晴れやかな青空。爽やかな風。日差しがどれだけ強くても、彼らは日を避けるなど考えたこともなかった。
「おい、早くしろよ!」
「待ってください! 水路は逃げたりしな、おっと」
ぐっ、とつま先が石畳に突っかかる感覚に、とっさにトゥルースは差し出した左足に力を込めた。だが走ってきた勢いはそう簡単に打ち消せない。つま先が引っかかったまま、彼の体は不自然に傾いた。躓いたところで手に擦り傷ができる程度だろう――。
「危ない!」
だがその結末は杞憂に終わった。肩をがしっと掴まれる感覚とともに、視線が石畳を離れていく。勢いで向いた視線の先には、目を見開き焦った様子のビッケバッケがいた。
「……はあ、よかった。ここ、デコボコしてるから気をつけてね。って言い忘れちゃった、ごめんごめん」
「いえ、今は怪我をしなかったことに感謝したいです、ありがとう。ラッシュのペースに乗せられないよう気をつけますね」
「あはは、ラッシュの足は速いからねえ、追いつこうとしちゃダメだよ」
トゥルースの体がしっかり起き上がったことを確認すると、ビッケバッケはゆっくり歩き出す。路地裏の薄暗さにも負けない笑顔に、トゥルースは安堵の息をついた。
「おらお前ら、おっそいぞ!」
「ラッシュが早すぎるんだよー!」
「……ほらトゥルース、行こう!」
そこに飛んでくるラッシュの声。姿はとっくに見えなくなっていたが、眼下を流れる用水路の壁に反射してその声はやけに大きく聞こえた。
彼が一番楽しみにしているに違いない。しかし彼に合わせようとすると自然と置いていかれてしまう。後を追うしかない鈍くささを恨みつつ、トゥルースは背中を押すようなビッケバッケの声に大きく頷き返す。そして二人は連れ立って光のほうへと走り出したのだった。
「わあ、やっぱり人がいっぱいだねー!」
どういうルートを通ってきたのか、トゥルースの頭の中には上手く地図が描けずにいた。だがそんなことは些細であるかのように、前を走るビッケバッケは弾けるような声をあげる。目の前が開けると同時に、トゥルースの目に涼やかな景色が広がっていたのだった。
水路を吹く風が肌を撫でる。淀むことを知らない清水の匂いとはしゃぐ子供たちの嬌声に自然とそちらに顔が向く。
「ああ、ここだったんですね」
「おーい! こっちこっち!」
混ざり合う声の中から、ひときわ高い声が耳に届いた。いつの間にラッシュは水路に渡された橋を渡り石階段を下りて、涼む人々の間に混じっていた。呼びかけと大きく振られる手がなければ素通りしてしまいそうだ。
「ぼくたちの場所も空けておいてねー!」
手を振り返しながら、ビッケバッケは一足早く走り出す。トゥルースもまた衝動に突き動かされるようにその後を追ったのだった。
「よい、しょっと!」
「わっ、ビッケバッケそれは脱ぎすぎです!」
思わず声をあげてしまった恥ずかしさにトゥルースはとっさに目を逸らした。その間もかちゃかちゃとベルトを外す音は止まない。
「ん……? えへへ、きつくて裾が捲れなくなっちゃったんだよねえ」
そしてついに若干つっかかりながらもビッケバッケのズボンは地面に落ちた。こうするしかなかった、と言いたげな彼の笑顔は反省しているように見えない。しかし体型に合わせるためか若干大きなシャツが何とか下着を隠してくれている。おかげでこの場でトゥルースはナイトとしての心得を説教せずに済んだのだった。
――だが、そんな彼の苦悩は未だ続いていたようだ。
「いつまで二人して突っ立ってんだと思ったら……。トゥルース、脱ぐの手伝ってやろうか?」
「結構です、ってラッシュまで!」
たまらず声を上ずらせて、トゥルースは自ら足を上げたラッシュの格好に指をさした。水の中に足を入れるためには、履き慣らして膝が擦り切れ始めたジーンズの裾を捲るだけでは足らない。結果として周囲の人々も同じように半ば下半身を晒す格好になっていた。
といっても、始めからこうなることが分かっているのだろう。家族や恋人と談笑する男たちの格好は緩やかな綿のズボンや丈のあるチュニックだ。僅かに見え隠れする白い下着をどうにか見えないことにできないものかと思いつつ、トゥルースはため息をついた。
「まあほら、晒したところで死ぬもんじゃねえし。無理にとは言わねえけどさ」
「……そうですね」
にっ、と白い歯を見せてラッシュは笑い、うずうずしていたビッケバッケを連れ立って水面に向けて足を晒した。開放感からか、水の冷たさからか二人ははしゃぐ。その二人の後ろで、トゥルースは靴と長めの靴下を脱ぐとそのまま空いているビッケバッケの隣に腰を下ろしたのだった。
「わっ。思っていたよりずっと冷たいですね」
「そりゃ川の水だしな。どうせならひと泳ぎしたいよな、気持ちいいだろうなあ!」
「でもそう言って飛び込まなくなったんだから、すごく成長してると思うんだー。立派、立派!」
「なんでお前に褒められなきゃいけないんだ、よっ」
「わあ!」
驚きの声が重なり水路を流れていく。ラッシュが反撃とばかりに蹴り上げた水が二人にかかった。しぶきは光をきらきら反射させたが、それを綺麗と楽しむ余裕などあるはずもない。いつの間にか子供の遊びのようにラッシュとビッケバッケは水を掛けあい、トゥルースはそのおこぼれをもらいつつ穏やかな流れを楽しんでいたのだった。
「はあ、はあ。やるな、ビッケバッケ」
「ラッシュだって。こうなったら川岸まで競争するかい?」
「その挑戦、受けてやるよ。ちょうど足先も冷えてきたし、次は――」
「二人とも、遊びはそこまでです」
「あーあ、やっぱりダメだって」
ざば、と水場を離れることを惜しむように足でかき回してから、ビッケバッケの顔は二人の間を行き来した。とぼけているように見えて、こうして計画的に事を運ぼうとする彼を止めるにはこうするしかなかった。だがそんな笑顔のビッケバッケの向こうで、先に仕掛けたはずのラッシュの表情は不満を隠そうとしていない。
「なんだよ、良いところだったのに。トゥルースだってそんだけ濡らしたら、帰り道だけじゃ乾ききらないだろ?」
「大丈夫ですよ、途中には噴水広場だってあるんです。最初からある程度濡れることは想定しています。それに隊長だって……。いえ、とにかく行きましょう」
「ったく、二人とも真面目だよな。適当に涼んで帰るためにここで時間を……うっ、げっほげほ」
「やっぱりラッシュは最初からそのつもりだったんだねー。大丈夫だよトゥルース、ラッシュはぼくが引っ張っていくから。ほら、お仕事お仕事!」
ごまかすように咳をしたところで、先に自ら上がったビッケバッケはラッシュの右手をしっかりと捕えていた。こうなっては目で訴えても無駄だと理解したのか、ラッシュはしぶしぶ水から上がって着替え始める。トゥルースも倣いつつ重くなったズボンの裾を絞ると、まだ日も高く賑やかな水路一帯を見回した。
「ここは特に異常はなさそうですね。さあ、行きましょう。見るべき場所はまだまだありますからね」
水から上がってしばらくしても、濡れた足元は乾く様子はなかった。それはずっと水際を点検という名の散策をしていると同時に、ところどころに置かれた噴水広場にまんまと捕まっていたからだった。
気づけばラッシュとビッケバッケだけでなく、トゥルースも靴を両手で持ち運ぶようになっていた。
「よーし、特に問題はない、よな?」
「ええ、大きな見落としはないはずです。ビッケバッケは何か気づきましたか?」
「うーん……」
話を振られて、ビッケバッケは珍しく唸った。彼らは水の流れを上っていき、水路の原点である外壁の傍までたどり着いていた。壁に作られた取水口からは、溢れんばかりの水が流れ出していた。このまま堀に飛び込んで成すがままに流されていくのも、スリルはあるが楽しそうではあった。
だがそれも、目の前に厳重に張られたフェンスが邪魔をする。とにかく水の匂いを纏った風に吹かれながら、しばらく取水口から流れ落ちる水を見つめていたビッケバッケは顔をあげた。
「うーんとね、お腹すいた!」
「ははは、言うと思ったぜ!」
「でしょ~、ラッシュだってずっとお腹鳴ってたもんね!」
二人は気負うことなく笑い出した。言い付かった任務が無事に終わった証でもあったが、こうして満面の笑みを浮かべるビッケバッケの自然体こそが長く三人を結びつけているに違いない。
「トゥルースも! ねっ、アニキに買って帰ろうよ!」
「えーっ、食ってかないのかよ……」
ビッケバッケの手がトゥルースに伸びる。握り返された手を了承と見たのか、ラッシュは不満そうに口を尖らせる。だが常に忙しいビュウのことだ、軽食のひとつくらい差し入れしても機嫌を損ねることはないだろう。
「あくまで寄りかかっただけ、ですよラッシュ。どうです?」
「……分かった。行くか!」
「おー!」
ラッシュは言葉の持つ意味を理解したようだ。トゥルースの説得にひとつ頷くと、機嫌よく元来た道を歩き出した。その後に二人も続く。その足が弾んでいることをトゥルースは気づかないまま、少し遅い昼食に思いを馳せていたのだった。
舎弟の行動を読んだ上で仕事に出すビュウの親心。水際で涼む三人が見たかった。
というわけで、7月10日でナイトの日です。勝手に決めて呼んでます。ちなみに前期。次はこちら。
後期は9月10日なのでまだ間に合うぞ!(?)
幼少期にしようかと悩んだのですが、それじゃナイトじゃなくない? と思ったのでこうなりました。ショタトリオはどなたか書いてください(ただの願望)
20190710付