えたかった。
フレデリカは押さえつけるように胸に両手を重ね、短く呼吸を繰り返したが体調は改善するどころか苦しくなるばかり。
涙がとめどなく流れてくるのも分からないまま、彼女は視界にぼんやりと映る色鮮やかなドラゴンたちに助けを求めるように手を伸ばした。
「助けて、誰か。誰か――」
くう、くう。
甘えるような高い声は、フレデリカから発せられているものではなかった。それに気づくと同時に、腕に生温かいものを感じとり彼女はそっと目を開けた。
「……死んじゃった、のかな」
とっさにそう言葉が出たのは、目の前が一面の白に覆われていたからだった。
暖かく、ふわふわとした感覚。死というものを恐れてプリーストになった彼女にとって、突然の死は案外優しいものなのだと思えた。
だが。
「くるる!きゃうう!」
「……え?」
その考えを払うかのように、甲高い声が響くと続いて大きな緑の目がフレデリカをのぞきこんだ。
大きく羊のように巻いた角、牙のない小さな口になだらかで長い鼻梁。目の前にいるそれはフレデリカの気のせいなのではなく、先日背中に乗せてもらったばかりのドラゴンなのだと認識した。
「モルテン、だよね? どうして」
言葉を続けようとして、フレデリカは再び胸を抱え込んだ。現実に引き戻されるとともに、自らの容態を再び受け入れなければならなかったのだ。
涙を滲ませ懸命に呼吸を繰り返すフレデリカ。それを見て現状を理解しているかのように、モルテンは彼女の手を舐め始めたのだ。
いや、もしかしたら生温かい感触の答えこそがこれだったのかもしれない。
再び霞んでいく意識を必死に繋ぎとめようと、フレデリカはモルテンの与えてくれた刺激に感覚を集中させたのだった。
「……はあ、はあ」
「きゃうう?」
「もう大丈夫、みたい。ありがとう、あなたのおかげよ」
「くるるる」
身を起こし、フレデリカは再び周囲を見る。そこにある景色はなんら変わりはなく、自分がここでこうして苦しんでいたことが嘘のように思えた。
今ここで嬉しそうに顔を摺り寄せる、モルテンの姿をのぞけば。
フレデリカはモルテンの頬にあたる部分を撫でながら、ドラゴンについて考えなおさなければならないと思った。
「戦うのが好きなドラゴンばかりじゃないのかも。あれ、そういえば」
モルテンの目を見上げて、フレデリカは昨日のモルテンの動きを思い出した。
モルテンは昨日、プリースト隊を乗せていた。だから戦闘が始まっても彼女らのそばにいるのかと思っていたが、必要に応じて魔法を使っていた。しかしそれは敵を焼き焦がすものではなく、味方の傷を癒すためのものだったのだと。
「もしかして、あなたも私と同じなの?」
「きゃう?」
「……違うよね。ドラゴンは強いから、その分敵から狙われる。私たちは力を出し合って解決できるけど、あなたたちは自分の力で解決しなきゃいけない。逃げてばかりじゃだめなんだよね」
呟いて、今ならと昨日の戦場を思い浮かべる。しかしすぐに慣れるものであるはずもなく、再度軽い吐き気を催し体をモルテンに預けた。
「くう?」
「ごめんね、少し休ませてもらってもいいかな? 私、すぐあなたみたいに強くはなれないみたい」
「きゃうふう!」
「わっ」
いいよ、と言いたげに鳴いて瞬きをするモルテン。そんなモルテンの柔らかな体毛に身を委ねて笑うフレデリカだったが、その表情はすぐ驚きに変わる。
ただ覗きこむだけかと思っていたモルテンの顔が近づいてきて、フレデリカの目にそっと唇を寄せたのだ。
くるる、と満足そうに喉を鳴らしてモルテンは地面に身を横たえる。どうしたの、と問いかけようとしたフレデリカは、こちらを見るモルテンの表情がどこか嬉しそうに笑っているように見えた。
「励まして、くれてるの?」
「くう」
はいかいいえか、いまいち分からない返事にもかかわらず、フレデリカの顔は喜びから優しい笑顔が見えはじめていた。
「ねえ、これからたまに、あなたの傍にいてもいいかな?」
「くふう」
気の抜けたようなモルテンの息遣いに、フレデリカはたまらずくすくす笑いだす。
やわらかくあたたかな、彼女のもうひとつの場所が見つかった瞬間だった。
ドラゴン絡めないと死ぬ病気か何かか私は。
というわけでお題は「震える君に、アイの口づけ」でフレデリカとモルテンでした。
フレデリカの口調が割とラフなのは病状が悪化していない序盤だからということでひとつ。
一時間にに収まる範囲のものが書けるようになりたい。
20170228