Novel / 踵鳴らせよ春の空


 「あーあ、どうしてよりによってコイツと一緒なんだよ」
 何度目かの愚痴にため息で返事をすると、たまらずディアナは口を尖らせたのだった。
 「私だって同じことをずーっと思ってたわよ!」


 「んだと?」
 雑踏の中でもはっきり聞こえる自分の耳が、今日ほど恨めしいと思ったことはない。低く唸る犬のような声と視線とで、ラッシュは隣を歩くディアナを睨みつけた。
 気づけば二人の間には、子供一人がすり抜けられそうな距離が開いていた。が、理由も何もラッシュ自身が漏らし続けた結果なのだから、少しは不機嫌を収める訓練を戦竜隊で学んでくれれば良かったのに。
 腹の底から湧きあがった彼への愚痴が、気づけば周囲へと広まっていることに気づいてディアナははたと立ち止まった。そして変わりに重いため息をつく。これで決して全てが流せたというわけではないが、それは目の前の光景と相殺ということで勘弁してあげよう。
 そう思えるほど、今ディアナの置かれた状況とは不釣合いな物がショーウィンドウの中できらきら光り輝いていたのだった。
 「――ほら、見て!」
 「なんだよ突然立ち止まって、邪魔じゃねーか」
 「ちょっと何、わわっ」
 指差すために突き出した腕を乱暴に掴んで、ラッシュはその方向へぐんぐん歩いていく。近づく光の舞台に惹きつけられながらも、ディアナは戸惑いを隠せずにいた。
 手を離し、肩に手を置いて、これこそ力ずくでラッシュはディアナの体を半回転させた。もちろんそこに広がるのは賑やかなカーナの雑踏だ。心地よい秋の陽射しと土ぼこりの交じり合う匂いは、多少鼻についてもテードでは決して味わえない故郷の匂いでもあった。それに加えて微かにパンの焼ける香ばしい匂いが漂い、二人は思わず風上に顔を向けたのだった。
 「いい匂いだね。買えないのが残念だなあ」
 「仕方ねーだろ。そうじゃなくても、こん中で何人が焼きたてを買えると思ってんだ」
 「……早く、平和にならないかな」
 買い物籠を腕に下げたまま、ディアナは両手を胸の前で組むと小さく祈りを捧げた。自身が焼け出されてテードの自室でしばらく篭っていた彼女の中には、確実に信仰心が芽生えていたようだ。
 道行く人々の多くは、王城が陥落してからしばらく近辺の都市に身を隠していたものたちなのだろう。日常に戻るべく帰ってきた彼らにとって、道の端々で人々を睨むベロス兵の姿は当たり前になっていた。だが戦争に敗れたカーナの貨幣価値は一気に崩れ、命はあれど満足に食事を取れないものが増えたこともまた事実だった。
 その煽りを、反乱軍として再度決起したラッシュたちもモロに受けていた。まだ彼らが飢えずにいられるのは、カーナ騎士団と懇ろだった問屋や農家の善意に他ならない。
 パンの香りを振り切るように首を振ったラッシュは、思い出したようにディアナと繋いでいた手を離すとショーケースに視線をやった。

 「そんために立ち上がったんだろ、おれたちはさ。そんでなんだよ、いきなり立ち止まって。そんなに珍しいもんなのか、これ?」
 さほど興味のなさそうなラッシュの声に、ディアナは首を横に振った。精一杯のオシャレにと、頭に留めた黄色い花のついたピンが頭の動きと共に揺れる。慣れないこととはいえ、押さえ込むのは何度目だろうか。
 「普通、なんだと思う。でも見て、こんなにピカピカした靴、履けたらみんなが注目すると思うの。私だってこんな……」
 言いかけて足元に目を落として、ディアナは口をつぐんだ。彼女の唯一の外履きとも言える、ショートの編み上げブーツ。磨り減ったヒール、細かい傷に入り込んだ泥がこびりついて何とも情けなかった。
 ガラス一枚越しに置かれたエナメルのきいたピンクのパンプスは、たとえ照明がなくともディアナの目には眩しいほど輝いて見えた。おもちゃを欲しがる子供のように張り付きたい気持ちは、両手を硬く組むことで何とか押さえつけた。
 「……たっけーな。そもそもこんなんじゃ歩きにくいだろ、馬に乗るわけでもねーんだし」
 ラッシュは顔を並べて、しげしげとパンプスを眺めていた。だがオシャレとは無縁の彼にとって、気になるのはヒールの高さだけのようだ。
 「値段なんかは関係ないの。って言いたいけど本当だ、とてもじゃないけど買えないな」
 現実は正直だ。頭の中で膨らんでいた夢の風船はたちまちしぼみ、ディアナは縋るようにベルトから下げたポシェット代わりの革財布に触れていた。だがこれはこれからの仲間の胃袋を満たすために預けられたもので、そうでなくても軍の報酬として出る僅かな賃金を合わせても到底買えそうにはなかった。
 「何を見てたんだか。まあ、おれもこんなオンボロじゃないのが欲しいけどな。履けるようになるのはいつのことだか」
 「――そのために立ち上がったんでしょ、私たちは?」
 「くっそ。まあ、そういうことだろ」
 言ったはずの言葉をまるっと返されて、ラッシュは一瞬むすっとした。がそれも威嚇の意味でしかなかったらしい。頷くとにっ、と歯を見せて笑う。その切り替えの早さが、ディアナにとっては何より眩しく見えるのだ。

 「ほら、いつまでも見てないで行くぞ」
 「うん。――ねえ」
 「金が出来ても、絶対買ってやんねーからな」
 「もう、ぜんっぜん違う! 期待もしてないからね!」
 「へいへい、頼りがいがなくてすみませんでしたね」
 売り言葉に買い言葉。互いに言い合いながらも、互いの表情には自然な笑顔が浮かんでいた。差し出して引っ込めた手を、再び伸ばす。掴まれた手首に一瞬びくついて振り向いたラッシュも、その正体が分かれば問題ないとばかりに歩き出す。
 目的の場所はまだ先だ。今は現実に向き合っていくしかない。だが夢を諦めたわけでもない。あの靴がいつまで残っているかは誰にも分からないが。
 「ねえ、どっちが早くお気に入りの靴を買えるか、競争しない?」
 「なんでだよ。それよりおれには欲しいもんがたくさんあるんだぜ」
 「えーっ、初耳。教えてよ、誰にも言わないから」
 靴屋を離れ石畳を歩きながら、ディアナはわざとらしくラッシュに体を寄せた。顔がどれだけ近づこうと、どきりともしない辺りが彼らの距離を表していた。代わりに訝しげに目を細めて、ラッシュは唇を尖らせたのだった。
 「ヤだよ。おれ知ってるんだぜ、ビュウが隠してたフルーツ。いつの間に皮剥かれて食卓に並んでたって。誰に話したかは忘れたって言ってたけど、がっかりしてたぜ、アレは」
 「でもラッシュも美味い美味いって食べてたよね?」
 「複雑だよな、あれ、絶対ドラゴンのために取っておいたやつだぜ?」
 テードには果物の生る木はない。つまりビュウはどこかから可愛いドラゴンのために持ってきたことになる。だが「テードにある食料は、持ってきた人に関わらず皆のためにある」と皆の前で発表したビュウの顔を思い出すと、二人は可哀想だと思いつつも笑いをこぼさずにはいられないのだった。

踵鳴らせよ春の空
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9月2日が靴の日らしい。それで自然と浮かんだ久々ラシュディア。
設定は過去のものを一応引きついている、つもり。
こういうものが履けるような平和になればいいねという話

にしたかった(過去形)。今ごろですが書いて供養~。慣れないヒール履いてよたよたするディアナの手をラッシュが支えていて欲しいよねって妄想と共に。
時間軸的にはラッシュがドラゴン探しの旅に出る前の話です。
20191025



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